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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第2部「獅子目兵站記」

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第31話 父・貴久の死去と本家の動揺

本日2話目です。

元亀二年(一五七一年)六月二十三日。

南国の容赦ない梅雨の晴れ間、激しい蝉時雨が降り注ぐ中、薩摩本国から放たれた楠行者衆の早馬が、高隈山系を越えて飯隈総会所へと飛び込んできた。

滑り込んできた道純の濡れ蓑からは、馬の激しい汗と血の匂いが立ち込めていた。その無表情な鉄の顔に、かつてないほど濃い暗雲が張り付いている。

「若君。薩摩本丸より、緊急の凶報にございます」

低く嗄れた声が、広間の空気を一瞬で凍りつかせた。

「本日未明、島津家第十五代当主・島津貴久公、にわかに病篤く、御年五十八にて御逝去あそばされ申した」

パキリ、と乾いた音が響いた。

手元の薄板を握りしめていた俺――十三歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)の指先が、無意識に木板を押し割っていた。

(親父殿が、逝ったか)

前世の記憶を持つ身とはいえ、六歳で石鹸の商談を持ち込んで以来、「四割上納」の裏取引に至るまで、あの巨躯の総帥は常に冷徹な大名の顔の奥に、妾腹の五男に対する不器用な庇護と試練の眼差しを注ぎ続けてくれていた。

俺たち蒲生陣営が、正室トリオ(義久・義弘・歳久)の警戒をすり抜け、大隅の山奥で八百五十人もの自立経済圏を築き上げることができた最大の防壁――「親会社CEO」という絶対の盾が、ついに失われたのだ。

「お、大殿が……! あの御屋形様が、身罷られたと申すかッ!?」

広間の端で、愛用の樫の丸太を取り落とし、白髪混じりの髭を震わせて絶句したのは甚兵衛(六十三歳)だ。かつて蒲生家を滅ぼした仇敵でありながら、若君の才を認め、大隅での生存を公認してくれた偉大なる武将の死に、老臣は言葉を失って畳に膝をついた。

だが、その静寂を破ったのは、弥三郎(二十三歳)の悲痛極まりない絶叫だった。

「うわぁぁぁぁッッ! 終わった! 完全に詰んだ! 若君、僕ぁね、もう目の前が真っ暗ですよォッ!」

弥三郎は手にした筆を放り出し、頭を抱えて総会所の板敷きを転がり回った。首筋の古傷をバリバリと狂ったように掻きむしり、涙と鼻水を垂らしながら俺の足元へすがりついてくる。

「何が詰んだって、全部ですよ! 全部! あんた分かってんですか!? 親父殿が生きてたからこそ、俺たちの四割上納スキームも火薬の現地調達も、本家公認の免罪符として通用してたんですよ! その大黒柱が消えた瞬間に、本家の家督を継ぐのはあの冷酷無比な義久様ですよ! 歳久様が帳簿を精査して『この五男坊、裏でやりすぎだ』って一発で取り潰しに来ますよォッ!」

「弥三郎、喚くな。本家の動向なら道純と岩崎に監視させている」

「本家だけならまだマシですよォッ!」

弥三郎は顔を跳ね上げ、血走った目で大隅の山並みを指差した。

「外ですよ、外ッ! 『島津の英主・貴久が死んだ』なんて報せが大隅や日向に広まったらどうなると思ってんですか! 肝付も、伊東も、禰寝も、相良も、周りの狂犬どもが全員『今こそ島津を叩き潰す好機だ!』って一斉に牙を剥いて押し寄せてきますよ!」

弥三郎の叫びは、戦国乱世の権力交代期における絶対の真理を突いていた。

周囲の敵対勢力から見れば、島津を四十年率いた「雄・貴久」の死は、薩摩の軍事力が崩壊した合図にしか見えない。

後を継いだ義久・義弘・歳久・家久の四兄弟が、父を遥かに凌駕する「戦国最強の暴力装置と知性」を秘めた怪物たちであることなど、まだ薩摩の外の誰も知らないのだ。

「特にこの大隅ですよ! 肝付の残党や周辺の土豪どもが『本家の後ろ盾を失った獅子目と飯隈など、ひと呑みにしてくれるわ!』って、真っ先に俺たちの首を刈りに殺到してきますよォッ! どこが八百五十人の新体制ですか! 秒で包囲されて皆殺しですよォッ!」

