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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第2部「獅子目兵站記」

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第32話:家久の極秘来訪と妾腹の絆

元亀二年(一五七一年)十一月下旬。

大隅の山々を吹き抜ける風が、冬の厳しさを告げるように冷たく研ぎ澄まされていた。

飯隈要塞の東端、孟宗竹の防弾竹束を何重にも組んだ物見台の影で、弥三郎(二十三歳)が手元の勘定板を抱え込み、青ざめた顔で絶叫した。

首筋の古傷をボリボリと掻きむしり、手拭いを噛み締めながら俺へ詰め寄ってくる。

「若君! また出ましたよ! 不審者です! 侵入者ですよォッ!」

「弥三郎、騒ぐな。道純の哨戒網はどうなっている」

俺――十三歳の楠千代丸(島津又八)は物見台の手すりに手をつき、手元の薄板から目を離さずに返した。

十三歳になり、背丈は急速に伸びて少年らしい精悍さが備わりつつあるが、前世のコンサルタント脳は相変わらず大隅四拠点の冬期兵站計算を冷徹に回していた。

「道純さんの行者衆が、高隈山系の間道で引っ掛けたんですよ! 漆黒の馬に跨がった若い武者が単騎、物見の合図も無視して、この飯隈の竹藪へ向けて猪みたいに突っ込んできてるんです!」

弥三郎は頭を抱え、物見台の板敷きを踏み鳴らした。

「単騎で突撃してくるなんて、肝付の残党にしちゃ頭が悪すぎるし、山賊にしちゃ馬が上等すぎる! 僕ぁね、せっかく貴久公の死後の混乱を四拠点網で乗り切ったってのに、また得体の知れない厄介事に巻き込まれるかと思うと、胃がキリキリ痛んで朝飯の干し筍が逆流しそうですよォッ!」

