第18話 被害者の玄関に来た男
翌朝、エミリアは一通の書面を所長室の机に置いた。
「これを持って、店へ来たんです」
賠償債権を、額面の八割で買うという申し出だった。
クラウディアは一読し、末尾で目を止めた。売却を断った場合の融資更新は、再審査するとある。
「買い取りそのものではなく、この条件ですね」
「ええ。『お困りでしょう』と笑いながら、私がどの問屋にいくら借りているかまで並べました」
エミリアは膝の上で両手を重ねた。
昨日の手袋を外した指には、布の裁断でできた細い傷があった。
「今すぐ現金が欲しいのは本当です。八割でも、値段だけなら検討する人はいるでしょう。でも、断ったら商売を続けられなくすると言われて、それを私が選んだことにされるのは違う」
彼女は、店でのやり取りを書き留めた紙も差し出した。
訪問日。男の名。立ち会った職人。相手が置いていった印入りの証書。感情的な言葉を除いて、何を言われたかが順番に記されている。
「その場では署名せず、条件を書面にしてほしいと頼みました。職人にも同席してもらいました。すると男は、急に口数が少なくなって」
「記録に残るのを嫌がったのか」
アルヴィンが尋ねると、エミリアは頷いた。
「最後には、その条件では買えないと言って帰りました。けれど、別の店へも行くと思います」
クラウディアは被害者の一覧を開いた。
店を閉めずに済んだ人も、まだ借入の返済を抱えている。危機の時期も、必要な額も同じではない。
「私から、売却を一律に禁じることはできません。急いで現金を得る必要がある方もいますから」
「分かっています。私が断れたから、皆も断れるとは思いません」
「なら、ほかの選択肢を知る時間を作りましょう。契約をその場で決めずに持ち帰れるよう、相談先を一つにします。面会には希望に応じて同行者を付ける。圧力を受けた場合は、記録を監察局へ」
アルヴィンが、自分の所属と連絡先を記した紙を渡した。
「金融組合の資金や融資判断を、所長が命令で変えることはできない。だが、行政上の情報を使って脅しているなら、調べられる」
エミリアはその紙を、訪問記録と重ねた。
「私が連絡役になります。商会を閉めずに済んだから、こうして動けます」
少し笑い、それから真顔に戻る。
「ただ、皆の債権まで私が決めるつもりはありません。そこは書いておいてください」
「もちろんです」
クラウディアは、相談と証拠提出の窓口案を書き始めた。
差し出すのは命令ではない。一人で玄関を開けずに済む仕組みだった。
昼過ぎ、エミリアは帰りの商用便に乗った。
マルタが見送って戻ると、クラウディアとアルヴィンは、男の証書に押された印を調べていた。
「第三金融組合。中央局と長く取引している組合だ」
「ベルナール局長との関係も、調べられますか」
「登記と、公開されている出資記録から始めよう。それ以上は令状が要る」
アルヴィンは訪問記録の端へ目を移した。
男は他の街にも数日ずつ滞在している。交通費も宿代もかかる。債権を買えなかった時の費用まで、誰が持つのか。
「買い取りで利益が出る前から、まとまった金を使っているな」
クラウディアは頷いた。
「依頼主から、先に支払われているのかもしれません」
「それも、まだ仮説だ。まずは男を雇った契約があるか、確認する」
彼は照会書に署名した。
机の向こうでクラウディアが、今度は送金解除請求の回答期限を確かめている。
金が止まる場所と、人を脅すために金が出てくる場所。その二つが重なるのかどうか。調べる先が、一つ増えた。




