第62話 白き塩の道と日向からの足音
天正元年(一五七三年)八月。 高山城開城から数月、大隅の山々を焦がす真夏の陽光が、高須湊の波止場を眩しく照らし出していた。 波打ち際を埋めるのは、竹骨帆を張った中型早船の群れである。 船倉へ次々と積み込まれていくのは、藁筵で固く編まれた白塩の俵と、飴色に干し上げられた干鰯の山、そして飯隈工房で加工された乾燥肉や保存兵糧の木箱だった。 なお、シラス台地で栽培されている「唐芋」の生芋や苗の持ち出しは、崇清の厳命によって固く禁じられている。飢饉を無力化するこの地下の奇跡は、他国はおろか領内の他領主へも渡してはならない、蒲生島津の最高軍事機密(戦略物資)であった。
「よし、四番船、荷受印受領! 次、油津行きの二番小早、俵数を改めろ!」
船溜まりの板敷きの上で、弥三郎が算盤を激しく弾きながら、水主たちへ怒号を飛ばしていた。 その額には汗が光り、痩せた頬は夏の熱気に上気している。
「甚兵衛爺様! クスノキの樽が二つ足りませんよ! 帳面の数と合いません!」 「ガハハ! 弥三郎、細かいことを喚くな! 樽の二つや三つ、波にさらわれたと思えば良かろうが!」 「さらわれてたまるかァッ! 一樽につき塩三石、銭にして銀五匁の損失ですよ! 内城の忠棟殿に監査状で胃に穴を開けられるのは僕なんですよ!!」
弥三郎の悲鳴のような絶叫が、磯風に乗って抜けていく。 だが、かつてのような先が見えない恐怖の悲鳴ではなかった。 いまや高須から根占にいたる大隅南部の沿岸航路は完全に島津の勢力下に収まり、内城蔵役所の公認印を得た廻船が、日向灘へ向けて毎日のように船出していく実務の喧騒だった。 その波止場の突端、船大工たちが組んだ突堤の上で、崇清は素焼きの壺から注がれた冷たい麦茶を喉に流し込んでいた。 手元に広げられているのは、一枚の海図である。 錦江湾を出て大隅半島を南下し、佐多岬を回って東海岸へ――志布志、都井岬、そして日向の油津、美々津へと続く、長大な太平洋沿岸の航路図。
「どうじゃ、崇清殿。儂らが引いたこの塩の道は」
隣で煙管を燻らせながら、能野甚五郎が海を指差した。
「根占の重長が関税を免除したおかげで、佐多岬を回る船の数が以前の三倍に膨れ上がった。肝付の水軍崩れ共も、今じゃうちの早船の漕ぎ手に雇われて、塩俵を運んで日当の米を貰ってやがる。誰も飢えねえし、誰も浦を焼かれねえ。あんたが焚き火の前で言った通りになったな」 「いや、まだ始まったばかりだよ、甚五郎」
崇清は薄板を爪先で叩いた。
「道は繋がったが、荷の受け皿がまだ脆弱だ。日向の沿岸は遠浅の砂浜が多く、大型船を直接横付けできる良港が少ない。船足を速くするだけでは、運んだ物資が浜で滞留する」 「相変わらず、欲のない顔して先の先ばかり見とるわ」
甚五郎が苦笑交じりに煙を吐き出した時――背後の松林から、地を叩く重々しい馬蹄の音が近づいてきた。 駆けてきた一騎の軍馬から飛び降りたのは、埃まみれの当世具足に身を包んだ、歴戦の武将だった。 年の頃は二十代後半から三十前後。 浅黒く引き締まった顔輪郭には幾重もの刀傷の痕が刻まれ、その眼光は抜き身の槍のように鋭く研ぎ澄まされている。並の騎馬武者とは明らかに放つ威圧感の桁が違っていた。 武将は崇清の前まで大股で歩み寄ると、草摺を擦らせて片膝を突き、深々と頭を垂れた。
「急ぎの参上、無礼仕る。日向・新納院高城の城将を務めております、山田上野介有信にございます」
崇清の眉がわずかに動いた。 山田有信本人か。 木崎原で伊東氏の先鋒を粉砕して以来、日向南部の最前線で伊東軍の圧力を一身に受け止め続けている島津屈指の猛将。後の耳川前夜において、数万の大友軍を相手に高城を死守することになる伝説の武辺者が、供回りも連れずに自ら大隅の浜辺まで馬を飛ばしてきたのだ。
「遠路、大隅までよく参られた、山田殿。私が蒲生島津の崇清だ」
崇清が会釈を返すと、有信は顔を上げ、驚きを隠せぬように崇清の姿を見つめた。 手勢十五で加久藤城の門を死守し、大隅の千二百を船戦で粉砕したと家中を騒がせている男が、粗末な麻の着流し姿で、港の帳面をめくっているだけの少年だったからだ。 だが、有信の目はすぐに厳しい現実の光を取り戻した。
「日向境目の民と地侍の現状について、どうしても崇清殿へ直々に申し伝えたく、馳せ参じ申した」 「申されよ」
有信は懐から、墨の滲んだ一枚の報告書を取り出した。
「木崎原の大敗以降、都於郡城の伊東義祐公の統治は日を追うごとに乱れております。合戦の穴埋めのため、領内の民や地侍へ課される軍役と兵糧米の取り立ては苛烈を極め、日向南部はどこも疲弊しきっております。そこに――」
有信は波止場に並ぶ白塩の俵を見遣った。
