第76話 豊後の地鳴りと四万の足枷(あしかせ)
天正四年(一五七六年)秋。 日向と豊後の境を切り裂く険しい山嶺に、地鳴りのような喚声と、軋む荷車の重い響きが反響していた。
「進め! 十字の旗を掲げよ! これより日向は神の国となるのじゃ!」
馬上で抜刀し、狂おしいまでの熱情を込めて吼えたのは、受洗名を「ドン=フランシスコ」と改めた大友宗麟である。 豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、豊前の六カ国から動員された大友軍、総勢四万余。 都於郡を追われた伊東義祐を庇護したことを大義名分とし、日向全土を異教の神仏から解き放ち、教会直轄の理想郷「ムシカ」を築くための親征。黒い法衣を纏った従軍司祭たちがラテン語の賛美歌を唱和し、隊列の先頭には白地に赤の十字架が描かれた巨大な軍旗が翻っていた。 だが――。 その荘厳な狂熱とは裏腹に、前線を進む武将たちの顔は土気色に淀んでいた。
「動かん! 押せ! 泥から引き抜けッ!」
先鋒を命じられた田北鎮周が、泥にまみれた陣羽織の裾を跳ね上げながら怒号を浴びせる。 秋雨の降り続く山道は、山肌を削っただけの隘路である。赤土は油を流したような泥濘と化し、そこに鎮周らが「無敵の威容」と信じて持ち出した青銅の後装巨砲――「国崩し」の巨体が、深い轍を作って完全に沈み込んでいた。 重量、およそ百貫(約四百キロ弱)。 台車を含めればさらに重く、車輪は大人二人がかりでも動かない泥の底へめり込んでいる。大砲を牽引する頑丈な駄馬は脚を折って倒れ、前後の道は立ち往生した輜重隊によって完全に塞がれていた。
府内港の突堤で喉元まで出かかり、呑み込んだ言葉がこれだ。 後陣の岩陰で馬を止め、苦い唾を吐き捨てたのは、大友家筆頭家老・田原親賢である。 親賢の胃は、連日連夜の輜重差配で焼き切れる寸前だった。 四万の軍勢が一日で消費する米は、最低でも二百石。 それをこの険しい山越えの隘路で、往復して前線へ運び続けるなど、初めから机上の空論だったのだ。 「国崩し」を一台運ぶために数十人の人足を割かれ、硝石と鉛の詰まった重い弾薬箱が他の兵糧袋を押し出す。運搬が滞れば、前線の雑兵たちは沿道の日向の村々へ雪崩れ込み、略奪を働くほかない。
「親賢様! 先陣の兵が、高千穂の神社を打ち壊し、村の麦倉を焼き払って米を奪ったとの注進にございます!」 「またか……!」
親賢は馬上で頭を抱えた。 宗麟の「偶像崇拝の社寺をすべて焼き払え」という狂気じみた軍令が、略奪に大義名分を与えてしまっていた。 神社を焼かれ、作物を奪われた日向の地侍や百姓たちは、大友軍を「解放軍」どころか「盗賊の群れ」と見なし、竹槍を手にして山に潜み、待ち伏せを繰り返している。 大友の大軍は、前線の島津兵と槍を合わせる前から、泥濘と飢え、そして敵地に孤立した恐怖によって、自らの重みに押し潰されようとしていた。
*
その頃――日向東岸、高鍋の浜辺。
大友の四万が山道で泥水をすすっているのとは対照的に、波が打ち寄せる砂浜では、静かで無駄のない荷揚げ作業が淡々と行われていた。 ザザザッ、と平底の早船が砂浜へ浅く乗り上げる。 船底の隔壁から次々と浜へ降ろされていくのは、真新しい白木の樽と、筵で厳重に巻かれた細長い包みだった。
「ほら、突っ立ってねえでどんどん川舟へ移せ! 小丸川を遡る潮が止まる前によォッ!」
浜辺で指揮を執っていたのは、手元の算盤をガリガリと弾く弥三郎である。 その背後には、高鍋の砂浜から内陸へと伸びる、小丸川の河口が広がっていた。
「弥三郎、高城への流れはどうだ」
声をかけたのは、軽装の具足の上に羽織を引っかけた崇清だった。 数えで十九歳を迎えた崇清の瞳は、水平線の彼方から吹き寄せる海風を受け、鏡のように静まり返っている。
「若君! 順調そのものですよ」
弥三郎は算盤を止め、手元の薄板を指で弾いた。 「高須から早船でこの高鍋の浜へ着け、美々津など北の浜へ下ろした分も沿岸の小舟でこの河口へ集めております。ここから舳先の浅い川舟で小丸川を遡らせ、上流の切所からは猪之助の工兵どもが敷いた板敷きの道で、高城の裏門へ直接運び込む手筈です。大友の大軍が山道で立ち往生してる間に、こっちは海と川を繋いで、山田有信殿の倉へ物資を放り込み続けてますぜ」
崇清は運ばれていく樽の一つに歩み寄り、蓋を外した。 中に入っているのは、以前獅子目で試作を重ねた「十薬の酸味麦汁」を、煮沸した清水で割った軍用の補水だ。腐敗を防ぎ、酸味で唾液を出させ、長陣でも兵の脱水を防ぐ。
「干し芋と塩漬け豚肉の備蓄も、高城の籠城三ヶ月分を満額納品しました。大友の連中、道中の村を焼き払って略奪してるらしいですがね、そんなことしたって百姓が山へ食い物を隠しちまえば終わりですよ。こっちは海から川へ腹持ちのいい干し芋と水を送り届けてる。前線の兵の腹の膨れ具合が、まるで違いますぜ。ついでに例の孟宗竹の防壁もしこたま運びました」
