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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第4部 大隅制覇と耳川の戦い

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第55話 勝手場の白煙と直打の南蛮麺

高須の砂浜に、からからと乾いた風が吹き抜けていた。

木組みの櫓から叩き落とされ、廃船の甲板深くに食い込んだ巨大な跳ね橋――先端に三角錐の鉄杭を備えた「海の嘴(コルウス)」。

その頑丈なクスノキの板の上に仁王立ちし、家久はなおも獲物を狙う野獣のように目をギラつかせていた。

「全船が駄目なら、儂の乗る先頭の数隻だけで構わん! 飛び移る間もなく橋を落とし、海を陸にして駆け抜けて敵の首を片端から叩き落とす! それでよいではないか、崇清!」

「うむ……」

廃船の梁を貫いた鉄杭を撫でながら、軍奉行の樺山忠助も低く唸った。

「先刻、儂が言うた通りだ。敵を引き込み、隘路を塞ぎ、海の上に加久藤城の門前を作り出す。海戦に不慣れな薩摩武士に陸の泥戦をやらせるというなら、この仕掛けこそが我が方の最大の切り札になるはず。それをなぜ、そこまで渋るのだ、崇清殿?」

海を陸にすれば勝てるという家久の直感と、海上の城門という忠助の看破。

武将としては極めて鋭い二人の視線を受け止めながら、崇清は冷ややかに息を吐き出した。

「お二人とも、武士としての戦い方に目が眩みすぎています。これは確かに敵を殺す道具ですが、兵器としてはとんでもない欠陥品ですよ」

「ああん? 欠陥だと?」

家久が眉を吊り上げる。崇清は手元の薄板を放り出すと、砂浜にしゃがみ込み、小枝で二艘の小舟の絵を描いた。

「先ほど申し上げた重すぎて外せないという物理の欠陥だけではありません。最大の弱点は、手の内が知れ渡れば、二度目は絶対に通用しないという戦術的な賞味期限の短さです」

「二度目は通用せぬ?」

忠助が腕を組み、怪訝そうに目を細める。

「当たり前です。敵だって馬鹿じゃありません。あんな珍妙な橋を舳先にぶら下げた船が近づいてきて、甲板に橋を叩き落として斬り込んでくると一度でも知られたら、次はどうされます? 近づいてなどくれませんよ。距離を取って風上から火矢を射掛けられるか、あるいは小回りの利く小舟で横腹や背後へ回り込まれて終わりです」

崇清は小枝で、嘴船の周りを素早く囲む無数の矢印を引いた。

「嘴を積んだ船は、船首が重すぎて舵が利かず、船足も亀のように鈍る。敵が接近を拒否して包囲陣形をとった瞬間、この船は逃げることも追うこともできず、ただの浮かぶ的に成り下がるんです。海を知る者からすれば、対処法などいくらでもある」

「ぐ……」

言葉に詰まった家久の横で、砂浜の端にいた船大工棟梁の茂平次が手斧を振った。

「若君の言う通りでさぁ! あんな重てぇ橋を舳先に掲げた船なんてなぁ、波に揉まれりゃ回頭もできねえ! 一度相手に躱されちまえば、ケツを突かれて海の藻屑でさあ!」

「つまり、この海の嘴という仕掛けは――」

崇清はすっくと立ち上がり、家久と忠助をまっすぐに見据えた。

「何度も繰り返して使えるような、常用艦隊の主兵装ではないんです。情報の非対称性が保たれている間……相手が『島津の田舎武士め、海の上で叩き潰してやる』と油断しきっているここぞという決戦の初見でだけ、一発限りで使い捨てる奇襲兵器なんですよ」

「初見の一撃か」

忠助の武骨な顔から感嘆の色が消え、冷徹な軍奉行の眼光が戻った。

「そうです。敵の旗艦、あるいは主力部隊に対し、海戦の定石で構えているところへ突っ込ませる。敵が『何だあの珍妙な舳先は!?』と目を白黒させているその刹那に嘴を叩き落とし、後方の母船から家久兄上たち薩摩の重装歩兵をパイプラインのように流し込んで、大将首を一瞬で刈り取る。からくりを理解された時には、合戦そのものが終わっていなければならない」

崇清は小枝をへし折り、足元の絵を消し去った。

「だからこそ、これは全船にも、常用の船団にも配備しません。必要なのは、決戦のその瞬間まで徹底的に隠し通す一隻――多くても二隻だけです」

「なるほどな」

忠助が、深く息を吐き出した。

「兵器の威力を過信するのではなく、相手が知らぬという初見の隙そのものを最大の刃にするわけか。新兵器を作っておきながら、その兵器に溺れぬその冷徹さ。敵に回したくない男よ、全く」