「若君! 薩摩本丸より、新当主・義久様の使者が到着いたし申した!」

飯隈総会所の板敷きに、道純が濡れ蓑を翻して滑り込んできた。

広間を満たす重苦しい沈黙。

貴久の訃報が届いてからわずか五日。本家が喪に服す暇もなく、早くも新体制からの「査定」という名の刃が、この大隅の最前線へ突きつけられたのだ。

「通せ」

俺は薄板の帳簿を脇に置き、姿勢を正した。

入室してきたのは、本丸の目付頭を務める冷徹そうな中年の武士だ。その眼光は、十三歳の妾腹の小倅を見る目ではなく、背後に広がる飯隈の広大な隠し田や、整然と並ぶ孟宗竹の防弾竹束を油断なく値踏みする光を宿していた。

使者は床に膝をつき、上等の奉書紙に記された義久の朱印状を差し出した。

「又八様。大殿の御逝去に伴い、島津家督は長男・義久様が正式に継承あそばされました。ついては、大隅・獅子目ならびに飯隈の守備について、新当主より直々の言上がございます」

「拝聴いたす」

俺が頭を下げると、使者は冷え切った声で読み上げた。

「『今般の大殿の喪に付け込み、日向の伊東、肥後の相良、ならびに肝付の残党どもが一斉に不穏の動きを見せておる。薩摩本軍は国境の防備に全力を注ぐゆえ、大隅の飛び地に援軍や兵糧を送る余力は一切なし。又八は、自らの手勢八十をもって、死力を尽くして現地を維持せよ。万が一、敵に拠点を奪われ本家の恥を晒すようであれば、即座に改易・切腹を申し付ける』……以上でございます」

「なッ!?」

部屋の隅で平伏していた甚兵衛が、白髪混じりの髭をワナワナと震わせた。

「援軍も兵糧も出さぬばかりか、奪われれば腹を切れと申すか! 大殿がおわした頃の情けは、一片も残っておらぬというのかッ!」

「甚兵衛、控えろ」

俺は鋭く一喝し、使者へ向けて静かに頭を下げた。

「新当主・義久兄上の御下命、しかと承り申した。大隅の地、一歩たりとも敵に渡さぬよう死守いたしましょう」

「見事な覚悟。では、これにて」

使者は慇懃に一礼し、立ち去っていった。その足音が遠ざかった瞬間、張り詰めていた空気が爆発した。

「ほら見ろォッ! 言わんこっちゃない!」

弥三郎が総会所の柱に頭を打ち付け、喉が千切れんばかりに叫んだ。

「『手勢八十をもって死守せよ』だぁ!? 本家は俺たちが八百五十人抱え込んでることも、高須で船を回してることも、全部知らないふりをしてやがるんですよ! 都合のいい時だけ切り捨てて、負けたら腹を切れ!? 完全にブラック大名家の極悪子会社扱いじゃないですかァッ!」

「弥三郎、喚くな。義久兄上の判断は、最高権力者として極めて合理的だ」

俺は立ち上がり、使者が残した朱印状を懐に収めた。

(義久兄上と歳久兄上は、俺たちを完全に試している。貴久公という庇護者が消えた今、五男坊が自力で生き残れる本物の牙を持っているか、それともただの口先だけのガキかを冷酷に値踏みしているんだ)

ここで泣き言を言って本家にすがりつけば、即座に「無能な危険分子」として取り潰される。

逆に、本家の助けなしに大隅の襲撃を完封してみせれば、義久体制における「不可欠な東部司令官」としての地位を確立できるのだ。

ササッ、と物見台から滑り降りてきた道純が、息を乱して報告を叩きつけた。

「若君! 敵の動き、急でございます! 肝付の残党部隊三百、ならびに高隈山系の不満土豪百五十……計四百五十が、『島津の喪に乗じて獅子目を焼き討ち、高須の塩蔵を奪い取れ』と気勢を上げ、すでに飯隈と獅子目の間道へ侵入を開始いたし申した!」

