第28話 あの日の断罪席
王宮の第一大広間は、静まり返っていた。
あの時の建国祝賀会。華やかな音楽が突然止められ、クラウディアが冷たい大理石の床に膝をつかされた夜。好奇と嘲笑の視線が上から降り注ぐ中、ユリウスに「君よりセシリアを信じる」と切り捨てられ、反証の機会すら与えられずにすべてを奪われた場所。
しかし今日、クラウディアの視座は全く違っていた。
彼女は床に這いつくばる被告人としてではなく、正面の中央に設けられた証拠提出者――ノルデン賠償執行区所長のための席に、背筋を真っ直ぐに伸ばして座っていた。
広間を埋め尽くす貴族や官僚たちの視線は、もはや彼女を見下ろしてはいなかった。彼らの目には、辺境から百四十六金貨の横領の証拠を携えて乗り込んできた恐るべき実務家への、畏怖と警戒が浮かんでいた。
「これより、ノルデン賠償執行区所長クラウディア・ヴェルンより提出された、中央賠償管理局の不当留保に関する証拠の検証、ならびにあの時の事業凍結プロセスの違法性に関する審理を開始する」
裁判長の宣言とともに、公聴会の幕が上がった。
クラウディアは静かに立ち上がり、証言台に広げられた分厚い資料の束に手を置いた。
「まず、あの時の私の『横領疑惑』から事業の即時凍結に至る流れが、単なる行政の行き違いではなく、意図的に仕組まれた一続きの違法な実力行使であったことを証明します」
クラウディアの澄んだ声が、広間の隅々にまで響き渡った。
「ここに、当時の警備日誌と入場拒否の記録があります。私の無実を証明する原本を持ったエミリア・ハルトの使者は、元近衛のダリウス・カイルによって物理的に入場を阻まれました。そして、検証されていない偽造資料を『確定事実』として読み上げ、私の事業の即時凍結通達に自筆で署名したのは、元王太子側近のトリスタン・ヘラーです。さらに、その未確定の情報を私信という形で社交界へ拡散させ、意図的に取引停止の連鎖を誘発したのがヴィヴィアン・ロゼル」
彼女は三つの書類を次々と提示した。ダリウスの警備記録、トリスタンの署名入り凍結通達、ヴィヴィアンの噂配布先一覧。どれもノルデンで彼ら自身に突きつけ、残債務の根拠とした動かぬ証拠だ。
「これらはすべて、当時の王太子ユリウスの権力を盾に行われた、適正な行政手続きを逸脱した実害の連鎖です。彼ら五名の行動はそれぞれの責任が判決で認定されており、十二名の被害者に対する千八百六十金貨の損害を生み出した明確な因果が存在します」
傍聴席の貴族たちがざわめき、裁判官たちも真剣な顔つきで資料を覗き込む。
だがその時、証言席の向かい側から、恰幅の良い男がゆっくりと立ち上がった。
中央賠償管理局長、ベルナール侯爵。
彼は余裕の笑みを浮かべ、大げさに両手を広げてみせた。
「見事な説明だ、ヴェルン所長。だが、裁判長。私は彼女の証言と提出する証拠のすべてに、根本的な疑義を呈したい」
ベルナールはクラウディアを指差し、よく通る声で言い放った。
「皆さまもご存知の通り、クラウディア・ヴェルン氏自身が、この事件における『主要な債権者』です。あの時の事件で二百六十金貨もの損害を負った本人が、加害者たちを自らの管理下に置き、賠償額の算定と送金を取り仕切っている! これほどの『利益相反』があるでしょうか。彼女が今ここで並べ立てている証拠も、個人的な恨みと私怨によって捻じ曲げられた、到底信用に足るものではありません!」
ベルナールの言葉に、広間の空気が一変した。
「確かに」「債権者本人が所長とは異例すぎる」という囁きが広がり、クラウディアへの疑念が再び頭をもたげる。一年前と同じように、権力と巧みな弁舌で真実を覆そうとする、ベルナール特有の恐ろしい手口だった。
「利益相反、ですか」
彼女は小さく息を吐き、手元のファイルから数枚の公的文書を抜き出して掲げた。
「私がノルデンの所長に就任する際、自ら申し出て、正式な就任条件となった規則があります。それは『自身の債権処理からの完全なる本人忌避』です。私の賠償金はすべて裁判所が管理する隔離口座で処理されており、私は金額の操作も、順位の繰り上げも、支払時期の変更も一切行っておりません。これがその口座の運用記録です」
