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第三部完『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第2部「獅子目兵站記」

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34/61

第22話 高須港の制圧と製塩サプライチェーン

すみません、明日の21時に予約してました……本日は最後です

永禄十一年(一五六八年)二月初旬。

大隅半島を東西に貫く姶良川の河口――錦江湾に面した高須の浜には、冬の引き潮に乗って吹きつける潮風が白波を立てていた。

見渡す限りの干潟と砂浜。その片隅の船溜まりに、粗末な木造の小舟が十数隻、所在なさげに揺れている。

「うわぁ、塩くせえ! 寒ィ! 風つええ! 若君、僕ぁね、もう手足の指がちぎれ飛んでどっか行っちまいましたよ!!」

砂浜の吹きっさらしの中、むしろを頭から被った弥三郎(二十歳)が、波打ち際で激しく足踏みをしながら絶叫した。

鼻の頭を真っ赤にし、首筋を掻く手もかじかんでおぼつかない。

「獅子目の山奥で木を伐り、豚の世話をして、ドロドロの暗渠を掘らされたと思ったら……今度は吹きっさらしの海辺ですか! ほら見てくださいよ、浜風のせいで着物も髪も塩を吹いてパリパリですよ! 武士の扱いじゃない! 完全に流刑人の苦役ですよォッ!!」

「弥三郎、騒ぐな。潮風で喉を痛めるぞ」

俺――十歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)は、厚手の綿入れをかき合わせ、砂浜の上にしゃがみ込んで黒ずんだ砂を一握りすくい上げた。

十歳になったとはいえ、まだ大人の腰ほどの背丈しかない。冬の強烈な海風に煽られるたび、小さな身体がぐらりと揺れる。

(この浜だ。遠浅の砂浜、強い日差し、そして背後に控える姶良川の水運と獅子目の森林資源。製塩拠点を立ち上げるには完璧な立地だ)

俺は手元の薄板に炭で引いた製塩の工程図を見つめ、前世の製造ライン設計の思考を走らせた。

戦国時代の製塩といえば、海藻に海水をかけて天日で乾かし、それを焼いて水に溶かして煮詰める「藻塩焼き」や、砂浜に海水を撒いて塩分濃度を高める「揚浜式塩田」が主流だ。

だが、それでは手間と天候リスクが大きすぎる。

「弥三郎、文句を垂れる暇があるなら、連れてきた新入りの船大工と漁師たちを呼べ。これより高須の大規模立体製塩所の普請に入るぞ」

「せいえんじょ……? また出たよ、若君の訳の分からん呪文が……」

弥三郎が死んだ魚のような目で空を仰ぐ。

その背後から、丸太を担いだ甚兵衛(六十歳)が、砂浜をドスドスと踏み鳴らしながら駆け寄ってきた。

還暦を迎えてなお白髪混じりの髭を逆立て、相変わらず全身から湯気を立てている。

「若君! 蒲生八幡の御神木たる若君の御下命とあらば、この老骨、海水を一滴残らず飲み干してでも塩を絞り出してみせますぞッ! して、何をすればよいのでございますか!」

「甚兵衛、海水を飲むな。塩分過多で血管が切れるぞ」

俺は手元の薄板を甚兵衛と弥三郎の前に突き出し、炭で描いた三層構造の棚を指差した。

「作るべきは『枝条架しじょうか式流下塩田』の試作枠だ」

「し、しじょうか……?」

甚兵衛が眉を寄せて目を白黒させる。

「砂浜の上に、孟宗竹やマダケの小枝をすだれ状に何段も吊るした高さ二間の巨大な木枠タワーを組む。そこへ姶良川から引き込んだ海水を手押しポンプ……いや、汐汲み水車で一番上まで汲み上げ、竹の小枝の隙間を伝ってポタポタと流し落とすんだ」

俺は浜風に手をかざして見せた。

「冬から春の強い浜風と日差しの中を、海水が竹枝を伝って無数の水滴となって滴り落ちる。その間に水分だけが一瞬で蒸発し、下の受皿には塩分濃度が極限まで高まった『濃厚かん水』が溜まるんだよ」

