第69話 青松の飛沫と日向の破裂音
すみません、今朝の分、昨日予約投稿したつもりが予約でなくてそのまま投稿してた模様です、
天正二年(一五七四年)七月下旬。 梅雨が明けた途端、南九州の空は白く焼き切れるような酷暑に包まれた。 高須湊の造船所では、真上から叩きつける直射日光が乾いた木屑の粉塵をチリチリと焦がし、削り出されたクスノキとスギの木肌から滲み出た生松脂が、すり鉢状の船台に逃げ場のない油煙のようなヤニ臭を充満させていた。 日向灘への遠征を見据えた新型早船の連続建造、そして志布志からの兵站を受け入れる船溜まりの拡張工事。海風は熱を孕んで湿り、息を吸い込むたびに肺腑が乾いた砂を擦り付けられたように痛む。
「息が、できねえ……」 「水桶はまだか……! 誰か、水を……!」
船架の竜骨の下でノミを振るっていた茂平次配下の船大工が、汗と木粉で泥のようになった腰布を握りしめ、赤粘土の地面へ膝を突いた。日陰の天幕に置かれた大樽の水は、すでにぬるま湯のように濁って生温かい。いくら深井戸から冷水を汲み上げさせても、担ぎ込む端から熱を帯び、男たちの喉を潤すどころか胃袋の底で漬物石のように重く澱むだけだった。
「若君! 船台の職人だけで、今日もう三人倒れやした!」
首に巻いた麻の手ぬぐいから泥混じりの汗を絞りながら、猪之助が血走った目で駆け寄ってきた。 「財部・末吉の竹砦普請も高須の船台も、ただ水をガブ飲みさせりゃいいってもんじゃねえ! 腹ばかりタポタポに膨れて、手足が引きつって動かなくなりまさあ! 昼の鐘が鳴る前に作業を止めねえと、間違いなく死人が出ますぜ!」 「浸透圧の崩壊だ」
崇清は手元の薄板を太ももに叩きつけ、奥歯を強く噛み締めた。 医学の専門家ではない。だが、大量の発汗によって水分とともに体内の塩分が抜け落ちている極限状態において、真水だけを胃に叩き込めば血中の電解質濃度がさらに急降下し、低ナトリウム血症を引き起こすことくらいは直感的に理解できた。薄い塩水樽も配備はさせた。だが、この茹だるような熱気の中、生ぬるくエグ味の浮いた塩水を飲み続けることに対し、男たちの乾ききった粘膜が激しい拒絶反応を起こしていた。 冷たく、喉を鋭く刺激し、塩気と微かな甘みを抵抗なく胃の腑へ流し込める液体。 初夏に仕込んだよもぎエールは最高だったが、常温では数日で酸敗するうえ、刃物や大槌を振るう現場の職人に酒を飲ませるわけにはいかない。氷など存在しない中世の真夏。火を使って麦汁を煮沸する手間もかけず、この現場で大量に仕込める「冷たい炭酸水」はないのか。
崇清の脳裏に、かつて内城北の丸の裏庭で、甚兵衛とともにチャドクガの毛虫を駆除するために松葉を燻蒸した光景が蘇った。 そして、前世の記憶の片隅に眠っていた民間伝承の知識。 生の松葉の表面には、針葉樹特有の野生酵母が大量に付着している。火を使わず、松葉を洗って砂糖水に浸け、陽光に晒すだけで、酵母が糖分を分解して炭酸ガスを発生させるはずだ。強い酒になる直前、かすかに発泡した段階で冷たい井戸水へ沈めれば、喉を突き抜ける冷涼な炭酸水になるのではないか。
「弥三郎! 猪之助!」
崇清は腰を上げた。
「へ、へい!? 今度は山から何をむしってこいってんですか!?」
