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私を捨てた王太子が、囚人として着任しました~所長は私です。賠償金は全額返していただきます~  作者: 他力本願寺


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第23話 留保百四十六金貨

クラウディアが地方裁判所への緊急審理申し立て手続きを開始してから三日後。


 ノルデンの集荷場に併設された広い管理棟に、豪奢な馬車で乗り付けてきた一団があった。


 先頭に立つのは、分厚い外套に身を包み、傲慢に顎を上げた中年の男。王都の中央賠償管理局から派遣されてきた上級査察官だった。ベルナール侯爵の派閥に属し、地方の生意気な所長を威圧して黙らせるために送り込まれた刺客であることは明白だった。


「クラウディア・ヴェルン所長。貴官の最近の振る舞いについては、中央局としても看過できないという結論に達した」


 査察官は、あえて所長室の密室を避け、会計主任のマルタや工房長のローディン、さらには何人かの一般住民が作業している管理棟のど真ん中で、響き渡るような大声を上げた。


 周囲の者たちに「中央の権威」を見せつけ、クラウディアを孤立させるための浅薄な心理戦だ。


 だが、クラウディアは書類から顔を上げ、冷ややかに男を見据えた。


「看過できないとは、どのような要件でしょうか。当区の事業収益と送金手続きは、すべて王国の規定通りに滞りなく遂行されていますが」


「とぼけるな! 貴官が地方裁判所へ訴え出た『中央局に対する不当留保の解除要求』のことだ! 地方の試行区の所長ごときが、上部組織の正当な実務に異議を唱えるなど、言語道断の越権行為である!」


 査察官は顔を赤くしてまくし立てた。


「我々が送金票に記載している『管理予備金』は、賠償法の特例に基づく『一時運用』の範囲内だ! 被害者への送金準備やシステム維持のための正当な留保であり、完全に合法である。それを横領だの不当だのと騒ぎ立てるのは、王国の法規を理解していない貴官の無知によるものだ!」


 合法。一時運用。


 それは、ベルナール侯爵が法の網の目を潜り抜け、地方の事業から上前をはねるために用意した絶対の盾だった。査察官は、その盾さえ掲げれば、辺境の所長などぐうの音も出なくなると信じ切っていた。


「……アルヴィン。記録を」


 クラウディアが短く呼ぶと、傍らの壁に寄りかかっていたアルヴィンが、分厚い金属製のファイルを持って進み出た。彼がそれを管理用の長机にドンッと叩きつけると、重い音が室内に響いた。


「これより、ノルデン賠償執行区から中央賠償管理局への送金台帳と、被害者連絡会から提出された『実着金記録』の照合結果を公開します」


 クラウディアの通る声が、管理棟の空気を一気に引き締めた。


「初回の通常送金以来、当区から中央局へ通常経路を用いて送金指示を行った件数は計三十四件。指示額の合計は、二百六金貨。初回の六十三金貨と、その後に送金期日を迎えた百四十三金貨です。……これに対し、被害者側の口座への実着金は、最初に確認した六十金貨のままです」


「な、何を……」


「つまり、中央賠償管理局が『管理予備金』として被害者への送金から差し引き、未着のまま留保している本体の金額は――正確に『百四十六金貨』に上ります」


 百四十六金貨。


 その巨大な数字が口にされた瞬間、管理棟の空気が凍りついた。


 マルタが息を呑み、ローディンの太い腕が怒りで震えた。


 それがどれほど法外な額か。店の家賃にも、冬の仕入れにもなる額だ。


 ユリウスやダリウスたち加害者が、雪と泥にまみれ、血の滲むような肉体労働と計算を重ねてようやく捻り出した事業利益。被害者たちが冬を越すために、喉から手が出るほど待ち望んでいる救済の金。


