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第三部完『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第2部「獅子目兵站記」

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第23話 海上ピストン輸送と裏キャッシュの創出

今日はあと1回17時に更新予定です

永禄十一年(一五六八年)六月中旬。

梅雨の晴れ間、南国特有の濃い青空が広がる錦江湾は、初夏の強い日差しを浴びて鏡のように輝いていた。

大隅・高須の船溜まりには、木枠を頑丈に組み直した二艘の帆船が、潮の満ち引きに合わせてキシキシと船体を軋ませている。

「うわぁぁ! 揺れる! 酔う! 気持ち悪ィ! 若君、僕ぁね、もう内臓が口から全部飛び出しそうですよ!!」

波止場の杭に両手でしがみつき、顔面を土気色にしてえずいているのは弥三郎(二十歳)だ。

首筋の古傷をボリボリと掻く余裕すらなく、手にした積荷の勘定板を落としそうになりながら、大袈裟に天を仰いで叫んでいる。

「まだ船に乗ってもいねえのに、波の揺れを見てるだけで頭がぐるぐる回ってやがる……! なんで二十歳の侍が、泥まみれで暗渠を掘り、豚の糞を片付けたと思ったら、今度は海の荒波に揺られなきゃならんのですか! 武士の生き方じゃない! 完全に水軍の漕ぎ手ですよォッ!!」

「弥三郎、喚くな。乗り物酔いは気の持ちようだ」

俺――十歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)は、波止場の板敷きを踏みしめ、船倉へ積み込まれていく荷の列を鋭く検分していた。

十歳になったとはいえ、まだ大人の腰ほどの背丈しかない。だが、手元の薄板に炭で引いた「海上輸送収支表」を見つめる前世のコンサルタント脳は、この航海が生み出す莫大な利ざやを冷徹に弾き出していた。

(積載量は計画通り。獅子目の特産品と高須の製塩インフラが、ついに一つの巨大なキャッシュマシーンとして回り始める)

船倉に整然と敷き詰められているのは、大隅の山と海が生み出した最高密度の換金物資たちだ。

* 【獅子目石鹸】:椿油と木灰から精製した高品質サボン五百個。上等の蒲生和紙で個包装済み。

* 【高須の純白塩】:循環式枝条架タワーとクヌギ木炭で焼き上げた、灰汁のない極上塩・百俵。

* 【極上クヌギ木炭】:獅子目の原生林で焼成した、鍛冶・茶の湯用の高品質白炭・五十俵。

* 【塩蔵魚・干物】:高須の沿岸で水揚げされ、純白塩で締めたキビナゴとアジの干物・三十樽。

「若君! 蒲生水軍の一番船、積込み完了にございますぞッ!」

波止場から太い咆哮を上げたのは甚兵衛(六十歳)だ。

白髪混じりの髭を潮風になびかせ、腰に差した太刀の柄を叩きながら、全身から湯気を立てて仁王立ちしている。

「見よ、この誇らしき船姿を! 亡き範清様の御無念を晴らすべく、我が蒲生の富が錦江湾を渡り、薩摩の喉元へ突き刺さるのじゃあぁぁっ! 若君、ご下命を! この老骨が先頭に立って舵を握り、いざ波頭を越えて参りましょうぞ!」

「甚兵衛、お前は舵を握るな。船を岩礁にぶつけて沈める気か」

俺は即座に老臣を制止し、手元の薄板で頭を軽く小突いた。

「操船は、高須の浜で抱き込んだ元漁師と船頭衆にすべて任せろ。お前と射撃班の役割は、船倉に積んだ『富』を海賊や不審船から守る護衛警備だ。敵が寄せてきたら、弓と投石で近寄らせるなよ」

「ははっ! 蒲生八幡の御神木の守護者として、積荷の一粒たりとも海賊どもに渡してなるものですかッ!」

甚兵衛が胸を叩き、配下の武士たちへ号令を飛ばす。

その横で、ようやく息を整えた弥三郎が、胃のあたりを押さえながらジト目で俺を見下ろしてきた。

「で、若君。船を出すのはいいとして、行き先はどこなんです? まさか島津本家の目の前――鹿児島城下の港へ堂々と乗り付ける気じゃないでしょうね? そんな真似したら、正室トリオ(義久・義弘・歳久様)の目付に一瞬で積荷を丸ごと没収されて、俺たち全員打ち首ですよ」

「そんな愚かな真似をするはずがないだろ」

俺は冷徹に鼻を鳴らし、錦江湾の対岸――薩摩半島の南端を指差した。

「目指すは、薩摩半島の西岸・坊津ぼうのつ、ならびに谷山たにやまの隠れ湊だ。島津本家の蔵役人の目が届かない、私貿易の抜荷商人が巣食うグレーゾーンへ直接乗り込む」

「坊津と谷山だと? 若君、あんた本当に死にたいんですか」

弥三郎は手拭いで額の冷汗を拭い、波止場の丸太に腰を落として頭を抱えた。

その瞳には、船酔いとは別の、政治的な恐怖に満ちた現実の警告が宿っている。

「坊津や谷山の湊で、石鹸や純白塩、木炭を満載した船を売り捌く……そこまではいいですよ。商人は喜んで銭や米を積むでしょう。でもね! その手に入った莫大な銭で『米』と『鉄』と『火薬』を船ごと買い付けてこの高須へ持ち帰ってみなさいよ!」