弥三郎が天幕の影から、塩を吹いた前掛けを揺らして身を乗り出す。
「高須の裏山、赤松の雑木林へ走れ! 茶色く枯れた枝ではない、今年伸びたばかりの青く柔らかい松葉を、筵三枚分刈り集めてくるんだ!」 「はあ!? 松の葉っぱぁ!?」 「急げ! それから志布志の問屋から買い付けた琉球黒糖を水で溶かし、高須の白塩をひとつまみ加えた薄い甘塩水を用意しろ!」
刈り集められた青々とした松葉は、井戸水で手早く洗い、土埃と砂を落とす。酵母が葉の表面のどこにどれだけ残るのか、泥を洗い流しすぎて菌が死なないかなど、崇清にも厳密な確証はない。目視で泥が落ちた段階で、節を抜いた太い孟宗竹の筒の中へ、青い針葉を拳でぎゅうぎゅうに詰め込ませた。 そこへ、黒糖と微量の白塩を溶かした褐色のかん水を注ぎ入れる。
「若君、これ、蓋はどうすんで?」
猪之助が、木工班の削った樫の木の栓を構えた。
「隙間なく打ち込め。中のガスが逃げないようにな」 「へえ……火も通さねえで、松っ葉を水に浸して日に晒すだけで、本当に美味い水になるんですかい?」 「半日待てばわかる。……はずだ」
崇清たちは仕込み終えた百本を超える孟宗竹の筒を、総会所の南向きに張り出した濡れ縁へずらりと並べ、真夏のぎらつく直射日光に晒した。
だが――崇清は、南九州の猛烈な日射と、野生酵母の爆発的な生命力を、完全に甘く見ていた。 午後二時。 太陽が天頂へ達し、船台の赤粘土から陽炎が揺らめき立ったその瞬間だった。
パァァァァンッッ!!!
火縄銃の暴発のような、甲高く乾いた破砕音が濡れ縁を叩き割った。
「うわあああっ!? な、なんじゃあッ!?」
縁側の端で帳面をつけていた弥三郎が、算盤を放り出して畳の上に跳ね上がった。 続いて――。
スパーーーンッ! ドォォォンッ! パシュウゥゥッ!!
破裂の連鎖が始まった。 真夏の直射日光に炙られ、内部温度が四十度近くまで跳ね上がった竹筒の奥で、野生酵母が黒糖を爆食いし、崇清の生半可な知識を嘲笑うような速度で二酸化炭素を噴き上げたのだ。打ち込まれた樫の木の栓が弾丸のように天井の梁を直撃して粉砕し、逃げ場を失った肉厚の孟宗竹そのものが繊維に沿ってバリバリと縦に裂け、泡立つ白緑色の飛沫が噴水のように吹き上がった。
「ぎゃあああっ!? 物の怪だァッ! 竹が、竹が弾け飛んでる!!」
弥三郎が頭を抱えて畳を転げ回る。額から着物の胸元まで、青臭い松ヤニと甘酸っぱい飛沫を頭から浴びせかけられ、阿鼻叫喚の様相を呈していた。
「しまっ……! 発酵が早すぎる! 直射日光に当てすぎた!」
崇清は麻の袖で顔を覆い、飛び交う木片を避けながら庭へ駆け下りた。
「猪之助! 残りの竹筒を今すぐ日陰へ引き込め! 深井戸の洗い場へ放り込んで急冷しろッ! 栓を少し緩めて圧を抜け!!」 「うおおっ、命がけの水汲みだぜェッ!!」
猪之助と工兵たちが、割れた竹の破片を腕で払いながら、破裂寸前に軋む竹筒を抱えて深井戸の洗い場へと雪崩れ込んだ。
半刻後。 高隈山系の冷たい伏流水が掛け流される石組みの洗い場には、奇跡的に破裂を免れた数十本の竹筒が、氷のような湧水の中に沈められていた。 崇清は小刀を取り出し、樫の木の栓の縁に刃先を差し込み、慎重に隙間をこじ開けた。
プシュゥゥゥッ!
