第6話 植えすぎた生垣とチャドクガ地獄
今日3話目です。最新話から来た方は第4話、第5話もご覧ください。
「痛い痛い痛い! 痒い痒い痒い! 若君ィ! 僕ぁね、もう首の皮どころか全身の皮膚が爆発しそうですよ!!」
初夏の眩しい陽射しの下、弥三郎が竹箒を放り出し、濡れ縁の上でのたうち回っていた。
首筋から手首、二の腕にかけて、まるで真っ赤な唐辛子をすり込まれたかのように無数の発疹が広がり、一部は早くも水疱になりかけている。
「これ弥三郎! 男のくせにみっともなく喚くな! 蒲生の武士なら、毛虫の一匹や二匹、気合で……気合で、んぐぐっ……! ぬううッ、痒い! 痒すぎるわいッ!」
一喝しようとした甚兵衛だったが、途中で耐えきれずに自らも首筋をバリバリと爪で掻きむしり始めた。白髪混じりの髭を怒りで逆立てながらも、膝をガクガクと震わせている。
さらに悲惨だったのは、山からツバキの苗木を担いできた楠行者衆の頭領・道純だ。
夜の闇の中では「山の番人」として鋭い眼光を放っていた歴戦の山伏が、真昼の日光の下、顔半分に刻まれた古傷まで真っ赤に腫らし、縁側の柱に背中をガシガシと擦りつけながら悶絶していた。
「お、おのれ……! この道純、熊や猪の牙など恐れぬが……この名もなき黄色い毛虫どもめ、刃も通らぬ毒針で攻め立ててきおる……! ぐぬぬ、背中が焼け火箸を当てられたようじゃ……!」
(……完全に俺の設計ミスだ)
俺――五歳の楠千代丸は、幼児特有の短い手足で縁側に座り込み、目の前で繰り広げられる地獄絵図を見つめながら冷汗を流していた。
胸の奥をキリキリと焼くような悔しさと情けなさがこみ上げる。
前世のコンサルタント時代、「高粗利の商材(椿油)を量産するためには、まず川上の原料調達力を最大化すべきだ」とエクセル脳で弾いてしまったのだ。
日当たりの悪い敷地の隙間という隙間に、行者衆に命じて山から掘り起こしてきたツバキの苗木を限界まで詰め込ませた。その結果、風通しと日当たりが最悪の過密植栽が完成。初夏の湿気と相まって、チャドクガの成虫にとってこの世で最も快適な産卵シェルターを提供してしまったのである。
事業を拡大しようとすれば、必ず現場に想定外のコスト(労災)が発生する。
頭の片隅では分かっていたはずなのに、五歳児の拙い身体と焦りが、現場のリスク管理を疎かにさせていた。
(……くそっ。落ち込んでる暇はない。まずはこの火消しが先だ)
俺は奥歯を噛み締め、両手で自分の頬をパチンと叩いて意識を切り替えた。
「全員、手を止めろ! 爪を立てて掻きむしるな! 毒針毛が皮膚の奥へめり込んで悪化するぞ!」
「そんなこと言われたって、体が勝手に動いちゃうんですよォッ! 若君、助けてくれェッ!」
弥三郎が泣き叫びながら爪を立てようとする手首を、俺は短い両手で必死に押さえ込んだ。
「まつ、ちよ! 竈の米糊と木酢液を持ってこい! 井戸水も大樽に汲み上げろ!」
「は、はい、若君!」
台所から駆け込んできたまつとちよが、炊いた米をすり鉢で練り上げた粘り気のある米糊と、木酢液の入った素焼きの壺を縁側に並べた。
「弥三郎、道純、甚兵衛、動くな。……ちよ、まつ、三人の腫れた肌にこの米糊を薄く均一に塗り広げろ」
「えっ、お米を肌に塗るのですか……?」
「そうだ。毒針毛は肉眼で見えないほど細い。手で擦れば被害が広がるが、米糊を塗って乾かせば、毛が糊に固着する。乾いたところを一気に剥ぎ取れば、粘着で毒毛を根こそぎ引っこ抜けるんだ」
ちよとまつがおっかなびっくり、男たちの真っ赤に腫れた首筋や腕に冷たい米糊をヘラで伸ばしていく。
「……ひゃっ!? つ、冷たい……けど、ちょっと熱が引いてきた……?」
「おお……! 痒みが薄らいでいくぞ……!」
弥三郎と甚兵衛が息を吐く横で、背中に糊を塗られた道純が「ふぅぅ……」と野獣のような深い吐息を漏らし、柱から身体を離した。
「糊が乾くまで絶対に触るな。剥がした後は、井戸水で患部を擦らずに洗い流せ。その上から、水で薄めた木酢液を叩くように塗るんだ。木酢の酸性と煙の成分が、皮膚の炎症を抑えて雑菌の繁殖を防ぐ」
的確な処置により、庭先のパニックが徐々に鎮静化していく。
息を吹き返した道純が、糊の乾き始めた首筋を気にしながら、驚嘆の眼差しで俺を見下ろしてきた。
