第54話 跳ね橋の嘴と血気の従兄弟
高須の砂浜に組まれた実験場には、異様な潮風が吹き抜けていた。
干潟の上に据え付けられた頑丈な木組みの櫓から、太い麻縄と滑車で吊り下げられているのは、巨大な「鉄の嘴」を持つ跳ね橋だった。
長さ三間、幅半間。
厚いクスノキの板を鉄帯で幾重にも締め上げ、先端には飯隈工房の鍛冶場で打ち出された頑丈な三角錐の鉄杭が、鋭い切っ先を真下に向けて鈍い光を放っている。
「若君。いえ、崇清様。僕ぁね、これを見るたびに足の親指の付け根が寒気のあまり縮み上がりますよ」
弥三郎が算盤を懐に抱え込み、櫓を見上げて顔をしかめた。
「なんですかその不吉極まりない物は! 船の先頭にそんな重たい橋をぶら下げたら、波を被った瞬間に舳先から海底へ真っ逆さまですよ! 造船所の茂平次さんたちも『大工を殺す気か』って半泣きで板を削ってましたよ!」
「重心の計算は済んでいる、弥三郎」
崇清は手元の薄板に引かれたバラストの重量配分表を指先で弾いた。
「船尾側に孟宗竹の密閉浮力材と白塩の俵を積んで釣り合いを取る。それに、これはただの橋ではない。接舷戦闘における『整流化装置』だ」
「せいりゅうか……?」
弥三郎が眉をひそめる。
「和船同士の海戦は、船首や横腹をぶつけ合い、水主や武士が揺れる船べりから敵の甲板へと飛び移る。だが、波で船が上下する中での飛び移りは、それだけで落水死傷のリスクが跳ね上がるし、移乗できる人数も限られる。ならば、向こうから飛び移る隙を与えず、一瞬で不可逆の固定通路を作ればいい。古代ローマ海軍がカルタゴを破った接舷橋――『海の嘴』の概念だ」
「相変わらず、小賢しい南蛮か唐天竺の理屈をこね回しておるな、又八」
背後から、低く鋭い、それでいてどこか愉悦を孕んだ声が砂を踏んで近づいてきた。
振り返った崇清の視界に入ったのは、煤けた具足を無造作に身に纏い、腰の野太刀の柄に手をかけた若武者――四男・島津又七郎家久だった。
飯隈総会所に手勢数十騎とともに居座り、大隅前線での獲物を求めてギラギラと殺気を研ぎ澄ませている十七歳の猛者である。
「家久殿、飯隈での軍勢調練を抜け出して浜遊びか。国分・加治木の本隊より目付として遣わされた身としては、見過ごせぬな」
男が苦笑交じりに口を開くと、家久はケラケラと笑い飛ばした。
「堅いことを言うな、忠助兄上! 飯隈のモヤシが浜辺で珍妙なからくりを海へ落とすと聞いて、じっとしていられるか!」
崇清は居住まいを正し、静かに一礼した。
樺山忠助殿。
貴久の代から島津を支える重臣であり、義久・義弘・歳久・家久の従兄弟にあたる人物。加治木や加久藤の戦線で軍奉行として現実的な采配を振るい、四兄弟のパイプ役を務める極めて堅実なリアリストだ。
「大隅の防衛線視察の折、立ち寄らせてもらった。崇清殿、木崎原以来だな。息災そうで何よりだ」
忠助の目は穏やかだったが、その視線は崇清の背後にある櫓と、異形の跳ね橋を値踏みするように素早く捉えていた。
「忠助兄上、見とれ! あれが又八の新しい悪巧みじゃ!」
家久が嬉々として櫓を指差す。
「猪之助、落とせ」
崇清が短く下知を飛ばした。
櫓の上で待機していた工兵班長の猪之助が、孟宗竹で作られた固定ピンを一気に叩き抜く。
キィィィィン――ッ!
滑車が甲高い悲鳴を上げ、太い麻縄が唸りを立てて解き放たれた。
重さ数十貫のクスノキの巨橋が、重力に従って猛烈な速度で振り下ろされる。
ドガァァァァンッ!!