小気味よい減圧音とともに、青臭い松脂の香気と、甘酸っぱい発酵の匂いが立ち込める。 崇清は素焼きの椀へ、竹筒をゆっくりと傾けた。 トクトクトク……シュワシュワッ。 椀に落ちたのは、わずかに黄緑色に濁った液体だった。底から、不揃いな気泡がぷつぷつと立ち上っている。澄み切った清涼飲料とは程遠い、野草のすり潰し汁のような無骨な見た目だ。 崇清は唇を寄せ、一気に呷った。 ゴクン。
「ぶっ」
崇清は思わず眉根を寄せた。 強烈な渋みだ。生の松葉に含まれるタンニンと松ヤニの青臭さが容赦なく口内にへばりつく。レモンソーダのような洗練など微塵もない。黒糖の甘みもどこか粗野で、後味には野草のエグ味が残る。 だが――舌先をチクチクと突く粗削りな炭酸の刺激、微かな塩気、そして地下水で芯まで冷やされた冷涼感が、口の中にこびりついていた生温かい粘つきを強引に削ぎ落としていった。 他の竹筒も開けさせたが、発酵が足りずただの甘い青泥水のようなものもあれば、発酵が進みすぎて酢のように酸っぱく舌を刺すものまであり、品質のバラつきは酷いものだった。
「どうですかい、若君」
顔中を煤と汗で汚した茂平次が、恐る恐る椀を覗き込んできた。
「お世辞にも極上の味とは言えん。松ヤニの臭みも残っている」
崇清は苦笑交じりに椀を差し出した。
「だが、生ぬるい井戸水よりは確実に喉を通る。飲んでみろ」
茂平次は椀を受け取り、鼻先を近づけて一度露骨に顔をしかめたが、喉の渇きに耐えかねて一気に煽った。 ゴクッ、ゴクッ、ゴクゴクッ!
「っ、ぷはぁっ!」
老船大工が荒い息を吐き出し、目を丸くした。
「渋っ! なんだこの舌がチクチクする水は! だが、冷てえ! ただの水を飲んだ時みたいに腹の中で重くならねえで、胃の腑へスーッと入っていく気がするぞ!」 「俺にも一杯くれ!」 「こっちにも寄越せ!」
日陰に群がってきた船大工や水主たちが、不揃いな泡水を奪い合うように喉へ流し込んでいく。松ヤニの臭いに顔を歪めつつも、舌を刺す刺激と冷たさに、職人たちの濁っていた瞳に急速に光が戻り始めた。 だが、崇清はそれを見て安堵するどころか、冷徹に手元の薄板を睨み据えた。 百本仕込んで半分近くが破裂し、残ったものも味がバラバラという歩留まりの悪さだ。泡水はあくまで、喉を通しやすくするための対症療法にすぎない。
「茂平次、猪之助」
崇清は立ち上がり、白く焼き切れる船台を指差した。
「日陰の天幕を今の倍に増やせ。それから、正午から八ツ(午後二時)までの最も陽が高い二刻の間は、大槌やノミを振るう重作業を一切禁じる。その時間は木陰で身体を休めさせろ」 「へ? 昼間を休んだら、船の納期が遅れちまいやすぜ?」
猪之助が目を剥く。
「バテて職人が倒れれば、工程そのものが止まるんだ。涼しい朝夕に集中して作業を回せ。人間を、図面通りに動く木材や竹と同じだと思うな」
崇清の自嘲を含んだ言葉に、茂平次がぽかんとし、やがて太い腕で髭を擦りながら破顔した。
「へっ、言うようになったじゃねえか、若君。あっしたちをただの木挽き車と思ってねえってんなら、喜んでその指図に従わせてもらいまさあ」
竹の泡水、日陰の確保、そして工程表そのものの組み直し。 崇清はようやく、「生身の人間」という不確実な資源を現場の設計に組み込み始めていた。
その現場の調律を破るように、北の日向街道から、砂煙を上げて一騎の早馬が港へと飛び込んできた。 馬上の使者が泥まみれのまま転がり落ちる。
「飯野の修理亮様より、緊急の烽火を告げる急使にございます!!」
過酷な夏を越えようとしていた大隅に、日向からの巨大な地鳴りが届こうとしていた。
松サイダーはちゃんと作ると美味しいのでこのまま現地で調整すれば松脂の匂いとかも無くなると思います。
次の投稿は7時予定です




