第63話 秋風の黄金根と欲望の勝手場
天正元年(一五七三年)秋。
大隅を平定し、日向への兵站線を敷き始めた緊張の合間に、飯隈のシラス台地には抜けるような秋晴れの青空が広がっていた。
初夏にツルを挿してから四ヶ月余り。
かつては雑草すら立ち枯れ、水も引けずに百姓たちが絶望していた白土の泥谷一面を、いまや青々とした分厚いハート形の葉と太い蔓が、大地を埋め尽くすように覆い尽くしていた。
「う、うわぁぁぁッ!? 出た、また出たぞォッ!!」
畑の真ん中で、鍬を投げ出して尻餅をついた老百姓が、上擦った悲鳴を上げた。
土煙の中から現れたのは、子どもの頭ほどもある、丸々と太った赤紫色の塊だった。
一株のツルを引き抜けば、芋づる式にゴロゴロと、土を抱え込んだ巨大な黄金の根が四つ、五つと連なって地表へ躍り出てくる。
「な、なんじゃこりゃあ……! 掘っても掘っても、下から芋が湧いてきよる!」
「米の取れぬシラスの泥から、こんな太いものが……!」
百人を超える百姓や蒲生遺臣たちが、赤紫色の獲物を両手に抱え上げ、歓喜のあまり涙を流して叫び合っていた。
その畝の端で、弥三郎が帳面を抱え込み、泡を吹きながらへたり込んでいた。
「計算が合わん……。収支が完全にぶっ壊れましたよ……。米の数倍どころじゃない、一反あたりの目方が、雑穀の十倍を超えてますよ……! 若君、これ、大隅じゅうの人間が三食腹一杯食っても余り散らかしますよォッ!!」
だが、その狂乱の輪から少し離れたところで、崇清の目はまったく別の光を宿していた。
泥まみれの唐芋をひとつ拾い上げ、爪で皮を擦る。
みずみずしい白黄色の肉と、断面から滲み出す純白のデンプン液。
獲れた。ついに、この時代で本物のサツマイモが手に入ったんだ。
前世の記憶が、濁流となって脳髄を満たす。
焼き芋の素朴な甘さなどでは到底満たされない。
戦国時代の質素な食生活で限界まで飢え切った崇清の近代の味覚が、完全に理性のタガを焼き切っていた。
「弥三郎、荷車を出せ」
崇清の声は、恐ろしいほど低く、平熱だった。
「へ? に、荷車?」
「この畑で一番太く、傷のない極上芋を五十俵、今すぐ獅子目の勝手場へ運ぶんだ。それから高須の白塩、搾りたての豆乳、葛粉、それに琉球の砂糖をありったけ用意しろ」
「ちょ、ちょっと崇清様!? この芋は日向遠征の備蓄にするんじゃ……」
「備蓄は明日からやればいい! 今日やらねば、俺の魂が死ぬ!!」
鬼気迫る形相に気圧され、弥三郎は悲鳴を上げて荷車の手配へ走り出した。
半刻後。獅子目の大勝手場は、まるで戦場のような熱気と白煙に包まれていた。
「ちよ! 皮を厚めに剥いて輪切りにしろ! 水に晒して徹底的に灰汁を抜くんだ!」
「は、はいっ!」
ちよとまつが包丁を振るい、赤紫の皮を剥かれた鮮やかな黄金色の芋が、次々と澄んだ井戸水の中へと落とされていく。
「猪之助、竈の火力を上げろ! 大鍋に蒸籠を三段重ねだ!」
「へいッ! 孟宗竹の薪をガンガンくべやすぜ!」
蒸籠から濛々と立ち上る、甘く香ばしい湯気。
蒸し上がった熱々の唐芋は、竹串がすっと抵抗なく通るほど柔らかい。
崇清はそれを大すり鉢へ移し、熱いうちにすりこぎで一気に突き崩した。
湯気とともに、栗のようなほっくりとした濃厚な甘い香りが勝手場いっぱいに広がる。
ここからが、崇清の執念の独壇場だった。
まずは第一の皿――『唐芋の天ぷら(高須塩仕立て)』。
厚さ五分の分厚い輪切りにした唐芋を、冷水で溶いた小麦粉と少量の葛粉の衣にくぐらせ、獅子目工房特製の澄み切った純粋黒豚ラードの油鍋へ滑り込ませる。
パシュワァァァッ!
小気味よい油の爆ぜる音が響く。
低温でじっくりと芯まで熱を通し、デンプンを麦芽糖へと糖化させて甘みを極限まで引き出した後、最後の一瞬だけ強火にして衣の水分を飛ばす。
揚がったばかりの天ぷらは、黄金色に澄み渡っていた。
崇清はそこへ、高須の極上純白塩をパラリと振りかけた。
揚げたての熱気。サクッ、と箸先で割ると、中はまるで上質な羊羹のようにねっとりと黄金色に輝いている。
続いて第二の皿――『黄金の素揚げ蜜絡め(大学芋の原型)』。
一口大の乱切りにした唐芋を、素揚げにして外側をカリッと狐色に固める。
隣の小鍋では、琉球の粗糖と高須の白塩、わずかな酒と醤油を煮詰め、糸を引くほどの鼈甲色の蜜を仕立てていた。
油から引き上げた熱々の唐芋を、その煮えたぎる飴色の蜜の中へ一気に投入する。
ジュワッ、ジュワワッ!
