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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第2部「獅子目兵站記」

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第30話 新体制の確立と850人の兵站マネジメント

元亀二年(一五七一年)二月中旬。

飯隈の平野を渡る風には、まだ冬の名残の冷たさが混ざっていたが、日差しには確かな春の気配が宿り始めていた。

奪還された飯隈の旧砦――その中心に急造された「飯隈総会所」の板敷き大広間には、何十枚もの薄板の帳簿と、算盤の乾いた音が慌ただしく響き渡っていた。

「若君。僕ぁね、もう数字の羅列を見るだけで、目が霞んで吐き気がしてきましたよ」

長机の端に突っ伏し、首筋の古傷をポリポリと掻きむしりながら呻いたのは弥三郎(二十三歳)だ。

二十代に入り、精悍な武士の顔つきになりつつあるが、その目の下には濃い隈が刻まれ、手にした筆からは墨がぽたぽたと落ちそうになっている。

「飯隈の平地を取り戻して、ならず者どもを更生させて、他領から逃げてきた旧蒲生の連中を受け入れたのはいい。だがな! 総人口八百五十人ですよ! 八百五十人!!」

弥三郎は手元の台帳をバンと叩き、身を起こして俺の鼻先へ指を突きつけた。

「専業武士が百五十人! 楠行者衆が五十人! 高須の海上警備と船頭が六十人! 飯隈の半農半兵が八十人! そして鍛冶や大工の職人、農民、女子供を合わせたら……五百人以上の扶養家族ですよ! 一日に消費される米と雑穀がどれだけの量になるか分かってんですか! 山奥のゲリラ部隊の飯の量じゃない! 完全に一万石クラスの大名の兵站ですよォッ!!」

「弥三郎、喚くな。数字が大きくなったのは、我が領地の生産力と防衛力がそれだけ拡大した証拠だ」

俺――十三歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)は、広間の上座で腕を組み、手元の薄板に炭で引いた「大隅四拠点統合一覧表」を冷徹に見つめていた。

十三歳。元服こそまだ迎えていないが、背丈は急速に伸び、前世の中間管理職としての冷徹な観察眼と、今世で修羅場をくぐり抜けてきた領主としての風格が自然と備わりつつあった。

「人が増えたから資源を増やすのではない。増えた人口という最大の手持ち資源を、最も効率的な持ち場へ配置して制度化するんだ」

「せいどか……? また若君の小難しい絵図面ですか」

弥三郎が引きつった笑いを浮かべる。

俺は立ち上がり、壁に掲げられた大隅南部の巨大な木製地図を指し示した。

「これまで我らは、場当たり的に拠点を広げてきた。だが、八百五十人を恒常的に食わせ、戦備を維持するには、四つの拠点の役割を完全に分業・統合した『新統治体制』を敷く必要がある」

俺は地図上の拠点を順に叩いた。

* 【獅子目(山林・要塞・秘密工房)】

* 機能: 本営・研究開発・迎撃拠点。

* 主産物: 木炭、竹炭、竹紙、シイタケ原木栽培、石鹸、火薬調合、武器内製化(鍛冶工房)。

* 配置: 専業武士五十名+楠行者衆五十名(山岳防衛・早期警戒)。

* 【大姶良(川筋・水運・緩衝地帯)】

* 機能: 舟運ラインの維持と、大姶良城代・橋口家との境界管理。

* 主産物: 姶良川の水利権、木材・木炭の下流流送。

* 配置: 巡回警備班二十名(不可侵協定の監視)。

* 【高須(海洋・港湾・交易ハブ)】

* 機能: 外貨獲得・塩と水産物の供給・海上兵站。

* 主産物: 循環式枝条架による極上純白塩、干物・塩蔵魚、薩摩本国・博多との交易益。

* 配置: 海上警備衆六十名+船頭・製塩労働者。

* 【飯隈(平野・農業・兵站集積ハブ)】

* 機能: 食糧増産・大規模倉庫群・軍馬育成・全軍調練場。

* 主産物: 暗渠排水による隠し田(米・麦)、大豆、軍馬。

* 配置: 専業武士八十名(機動守備隊)+半農半兵八十名。

「山(獅子目)で作り、川(大姶良)で運び、海(高須)で稼ぎ、平野(飯隈)で食わせて鍛える。この四拠点供給網を一つの円として循環させるぞ」

淀みない説明に、広間の空気がシーンと静まり返った。

長机の端で控えていた甚兵衛(六十三歳)が、白髪の髭を震わせて感涙の声を上げる。

「おお……! 獅子目、大姶良、高須、飯隈……! 点であった我が蒲生の領地が、一本の太き縄のごとく結ばれたのじゃな! 若君、これぞ真の国造りにございますぞ!」

「爺様、感動するのは台帳の数字を合わせてからにしなさいよ!」

弥三郎が叫びつつも、その眼光は鋭く手元の台帳へと戻っていた。

「分かりましたよ。四拠点の役割分担は完璧だ。でもね若君! この八百五十人からどうやって税を取り、どうやって給与を配分するんです? ならず者上がりの農民に重税をかけたら一発で逃散しますし、かといって甘やかしたら武士団の飯が足りなくなりますよ!」