 それが、百四十六金貨も、中央の官僚たちの見えない金庫に吸い込まれていたのだ。


「で、出鱈目だ! そのような額になるはずがない!」


 査察官が狼狽して叫んだ。彼は末端の使い走りに過ぎず、ベルナールがどれほどの額を抜いていたのか、正確な数字を知らされていなかったのだろう。


「すべて、外部監察官である私が法的に裏付けを取った真正な証拠だ。地方銀行の送金記録も、被害者側の受領印も完全に揃っている」


 アルヴィンが送金日と受領日の欄を示した。


「それでもまだ、これは合法な一時運用だと言い張るか?」


 査察官は額に脂汗を浮かべ、後ずさりした。しかし、彼はまだベルナールから与えられた『合法の盾』にしがみつこうとした。


「そ、そうだ! 額がどれほど大きかろうと関係ない。法規上、中央局が賠償金を一時的に留保することは認められている。貴官らがそれを違法だと断じる法的根拠はどこにもない!」


「ええ。確かに、一時留保それ自体は、法の穴を突いた『合法』なのでしょうね」


 クラウディアの静かな肯定に、査察官は一瞬だけ安堵の顔を見せた。


 だが、次の瞬間、クラウディアの放った言葉の刃が、その盾を真っ二つに両断した。


「ですが、私が裁判所に訴え出たのは、一時留保の是非ではありません。……法が定める留保期間の『明らかな超過』。規定の上限を無視した『法外な超過手数料』の天引き。さらには、被害者へ満額送ったと偽る『受領日の虚偽報告』についてです」


「なっ……」


「一時運用が合法であることと、これらの不正行為は、全くの『別問題』です。百四十六金貨という巨大な原資を隠れ蓑にして行われているこれらの行為は、明確な『違法行為』であり、公文書偽造および証拠妨害に当たります」


 クラウディアの鮮やかな切り分け。


 合法な部分と違法な部分を正確に分離し、敵が最も隠したがっていた急所だけを正確にえぐり出す。


 これこそが、彼女が『七日照合規則』を用いて、解除請求を続けながら記録を積み上げてきた意味だった。単発の少額なら「手違い」で済む。だが、複数の案件で期限超過と受領日の虚偽が繰り返されているなら、それは『意図的な組織的犯罪』でしかない。


「こ、こんな馬鹿な……地方の所長ごときが、局長閣下に楯突いてただで済むと……」


「ただで済まないのは、あなた方の方です。お引き取りください。これ以上当区の実務を妨害するなら、警備担当者を呼び、妨害の状況を裁判所へ報告します」


 アルヴィンが一歩前に出ると、査察官は腰を抜かさんばかりに震え上がり、部下を引き連れて逃げるように馬車へ転がり込んだ。


 彼らの馬車が雪煙を上げて王都へ逃げ帰っていくのを、管理棟の住民たちは圧倒されたような静寂の中へ見送った。


 やがて、ローディンが大きく息を吐き出し、クラウディアに向かって深く頭を下げた。


「……恐れ入った。所長。あんた、本気で中央の腐った連中とやり合う腹だったんだな」


「彼らが抜き取った百四十六金貨は、あなた方がここで汗水流して稼ぎ出した『冬を越すための命の金』です。一銅貨たりとも諦めるつもりはありません」


 クラウディアの揺るぎない言葉に、マルタも、周囲の住民たちも、確かな信頼と熱意のこもった眼差しを向けた。


 その日の夕刻。


 所長室に、地方裁判所からの速達の通信鳥が飛び込んできた。


 書状を受け取ったアルヴィンが、封を切って中身を確認する。


「……所長。裁判所からだ」


 アルヴィンの声には、隠しきれない緊張と高揚が含まれていた。


 銀行の回答が添付され、支払期限を過ぎた案件も特定された。書状には、追送資料を受領した旨が記されていた。


「異例の早さだ。我々の申し立てが受理され、明日の正午、地方裁判所にて緊急審理が開かれることが決定した。……議題は、『留保された百四十六金貨の即時解除命令』、ならびに『当月新たに確定した賠償金の直接送金の可否』についてだ」


「ついに、ですね」


 クラウディアは窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。


 一年前のあの日、断罪の席で奪われた選択権と財産を、今度はこちらが法と数字の力で奪い返す。その時が、目前に迫っていた。

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