木べらで手早く煽ると、澄んだ蜜が芋の角という角にねっとりと絡みつき、ガラス細工のような艶やかな皮膜を作っていく。仕上げに振った黒胡麻が、香ばしいアクセントを放つ。
そして第三の皿――『滑らか豆乳仕立ての唐芋焼き羹』。
丁寧に裏ごしして繊維を完全に取り除いた芋のペーストに、温めた濃厚な豆乳を少しずつ加え、木べらで練り上げる。
牛乳も生クリームもない中世において、豆乳の良質な植物性油脂が、芋のパサつきを消し去り、驚くべきシルクのような舌触りをもたらす。
砂糖とわずかな塩で味を整え、小さく小判型に成形。表面に地鶏の卵黄を刷毛で塗り、天火の熾火で焦げ目がつくまで炙り焼きにした。
「ふう、よし。できた」
崇清が煤だらけの額を腕で拭った、その瞬間だった。
ガララッ!
勝手場の頑丈な板戸が、凄まじい地響きとともに叩き開けられた。
「なんじゃあッ!? この甘くて香ばしい匂いはァッ!!」
野太刀の鞘を派手に揺らし、犬のように鼻を鳴らして乱入してきたのは、前線の巡回から戻ったばかりの島津又七郎家久だった。
さらにその背後から、鴨居を頭で擦りながらぬっと現れたのは、身の丈六尺の中馬与八郎重方だ。
「崇清殿! 飯か!? 高須の浜から馬を飛ばして戻ってきたら、屋敷の外まで蜜の匂いが漂っておったぞ!」
「うわぁぁ出たァッ! 美味いものの匂いにだけ反応する野生の猛獣ども!!」
弥三郎の悲鳴を背に、崇清は三つの大皿を土間の台へドンと並べた。
「食え。大隅のシラスの泥から掘り出した、俺たちの新しい武器だ」
家久と重方は、獲物へ飛びかかる野獣のように台へ突進した。
まず家久が、揚げたての唐芋の天ぷらを無造作に鷲掴みにして口へ放り込む。
カリッ、と小気味よい音が響いた。
家久の眼がカッと見開かれた。
サクサクと軽やかな衣を破った瞬間、口の中に溢れ出したのは、信じがたいほど熱く、ねっとりとした濃密な甘み。そして、それを追うように舌を刺す高須塩の鮮烈な塩気。
塩分が、芋の甘さを何倍にも増幅させて脳天を直撃する。
「な……なんじゃこれは! 外は信じられんほど軽うて香ばしいのに、中は極上の栗を練り上げた餡のようにトロトロじゃぞ! しかもこの塩……塩が甘みを引き立てて、喉の奥が震えるわッ!」
一方の中馬重方は、蜜で輝く乱切り素揚げ蜜絡めを大口で三つ同時に放り込んでいた。
バリッ、ガリッ、と飴の砕ける豪快な音が響く。
「うおおおッ!!」
重方が太い胸板をドンドンと叩いた。
「外の飴がガリガリと歯を弾いたかと思えば、中の芋がホクホクと崩れて蜜と混ざり合いよる! 噛めば噛むほど、油と蜜と芋の力が腹の底に満ちてくるわ! 崇清殿、大太刀を十日振り回しても腹が減らんぞこれッ!」
二人は狂ったように皿へ手を伸ばし、最後に小判型の豆乳スイートポテトへかぶりついた。
瞬間、台所に完全な静寂が訪れた。
家久の手が止まった。
口の中で、噛む必要すらない。
豆乳によって極限まで乳化された唐芋のペーストが、舌の温度でフワリとほどけ、卵黄の焦げた香ばしさを残して喉の奥へと滑り落ちていく。
それは、荒武者たちがこれまでの人生で味わったことのない、あまりにも滑らかで、あまりにも優しい天上の口溶けだった。
「あ……」
家久の口から、掠れた声が漏れた。
「崇清。貴様、これは本当に、あの水も出ぬシラスの泥から抜いた草の根っこなのか?」
「ああ。シラス台地でしか育たん、唐芋だ」
家久は皿の上の焼き菓子を凝視し、やがて、わなわなと肩を震わせて大太刀の柄を握り締めた。
「信じられん。米の取れぬ痩せ地を抱え、飢えに怯えていた大隅の民が、こんな美味いものを腹一杯食えるようになるというのか……! おい崇清! これを大姶良の兵と、城下の民全員に配れ! この芋を食わせりゃ、肝付だろうが伊東だろうが、戦う前に全員島津へ土下座して寝返るわッ!!」
「配るさ。だが兄上、これはただの菓子ではないぞ」
崇清は薄く笑い、冷たい麦茶を飲み干した。
「この圧倒的な収量とデンプンがあれば、大隅から飢饉が消える。そして――余った芋を蒸して発酵させれば、米を削らずに、無尽蔵に高濃度の強い酒が造れるようになるんだ」
「酒……じゃと!?」
家久の目が、先刻の菓子以上の獰猛な光を放った。
「ああ。キレ味の鋭い、脂っこい肉料理に最高に合う蒸留酒――『唐芋の焼酎』だ」
食の欲望から始まった台所の白煙が、飢饉の根絶を越え、次なる産業と軍事の巨大な力へと姿を変えようとしていた。
崇清は言葉が大げさです。唐芋はシラス台地でしか育たない訳ではないし焼酎も無尽蔵には作れません。
こういうところが元コンサルタントなのでしょう。