「な……! 砂浜に海水を撒いて乾くのを待つ手間がいらんのか!?」

新入りの元漁師の男が、信じられないものを見るような顔で声を上げた。

「そうだ。天候に左右される砂浜での天日干しを全廃し、風力を利用して立体的・連続的に水分を飛ばす。従来の揚浜式の三分の一の時間と手間で、十倍の濃度の塩水が手に入るぞ」

「風力で濃縮して、時間を三分の一にする……」

弥三郎が首筋をボリボリと掻きながら、呆気にとられたように呟いた。

「理屈は恐ろしいほど筋が通ってますがね。でも若君、その濃い塩水を最後に煮詰めて白い塩にするには、山のような薪が要るでしょうが! 海辺のこの砂浜のどこにそんな大量の薪があるんですか!」

「そこで、獅子目の『山』とこの高須の『海』が一本に繋がるんだよ」

俺は不敵に笑い、背後に悠然と流れる姶良川の上流を指差した。

「上流の獅子目と、海の高須が一本に繋がる……? 若君、またそんな絵に描いた餅を」

弥三郎は手拭いを首に巻き直し、姶良川の濁った水面を睨みつけながら唇を尖らせた。

「獅子目の山奥で焼いた木炭を高須の浜へ運ぶには、この姶良川を舟で下るしかないでしょうが。その川の真横に、何がドスンと居座ってると思ってんですか! 『大姶良城』ですよ! 肝付の橋口軍の本拠じゃないですかァッ!」

弥三郎は腰の十文字槍を砂浜に突き立て、胃のあたりを片手で押さえながら唸り声を上げた。

「先日の防衛戦で橋口の嫡男と手勢三百を谷底ですり潰したとはいえ、城そのものを落としたわけじゃないんです! わずか武士八十人の俺たちが、平野のど真ん中にある大姶良城を攻め落とせるわけがない。城の物見台から川筋は丸見えですよ! 舟で木炭を運ぼうとした瞬間に、崖の上から弓矢と鉄砲の雨あられで蜂の巣にされて終わりですよォッ!!」

「だからこそ、まずは夜間の強行舟運で既成事実を作るんだ」

俺は砂浜の木枠タワーを見上げながら、冷徹に言い放った。

「橋口軍は先日の壊滅で主力を失い、今は城門を閉ざして『獅子目の天狗の祟り』に怯え切っている。昼間に堂々と大船を通せば迎撃されるが、道純の行者衆が闇夜に紛れて川沿いの見張りを無力化し、吃水の浅い小舟で木炭を往復輸送すれば、敵は手出しできない」

「夜這い同然の密輸舟運ですか……!?」

弥三郎が顔を引きつらせる。

「そして弥三郎、お前が恐れている大姶良城だがな……この高須の浜を押さえた瞬間、力関係は完全に逆転したんだよ」

「は? 逆転……?」

俺は手元の薄板を裏返し、錦江湾の青い海を指差した。

「今まで、大姶良城から見れば俺たちは『陸の孤島に閉じ込められた哀れな捨て石』だった。背後の山を塞がれれば補給も退路もない袋の鼠だとな。だが、高須港が開通し、錦江湾の水運が繋がったことで何が起きた?」

俺の問いに、長机の端で耳を澄ませていた甚兵衛が、白髪混じりの髭を震わせてハッと息を呑んだ。

「ま……まさか若君! 島津本隊の軍船が、錦江湾を渡っていつでもこの高須の浜へ押し寄せられるようになった……ということでございますか!?」

「その通りだ、甚兵衛」

俺は小さく頷いた。

「本家が実際に大軍を出す必要すらない。『高須から島津の軍船がいつでも大姶良の背後を突ける』という軍事的な圧力をチラつかせるだけで、大姶良城は前面の獅子目と背面の高須から完全に挟撃される死地へ転落したんだ。怯えているのは、俺たちではなく大姶良の城代の方だよ」

「なッ……! 浜を一つ取っただけで、敵の城を丸ごと盤上で挟み撃ちにしたのか!?」

弥三郎が目を丸くし、算盤を取り落とした。

だが――そこで引き下がる弥三郎ではなかった。

大きく息を吸い込み、首筋の古傷をバリバリと掻きむしりながら、鋭い眼光で俺に詰め寄ってきたのだ。

「若君。その地政学の絵図面とやらは見事ですよ。でもね、僕ぁね、現場を預かる身として言わせてもらいますよ!!」

弥三郎は砂浜を指差し、怒涛の現実チェックを叩きつけてきた。

「高須の港を押さえたって言いますがね! この浜には元から縄張りを持ってる地元の網元や、船溜まりの問屋どもがいるんですよ! あいつらへの『港代』や冥加金はどうすんですか!?」