「喚くな弥三郎ッ! 腹から声を出さんかい!」

階段をドスドスと踏み鳴らし、白髪混じりの髭を逆立てて登ってきたのは甚兵衛(六十三歳)だ。

愛用の樫の丸太をドンと突き立て、爛々とした眼光で叫ぶ。

「単騎の不審者など、蒲生八幡の御神木ならぬ飯隈の竹槍衾でひと突きにしてくれるわい! 若君、ご下命を! この老骨が先頭に立ち、外来者を叩き潰して参りましょうぞ!」

「甚兵衛、待て。槍を引け」

俺は鋭く老臣を制止し、竹林の切れ間――遮断溝の向こう側を凝視した。

冬枯れの木立を薙ぎ倒すようにして、一頭の逞しい軍馬が土煙を上げて飛び出してきたのだ。

馬上に座すのは、浅黒く精悍に引き締まった顔立ちの若武者。身にまとう黒漆の具足は泥にまみれ、背中には大弓、腰には大刀を佩いている。

十九歳を迎えたその男――島津家四男、島津又七郎家久であった。

「ははっ! なんだこの竹の壁は! 噂に違わぬ化物屋敷じゃねえかッ!」

馬上から野太い笑声を響かせ、家久が豪快に手綱を引き絞った。

馬が前足を高く跳ね上げ、嘶きとともに泥土を蹴立てて着地する。

「なッ!? し、島津の又七郎様……!?」

甚兵衛が目を剥き、抱えていた丸太を取り落としそうになった。

弥三郎もまた「うわぁぁ! 本丸の暴れ馬が直接乗り込んできたァッ!」と悲鳴を上げて物見台の陰へ隠れようとする。

俺は物見台の階段を静かに降り、竹束の木戸を開けさせて家久の前へと歩み出た。

「五年ぶりでございますね、又七郎兄上。護衛も連れず単騎で大隅の死地へ乗り込んでくるとは、相変わらず無茶をなさる」

俺が平然と言い放つと、馬から飛び降りた家久は、爛々とした野性味あふれる瞳で俺の全身を舐め回すように見つめた。

五歳の時に日陰の屋敷の裏庭で立ち会って以来、そして獅子目へ左遷される直前に大広間で言葉を交わして以来の再会だ。

「又八! てめえ、背が伸びやがったな」

家久は腰の刀をカチャリと鳴らし、ニヤリと八重歯を覗かせた。

「親父殿が死んで、義久兄上や歳久兄上が『大隅の五男坊が不気味な城を築いておる』『賊徒四百五十を一蹴した』って本丸で眉をひそめてやがったからな。てめえが本当にあの裏庭の泥遊びの続きで大軍をすり潰したのかどうか、俺がこの目で検分しに来てやったんだよ!」

十九歳の島津又七郎家久は豪快に笑い飛ばしながら、馬首を巡らせて飯隈要塞の周囲を値踏みするように見回した。

その獣じみた爛々たる双眸は、表面の防壁だけでなく、泥濘を防ぐ暗渠排水の溝や、整然と並ぶ孟宗竹防弾束の結束の角度に至るまで、恐ろしいほどの速度で戦術的急所を読み取っている。

「又七郎兄上。立ち話も何ですから、中へどうぞ」

俺が促すと、家久は短く頷き、愛馬の轡を近くの木柵に括り付けて大股で総会所の中へと踏み込んできた。

広間の長机。

運ばれてきた熱い番茶と、獅子目名産の干し筍と猪豚の塩漬けを前に、家久は椀を一気に煽った。

「ぷはぁッ! 悪くねえ味だな。親父殿が生きてた頃から、本丸じゃ『又八が奥向きで泥石をこねて小銭を稼いでる』だの、『大隅の山奥で天狗を操って肝付をすり潰した』だの、怪しげな噂ばかりが飛び交ってやがったがよ」

家久は茶碗をドカンと机に置き、身を乗り出して俺の顔を覗き込んできた。

「てめえ、本当に八歳の時に三百、十一歳の時に二千二百の肝付を、この手勢だけで追い散らしたのか?」

「ええ。正確には追い散らしたのではなく、地形と火薬の仕留め場所へ誘導して戦意を粉砕しただけです」

俺が平然と答えると、家久はニヤリと八重歯を剥き出しにした。

「仕留め場所だか何だか知らねえが……要するに『釣り野伏』の極致だな」

その一言に、俺の眉がぴくりと動いた。

「正面からぶつかるフリをして無様に敗走し、敵が功名心に目を眩ませて隊列を崩したところを、狭隘な袋小路へ引きずり込んで左右から一斉にすり潰す。島津の家芸だが、てめえのやり口はさらに陰湿で徹底してやがる。泥沼で足を止め、火薬で吹き飛ばし、最後は水で退路を塞ぐ。戦を武勇の競い合いじゃなく、最初から『罠にかかった獲物の解体作業』にしてやがるな」

十九歳の若武者の口から出たとは思えない、戦術の本質を抉り抜く鋭利な分析。

さすがは後年、耳川や戸次川で数倍の敵軍を壊滅させる戦国屈指の戦術チート・島津家久だ。

「兄上こそ、本丸での立場はいかがなのですか。義久兄上や義弘兄上のもとで、窮屈な思いをされているのでは?」

俺が探りを入れると、家久はふっと視線を落とし、忌々しそうに鼻を鳴らした。

「ふん。相変わらずよ。正室腹の兄上たちにとっちゃ、俺もお前も『妾腹の厄介者』だ。特に義弘兄上は武辺一本槍で俺の戦術眼なんざ認めやしねえし、歳久兄上は俺の野性を警戒して値踏みばかりしてきやがる。親父殿が生きてた頃はまだ良かったが、義久兄上の代になっちまえば、いつ使い捨ての駒にされるか分かったもんじゃねえ」

家久の横顔に、日陰者として育った者特有の、暗く昏い情念が滲む。

正室腹の三兄弟が「島津の秩序と結束」で固まっているのに対し、家久と俺は、常に「実力で己の存在価値を証明し続けなければ切り捨てられる」という死線の上に立たされているのだ。

