第53話 荒磯の船大工と竹の骨帆
高須ドックに設営された仮設の蒸し小屋から、製塩竈の余熱を利用した白い蒸気が濛々と噴き出していた。
咽せるような熱気と、蒸されたクスノキの青臭いヤニの匂いが砂浜一帯に立ち込めている。
「――引けェッ! 縄を緩めるな、冷める前に締め上げろッ!」
茂平次の胴間声が響く。
太い孟宗竹の蒸し筒から引きずり出されたばかりの長大なクスノキの外板が、職人十数人の手によって巨大な木製型枠へと押し当てられていた。
熱と蒸気で繊維が緩んだ巨木が、ギリギリと繊維を軋ませながら、滑らかな曲線を描いて型枠へ吸い付いていく。息子の徳三が素早く楔を打ち込み、太縄で締め上げた。
「……ふう、よし。冷えりゃこの形のまま固まりまさあ」
手斧を腰に差した茂平次が、煤まみれの額を拭いながら崇清を振り返った。
以前、竹を船体に巻きすぎて海上で亀のように浮いて沈みかけた大失態の折、崇清が砂浜に描いた「蒸し曲げによるハイブリッド船型(舳先は尖り、腹は平底)」は、能野大工衆の不眠不休の泥臭い試行錯誤によって、ようやく一本の船の骨格へと結実しつつあった。
「見事な曲がり具合だ、茂平次。これなら平底で積載量を稼ぎつつ、波を切って疾走できる」
崇清が削り出された竜骨の継ぎ目を撫でると、茂平次は照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「へっ、若君の無茶振りに付き合わされるこっちの身にもなってくだせえ。……だが問題は、木組みじゃねえ。あの『簾みてえな帆』のほうでさあ」
茂平次が顎でしゃくった先――。
船架に据えられた中型早船の帆柱に、油抜きした孟宗竹を横骨として幾本も縫い込んだ、異様な帆が張り上げられていた。硬式竹骨帆である。
布が撓まず、竹の骨によってピンと板のように張られたその帆は、浜風を受けて美しい弧を描いている。
「……形にはなったがな、若君」
腕組みをして帆を見上げていた能野甚五郎が、苦い煙草の煙を吐き出した。
「試しに湾内で走らせてみたが、確かに化け物だ。風上に向かって信じられねえ角度で切り上がっていきやがる。肝付の関船どころか、普通の早船じゃ逆風の時に絶対に追いつけねえ」
「なら、大成功じゃないか」
「速さだけならな」
甚五郎が煙管の先で、帆桁から伸びる親指大の極太の麻縄を指した。
「和船の柔らかい帆なら、突風が来ても縄をパッと緩めりゃ風が抜けてくれる。だが、この竹骨帆は風を一切逃がさねえ。横風をまともに食らったら、船ごとひっくり返りそうになるんだ。風向きが変わるたびに、この太縄を力任せに引き絞って帆の向きを変えなきゃならねえが……水主が三人がかりで引いても、突風の圧に負けて手がズタズタに裂けちまう。半日も持たずに漕ぎ手が全滅するぞ」
現場で実際に動かしてみて初めて突きつけられた、物理の冷酷な反作用。
風を完璧に捕らえるがゆえに、制御にかかる負荷が人間の筋力の限界を超えていたのだ。
「……ふむ。突風に負けない引き手、か」
崇清は顎に手を当て、砂浜の木陰へ視線を滑らせた。
そこでは、昨日飯隈の乾物倉を空にした若き巨漢――中馬与八郎重方が、浜辺に転がっていた孟宗竹の太筒から豚肉の燻製をほじくり出し、退屈そうに咀嚼していた。
「おい、与八郎殿」
「んぐっ……なんじゃ、崇清殿。また美味い飯でも煮てくれるのか?」
重方が太い喉を鳴らして立ち上がった。身の丈六尺、肩幅は並の武士の倍。歩くだけで砂浜がドスンと沈む。
崇清は早船の甲板から垂れ下がっている、帆桁を制御するための極太の麻縄を指差した。
「あの縄を握って、風がどれほど吹いてこようと、帆の向きを固定してほしいんだ」
「なんじゃ、そんなことでよいのか。人を叩き割るより余程たやすいわ」
重方は事も無げに鼻を鳴らすと、軽々と船べりに飛び乗った。
どしん、と早船が大きく揺れる。
重方は親指ほどもある麻縄の端を両手に巻き付けると、太い脚を甲板の梁にかけ、腰を低く落とした。
その時、錦江湾から突風が吹き抜けた。
バッ、と竹骨帆が風を孕み、船体がギシリと大きく傾ぐ。並の水主なら一瞬で海へ引きずり落とされるような強烈な風圧だった。
「うおぉりゃッ!!」
重方の喉から、獣のような咆哮が迸った。
少年の背中の筋肉が、太縄を何本も束ねたようにボコボコと隆起する。
ギリ、ギリギリッ……!
摩擦で麻縄から焦げた煙が上がる中、重方はただ一人、腕力だけで暴れ狂う風の圧力をねじ伏せ、帆桁をピタリと狙った角度で静止させてみせた。
早船が風を受け、波を切り裂いて前へ突き進もうと舳先を持ち上げる。
「……おいおい、嘘だろ」
甚五郎が煙管を取り落とした。
「水主四人分の突風の引きを、あの小僧、たった一人で引き絞ってやがる……」
だが、横で青ざめていた弥三郎が、我に返って鋭い悲鳴を上げた。
「感心してる場合ですか甚五郎さん! 若君、これ一番肝心なとこが破綻してますよ! うちの船団にこんな化け物が何十人も転がってるわけないでしょ! 一隻に一人ずつ中馬を配備しろって言うんですか!?」
「当たり前だ、与八郎殿の胃袋を何十人分も養えるか。破産する」
崇清はあっさりと首を振った。
「滑車(複滑車)を組むんだよ。動滑車を二つ噛ませれば、ロープを引く力は半分で済む。三つ噛ませれば三分の一だ。並の水主二人で十分に抑え込める重さまで、道具側で負荷を逃がす」
「……じゃあ、なんで今あいつに力任せに引かせたんですかい!?」
「どれほどの風圧がかかるか、限界値(最大トルク)を測りたかったんだ。それに――滑車を噛ませると力は減るが、引く長さと時間が倍かかる。敵前での急転舵や、突風を瞬時にねじ伏せたい緊急時には、道具の理屈を筋力で踏み倒せる人間が旗艦に一人いるだけで生存率が跳ね上がる」
崇清は笑い、砂浜で大口を開けて笑っている重方を見遣った。
「茂平次、滑車枠の木取りにかかれ。これで竹骨帆は『誰でも扱える量産品』になるぞ」
「へ、へいッ! すぐに滑車の枠を削りまさあ!」
茂平次が手斧を振るい、現場の大工たちが一斉に走り出す。
設計の欠陥を、現場の職人の工夫と、規格外の武者の膂力で泥臭く噛み合わせる。
錦江湾の潮流と逆風を切り裂く「新たな足」が、いよいよ確かな実体を持って動き始めようとしていた。
一隻に一中馬の船団も見てみたい気はしますね…
次は19時投稿予定です。