「来やがったァッ!」

弥三郎が十文字槍をひっつかみ、悲鳴を上げながら床を蹴った。

「四百五十の暴徒ですよ! 獅子目の炭窯も、高須の塩田も、飯隈の麦畑も、全部焼き払われたら三年分の投資が全部パーですよォッ!」

「弥三郎、甚兵衛、道純」

俺は十三歳の身体から、戦国大名のそれに匹敵する冷徹な殺気を解き放った。

「四拠点網の防衛計画を即時発動する。山で誘い、川で分断し、平野で包囲し、海への退路を塞ぐ。八百五十人の力を結集し、攻め寄せてきた狂犬どもを一匹残らずこの大隅の肥やしにしてやるぞ」

物見の楠行者衆が鋭い口笛で合図を飛ばした瞬間、飯隈の平野を潤す姶良川支流の浅瀬に張り詰めていた静寂が破られた。

大隅の不満土豪と肝付の残党部隊、総勢四百五十。

「島津貴久の喪に乗じて獅子目を焼き払い、高須の塩蔵と麦を奪い取れ」と喚き散らしながら、泥水を跳ね上げて怒涛の勢いで押し寄せてくる。

「若君! 敵、四方から完全に殺到してきますぜ!」

土手に伏せた弥三郎が十文字槍の柄をぎりぎりと握り締め、引きつった笑いを浮かべて叫んだ。その首筋の古傷をさする指先は、極度の緊張と恐怖で小刻みに震えている。

「正面の浅瀬から二百、飯隈の平野へ抜ける間道から百五十、裏の炭窯へ百! 完全に俺たちをすり鉢の底に閉じ込めて焼き殺す気満々ですよ! 僕ぁね、もう胃どころか胆のうまで破裂しそうですよォッ!」

「騒ぐな弥三郎。敵の進軍ルートは、三日前から我が四拠点網の想定範囲の中に収まっている」

俺は土塁の上で手元の薄板を指先でパチンと弾いた。

(本丸の義久兄上は『手勢八十で死守せよ、負ければ腹を切れ』と冷酷に切り捨ててきた。だが、俺たちがこの五年間で築き上げたのは、八十人の孤立無援の砦などではない。山・川・海・平野が連動する、総勢八百五十人の自給自立要塞だ)

「道純、大姶良城の動きはどうなっている?」

「はっ」

道純が低く応じた。

「城代・橋口但馬守、城門を固く閉ざして兵を一歩も出さず、完璧な静観を決め込んでおりまする。肝付残党からの合流要請も『城の守りを固めるのみ』と突っぱね、我が蒲生との境界を完全に傍観しておりまする」

「上出来だ」

俺は冷徹に頷いた。

橋口は味方ではない。だが、自領の保身と高須の塩・木炭の利権を守るため、敵にも味方にも加担せず「何もしない」という選択を貫いている。横槍が入らないと分かっていれば、目の前の四百五十を料理するのは容易い。

「甚兵衛、道純!」

「応ッ! ここにおわしますぞ、若君!」

甚兵衛が愛用の樫の丸太をドンと突き立て、白髪混じりの髭を逆立てて仁王立ちした。

「第一段階、執行だ。獅子目の炭窯へ向かった敵百名には、孟宗竹の防弾竹束を盾にした精密射撃を浴びせ、山奥の隘路へ釘付けにしろ。飯隈の平野へ向かった百五十名には、開墾地の遮断溝と暗渠パイプの落とし穴へ誘い込み、半農半兵の機動守備隊で包囲殲滅する」