「ふん!」

家久は野太刀の柄を親指で弾き、唇の端を獰猛に吊り上げた。

「一度きり、敵の総大将の喉笛にだけ喰らいつく嘴か。がはは! いかにも島津好みの、薄汚くて美味い戦じゃねえか!」

「若君、相変わらず悪辣さの桁が違いますよ……」

背後で弥三郎がひとり、深く胃を押さえて天を仰いでいた。

高須の浜での実験と軍議を終え、飯隈総会所へ引き揚げてきたのは黄昏時だった。

潮風に炙られ、忠棟の監査状と兵器の欠陥を計算し続けた崇清の脳髄は、完全に限界を迎えていた。

疲れた。もう駄目だ。

身体の全細胞が、強烈な悲鳴を上げている。

求めているのは、かるかんのような上品な糖分ではない。

もっと暴力的で、脂ぎっていて、塩分とニンニクと豚骨の濃厚なコクが脳天を直接殴打してくるような――あの前世の、魂の記憶。

豚骨だ。それも、あの香ばしい焦がし油の効いた、中太ストレートの熊本のやつが食いたい!

崇清は鹿児島育ちでありながら、前世ではあの濃厚な白濁豚骨スープに黒マー油が浮かぶ熊本ラーメンをこよなく愛していた。縮れ麺など論外だ。九州の小麦と濃厚スープを味わうなら、刃筋の通ったまっすぐなストレート麺でなければならない。

一度湧き上がった禁断症状は、もはや理性では抑え込めなかった。

崇清は総会所の板敷きに草履を脱ぎ捨てるや否や、そのまま勝手場へと直行した。

「若君? なにを腕まくりして……えっ、その鉈はなんです!?」

背後からついてきた弥三郎がぎょっと目を剥く。

崇清は無言のまま、土間に転がっていた黒豚の解体残滓――肉を削ぎ落とされ、骨髄を剥き出しにした巨大な豚の大腿骨と背骨の山を、鉈でガンガンと力任せに叩き割り始めた。

バキッ、ボキッと骨が砕け、白い骨髄が覗く。

「水だ! 弥三郎、大鍋に湯を沸かせ! 竈の火を最大にしろ!」

「ちょ、ちょっと崇清様!? その骨、脂を絞った後の捨てカスですよ!? 畑の肥料にするやつです!」

「捨てカスではない、宝の山だ! 徹底的に血抜きして灰汁を抜け! 骨髄が溶け出すまでグラグラ煮立てるんだ!」

大鍋に放り込まれた骨の山が、煮え立つ湯の中で踊り狂う。

浮き上がる灰汁を丁寧に掬い取り、火力を落とさず強火で対流させ続ける。一刻、二刻――骨から溶け出した濃厚なコラーゲンと骨髄が乳化し、澄んでいた湯がみるみるうちに白濁していく。

さらに崇清は小鍋を取り出し、獅子目の純粋黒豚ラードを熱すると、細かく刻んだニンニクとネギの端材を放り込んだ。

パチパチと小気味よい音が響き、ニンニクが狐色からさらに深い褐色へと色づいていく。香ばしい、焦がしニンニク油――マー油の原型となる香気油だ。

濃厚極まりない骨髄の白煙と、焦がしニンニクの暴力的な匂いが、勝手場から総会所全体へと津波のように溢れ出していった。

「うぐっ!? 臭っ! なんですかこの匂いは! 獣と油と野草が混ざり合ったような、城が落ちたのかと思う異臭ですよ!!」

弥三郎が鼻を覆って板敷きを転げ回る。

だが、崇清の執念は止まらない。

麺だ。

うどんのように太くてはスープに合わず、素麺のように細くてはコシが足りない。縮れさせるなどもってのほかだ。

崇清はサボン製造のために用意してあった樫の木灰の上澄み水を、挽きたての小麦粉へ慎重に回し入れた。

アルカリの力でグルテンが引き締まり、生地が淡い黄色を帯び、特有の弾力とかんすい香を放つ。

崇清は生地を渾身の力で捏ね上げ、板の上で均一に薄く延ばすと、迷いのない刃筋で細く、まっすぐに切り揃えていった。

角の立った、凛とした中太ストレート麺が、打ち粉を纏って板の上に整然と並ぶ。

その時である。

ガララッ!