弥三郎は手元の十文字槍を砂浜に突き立て、俺の鼻先へ指を突きつけてきた。

「島津本家の蔵奉行や目付頭が、それを見逃すはずがないでしょうが! 特にあの知恵者の歳久様ですよ! 『大隅の捨て石の分際で、その大量の米や鉄を買う銭はどこから湧いたのか』『謀反の軍資金を密造しているのではないか』って、秒で詰問使が飛んできて俺たち全員打ち首ですよォッ!! キャッシュフローだか何だか知りませんけどね、銭の出所が説明できなきゃただの脱税・謀反ですッ!!」

弥三郎の痛烈な絶叫が、吹き抜ける潮風に吸い込まれていく。

完璧な正論だった。

(そうだ。前世のビジネス感覚で『儲かった資金で設備投資』と単純に考えていたが、ここは中世の封建社会。中央の統制を無視した独自武装は、それ自体が即座に宣戦布告と見なされる……!)

利益を出すまでは現代の経営学で突破できる。

だが、稼いだ利益をどう政治的に処理し、本家の刃を逸らすかは、この戦国乱世のルールに従わねばならない。

「弥三郎、よくぞ見抜いた」

俺は静かに息を吐き出し、薄板の輸送計画図の横に新たな「親会社連携案」を墨で書き足した。

「だからこそ、船を出す前に親父殿――大殿(貴久公)へ先手を打つ」

「お、親父殿に……?」

「道純の行者衆を使い、北の丸の母上と岩崎を通じて、大殿の私室へ極秘の書状を届けさせるんだ」

俺は手元の薄板を叩き、その内容を読み上げた。

「『獅子目および高須は、島津の大隅進出における最重要の東部橋頭堡でございます。しかし本家からの補給は望めぬ死地。ついては、現地で細々と試作した石鹸と塩を薩摩商人へ払い下げ、その売上で防衛に必要な最低限の米と鉄を自給いたしたく存じます。なお、高須での製塩利権の三割を、本家の蔵へ毎年上納いたします』……とな」

「な……! 利権の三割を差し出す代わりに、『現地での自主調達権』を公認させるのか!?」

甚兵衛が白髪混じりの髭を震わせて目を丸くした。

「そうだ。貴久公にとってみれば、捨て石として放置していた五男坊が、本家の懐を痛めずに勝手に防波堤を固め、その上、三割の上納金まで納めてくる優良案件になる。これで『本家公認の自給自足』という完璧な大義名分が手に入る。歳久兄上が怪しんで調べを入れたところで、大殿の朱印状一枚で手出しはできん」

「出たよ、親会社を巻き込んだ合法的ロンダリング……」

弥三郎が呆れ果てたように天を仰ぎ、深く息をついた。

「分かりましたよ。親父殿を味方につけて『公認の買い物』にするなら、俺も腹を括りますよ。おい船頭ども! 帆を上げろ! 薩摩の坊津へ向けて出航だァッ!!」

ギシギシと艪が軋み、改良された二艘の大型帆船が高須の湊を滑り出した。

船倉には、大隅の山と海が育んだ最高密度の富――石鹸五百個、純白塩百俵、極上クヌギ木炭五十俵、塩魚三十樽が満載されている。

錦江湾を西へと渡る航海は、驚くほど順調だった。

薩摩半島の西岸・坊津の隠れ湊へ入港した瞬間、出迎えた商人たちは、運び出された物資を見て文字通り息を呑んだ。

「こ、これは……! 灰汁の欠片もない、雪のように真っ白な塩ではないか!?」

「この木炭の締まり具合、茶の湯や刀鍛冶には喉から手が出る逸品だ!」

「南蛮サボンがこれほど……! 上方の豪商へ運べば小判の山に化けるぞ!」

競うように銀と銅銭を積み上げる商人たち。

高須の一番船が持ち込んだ特産品は、瞬く間に銭数百貫文という途方もない「裏キャッシュ」へと化けた。

そして――その莫大な利益は、千代丸の指図通り、即座に「実物資産」へと姿を変えた。

船倉へ積み戻されたのは、薩摩本国から買い叩いた余剰米二百石、種子島鍛冶の良質な鉄インゴット五十貫、そして南蛮船経由で密輸された硝石と黒色火薬の樽十数個である。

――数日後、夕闇迫る高須の港へ、ずっしりと吃水を沈めた二艘の船が静かに帰港した。

波止場で荷降ろしを見守る蒲生の武士たち。

米俵が次々と運び出され、重厚な鉄の塊と火薬樽が松明の光に鈍く照らし出される。

「若君」

荷揚げ台帳を締めくくった弥三郎が、埃まみれの顔で俺の隣へ歩み寄ってきた。

「米二百石に、鉄と火薬……。本当に船ごと買い付けて戻ってきちゃいましたね。これでうちの武器庫と兵糧倉は、大名家の支城並みにパンパンですよ」

「ああ」

「でも若君、分かってますよね? これだけの武器と兵糧を揃えちまったら、今度は隣の『大姶良城』が黙っちゃいませんよ。川を挟んだ向こう岸で、俺たちがこんなデカい力を蓄えてるのを見過ごすはずがない」

「ああ、分かっている」

俺は十歳の小さな身体を伸ばし、夜の姶良川の向こう――大姶良城の物見台が灯す微かな篝火を冷徹に見据えた。

「儲けた富は、ただ抱え込んでいるだけでは狙われる標的になる。次は、この蓄えた武力と交易益を使って、隣の大姶良勢力を盤上から無力化する外交戦略を仕掛けるぞ」

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