第33話 加久藤城への召集令状
本日2話目です。
元亀三年(一五七二年)四月下旬。 初夏の強い日差しが飯隈要塞の隠し田を青々と照らし、新緑の竹林が薫風に擦れ合って乾いた音を立てていた。 平野の中心に立つ飯隈総会所の大広間では、八百五十人の兵站台帳を前に、弥三郎(二十四歳)が手元の算盤を弾きながら茶を啜っていた。
「ふぅ。麦の収穫見込みも上々、高須の塩と干物も順調、獅子目ラボの鍛冶工房も炭窯も黒字……。大殿が亡くなられた直後の大混乱を乗り切って以来、ようやく平穏が戻ってきましたねぇ」
弥三郎は首筋の古傷をぽりぽりと掻き、満足そうに顎を引いた。
「楠千代丸様、僕ぁね、もうこのまま大隅の片隅で、一生米の勘定と塩の出荷だけやって暮らしたいですよ。合戦なんて野蛮な真似は他の血の気の多い連中に任せて、俺たちは平和に銭を数えてましょうぜ」 「弥三郎、死亡フラグを立てるな」
俺――十四歳の楠千代丸(島津又八)は、薄板の帳簿から顔を上げ、冷ややかに告げた。 十四歳。元服を間近に控え、背丈は大人の武士と肩を並べるほどになりつつある。だが、前世の事業再生コンサルタントとしての危機管理センサーは、この不気味な静寂の裏にある「嵐の前触れ」を敏感に察知していた。
(大殿が身罷られてから一年足らず。周辺の敵がこの隙を見逃すはずがない)
その時――物見台の木戸が激しく蹴破られ、楠行者衆の頭領・道純が、泥にまみれた濡れ蓑姿で転がり込んできた。
「楠千代丸様! 北薩・飯野城の島津兵庫頭様より、緊急の早馬にございます!」 「来たか」
俺が立ち上がると、道純は息を乱しながら、血判の押された革包みの書状を差し出した。 そこに記されていたのは、義弘直筆の、殴り書きのような苛烈な軍令だった。
『大隅の又八、大口の物資および手勢を整え、直ちに北薩・加久藤城へ出頭せよ。大隅の働き、この義弘が直々に検分いたす』
「なッ!?」
茶を飲んでいた弥三郎が噴水のように茶を吹き出し、算盤を取り落として絶叫した。
「い、飯野の義弘様から直々の呼び出しぃぃッ!? 加久藤城へ出頭ぉぉッ!?」
弥三郎は頭を抱え、総会所の板敷きを転がり回った。顔面を真っ青に変色させ、喉が引き裂けんばかりに叫び散らす。
「嘘でしょォォッ!? なんで大隅の端っこで平和に塩を焼いてる俺たちが、北薩の山奥まで行かなきゃならんのですかァッ! 義弘様といえば島津きっての血気盛んな武闘派ですよ! 『大隅の小倅がどれだけ富を溜め込んでやがるか、抜き打ちで査定してやる』って魂胆に決まってますよ! 気に入らなきゃその場で首を刎ねられて一巻の終わりだァッ!!」 「喚くな弥三郎ッ! 腹から声を出さんかい!」
大広間の引き戸を蹴破り、樫の丸太をドンと突き立てて仁王立ちしたのは甚兵衛(六十六歳)だ。 白髪混じりの髭を逆立て、爛々とした眼光で弥三郎を一喝する。
「査定が何じゃ! 蒲生八幡の御神木たる若君に、ついに島津の正規の召集が下ったのじゃぞ! 日頃より磨き上げた我らの技と武名を、本家の重鎮たる義弘様に見せつける絶好の勝機ではないか! 者ども、出陣の支度をいたせェッ!」 「爺様ァッ! だからアクセル全開で突っ走るんじゃないよ!!」
弥三郎は立ち上がり、甚兵衛の胸ぐらを掴んで涙目で叫び返した。
「相手はあの鬼島津ですよ!? こっちは飛び地の妾腹! 本家の義弘様からすりゃ、大隅の生意気な小倅の抜き打ち査定面談ですよ! 僕ぁね、もう胃に風穴が三つ開いて朝飯が全部漏れ出そうですよォッ!!」 「二人とも、そこまでだ」
俺の冷徹な一言が、広間の怒号をピタリと制止した。
「義弘兄上の召集を拒否すれば、本家への背信として即座に改易・討伐の対象になる。拒否の選択肢はない」
俺は手元の薄板を裏返し、冷酷な最精鋭選抜計画を提示した。
「だが、八百五十人全員で行くわけではない。この大隅の防衛と生産ラインを維持しつつ、査定を切り抜けるための部隊を編成するぞ」
