第28話 不落の要塞化と「竹害」パニック
元亀元年(一五七〇年)六月下旬。
南国の初夏の陽光が、大隅・獅子目の谷を眩いまでの濃緑で染め上げていた。
谷の入口から見上げるシラスの断崖には、高さ五丈を優に超える巨大な緑の城壁――天を衝くように林立する孟宗竹の成竹林が、幾重にも連なって風にざわめいている。
三年前、琉球商人から史実より百七十年も早く密輸した、わずか三株の根株。
それが今や、獅子目のすり鉢状の地形を完璧に取り囲む天然の防壁へと成長を遂げていた。
「見よ、弥三郎! この獅子目の要塞化された威容を!」
十二歳になった楠千代丸は、砦の物見台に立ち、手元の薄板を指先でパチンと弾いた。
背丈も伸び、少年らしい引き締まった体躯になりつつあるが、その胸中にあるのは前世のコンサルタントとして組み上げた資源循環体制への絶対の自信だった。
「防弾竹束に、地中の暗渠排水、兵糧庫を満たす塩漬け筍。防衛、土木、食糧、すべてにおいて我が軍勢の生産性と生存率は最大化されたぞ!」
「ガハハ! まことじゃ、まことじゃあぁぁっ!」
物見台の横で、樫の丸太をドンと突き立てて咆哮したのは甚兵衛(六十二歳)だ。
還暦を過ぎてなお白髪混じりの髭を逆立て、全身から湯気を立ち昇らせている。
「蒲生八幡の御神木ならぬ、獅子目の神竹林! 若君が植えられたこの緑の槍衾があれば、肝付の軍勢が何万押し寄せてこようと指一本触れさせませぬぞッ! 弥三郎、見惚れておらんと若君を称えんかい!」
物見台の階段の下、十文字槍を杖代わりに突っ立っていた弥三郎(二十二歳)は、一切笑っていなかった。
眉間にはこの世の終わりのような深い皺が刻まれている。
その死んだ魚のような濁った眼は、青々と茂る竹林ではなく、砦の裏手――かつて開墾したはずの麦畑と堆肥小屋の方角をじっと見据えていた。
「おい、若君」
低く、地を這うような、震える声だった。
「何だ、弥三郎。防弾竹束の追加発注なら、鍛冶工房の職人と相談して――」
「黙れ」
「え?」
「黙れつってんだよォォォォッッ!!!!」
弥三郎の喉が張り裂けんばかりの絶叫が、初夏の青空を突き破った。
十文字槍を投げ捨て、物見台の階段をドタドタと駆け上がってくる。その顔面は怒りと絶望と疲労で土気色を通り越し、紫色の血管が額に幾筋も浮き上がっていた。
「な、何じゃ弥三郎! 若君に対して無礼な――」
「爺様はすっこんでろッ! 貴様も同罪だァッ!!」
弥三郎は甚兵衛を力任せに突き飛ばすと、千代丸の胸ぐらに顔を数寸の距離までねじ込んできた。飛び散る唾が頬にかかる。
「若君ィィッ!! あんた、三年前になんて言いました!? 『孟宗竹は万能の建材だ! 成長が早い! 谷一面を覆い尽くす勢いで植え広げろ! 好循環だ!』って、鼻の穴膨らませて喚いてましたよねえッ!?」
「あ、ああ……資源効率の最大化を図るための先行投資として――」
「その好循環のせいで、今うちの領地が物理的に消滅しかけてんだよォォッッ!!!!」
弥三郎は千代丸の腕を強引に引っ張り、物見台の柵から身を乗り出させた。
そして、すり鉢状の谷のあちこちを、狂乱の指先で激しく指し示した。
「見ろ! あの裏の麦畑をッ!!」
見下ろした千代丸の視界に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。
領民たちが汗水垂らして耕したはずの黄金色の麦畑――その畝のど真ん中を、アスファルトを突き破る杭のように、無数の太い筍と若竹がバリバリと土を割って突き破り、畑一面を串刺しにしていたのだ。
「春先は『筍が食えるぞ美味いぞ』ってみんなで喜んでましたよ! だがな、初夏になった瞬間、一日で三尺も伸びやがった! 昨日刈った場所の隣から、今朝にはまた新しい筍が出てやがる! 麦の根は全部ズタズタ、畑の半分が竹藪に呑み込まれましたよッ!!」
弥三郎の悲鳴は止まらない。
「それだけじゃねえ! 見ろ、豚の放牧場をッ! 柵の真下から極太の地下茎が這い出して、丸太の柵を根こそぎ薙ぎ倒しやがった! 逃げ出した琉球猪豚どもが山林で大暴れして、行者衆が仕込んだシイタケの原木を片っ端からへし折ってドングリと一緒に貪り食ってんだよォッ!!」
「な……ッ!?」