「当然だ。だからこそ、税制と給与体系の『二段構え設計』を導入する」

俺は薄板を裏返し、新たな統治規則を提示した。

「税制と給与体系の、はいぶりっど設計……?」

飯隈総会所の大広間。弥三郎(二十三歳)は手拭いで額の脂汗を拭い、首筋の古傷をボリボリと掻きむしりながら、警戒心丸出しで俺を見つめた。

「若君、またそうやって横文字で煙に巻く気でしょうが! 現場で徴税と配給をやらされるのは俺なんですからね! わかりやすく日本語で言ってくださいよォッ!」

「簡単だ、弥三郎」

俺――十三歳の楠千代丸(島津又八)は、手元の薄板を指先でトントンと叩いた。

「この八百五十人を統治するにあたり、中世の旧態依然とした一律の年貢・労役を廃止する。領民の技能と役割に応じて、負担と報酬を三つに最適化するんだ」

俺は薄板に刻んだ三本の柱を読み上げた。

* 【第一の柱:開拓農民・更生要員への『傾斜免税と出来高買い取り』】

* 施策: 飯隈の平地を開墾する更生組(元・野盗や難民)には、最初の二年間は年貢を半免とする。その代わり、増産された余剰米・大豆は高須の市場価格で蒲生会所が全量買い取る。

* 狙い: 逃散を防ぎ、生産意欲を極大化させ、食糧備蓄を会所に集中させる。

* 【第二の柱:専業武士・専門職への『現物+銭の二段給与制』】

* 施策: 甚兵衛率いる専業武士百五十名と職人集団には、生活に必要な最低限の主食(米・干物・塩)を現物支給し、残りを高須交易で稼いだ銭で月給制として支払う。

* 狙い: 兵糧米の無駄な流出を抑えつつ、高須や大姶良の市場で消費させて経済を循環させる。

* 【第三の柱:水利・基盤の『共同管理組合化』】

* 施策: 姶良川から飯隈への用水路・暗渠パイプの維持管理を、大姶良の橋口家と共同の労役事業にする。

* 狙い: 境界での水争いを根絶し、隣国との不可侵密約を実利でガチガチに固定化する。

「な、なるほどな」

弥三郎が目を剥き、算盤の上で指を猛烈な勢いで滑らせた。

「米を無理やり奪い取るんじゃなくて、税を軽くしてやる代わりに余った米を銭で買い集める。武士には米だけじゃなく銭を渡して、高須の市場で買い物をさせる。これなら農民は逃げ出さないし、武士も食いっぱぐれない! その上、大姶良とも水利で手が握れる!」

弥三郎の目が輝いたのも束の間、ふと我に返り、顔面を再び絶望の土気色へと染め変えた。

「って、ちょっと待ちなさいよ若君!!」

「何だ」

「農民の収穫量の査定、米の買い取り価格の調整、百五十人の武士への俸禄の計算、高須の商人との銭勘定、大姶良との水路普請の現場監督…… これ、全部誰が帳簿つけて現場を走り回ると思ってんですかァッ!!」

「弥三郎」

俺は立ち上がり、静かに二十三歳の現場主任の肩に手を置いた。

「お前を本日付で、蒲生領・四拠点統合の**『筆頭家老(民政総括首席役)』**に任命する」

「やっぱり俺かァァーーッッ!!!!」

弥三郎の喉が張り裂けんばかりの絶叫が、総会所の梁をビリビリと震わせた。

頭を抱えて板敷きを転がり回り、手拭いを噛み締めて足をバタつかせる。

「僕ぁね! もう訴えますよ! 出るとこ出ますよ!! なんで二十三歳の若造が、八百五十人の大所帯の家老なんぞやらなきゃならんのですかァッ! 完全に大名家の筆頭重臣の仕事量じゃないですか!! 俺の胃に風穴が開いたら若君のせいだからなァッ!!」

「だまりゃ弥三郎ッ! 若君直々の御下命じゃぞ!」

横から甚兵衛(六十三歳)が樫の丸太をドンと突き立て、白髪混じりの髭を逆立てて怒鳴りつけた。

「弱冠二十三にして蒲生の家老職! 蒲生八幡の御神木もお喜びじゃ! 泣き言を垂れずに帳簿をすり減らすまで筆を走らせんかい!」

「爺様ァッ! あんたは射撃訓練だけやってりゃいいから気楽でいいよなァッ!!」

祖父と孫の凄まじい怒号の応酬に、居並ぶ武士や職人たちがドッと笑い声を上げる。

文句を喚き散らしながらも、弥三郎の手はすでに猛烈な勢いで給与台帳と徴税帳面を整理し始めていた。

獅子目の山、大姶良の川、高須の海、そして飯隈の平野。

生産・流通・軍事・行政が完璧に噛み合った「八百五十人の自立経済圏」が、ここに盤石の完成を見たのだ。

だが――この大隅の片隅で築き上げた完璧な統治システムが、最大の「後ろ盾」を失う時が、すぐそこまで迫っていた。

時に元亀二年(一五七一年)六月。

薩摩・島津本家を四十年にわたり率い、千代丸の「四割上納」を認めて大隅の防波堤として庇護し続けてくれた父・島津貴久が、病により静かにその生涯を閉じたのである。

次は17字に投稿します。

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