壁に掛けられた大隅・薩摩・日向の木製地図を、初夏の風がカタカタと揺らしていた。
「若君。選抜で行くにしても、大隅の四拠点を留守にして手勢を割けば、背後から肝付や不満土豪に拠点を突かれて元も子もねえ。何人連れて行く気なんです?」 「俺を含めて、総勢十六名――俺が率いる手勢としては、十五名だ」
俺が平然と言い放つと、広間の空気がピシリと凍りついた。
「じ……十五名じゃと……ッ!?」
甚兵衛が愛用の丸太を取り落としそうになり、白髪混じりの髭を震わせて目を剥いた。
「若君! いくらなんでも十五名は少なすぎますぞ! 義弘様への御目通り、せめて専業武士五十……いや、百名は引き連れて堂々と出立せねば、大隅の面目が立ちませぬ!」 「甚兵衛、面目で腹は膨れんし、無駄に大軍を動かせば大隅の防衛線に穴が開く。飯野城や加久藤城へ乗り込むのに、頭数合わせの兵を連れて行っても邪魔になるだけだ。義弘兄上に提示すべきは、大隅の組織力と実務の成果だ」
俺は十五名の編成を読み上げた。
「まず現場の統括に、甚兵衛と弥三郎。近接の守りと、帳簿・資材の管理を頼む」 「僕も連れて行かれるんですかァッ……!」
弥三郎が絶望の呻き声を上げるが、完全に無視して先を続ける。
「次に狙撃手の楓。特注の長銃を持たせる。そして土木工兵班長の猪之助と、弟子の一番手・長吉ら工兵三名。山岳偵察は道純、小六、そして足の速い疾風ら楠行者衆三名。最後に、槍頭の中村孫六兼貞ら、蒲生松坂城の昔を知る古武士三名だ」
松坂城の生き残りである中村孫六兼貞の名が出た瞬間、甚兵衛が息を呑んだ。
「孫六たちか……。あやつらの槍の腕と城を守る眼力は本物じゃが……」 「ああ。万が一の事態があっても、守りを固められる腕利きの実務屋ばかりを揃えた。荷駄には、獅子目ラボで開発した孟宗竹の防護結束束、そして高須の塩とラード、クヌギの干しシイタケを練り固めた高密度の乾燥兵糧百日分を積む。大隅の技術と補給能力を、査定の場でまざまざと見せつけてやる」 「徹底してやがる」
弥三郎が首筋をボリボリと掻き、引き攣った苦笑いを浮かべた。
「大名行列の真似事なんてハナからやる気なし。完全に実務と防衛に特化した作業班じゃないですか」 「留守を預かる八百三十余名には、鉄壁の防衛体制を敷かせる。飯隈と獅子目の木戸を固く閉ざし、大姶良との協定線を維持し、高須の海上警備衆に錦江湾の哨戒を徹底させろ。権蔵と鶴吉にも抜かりなく大隅の帳簿を締めさせろ。俺たちが北薩へ出頭している間、大隅の基盤を一ミリたりとも揺るがせてはならん」 「御意にございます」
道純が無骨な顔を引き締め、深く平伏した。
翌朝、未明。 朝靄が深く立ち込める飯隈要塞の東門。 見送りに集まった領民や武士たちが息を呑む中、軽装具足と荷駄を整えた十五名の精鋭部隊が、音もなく整列していた。 先頭に立つ俺の腰には、母・楠御前から託された守り刀。 その背後には、荷駄台帳を抱えて死んだ魚のような目をした弥三郎。樫の丸太を背負った甚兵衛。布を巻いた長銃を背負う狩人の楓。大槌を担ぐ猪之助と長吉。気配を消した道純、小六、疾風。そして列の最後尾には、鉄錆色の具足を纏い、静かに槍を携える中村孫六兼貞ら古武士たちが控えている。
「若君! いざ、北薩・加久藤の陣へ!」
甚兵衛が太い声で気勢を上げた。
「弥三郎、甚兵衛、皆の者。行くぞ」
俺の短い号令とともに、十五頭の荷馬と人影は霧の奥へと滑り出し、霧島山系の険しい峰々を目指して歩みを進めた。 大隅の山奥で泥臭く培ってきた技術と、兵站の仕組み。 それがまさか、着陣したその夜に日向・伊東軍三千との絶望的な死線――「木崎原の戦い」の血煙渦巻く戦場へそのまま呑み込まれることになるとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。
いよいよ木崎原、私の一番好きな戦国武将島津義弘との本格的邂逅です。私はこの人戦術レベルに限れば戦国一だと思ってます(異論は認めるw)




