↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第4部 大隅制覇と耳川の戦い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/156

第52話 台帳の監査令状と若き巨漢

第53話 台帳の監査令状と若き巨漢

元亀三年(一五七二年)八月。

錦江湾から吹き付ける熱風が、大隅・高須の砂浜を白く乾かし、飯隈総会所の板屋根を容赦なく焙り立てていた。

歳久が少数の供回りを連れて薩摩本国へ引き揚げてから半月余り。

「烏丸サロン」と名付けられた京都出先工房の極秘立ち上げは、水面下で着々と動き出しているはずだった。だが、崇清の胃の底に澱のように溜まる重圧は、何一つ軽くなってはいなかった。

パチン、と乾いた竹の弾ける音が総会所の板敷きに響く。

「若君。いえ、崇清様。僕ぁね、もうこの紙を見ただけで、昨晩食った麦飯が全部逆流しそうですよ」

二十四歳になった弥三郎が、青ざめた面を両手で覆い、手元の文箱をまるで猛毒の蛇でも見るかのような目で見つめていた。

文箱の中に収められているのは、薩摩・内城の蔵役所から届いた極めて簡潔な、しかし骨の髄まで凍りつくような「監査令状」である。

差出人は、伊集院掃部助忠棟。

『大隅六拠点における直近四半期の木材・鉄釘・孟宗竹・白塩の出納総計、ならびに高須湊改修に伴う入出津の歩留まり一覧、来月十日までに提出されたし。一文の齟齬、一俵の過不足もこれを許さず』

筆跡は定規で引いたように乱れがなく、冷徹そのものだった。

「忠棟殿らしいな。挨拶の一行すら挟んでこない」

崇清は薄板に記された出納台帳の端を揃えながら、苦笑を漏らした。

内城の大広間で行われた査定会議において、崇清は「土地の所有権を捨て、物流と港湾の経営権のみを握る」という所有と経営の分離を宣言した。そして、完成した機構の監査権を忠棟へ丸ごと引き渡すという約束によって、この冷酷無比な官僚を共犯者へと引き込んだのだ。

だが、共犯関係を結んだからといって、忠棟が手心を加えるはずもない。むしろ「約束通り、お前の動かす物資の流れをすべて内城の帳簿の檻に収めてやる」とばかりに、以前にも増して精密な数字の刃を突きつけてきている。

「笑い事じゃありませんよ!」

弥三郎が頭を抱え、板敷きに額を押し付けた。

「高須の船大工どもがクスノキを削り損なった端材の数まで合わさなきゃならんのですよ!? あいつらときたら『木なんぞ削りゃ減るもんじゃ!』としか言わないし、甚兵衛爺様は『丸太の数など気合で覚えよ!』とか言って丸太を振り回すし! 僕の胃袋、もう穴が三つくらい空いてますよ!」

「端材は炭窯と塩田の焚き木に回した分の重量を引いて、歩留まり八割二分で台帳を締めろ。用途不明の使途不明材をゼロにしておけば、忠棟殿は文句を言えん」

崇清は前世の監査対応を思い出しながら淡々と指を動かす。感情でぶつかっても無意味だ。忠棟を黙らせる唯一の防具は、完全無欠に検算された数字の整合性だけだった。

その時である。

ドスン、ドスン、ドスン――。

総会所の頑丈な床板が、不穏な地鳴りのような音を立てて軋んだ。

板戸の隙間から差し込んでいた外光が、突如として巨大な影によって遮られる。

「たのもー」

地を這うような、だがまだ少年特有の割れた高さを残した胴間声が響いた。

引き戸がガラリと開け放たれた瞬間、室内の空気がごっそりと吸い出されたような錯覚を覚える。

そこに立っていたのは、一人の少年武者だった。

いや、「少年」と呼ぶにはその輪郭はあまりにも常軌を逸していた。

年の頃は十四、五。崇清とほぼ同年代か、やや年下のはずである。

にもかかわらず、鴨居すれすれの身の丈はゆうに六尺(約百八十センチ)を超え、肩幅は弥三郎の倍近くあった。日に焼けた浅黒い肌に、太縄を束ねたような分厚い筋肉が張り付いている。粗末な麻の小袖を腕まくりし、腰には大人用の大太刀が、まるで玩具の脇差のようにぶら下がっていた。

「ひっ……!?」

弥三郎が算盤を抱えたまま、座敷の後ろへと飛び退いた。

「飯野の修理亮様、ならびに市来の親父から『大隅の飯隈へ行け』と言われて参った。中馬与八郎重方、今年で十四じゃ」

少年――中馬重方は、ぎょろりとした野獣のような丸い目をしばたたかせ、土足のまま板敷きをじっと見つめた。

崇清は筆を置き、ゆっくりと立ち上がった。

中馬重方。あの市来の中馬大蔵の息子だ。

木崎原の直後、内城の評定で忠棟の鼻先へ太刀の切っ先を突きつける勢いで詰め寄り、崇清の幼少期の石鹸内職を叫んで擁護した家中随一の猛者・中馬大蔵。その血を引く実子が、目の前のこの規格外の巨漢だった。母方は蒲生の吉留氏であり、血統的にも崇清の陣営と極めて近しい。