「……若君。山の獣の毒なら心得ておったが、まさか米の糊と木酢で毛虫の毒を封じるとは。……山の行者たる儂らより、よほど山の理に通じておられる」
「感心している場合じゃないぞ、道純。……俺の不手際で、お前たちに手痛い労災を負わせた。すまない」
俺が頭を下げると、甚兵衛と道純が狼狽して手を振った。
「な、何を仰います若君! 滅相もございませぬ!」
「二度とこんな被害を出さないため、これより早期防除体制を構築する。……毛虫が孵化して木全体に散らばってから戦うのは、城を包囲されてから慌てるのと同じだ。完全なコストと労力の無駄になる」
俺は生い茂るツバキの生垣を指差した。
「チャドクガの最大の弱点は、卵からかえった直後、一枚の葉の裏にびっしりと群れをなして集団生活をする点にある。……道純、行者衆に生垣と山林の定時巡回を組ませろ。葉の裏を毎日見回り、集団で固まっている初期段階で葉ごと切り落とし、その場で火鉢に放り込んで直火焼きにするんだ」
「敵が集結しておる隙を突き、一網打尽に焼き払う……。御意、それならば儂ら山伏の最も得意とするところにございます」
道純は山野の獲物を狙う獣のような鋭い眼光で力強く頷いた。
「さらに風通しを良くするために生垣の枝を間引き、夕暮れには松葉を燻して煙で成虫を追い払う。……環境を整え、病害虫の芽を初期段階で摘み取る。この仕組みは、畑の作物を育てる時も、将来の大規模な生産を回す時にも、絶対に不可欠な武器になるぞ」
――その日の夕暮れ前。
首筋に塗った米糊を洗い流し、木酢液で赤みを抑えた男たちは、まだ肌をピリピリと痛ませながらも、総出で生垣の剪定作業に当たっていた。
裏庭には間引かれた青枝がうずたかく積まれ、中庭の中央に置かれた素焼きの火鉢からは松葉の青白い煙が立ち上っている。
「ゴホッ、ゴホッ……! 若君、煙いですぞ! なんで松葉なんぞを燻しておるのですか!」
「燻蒸だよ、甚兵衛。松葉のヤニと煙の臭いを嫌って、成虫の蛾が生垣に卵を産み付けに来なくなる」
額の汗を手甲で拭いながら、弥三郎が荒い息を吐いて濡れ縁にどっかりと座り込んだ。
「……ふぅ。毛虫を焼き払って生垣を風通し良くしたのはいいんですがね。肝心の『油を搾るための椿の実』はどうなったんですか? 剪定で半分以上実を落としちゃったじゃないですか。これじゃ油どころか、灯火用すら足りませんよ」
「弥三郎、足元の生垣しか見えていないな」
俺は不敵に笑い、奥向きの板戸を指差した。
「まつ、ちよ。例のものを運んでくれ」
「はい、若君!」
二人が台所から抱えて出てきたのは、麻紐で固く縛られた巨大な藁苞の山だった。
紐を解くと、中から現れたのは――黒ぐろと艶やかに光る、熟した大量のヤブツバキの実である。
その数、ざっと米俵二俵分。
「なっ……!? なんだこの量は! どこから持ってきたんですか!?」
「道純の行者衆が、霧島山系の深い原生林から集めてくれたものだ。山奥に自生するヤブツバキは、人が手を入れていない分、実が大きくて油の乗りが極上なんだよ」
道純が無骨な唇をわずかに緩め、誇らしげに頷く。
「若君から賜った米と塩の恩……山伏一同、山林を駆けずり回って集めて参りました。霧島の山奥には、島津の手が入らぬツバキの群生地がいくらでも眠っておりますぞ」
「これだけの量があれば……油が何升搾れるんだ……!?」
弥三郎が計算しようと指を折り、やがてゴクリと喉を鳴らした。
「和紙の内職で稼いだ日銭で、城下の鍛冶屋に発注していた木製の圧搾機(万力)も明日届く。……原料と機材は完全に揃った」
俺は竈の木灰が入った素焼きの壺を叩き、全員の顔を見据えた。
「毛虫との前哨戦はこれで終わりだ。……明日から、この椿油と強アルカリの灰汁を使って、いよいよ本命の『サボン(石鹸)』の量産試作に入るぞ」
「お、おお……っ! ついに参りますか、若君の秘術……!」
甚兵衛が拳を握りしめ、弥三郎が「また忙しくなるのか……」と頭を抱えつつも、その口元には確かな期待の笑みが浮かんでいた。
毛虫の毒針と格闘しながら築き上げた、泥臭い原料調達ライン。
その試練を乗り越えた日陰の屋敷で、戦国時代の衛生環境と経済を根底から塗り替える「白い秘宝」が、いよいよ産声をあげようとしていた。
次は18時に投稿します。16話までは飛ばしていきます。その後は多分1日1話程度になります。