「ははっ! 蒲生八幡の御神木ならぬ、飯隈要塞の威光を見せてくれるわい!」

甚兵衛が咆哮し、射撃部隊を率いて山林へと散っていった。

「そして――この正面の浅瀬に突っ込んできた敵主力二百名」

俺は冷徹に眼下の泥水を見下ろした。

「弥三郎、工兵班に合図を出せ。新田開発のために上流に築いた『農業用貯水池の仮堰』を落とせ!」

「へいへい! 了解ですよォッ!」

弥三郎が手にした十文字槍を掲げて鋭い合図を振った。

直後、上流の竹林の奥で工兵班が一斉に仕掛けの綱を切り落とした。

ゴオオオオッ、と轟音が響く。

溜め込まれていた大量の農業用水が土砂とともに一気に解き放たれ、濁流となって浅瀬へ雪崩れ込んだ。腰まで泥水に浸かり、急流に足を取られて身動きを奪われる敵兵たち。

「な、何じゃ!? 川の水が一気に増水したぞ!?」

「足が抜けん! 泥濘に足を取られて動けんッ!」

恐慌に陥る敵軍。

楠千代丸たちが三年かけて掘削した暗渠排水と水利網は、平時には豊かな田畑を潤し、戦時には敵を呑み込む自前の防衛兵器となる。

「退路遮断、機動性喪失率八割」

俺は右手を高く掲げた。

「飯隈遊撃隊、両岸から挟撃! 崖上の射撃班、一斉射撃開始!」

バシュッ、バシュッ、ビュンッ!

孟宗竹の強弓から放たれた矢の雨と、投石器から打ち出された鋭利な礫が、逃げ場を失い密集した敵の頭上へ容赦なく降り注いだ。さらに川岸の藪からは飯隈の屈強な遊撃部隊が飛び出し、長槍で川底の敵を次々と討ち取っていく。

一方、高須港へ通じる下流の河口付近では、あらかじめ配置されていた海上警備衆が船団で川筋を完全に封鎖し、敵の敗走兵が海側へ抜ける退路を完璧に塞いでいた。

わずか一刻足らずの電撃戦。

四方から攻め寄せてきた四百五十の暴徒は、自前の四拠点網の連携による各個撃破によって、死傷者百数十名を出して完全に壊滅・潰走していった。

戦闘が終わった夕暮れ。

硝煙と血の匂いが漂う川岸で、弥三郎が十文字槍を杖代わりに突っ立ち、呆然と川面を見つめていた。

「若君。僕ぁね、もう鳥肌が止まりませんよ」

弥三郎は首筋の古傷をボリボリと掻きむしり、引きつった笑いを浮かべた。

「本家から一兵の援軍も兵糧も貰わずに……四百五十の軍勢を、山と川と平野と海で挟み撃ちにして完封しちまいましたよ。これ、本丸の義久様や歳久様が知ったら、腰を抜かしますぜ」

「ああ。だからこそ、この結果をありのままに報告する」

俺は手元の薄板を懐に収め、薩摩本丸の空を見上げた。

数日後、薩摩・鹿児島城下。

島津家新当主・島津義久と、その弟・歳久のもとへ、大隅の五男・又八からの簡潔極まりない戦勝報告が届けられた。

『大殿の喪に乗じ来襲せる賊徒四百五十、大隅の自前陣地と山河を活かして迎撃、ことごとく撃退せしめ候。拠点は一歩も譲らず、防備万全にこれあり』

報告書を読んだ義久は、漆黒の瞳を細め、静かに息を吐き出した。

「援軍も兵糧も出さぬと突き放したというのに、四百五十の軍勢を自力で一蹴したか。又八、いつの間にか大隅の山奥に、とんでもない牙を隠し育てておるな」

その横で、扇子を弄んでいた歳久が、冷や汗を拭いながら苦笑いを浮かべた。

「兄上。あの五男坊、ただの妾腹の小倅などではございませぬぞ。捨て石どころか、大隅東部を丸ごと呑み込む不気味な要塞になりつつあります」

父・貴久という絶対の後ろ盾を失いながらも、自らの力で死線を乗り越え、本家にその存在感を決定づけた楠千代丸。

その噂を聞きつけ、薩摩の奥底から、もう一人の「規格外の怪物」が動き出そうとしていた。

次は朝7時投稿です。

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なんか本家が弟の足を引っ張る事ばかりに夢中な無能に感じる
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