「高須の船が、志布志や油津の浜へ、この雪のように清らかな白塩と干鰯を持ち込んでいると聞き及びました。日向の百姓や土豪どもは、伊東の苛政に耐えかね、島津の塩と乾物を喉から手が出るほど渇望しております。野尻や紙屋の国衆の間でも、『島津の商いに乗らねば一族が飢える』と、水面下で伊東を離反しようとする動きが急速に広がりつつあります」 「現場の経済的自壊だな」
崇清は低く呟いた。 力ずくで城を攻め落とす必要はない。 敵の領民が自発的にこちらの塩と食糧を求め、生活インフラの格差によって内側から雪崩を打って崩壊していく――木崎原の直後、内城で描いた「経済的重力による包摂」が、大隅を越えて日向へと波及し始めていた。
「それがしも前線で槍を握りながら痛感しております。崇清殿の送る塩と船は、一万の援軍よりも鋭く伊東の領国を切り裂いている、と」
有信は頭を下げた。
「願わくは、それがしの守る新納院高城の沿岸へも、高須の廻船を直接着岸させてはいただけませぬか。高城の城下へ直接白塩と乾物が届くとなれば、日向東岸の国衆は雪崩を打って島津へ靡き申します」 「承知した、山田殿。有信殿の差配を全面的に信じよう。『高須の早船十隻に白塩と孟宗竹、そして飯隈の乾燥糧食を積み、来月の潮に合わせて油津から高城沖へ回す』と約束する」 「かたじけなく存じます!」
有信の精悍な顔に、深い安堵と歓喜の色が走った。 歴戦の城将が辞去し、再び波の音だけが戻った波止場。 崇清の背後の木立から、墨染めの衣をまとった道純が音もなく進み出た。その手には、厳重に封印された細身の竹筒が握られている。
「崇清様。京都の烏丸茶房、ならびに本国の歳久様より、極秘の注進にございます」
崇清は竹筒を受け取り、蝋の封を指先で割った。 中から現れたのは、歳久特有の流麗な筆跡で記された密書だった。
『烏丸の茶房、近衛殿の庇護のもと、公家町の奥向きを完全に掌握せり。かるかんと冷製羹、ならびにサボンの売上は日々に跳ね上がり、都の滞在固定費を差し引いても毎月莫大な銭が手元に残る始末。だが、都の風が変わり始めた』
崇清の目が、文面の後半を冷徹に追っていく。
『豊後の大友宗麟、南九州の異変に気づきたり。 島津が木崎原で伊東を破り、大隅をわずか数月で平定し、日向沿岸へ巨大な物資を流し込んでいる報せが、府内へ届いた模様。 宗麟は幕府や朝廷への工作を強めるとともに、南蛮船の火薬と大砲を豊後へ集積しつつあり。遠からず、伊東の救援を名目とし、豊前・豊後・筑後の大軍を動員して日向へ南下してくる気配濃厚なり。警戒せよ』
「大友宗麟か」
崇清は密書を静かに巻き戻し、海図の上に視線を落とした。 九州の巨人。 キリシタン大名にして、数万の軍勢と「国崩し」と呼ばれる南蛮大砲を擁する北九州の覇者。 日向が島津の経済圏へと自壊すれば、宗麟が自らの権益を守るために大軍を率いて南下してくるのは、歴史の必然だった。
「若君」
弥三郎が帳面を抱えたまま、不安そうに顔を覗き込んできた。
「大友って……あの豊後の大友ですよね? 数万の大軍で攻めてくるって噂の……。僕たち、肝付を倒したばかりなのに、今度はあんな化け物と戦うんですか!?」 「戦うさ」
崇清は平然と言い放った。
「だが、正面からぶつかる気など毛頭ないよ」
崇清の指先が、海図に描かれた日向東岸の一点――先刻、有信が口にした「新納院高城」、そしてその北を流れる「高城川(耳川)」の河口をトン、と叩いた。
「大友の弱点は、その巨大さそのものだ。数万の大軍が山越えをして日向へ侵入してくれば、兵糧と弾薬の消費量は一日で山を成す。日向の悪路に長大な補給線を引きずり、前線が飢えと疲弊で悲鳴を上げた瞬間が、奴らの死に場所になる」
崇清は振り返り、高須造船所で建造が進む新造早船の群れを見据えた。
「高須から海を使って、日向の砂浜へピンポイントで物資を揚陸する。大友が陸の泥道に縛り付けられている間に、我々は海から兵糧、白塩、そして孟宗竹の組み立て式陣地資材を、必要な場所へ必要な分だけ直接送り届けるんだ」
港を奪い合うのではない。 和船の浅い喫水と竹骨帆の機動力を活かし、日向の砂浜の至る所を仮設補給基地に変えてしまう――「沿岸分散揚陸兵站」。
「昨日までは、大隅の泥を這いずり回る生き残りのための足掻きだった。だが」
崇清の瞳に、前世のコンサルタントとしての冷徹な青い光が宿った。
「ここからが、本番だ」
白き塩の道が、太平洋の波濤を越えて日向へと伸びていく。 やがて訪れる戦国島津の運命を決する地――耳川の決戦へ向けて、巨大な兵站の車輪が、いま静かに、しかし不可逆の速度で回転を始めていた。
いよいよ……巨人大友と関わることになります。よく九州三国志とか言いますがあれは大友が宗麟のキリスト教狂いでかなり衰退してからでこの時点では島津




