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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第4部 大隅制覇と耳川の戦い

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第60話 高須沖の激突――欠陥の嘴と潮の狩場

錦江湾を吹き抜ける風が、生温かい春雨を横殴りに叩きつけていた。

高須の船溜まりから滑り出した新造早船は、硬式竹骨帆(バテンセイル)を一杯に張り、白波を切り裂いて疾走していた。

陸上・西俣の湿地帯では、塩焚き衆の浴びせた熱湯灰汁と、家久率いる大姶良・飯隈勢の急襲によって、八百の肝付歩兵隊が泥溝に釘付けとなっている。

だが、陸の破綻を目の当たりにしたことで、肝属川の河口から進出してきた肝付水軍の焦燥は頂点に達していた。

「逃がすなァッ! 島津の小舟なんぞ、押し包んで叩き潰せッ!!」

河口の泥濁流を突き破り、肝付の波頭紋を掲げた大小三十隻余りの船団が、扇状に広がりながら襲いかかってくる。

中央に陣取るのは、三層の矢倉を組み、びっしりと盾板を巡らせた大型関船――肝付軍の海上総旗艦だ。

「若君! 敵の先鋒、小早十隻が左右から回り込んできやす!」

舳先で固定索を点検していた工兵班長の猪之助が、飛沫を浴びながら叫んだ。

「慌てるな。甚五郎、漁師たちの旗は見えているか」

崇清は揺れる甲板の梁に足をかけ、視線を河口の葦原の影へと凝らした。

そこには、能野甚五郎が事前に配備した地元の沿岸漁師たちが乗る数艘の小舟が、葦の茂みに身を潜め、竹竿の先に結んだ赤い布を小刻みに振っていた。

「へへっ、見えてるぜ!」

舵木を両腕で抱え込んだ甚五郎が、獰猛な笑みを浮かべた。

「赤旗二つは『引き潮で三角州の砂嘴が浮き上がってる』合図だ! 肝付の田舎侍どもめ、あそこが満潮の時と同じ深さだと思い込んでやがる!」

「よし。予定通り、風上へ切り上がって浅瀬際を抜けるぞ!」

「おうよッ! 面舵一杯ァッ!!」

甚五郎が渾身の力で舵を切り、早船が急旋回した。

その瞬間、春の突風が船腹を直撃し、竹骨帆がバウッ!と強烈な音を立てて風を孕んだ。

撓まない竹の骨が風圧をそのまま船体へ伝えるため、舳先が高く持ち上がり、早船は猛烈な勢いで左へと傾ぐ。

「うわああああっ!? 船が立つ! ひっくり返るぞッ!!」

船倉で予備の縄を抱え込んでいた弥三郎が、目を剥いて絶叫した。

「帆桁を引けッ! 風を逃がすな、切り上がるんだ!!」

崇清が叫ぶが、複滑車を通した太い麻縄は、突風の圧力によって鉄の棒のように張り詰め、並の水主二人がかりでもビクとも動かない。

「邪魔じゃァッ!!」

怒号とともに甲板を踏み破らんばかりに進み出たのは、十四歳の中馬与八郎重方だった。

身の丈六尺の巨躯が、滑車から伸びる極太の麻縄を両腕に巻き付ける。

「ふんぬううううッッ!!」

重方の首筋に青筋が浮き上がり、背中の筋肉が太縄を束ねたように隆起した。

道具の比率も滑車の理屈も腕力でねじ伏せ、暴風の圧力を力任せに引き絞る。

ギリ、ギリギリッ!

摩擦で麻縄から白い煙が上がる中、竹骨帆の角度がピタリと風上へ固定された。

グンッ!と早船が波頭を捉え、向かい風を斜めに切り裂いて跳ね上がるように加速した。

水面を滑るようなその尋常ならざる船足は、三角州の浅瀬の縁、わずか数間の深水路を矢のようにすり抜けていく。

「な、なんだあの船は!? 風上に向かって走って行くだと!?」

後を追ってきた肝付の小早隊が、目を白黒させて早船を追尾しようとした。

だが、和船の普通の帆では逆風を切り上がることはできない。小早は風に押し戻され、潮流に流された。

ズザザザザッ!! ガガガッ!!

「ぐわっ!? 底を擦った!」

「浅瀬だ! 乗り上げたぞッ!!」

甚五郎の計算通り、追撃してきた敵の小早十数隻が、引き潮で海面下に隠れていた泥砂嘴へ次々と突っ込み、身動きを封じられていった。

包囲網は一瞬で自壊し、河口の中央水路には、護衛の小早を置き去りにした肝付の大型関船が、ぽつんと孤立した。

「大将船が丸裸だぞ」

甚五郎が舵を握り直し、舌なめずりをした。

「直進しろ、甚五郎!」

崇清が舳先を指差した。

「初見の一撃だ。二度目はないぞ!」

早船が全速力で関船の右舷腹へと突進する。

関船の矢倉から「射掛けろ! 沈めろ!」と無数の矢が放たれたが、早船の舷側に掲げられた孟宗竹の防弾板が、コンコンと心地よい音を立てて矢弾を弾き飛ばしていく。

距離十間、五間、三間――!