勝手場の引き戸が、壊れんばかりの勢いで吹き飛んだ。

「なんじゃあッ!? この美味そうな獣の匂いはッ!!」

総会所に手勢とともに居座っていた島津又七郎家久が、野太刀の鞘をガチャガチャと鳴らし、犬のように鼻を鳴らしながら土間へ乱入してきた。

さらにその背後から、ドシンドシンと床を揺らして現れたのは、身の丈六尺の中馬与八郎重方だ。その両手には、なぜか巨大な擂り鉢が抱えられている。

「崇清殿! 飯か!? 腹が減って飯隈の柱をかじりそうになっておったところじゃ!」

「うわぁぁ出たァッ! 飯の気配だけで壁を破ってくるボッケモンども!!」

弥三郎の悲鳴を完全に無視し、崇清は沸き立つ湯の中に、切り揃えたストレート麺を一気に放り込んだ。

茹で時間はわずか数十秒。

湯を切り、深めの素焼きの椀へ落とす。

そこへ高須の白塩と干し鰯の出汁を合わせた塩ダレを注ぎ、大鍋から白濁した豚骨スープを張り、仕上げに小鍋の焦がしニンニク油をツツッとひと回し垂らした。

ジュワッ!

乳白色のスープの表面に、黒褐色の焦がし油の輪が広がり、えも言われぬ香ばしさが立ち上る。

上には、塩漬け黒豚を炭火で炙った分厚い焼き豚と青ネギが添えられた。

「食え。まっすぐな麺を、スープごと一気に啜れ」

崇清が椀を二つ、土間の台へ叩きつけるように置いた。

家久と重方は、飢えた野獣のように椀へ飛びついた。

箸を突っ込み、角の立ったストレート麺を豪快に口の中へ掻き込み、ズズズッ、ズババババッ!と音を立てて啜り上げる。

瞬間、二人の動きが完全に停止した。

家久の双眸がカッと見開かれ、野太刀を握る手が小刻みに震え出した。

口の中に広がる、未体験の衝撃。

トロリとした濃厚な豚骨スープに、焦がしニンニク油の深いコクと香ばしさが覆いかぶさり、ガツンと効いた高須塩の塩気が味蕾を突き刺す。そして、木灰汁によって驚くほどの強いコシを獲得したまっすぐな麺が、スープを絶妙な量だけ纏いながら喉奥へと滑らかに雪崩れ込んでくる。

「な……なんじゃこれはッ!」

家久が椀を両手で鷲掴みにし、スープを一滴残らず飲み干した。ぷはっと吐き出された息は、白く熱く、濃厚な獣の生命力に満ちていた。

「美味い! 胃の腑に、燃え盛る炭をそのまま流し込まれたように熱いぞ! 麺が喉を駆け抜けていきよる! 焦げた油の風味が鼻を抜けて、脂っこいのにいくらでも腹に入るわッ!」

一方の中馬重方は、噛むことすら惜しいとばかりに麺を丸呑みし、分厚い焼き豚を二口で噛み砕いて、大椀を空にして床へ叩きつけた。

「おかわりじゃッ! 崇清殿、あと五椀持ってまいれッ!」

重方は赤銅色の顔を紅潮させ、太い胸板をドンドンと叩いた。

「この汁と麺を腹に入れれば、三日三晩大太刀を振り回しても絶対に腹が減らん! 敵の首など小指一本でねじ切れるぞ!」

「崇清! これを大姶良の警固の兵と、高須の水主全員に配備せよ!」

家久が身を乗り出して叫ぶ。

「兵にこれを一杯食わせて突撃させれば、どんな頑丈な城壁でも素手でへし折って駆け抜けるぞ!」

「無茶を言うなァッ!!」

横から弥三郎が、算盤を振り上げて涙目で割り込んできた。

「豚の骨をここまで煮出すのに薪をどれだけ燃やしたと思ってんですか! 小麦粉を手で捏ねてまっすぐに刻む手間賃はどうするんです! 仕入れの原価計算が死にます! 立ち食い蕎麦屋じゃないんですよここは!!」

勝手場に怒号と狂喜が渦巻く中、崇清はようやく手に入れた自分の一杯を静かに啜った。

ズズッ……。

これだ。この滑らかなストレート麺の喉越しと、焦がし油のパンチ……五臓六腑に染み渡る。

崇清は息を吐き出しながら、空になった大鍋の底を見つめた。

弥三郎の言う通り、生麺を前線で一人ひとりに打って配備するのは不可能だ。

だが――この濃厚な骨髄スープと焦がしラードを極限まで煮詰めて水分を飛ばし、塩とともに固めて「干し固形スープ」にしたらどうなる?

飯隈の炒り米レーションと合わせれば、湯を注ぐだけで瞬時に極限の脂質・塩分・カロリーを前線の兵に供給できる、最強の野戦携行食になるのではないか――。

自らの個人的なこだわりから始まった一杯が、また一つ、冷酷な兵站のピースへと姿を変えようとしていた。

作者が鹿児島生まれなのに熊本ラーメンが好きなのでこうなりましたw


昔あった大大ラーメン美味かったなぁ…二本木の崎陽軒…最近はやってるんだろうか……まぁヒライの山ちゃんラーメンも美味しいよね!


次は12時投稿です。

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