「さらに堆肥小屋の床板は突き破られ、沢沿いの水路には竹の根がビッシリ詰まって水が逆流し、居住区の掘立小屋の畳の下から筍がこんにちはしてんだよォォッ!!」
弥三郎は頭を抱え、物見台の板敷きに崩れ落ちて足をバタつかせ、咽び泣くように叫んだ。
「僕ぁね! もう訴えますよ! 出るとこ出ますよ!! なんで二十二歳の侍が、敵の軍勢と戦う前に、若君が植え散らかした緑の狂植物と二十四時間休みなしで戦わなきゃならんのですかァッ! この山奥に口入れ屋の元締めを呼んでこいッ!!」
「み、弥三郎……いや、これは……」
千代丸の背筋を、冷たい汗が滝のように流れ落ちていった。
「だ、だまりゃ弥三郎ッ!」
横から甚兵衛が樫の丸太を抱え直し、白髪混じりの髭を震わせて怒鳴りつけた。
「蒲生八幡の御神木ならぬ、獅子目の神竹じゃぞ! 成長が早いのは若君の御威徳の賜物ではないか! 畑が潰れたなら、筍を煮て食えばよいのじゃあぁぁっ!」
「毎日毎食筍ばかり食えるかァァッ!!」
弥三郎が物見台の床板をバンバンと叩いて絶叫する。
「朝は筍飯、昼は焼き筍、夜は筍汁! 領民全員、肌がツヤツヤになるどころか繊維の取りすぎで腹がパンパンなんですよォッ!!」
祖父と孫の凄まじい怒号の応酬。
だが、その叫び声を聞きながら、千代丸の脳内では冷え切った計算思考が猛烈な勢いで回転を始めていた。
(言い訳は通用しない。完全に俺の設計上の過失だ)
椿の過密植栽によるチャドクガ大発生と同じ構造。
初期の成長速度と調達効率に目を奪われ、孟宗竹という異次元の生態系増殖速度を考慮から除外していた。
だが、前世の事業再生屋が叩き込まれた鉄則は一つ――発生した損失は、新たな収益源へと転換して相殺することだ。
「弥三郎、甚兵衛。騒ぐな」
千代丸は懐から薄板を取り出し、炭で大きく三つの転換計画を書き殴った。
「植えすぎたのは俺の責任だ。これより、この暴走する孟宗竹をすべて資源へと転換する『緊急伐採・用途拡張作戦』を発令する」
「は? 用途拡張……?」
弥三郎が涙目で顔を上げる。
「第一に『竹炭』の大量焼成だ。孟宗竹は木炭よりも火力が強く、煙が少ない。これを獅子目の炭窯で焼きまくり、高須の製塩平釜の燃料、ならびに鍛冶工房の還元剤として全量投入する」
「第二に『竹紙』の製造体制立ち上げだ。若竹の繊維を砕いて水に晒し、従来のコウゾ和紙よりも安価で大量に刷れる梱包紙・記録紙を量産する。高須港から薩摩商人へ売り捌くぞ」
「そして第三に『物理的な遮断溝』の掘削だ。麦畑、住居区、シイタケ原木林の周囲に深さ三尺の溝を掘り、地下茎の先端を片っ端から露出させて切り落とす。切った地下茎は豚の囲いに放り込み、極上の飼料として処理させる」
千代丸は薄板を弥三郎の目の前に突き出した。
「侵食された麦畑の損失は、竹炭と竹紙の外貨獲得で補填する。これで作戦の損益分岐点は完全に黒字へ反転するぞ」
静まり返る物見台。
弥三郎は手元の薄板にびっしり書かれた計画図を凝視し、やがて深々と、魂の抜けたような息を吐き出した。
「はぁぁ。言ってる理屈は恐ろしいほど筋が通ってますよ」
弥三郎は首筋の古傷をさすりながら、立ち上がった。
「失敗したと思ったら、秒でその厄介物を全部金と豚の餌に化けさせる……。相変わらず、頭の回転だけは化け物ですね。でもね若君! その深さ三尺の溝を掘って、竹を根こそぎ伐り倒すのを誰がやると思ってんですかァッ!!」
「弥三郎、お前と工兵班八十名の出番だ」
「やっぱり俺かァァーーッッ!!!!」
弥三郎の絶叫が、初夏の山林へと木霊した。
「おい野郎ども! 鍬と手斧を持て! 今日から敵は肝付じゃねえ、若君が植えたこの竹共だァッ!! 根こそぎ掘り起こして炭窯に放り込めェェッ!!」
それから一ヶ月。
獅子目の谷底からは、立ち上る竹炭の煙と、竹を切り倒す小気味よい音が絶え間なく響き渡った。
遮断溝によって畑と住居区の安全は確保され、山のような竹炭が高須の製塩釜と鍛冶炉へ送り込まれ、安価な竹紙が新たな輸出品として積み上がっていく。
要塞化と産業基盤の再構築を終えた獅子目ラボは、いよいよ大隅南部を経済的に呑み込み、かつて捨て置いた「飯隈」の奪還へと動き出そうとしていた。
今日はもう一話17時に投稿する予定です。