「猪之助、ピンを抜けェッ!!」

「おうよッ! 喰らいやがれェッ!!」

猪之助が大槌を振り下ろし、孟宗竹の固定楔を叩き折った。

キィィィィン――ッ!

滑車が甲高い悲鳴を上げ、帆柱の基部に聳え立っていた長大なクスノキの跳ね橋――先端に三角錐の鉄杭を備えた「海の嘴(コルウス)」が、重力に従って振り落とされた。

ドガァァァァッッ!!

雷鳴が海上に落ちたような、凄まじい破砕音が轟き渡った。

鉄嘴が関船の厚い甲板を突き破り、船底を支える巨大な梁を粉々に粉砕して深々と突き刺さった。

激しい衝撃で関船が大きく揺れ、敵の水主や武士たちが甲板へ転がり倒れる。

「な……なんじゃあッ!? 鳥の嘴……!? 橋が刺さったぞ!?」

「抜けん! 鉄の杭が梁に食い込んで外れんぞッ!!」

動揺とパニックが関船を包む。

鉄杭が船骨をガッチリとロックしているため、波に揺られても二隻の船はまるでひとつの陸地のようにピタリと固定されていた。

飛び移る隙も、落水の恐怖もない。幅半間の頑丈な木道が、敵の喉元へと直結していた。

「一番槍ィィィッ!!」

跳ね橋を最初に駆け上がったのは、中馬重方だった。

六尺を超える巨躯を前傾させ、大人用の大太刀を片手で軽々と振り上げる。

「怪しい奴は、まず胸板を叩き割るッ!!」

ドグシャッ!!

先頭で槍を構え直そうとした敵番頭の胸骨が、重方の大太刀によって具足ごと無造作に粉砕された。

「ひっ、化け物――!?」

「問答は後じゃッ!」

返せ刀で二人目の首を薙ぎ払い、逃げ場を失った敵甲板は一瞬にして阿鼻叫喚の屠殺場と化した。

さらに、後方の母船から能野水軍の抜刀隊が、跳ね橋をパイプラインのように雪崩れ込んでいく。

「大将首はどこじゃァッ!!」

西俣の泥濘から駆け戻り、後続船から跳ね橋へ飛び乗ってきた島津又七郎家久が、野太刀を血煙の中で旋回させた。

家久と重方――二頭の猛獣が狭い甲板を駆け抜けた瞬間、関船の矢倉は完全に制圧された。

「総大将・肝付兼盛、討ち取ったりィィッ!!」

家久の獰猛な勝ち名乗りが、雨上がりの高須沖に轟き渡った。

その瞬間、浅瀬に座礁していた小早群も、西俣の砂浜で釘付けになっていた歩兵隊も、完全に戦意を喪失した。

「大将が討たれた!」

「引け、高山へ逃げろッ!」

千二百の軍勢は、蜘蛛の子を散らすように総崩れとなって敗走を始めた。

雲の切れ間から、夕暮れの赤い陽光が差し込み、血に染まった高須の海を鮮やかに照らし出した。

関船の梁深くに突き刺さったままのカラスの上で、樺山忠助が呆然と刀を鞘に収めた。

「勝った。千二百の大軍を相手に、こちらの損耗は十にも満たぬぞ……」

忠助は振り返り、舳先で静かに息を整えている崇清を見つめた。

「崇清殿、貴殿の兵器、そして民と潮を巻き込んだ罠。これほどの戦、見たこともない」

だが、崇清の表情に歓喜の色はなかった。

崇清は手元の薄板を取り出し、早くも炭で数字を走らせ始めていた。

「忠助殿。合戦は終わりましたが、ここからが本当の戦後処理です」

「戦後処理だと?」

「ええ。肝付の本拠・高山城は、もはや自力で防衛線を維持できません。手に入る広大な土地と城を、我々がどう扱うか。宗家と忠棟殿が、目を血走らせて見つめていますよ」

武力による勝利を、いかにして島津の統治機構へと変換するか。

崇清の冷徹な算盤が、大隅の未来を弾き出そうとしていた。

まぁ何話か前で、カラス(ラテン語ではコルウス)について崇清が「一度しか使えない」と言っておりますが、正確には「初見殺しの性格が強い」という意味ですね。


有名になる前なら、まだ見たことのない敵には普通に有効ですし、風上に走れる竹骨帆の船と組み合わせれば、相手が従来の風上に走れない船である限り、「分かっていても防げない」という状況に持ち込むこともできます。


なので「一度しか使えない」は、ちょっと言い過ぎでした(笑)。


まぁ、あのときは樺山さんや家久兄さんから「カラスをたくさん作ろうぜ!」と言われたことへの返答なので、「これはそんな大量配備するような武器じゃない」という意味合いで、ああいう言い方になったのでしょう。


そのうち二度目に使う機会があれば、誰かに「崇清、前に一度しか使えんと言うたではないか」と突っ込ませたいところです(笑)。


次は19時投稿予定です。

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