「遠路、大隅までよく参られた、中馬殿。私が蒲生島津の崇清だ」

崇清が礼を執ると、重方は無遠慮に頭を掻いた。剛毛が擦れ合い、ボリボリと乾いた音がする。

「堅苦しい挨拶は要らん。親父からは『崇清殿は頭は滅法回るが、腕っぷしはからっきしのモヤシじゃ。お前が横について、理屈の通らん輩を片端から殴り倒してこい』と言われてきた」

弥三郎が横で「モヤシって言ったぞこの大男……」と引きつった顔で呟く。

「敵がおるなら、まず胸板を叩き割ればよいのであろう?」

重方は何でもないことのように太い腕を振り下ろす仕草をした。空気がブォンと鈍く唸る。

「誰であろうと、怪しい奴は胸の真ん中を叩き潰せば止まる。問答など、息の根を止めてからゆっくり聞けば済む話じゃ」

「待て待て待てッ!」

弥三郎が悲鳴を上げ、両手を激しく振った。

「問答を後にすんな! 叩き割った後に話が聞けるわけないだろ! 誰だお前にそんな物騒極まりない仕置きを教えた奴は!?」

「親父じゃが?」

重方は事も無げに首を傾げた。悪びれる様子は微塵もない。

敵か味方か、正当か不当かを頭で照合する前に、まず全筋力で正面から粉砕する――それがこの男にとっての呼吸なのだ。

「それに――」

重方は急に太い鼻の穴をヒクヒクと動かし、総会所の奥にある小納戸の方角を鋭く睨み据えた。

「親父から聞いたぞ。大隅の飯隈には、本国では見たこともない美味い兵糧が山ほど転がっとるとな」

「えっ、ちょっ、お前何処へ――!?」

弥三郎の制止も聞かず、重方はドシンドシンと床板を鳴らしながら納戸へずかずかと踏み込んでいった。

わずか数秒後。

ガサゴソという派手な物音とともに、重方が両腕に抱えて戻ってきたのは――飯隈工房が試作を重ね、出納台帳に「予備備蓄」として厳格に計上されていた孟宗竹筒入りの乾燥豚肉と、塩漬けの干し鰯の俵だった。

バリッ、ボキッ、グシャッ。

竹筒の封が怪力で無造作に引きちぎられ、中から現れた親指大の乾燥豚肉の塊が、重方の大きな口の中へ次々と放り込まれていく。

「あぁぁぁッ!? それは日向国境向けの緊急歩留まり備蓄ぅぅッ!!」

弥三郎が悲鳴を上げて飛びかかろうとしたが、重方は意にも介さず、咀嚼音を部屋中に響かせながら豪快に笑った。

「うむ! 噛めば噛むほど脂と塩が染み出してきよる! 市来の塩鰯なんぞより百倍力が出るわ! これなら一日中丸太を担いでも腹が減らんぞ!」

喉をゴクリと鳴らして干し肉を丸呑みし、今度は干し鰯を骨ごとバリバリと噛み砕く。その凄まじい食欲と消化力は、もはや人間というよりは巨大な重機の稼働を見ているようだった。

「崇清様ぁぁ! 備蓄台帳の数字が狂います! 今すぐこの大食らいを叩き出してください!」

弥三郎が涙目で算盤を振り回す。

だが、崇清は顎に手を当て、平然と干肉を平らげていく若き怪物の筋骨を見つめていた。

身の丈六尺、規格外の筋力、そしてこの底知れぬカロリー要求量。

先頃、高須の砂浜でやらかした、あの重すぎる竹束船の無様な失敗――船体に竹を巻きすぎて海の上で亀のように鈍重になり、舵すら利かなくなった苦い教訓。

高須造船所で直面している硬式竹骨帆のロープ引きの重さ。そして、試作を予定している接舷用跳ね橋「海の嘴(コルウス)」の操作。

現場の技術がどれほど進歩しようとも、最後にそれを海上で動かすのは、いつの時代も圧倒的な人間の膂力なのだ。

「弥三郎、台帳の備考欄に書き足しておけ」

崇清は筆を執り、忠棟へ送る監査返送用の薄板にさらりと文字を走らせた。

「『現場警備ならびに艤装実動工数として、中馬与八郎を一名計上。日割扶持として乾燥兵糧および干魚を配給』……これで内城の監査は通る」

「通るわけないでしょォォッ! こいつ一人で軽兵五人分食ってますよ!」

「構わん。この男の腕力は、兵十人分以上の資材を動かす」

崇清は唇の端を吊り上げ、満足げに喉を鳴らしている重方を見据えた。

「与八郎殿。腹が満ちたら、高須の浜へ行くぞ」

「おう! 船でも引くのか? それとも、怪しい奴の胸板でも叩き割りに行くか?」

重方が太い腕を鳴らし、獰猛に白い歯を剥き出した。

大隅の波濤を越え、海へと乗り出すための最大の物理エンジンが、ここに飯隈の陣営へと組み込まれたちゆ

中馬重方さん登場です。衛府の七忍に出てくる人ですね。

この人ややこしてくて別名は中馬大蔵なんですがお父さんも中馬大蔵なんですね。

そして父大蔵の妻、つまり重方のお母さんは蒲生衆中(旧蒲生家臣たちの集まり)の有力者吉留淡路守の娘らしいです。


崇清からすればなんとなく近い人です。


次の投稿は12時です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。