「油断するな」
崇清は樽の蓋を閉め、北の山並みを見据えた。 「大友の四万は、数だけ見れば圧倒的だ。だが、兵站を自らへし折った軍隊は、強烈な飢えの反動で『一刻も早く決戦して飯にありつきたい』という致命的な焦りを抱く。そこを兄上(家久)が釣る」 「へっ、またあの恐ろしいキルゾーンですね」
弥三郎が首をすくめたその時、背後の松原から草鞋の音もなく、道純が姿を現した。
「若君、豊後の筑前口より戻りましたぞ」
道純は泥を払うこともせず、崇清の耳元へ低く囁いた。 「立花道雪殿、ならびに高橋紹運殿へ、例の府内港の裏証文の写しを届けてまいり申した」 「手応えはどうだ」 「両将ともに、しばし言葉を失って震えておられましたわい。宗麟公が神の国のために大友の領地を南蛮の坊主へ売り渡しておるという証拠を前に、道雪殿は太刀の鞘を握り潰さんばかりの怒りようでした。直ちに兵を退くとは申されなんだが、大友の家名を救うための道には確実に食いついております。道雪殿は陣中で宗麟公へ猛烈な諫言状を送り、紹運殿とともに軍の進発を故意に遅らせておりますぞ」
「上出来だ」
崇清は頷いた。 大友の背骨である忠臣二人が迷い、足踏みをしている。 これで、南下してくる大友軍の意思決定は大きく揺らぎ始めた。
*
その夜。 高鍋の仮陣所、潮騒の音が響く粗末な板敷きの上で、崇清はひとり行灯の光を頼りに巻物を広げていた。 獅子目の若一王子神社の神主から譲り受けた『飯隈文書』である。 日中の激務から解放された深夜、崇清はあの夜抱いた疑問――なぜ武神であるオシホミミが、天孫降臨を怖がって引き返したのかという記述の続きを丹念に繰り広げていた。
虫食いの走る古い墨跡を、指先で追う。
『正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高天原に留まりて八洲をしろしめす。すでに天の座に在りて統べるがゆえに、自ら降るを要せず。ただ御子の日門を遣わし、南の境たる飯隈・獅子目の嶺を鎮めしむ……』
「あっ」
崇清の喉から、声が漏れた。 パズルの最後のピースが嵌まり込んだような感覚が、頭を貫いた。 そういうことか。 オシホミミは、地上の神々を恐れて逃げ帰ったのではなかったのだ。 スサノオの武力とアマテラスの権威を結びつけて生まれたオシホミミは、すでに北九州の初代統合王として君臨し、列島の中央統治を確立していた。 すでに国を統べる王であるならば、自ら前線へ降りる必要など最初からなかったのだ。 だからこそ、息子のニニギを自らの代理として派遣した。 「吾勝」「勝速日」という戦勝の神名を持ちながら、降臨しなかった理由。 臆病風に吹かれたからではなく、すでに勝ちを収めて国を統べる王であったからだ。 中央の記紀編纂で改変された神話の結び目が、この大隅の古い記録の中で、あまりにも合理的でリアルな古代政治史として解きほぐされている。
まあ、待てよ。 知的な興奮から一歩引き、崇清は小さく苦笑した。 正式な神話の高千穂峰降臨譚に対して、地元の社家が「我が飯隈・獅子目こそが真の拠点だ」と箔をつけた……地方史料によくある我田引水だろう。全国各地の神社が由緒を盛るのと同じ類だ。 だが、降臨の地がどこであれ、この文書が示している「オシホミミ=初代統治王」という政治モデルの切れ味だけは、記紀神話の不自然さを補って余りある説得力を持っていた。
崇清は行灯の揺れる炎を見つめた。 翻って、今まさに北から押し寄せてきている大友宗麟はどうだ。 神の名を掲げて神社仏閣を焼き払い、領民から作物を奪い、家臣を異教徒と罵倒して国を内側から引き裂いている。 宗教を、現世の権力や武力と結びつけた瞬間、人間は狂う。 宗麟の自滅を見れば、大友が倒れた後、九州の寺社や土着の信仰をどう扱うべきかは明白だった。 力でねじ伏せても怨嗟が残り、外国の神を押しつければ国が壊れる。 ならば――政治権力から信仰を切り離し、暴走させないための制度の檻を作らねばならない。
その思考を破るように、闇の奥から激しい蹄の音が響いてきた。 板戸が蹴破られ、夜風とともに砂まみれの早馬の使者が転がり込む。
「大友の先鋒が、日向中部の要衝――新納院・高城を包囲いたしました!!」
大友宗麟、四万の大軍を率いて日向へ。
しかし、山道に沈む「国崩し」と、途絶える兵站。対する島津方は、高須船団による海上補給で高城を支えます。
これまで崇清が積み上げてきた兵站の仕組みが、いよいよ実戦で試される時が来ました。
一方、飯隈文書から新たな仮説を得た崇清は、戦の先にある「信仰と統治」の問題にも目を向け始めます。
もちろんこの仮説が真実、という話ではなく作中の飯隈文書のから崇清が信じられると思うところを拾ったものになります。
高城をめぐる戦いは、いよいよ本番です。
次回もよろしくお願いいたします。




