第11話 妹はまた数字を嘘に使う
六十三金貨を送り出して二日目。ノルデンでは市場の伝票整理と、次の出荷準備が並行して進んでいた。
中央から届く報告とは別に、被害者側の受領記録も集める。クラウディアはマルタと、過去の台帳を照合し直していた。
一方、所長室の隣にある小部屋では、セシリアが膨大な過去台帳の照合作業に当たっていた。
彼女のペンを動かす速度は速い。王太子妃教育など受けていなくとも、数字を追いかけ、帳簿の辻褄を合わせる小手先の技術において、セシリアは確かな才覚を持っていた。
(お姉様はいつも偉そうにしているけれど、事務処理の速さなら私の方がずっと上よ。この調子で件数を稼げば、私の労働評価はすぐに跳ね上がって、あっという間に賠償なんて終わるわ)
セシリアの心の中に、浅はかな承認欲求と野心が頭をもたげる。
泥だらけになって肉体労働をしているユリウスやダリウスと違い、自分は頭脳労働で優雅に借金を返しているのだという優越感。そして何より、自分を冷たく突き放す姉に対し、『私の方が有能で役に立つ』ということを数字で見せつけてやりたかった。
夕刻が近づくにつれ、セシリアは作業報告書(日報)に書き込む『本日の照合完了件数』を、意図的に操作し始めた。
同じ項目の束を、微妙にチェック記号を変えて二重にカウントする。あるいは、すでに昨日終わらせていた束を今日の分に紛れ込ませる。一年前に姉の帳簿を偽造した時にも使った、数字を少しだけ膨らませて自分の評価を上げるための、息を吐くように自然な『嘘』だった。
「所長。本日の作業報告書です。予定されていた三日分の照合作業を、私一人で今日一日で終わらせてあげましたわ」
終業の鐘が鳴ると同時、セシリアは自信満々な笑みを浮かべて所長室に入ってきた。
クラウディアは無言で日報を受け取り、傍らに控えていた会計主任のマルタに手渡した。マルタはセシリアが提出した日報と、実際の作業済み書類の束を素早くめくり、検算用の台帳と突き合わせた。
ものの数秒で、マルタの顔が険しくなった。
「……所長。日報に記載されている照合完了件数と、実際の書類の束の数が合いません。また、第十五項から第二十項にかけて、昨日すでに処理済みの項目が、巧妙に記号を変えて二重にカウントされています」
「なっ……」
セシリアの笑顔が引きつった。まさか数秒で、しかもパラパラとめくっただけで見抜かれるとは思っていなかったのだ。
「どういうことですか、セシリア」
クラウディアの氷のような声が落ちた。
「い、いやだわ、少し間違えてしまっただけよ。急いで処理したから、重複して数えちゃったのね。でも、実際にたくさんの書類を処理したのは本当よ? 私、すごく役に立っているじゃない!」
セシリアは必死に被害者ぶり、自分がいかに有能に働いたかを主張した。
だが、クラウディアの目は一切の同情も妥協も映していなかった。
「役に立つことと、信用できるかどうかは全く別の問題です」
「え……」
「あなたは確かに処理能力が高い。しかし、自分の評価を底上げするために、息をするように数字へ嘘を混ぜる。その自己顕示欲のための些細な嘘が、最終的にどれだけの損害を生むか。一年前の祝賀会で、あなたはそれを学ばなかったのですか」
セシリアは反論の言葉を失った。
「水増し分は評価しません。今日の照合結果も、別の担当者が確かめるまで認証を止めます」
「全部、無駄になるの……?」
「正しく済ませた分は、確認後に評価します。ただし、虚偽の日報は記録に残し、当面は一束ずつ立会い確認に戻します。作業量を増やして評価を上げる話も、白紙です」
セシリアはマルタを見た。そこには、昨日処理した束の受領番号が記された台帳があった。姉が勘で見破ったのではない。自分の申告とは別の記録が、初めから残されていた。
「早く終わらせたと、認めてほしかっただけなのに」
「なら、終わらせた分をそのまま出してください」
クラウディアは日報の空欄を示した。
嘘を混ぜなければ、昨日より多くこなした仕事が記録されたはずだった。セシリアは赤くなった目を伏せ、訂正用のペンを取った。
「それから、もう一つ」
クラウディアは、セシリアが二重カウントをごまかすために使っていた書類の束を指差した。
「あなたが今日、件数を水増しするために使ったチェックの記号。そして、数字の桁の間に意図的な空白を作る書き方の癖。……これは、先日あなた自身が過去の送金票から見つけ出した『内部様式の癖』と完全に同じですね」
セシリアの肩が、びくっと大きく跳ねた。
隣で監査記録をつけていたアルヴィンも、ペンの手を止めて鋭い視線をセシリアに向けた。
「この記号の使い方は、一年前にあなたが私の帳簿を偽造した時に使った手口でもある。中央局から届いた『管理予備金』付きの送金票にも、同じ特徴があります」
クラウディアは立ち上がり、逃げ場を失って震える妹を見下ろした。
「またこの記号ですか、セシリア。一年前にあなたへこの数字の嘘のつき方を教え込み、そして今もなお、中央賠償管理局の中枢にいてこの不審な様式を操っているのは誰ですか」
「言えません……! 言ったら、あの人は……私に何を……」
セシリアは両腕を抱きかかえ、首を横に振った。
クラウディアは問いを重ねず、椅子を示した。
「名前を話すかどうかと、今日の労働評価は別です。報復が怖いなら、その内容を監察官へ話してください」
アルヴィンは記録紙を取り替えた。
「私が聞こう。所長を外して話すこともできる。供述の確認には、君の言葉以外の記録も使う」
セシリアは姉と監察官を見比べた。
「話したら、日報の件は……」
「取り消しません」
クラウディアの返事は短かった。
「ただ、黙ったことを理由に評価を下げることもしません」
部屋には、マルタが訂正箇所を数える音だけが残った。
やがてセシリアが、日報から顔を上げた。
「……パスカル……」
「パスカル?」
「パスカル・エルデンよ……! 一年前に王太子府へ出向してきて、私にあの様式を教えたのは……彼よ!」
アルヴィンは名前を書き留め、所属を確かめた。
傍らで壁に寄りかかっていたアルヴィンの目の色が、獲物を捉えた鷹のように鋭く変わった。
「……パスカル・エルデンだと?」
アルヴィンが低く、地の底を這うような声で確認した。
「知っているのですか、アルヴィン」
「ああ。偶然にも、先ほど中央の組織図を洗っていたところだ。……パスカル・エルデン。彼は現在、中央賠償管理局の現局長である『ベルナール侯爵』の、筆頭秘書官を務めている男だ」
アルヴィンは名前を書き留めた。
「所属は記録で照合する。今の話も、そのまま証拠になるわけではない」
セシリアは頷き、訂正途中の日報を引き寄せた。嘘を書いた欄には、自分で取消線を引かなければならなかった。