砂浜に置かれていた標的――肝付水軍の関船を模した廃船の甲板に、先端の鉄嘴が落雷のような轟音とともに突き刺さった。
分厚い杉の甲板が一撃で粉砕され、四方八方に木片が弾け飛ぶ。三角錐の鉄杭は廃船の梁深くまで食い込み、跳ね橋と船体をガッチリと、凶悪なまでに結合させていた。
「おおッ!?」
弥三郎が耳を塞いで飛び退く。
「ハハハハッ! 見たか、今の音を!」
家久が腰の刀を鞘ごと揺らし、跳ね橋の上へと軽々と駆け上がった。
ぐらりとも揺れない。鉄嘴が敵船を貫いて固定されているため、足場はまるで陸上の板敷きのように頑丈だった。
「これじゃ! これなら飛び移る手間も隙も要らん! 橋を落とした瞬間、ここを駆け抜けて敵の首を片端から叩き落とせるぞ! 崇清、この橋を俺の乗る船のすべてに付けろ!」
獲物を見つけた野獣のように叫ぶ家久に対し、崇清は冷ややかに首を横に振った。
「駄目だ、又七郎兄上。これは全船に積むような兵器ではない」
「ああん? なんでじゃ! こんなに綺麗に突き刺さったではないか!」
「欠陥が大きすぎるからだ」
崇清は廃船に食い込んだ鉄嘴を冷静に見つめた。
「第一に、あまりにも重い。接舷の距離と角度を完璧に合わせねば、落とした瞬間に自船の船首を痛めるか、外れて海中へ引きずり込まれる。第二に、一度突き刺さったら、自力では二度と外せん」
家久の動きがピタリと止まった。
「外せん……だと?」
「そうだ。鉄杭が梁を貫いて固定している以上、敵船が沈む時は、こちらの船も道連れに引きずり込まれる。つまり、この嘴を落とした瞬間、敵を全滅させて制圧するか、共倒れになるかの二者択一しかなくなるのだ」
逃げ場のない不可逆の殺戮空間。
机上の図面では万能に見える新兵器が孕む、冷酷な現場の反作用だった。
「なるほどな」
それまで沈黙を守っていた樺山忠助が、ゆっくりと歩み寄り、深く突き刺さった鉄の嘴に手を触れた。
その指先が、鋼の冷たさを確かめるように撫でていく。
「崇清殿。貴殿が作っているのは、船でもなければ、飛び道具でもないな」
忠助は振り返り、崇清の目を静かに射抜いた。
「海の上を動く、加久藤城の門だな」
崇清の胸の奥が、わずかに跳ねた。
余計な飾りを削ぎ落とした、正確極まりない本質の見抜き方だった。
「敵を引き込み、逃げ場を塞ぎ、隘路を作って正面からすり潰す。木崎原で貴殿が伊東の三千を泥田と門前で狭撃したあの工兵の理屈を、そのまま海の上に持ち出してきたわけだ」
忠助は薄く笑い、首を振った。
「恐ろしい男よ。内城の忠棟殿あたりは『崇清が大隅で怪しげな軍船を造っている』と神経を尖らせておるが……貴殿の頭の中にあるのは、領地を奪うための攻城兵器ではない。島津の蔵と港を守るための、極めて冷酷な防壁の延長だ」
「ご理解いただき、恐縮に存じます、忠助殿」
「礼には及ばん。儂は軍奉行として、見たままを義久公へ伝えるだけだ」
忠助はそう言うと、跳ね橋の上で野太刀を構えて悦に入っている家久を見上げ、苦笑を漏らした。
「とはいえ、この凶器を又七郎殿のような猪武者に預ければ、大隅の海が血で真っ赤に染まることは避けられそうにないがな」
「ワハハ! 望むところじゃ!」
家久の獰猛な笑声が、潮騒の砂浜に響き渡った。
新兵器の威力と、その裏に潜む致命的な欠陥。
それを現場の運用と武者の血気でどう手綱を取るか――崇清の次なる課題が、砂浜の木屑とともに刻み込まれていた。
明日からは通常更新に戻ろうと思いましたがシルバーウィーク中なので明日まで3話投稿しますね。
次は明日7時投稿の予定です。