「だからこそ、見に来たんだよ」

家久は再び爛々とした瞳を上げ、俺の手元の薄板を指差した。

「又八。てめえのこの大隅の城と飯、そして鉄砲と火薬の数々……本丸の兄上たちに媚びを売るためじゃなく、てめえ自身と蒲生の者どもが生き残るために築いた『牙』だな?」

「ええ。生き残るためなら、泥水でも何でもすすりますよ」

「ハッ! それでいい」

家久は太ももを力強く叩き、立ち上がった。

「俺も本丸で大人しく飼い殺される気はねえ。いずれ日向や肥後ででけえ合戦があれば、俺が先鋒として敵の喉笛を食い破ってやる。その時、もし俺の背後が危なくなったら、てめえのこの飯隈の兵糧と火薬を都合しろ。その代わり、本丸の兄上たちがお前に無理難題を吹っかけてきた時は、俺が軍勢の現場から手を回してやる」

「相互支援協定の締結、ですね」

「おうよ! 妾腹同士、島津の頂点に食らいついて生き残ってやろうじゃねえか!」

家久は豪快に笑い、俺の肩をバシンと叩いた。

痛烈な衝撃に十三歳の身体がよろめくが、その掌の熱さは、冷徹な利害の一致を超えた「同じ境遇を生きる戦友」の確かな温もりだった。

夕刻、冬の夕暮れに染まる大隅の山並みを背に、家久は再び漆黒の馬へと飛び乗った。

「じゃあな、又八! 次に会う時は、血煙の上がる戦場かもしれねえぞ!」

土煙を上げて颯爽と駆け去っていく四男坊の背中を見送りながら、物見台の陰からそろそろと這い出てきた弥三郎(二十三歳)が、深々と長いため息をついた。

「はぁぁ。嵐みたいな男でしたね。若君、あの方と裏で手を握っちまって本当に大丈夫なんですか? 本丸の義久様たちにバレたら、今度こそ謀反の徒党扱いですよ」

「大丈夫だ、弥三郎」

俺は手元の薄板を懐に収め、静かに答えた。

「家久兄上は、島津の中で最も危険で、そして最も頼りになる切り札だ。この連携網は、必ずや我が蒲生の最大の保険になる」

だが――家久の予言は、あまりにも早く、そして過酷な形で現実のものとなろうとしていた。

時に元亀三年(一五七二年)初夏。

日向の戦国大名・伊東義祐の三千の大軍が、北薩摩の最前線「加久藤城」へ向けて侵攻を開始。

城を守る次男・島津義弘から、大隅の楠千代丸のもとへ、運命の召集令状が叩きつけられるのである。

史実の島津四兄弟において、四男・家久は妾腹でありながら「兄たちに愛された末弟」として有名です。

ただ、幼少期の記録があまり残っていないこともあり、本作では「子供の頃はやはり妾腹として三兄弟(正室腹トリオ)から一段引いた扱いを受け、その後の圧倒的な武功によって認められ『島津四兄弟』として肩を並べていった」という解釈を取っています。

そのため作中の現在時点では、家久もまだ「妾腹の弟」として兄たちから距離を置かれている状態です。

そして主人公の楠千代丸(又八)はというと……

「島津が滅ぼした仇敵・蒲生の血を引く妾腹」という、ただでさえ特大の爆弾を抱えています。

にもかかわらず、幼い頃から異様に知恵が回り、背後には蒲生の残党や怪しげな山伏が集まって力をつけ始めている……。

本家(義久たち)から見れば、単なる弟ではなく「いつ家中を割る謀反の旗印になってもおかしくない、極めて危険な存在」に映っているわけですね。

正室トリオの冷徹な警戒と、それに対する主人公たちの生存戦略の化かし合いを、今後とも楽しんでいただければ幸いです!


次は17時投稿予定です。

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