第10話 監察官の視線
市場の翌朝、アルヴィンの机に二枚の診療票が届いた。
一枚はユリウスの手の傷。もう一枚は、慣れない照合作業で頭痛を訴えたセシリアのものだった。軟膏の支給と、午後の休息。どちらにも所長の承認がある。
特別扱いはない。申告を退けた形跡もない。
アルヴィンは診療票を閉じ、その下にある所長の勤務記録を見た。
こちらには、丸一日の休暇がない。
「人には休めと言えるのにな」
誰もいない部屋で呟いた。
王都では、クラウディアは元婚約者を苦しめるために辺境へ来たと噂されていた。任命審査の記録は違った。北東救済局での倉庫と物流の再建実績。公募に応じた複数の候補者。司法、会計、現地代表による選考。国王の追認。
彼女は仕事をして、この席を得たのだ。
それでも被害者が加害者を管理する以上、監察は要る。前任の巡回監察官から常駐の自分へ引き継がれたのも、そのためだった。
アルヴィンの父は、かつて倉庫の不足分を盗んだと疑われ、仕事を失った。別の帳面が見つかって疑いが晴れた頃には、戻る席がなくなっていた。
疑われた者の言葉を、先に聞くこと。
彼がこの仕事に就いてから、自分に課してきた決まりだった。
だから所長も調べた。身分も評判も、証拠の代わりにはしなかった。
調べた結果、今は彼女の空の椅子を気にしている。
昨夜、市場の決算を渡す時、クラウディアは売上より先に、スープ屋の薪が足りたかと尋ねた。寒さの中で客を待った住民のことを覚えていたのだ。
その本人は、冷めた茶を飲みながら次の契約書を開いていた。
放っておけない、と考えてから、アルヴィンは眉を寄せた。
監察対象への評価としては、ずいぶん曖昧な言葉だった。
扉が開き、クラウディアが戻ってきた。外套の肩に木屑が一つ付いている。
「市場の荷台、全部片付きました。送金記録の確認をお願いできますか」
「昨日の六十三金貨だな」
「はい。銀行から中央への入金は済んでいます。七日目に、中央の報告と被害者側の受領証を突き合わせます」
彼女は、二つの欄を備えた照合表を置いた。
片方には中央の処理日、もう片方には被害者が実際に金を受け取った日を書く。中央の帳簿だけで、返済が済んだことにはしない。
「被害者側の照会は、私の独立回線でも取ろう。双方の記録が同じ経路で止められないようにする」
「助かります。エミリアさんが、ほかの方の受領証も集めてくださるそうです」
「ただし、まだ届かないことと、不正があることは別だ」
「分かっています。だから、期日と金額を記録します」
アルヴィンは頷き、照会書に署名した。
銀行と監察局の通信鳥は、中継所を経由して短い通知を運ぶ。正式な原本は後日の定期便で届く。鳥が飛べない日もあるため、照会は早めに出しておく。
その間にも、事業は続く。六十三金貨が届いたかどうかを待っているだけでは、次に返す金が生まれない。
クラウディアは新しい台帳を開こうとして、机の端の小包に気づいた。
「これは?」
「市場で買ったパンだ。昨日、食べ損ねただろう」
「監査の対象がずいぶん広いのですね」
「それは私の昼食でもある。全部食べるな」
彼女が小さく笑った。
仕事の成果を報告する時とも、囚人を迎える時とも違う顔だった。アルヴィンはその笑みをもう少し見ていたくなり、照会書へ目を戻した。
七日後の確認欄は、まだ空白だ。
彼はその日付に一本、線を引いた。