「なっ……」
「さらに」
クラウディアの横から、漆黒の外套を着たアルヴィンが一歩前に出た。
「法務省独立監察局・執行監察官アルヴィン・グレイだ。私が証言する」
アルヴィンは裁判長の許可を受け、照合記録を差し出した。
「クラウディア・ヴェルン所長の行う事業配当の算定および送金手続きは、すべて私を含む外部機関の厳格な監査を経て実行されている。彼女の権限は適切に分散されており、個人的な私怨が入り込む隙間は物理的にも制度的にも完全に排除されている。……監察官の職に懸けて、収集経路と照合結果を提出する。証拠の判断は裁判所に求める」
裁判官の一人が、自分の手元にも隔離口座の記録があることを確認した。ベルナールは次の書類を探し始めた。
議場から疑念の囁きが消え、ベルナールの顔から余裕の笑みが剥がれ落ちた。
「……なるほど。辺境での実務は適正に行われているということにしておきましょう」
ベルナールは苦々しく顔を歪めながらも、すぐさま主張の軸をずらしてきた。
「だが、あの時の事業凍結そのものは、彼女の妹であるセシリアの『内部告発』という正当な手続きに基づいて行われたものです。当時の我々管理局が、王太子の判断と告発の証拠を信じたことに、いかなる違法性がありましょうか」
「その告発の証拠たる『帳簿』が、あなた方の指示によって作られた偽造品であったとしてもですか?」
「なんだと?」
クラウディアは手元の資料をめくり、一枚の羊皮紙を取り出した。
「かつて、セシリアが持ち込んだ私の偽造帳簿には、数字の間隔や特定のチェック記号に、奇妙な癖がありました。そして先日、中央賠償管理局からノルデンへ送付されてきた『管理予備金』の欄がある新しい送金書式にも、それと全く同じ記号の癖が使われていた」
「単なる偶然だろう! 行政文書の様式が似通うことなどよくある話だ!」
「ええ。ですから、偶然ではない証拠をお見せします」
クラウディアは、アルヴィンが中央の書庫から密かに発掘してきた決定的な証拠――一枚の小さな『貸出票』を裁判長へと提出した。
「これはあの時の祝賀会の数週間前、当時の王太子府の書庫記録です。この記録によれば、特定の『行政文書の内部様式マニュアル』が、ある人物によって持ち出され、セシリア・ヴェルンへ貸し与えられています」
「……!」
「その人物の名は、パスカル・エルデン。……当時の王太子府出向者であり、現在はそこのベルナール侯爵の筆頭秘書官を務めている男です」
パスカルの名前が出た瞬間、ベルナールの傍らに控えていた細身の男――パスカルの顔面から一気に血の気が引いた。
広間が大きくざわめく。あの時の偽造帳簿が、セシリア単独の浅知恵ではなく、ベルナール侯爵の周辺官僚によって手引きされた組織的な犯罪である可能性が、明確な物的証拠とともに突きつけられたのだ。
「……馬鹿げている!」
ベルナールが声を荒げ、拳を証言台に叩きつけた。
「単なる書式のマニュアルを貸し出したからといって、それが偽造を指示した証拠になるわけがない! そんな紙切れ一枚で、私の秘書官を、ひいては私を犯罪者扱いするなど、名誉毀損も甚だしい!」
「おっしゃる通り、貸出票だけでは指示の全容までは証明できませんね」
激昂するベルナールに対し、クラウディアは酷薄なまでに冷静だった。
彼女は一歩下がり、大広間の重厚な扉の方へと視線を向けた。
「ですから、推測ではなく、実行犯自身の口から真実を語っていただきましょう」
クラウディアの言葉を合図に、王宮の衛兵が重い扉を押し開けた。
広間の全員の視線が集中する中、厳しい監視の下で歩み入ってきたのは、灰色の粗末な作業着に身を包んだ一人の少女だった。
「セシリア・ヴェルン……」
傍聴席にいた貴族の一人が息を呑んで呟いた。
かつて、この同じ場所で、姉を嘘で陥れ、ユリウスの腕にすがりついて悲劇のヒロインを演じた女。
彼女が今度は、自分を唆した真の黒幕を告発するために、青ざめた顔で震えながら、証言台へと進み出てきた。