「……」

「それに! 獅子目から木炭を運ぶ船を誰が漕ぐんですか! 船頭の飯と手間賃はどこから出るんです! 薪を積む船そのものは何処にあるんですか! 焼いた塩を誰が買ってどこへ運ぶんです! 沖合に錦江湾の海賊が出たら誰が追い払うんですか! 『高須を押さえた、完璧だ!』って若君は胸張ってますけどね、港の既得権益層は今にも鍬と銛を持って殴り込んでくる寸前ですよォッ!!」

弥三郎の絶叫が、吹きつける潮風を切り裂いた。

痛烈極まりない現場からの突き上げ。

(くっ。供給網の川上と川下を繋ぐ論理に気を取られ、現場の利権調整と航行コストの計算が甘かったか……!)

前世の計算思考が弾いた美しい事業計画が、戦国の泥臭い人間関係と既得権益の壁にガツンと衝突する。

全体最適に突き進む俺のブレーキ役として、この現場主任のリアリズムは百点満点だった。

「弥三郎、落ち着け」

俺は深呼吸し、手元の薄板に墨を走らせた。

「網元や問屋には、これから焼く極上の純白塩の専売取扱権を一部分け与える。海賊には、島津本家の旗をチラつかせつつ塩と干物の通行税で手打ちにする。船頭と船の手配は、新入りの元漁師たちを組織化して直営の運搬衆を仕立てるぞ」

「へっ! 結局、俺がその荒くれ者どもの間を泥まみれで走り回って頭を下げるんでしょうがァッ!!」

弥三郎は吐き捨てるように叫びつつも、即座に手元の帳面を開き、問屋衆の名前と必要な配分を猛烈な勢いで書き留め始めた。

――それから数日後、高須の砂浜で最初の「枝条架濃縮」の火入れ実験が行われた。

高さ二間の竹組みタワーに吊るされたマダケの小枝のすだれ。

汐汲み水車で海水を汲み上げ、上からポタポタと滴らせて風に晒す。

強い浜風が水分を奪い、下部の木樋に溜まったかん水を、獅子目から運んだクヌギ木炭で沸かした大平釜へと注ぎ込む。

パチパチと青白い炎が立ち上り、白い蒸気が浜一面を覆った。

やがて釜の水分が蒸発し――

「若君。白いには白いですがね」

弥三郎が平釜を覗き込み、冷え切った目で俺を見下ろした。

「これ、思ったより少なくありませんか?」

「……」

「海水を三桶も汲んで、一日中水車を回して、クヌギの極上木炭を山ほどくべて……取れた塩が、椀に山盛り一杯ポッチですよ? 燃やした炭の代金と運搬の手間を考えたら、これ、大赤字じゃありません?」

弥三郎の冷徹な指摘に、俺は喉元を詰まらせた。

(しまった。濃縮工程の歩留まりを甘く見積もりすぎていた……!)

現代の知識にあった枝条架式は、一回海水を通しただけで濃厚な塩水になるような魔法の装置ではない。

海水から水分を飛ばして塩分濃度を高めるには、一度下に落ちたかん水を何度も水車で上へ戻し、枝条架の中を何重にも循環させて徐々に濃度を限界まで引き上げる工程が不可欠だったのだ。

「弥三郎、設計を変更する」

俺は手元の薄板を取り出し、即座に構造図を書き直した。

「枝条架タワーを三段に増やし、下部に循環用の溜め池を掘れ。一度通した海水を捨てず、濃度が三倍、五倍になるまで何度もタワーの頂上へ汲み上げて繰り返す。極限まで濃縮したかん水だけを平釜へ送るんだ。そうすれば、釜焚きに使う木炭の消費量は今の五分の一まで激減する」

「最初からそう言ってくださいよ! おい船大工ども、タワーの段数を増やして溝を掘り直すぞァッ!!」

弥三郎が怒鳴り声を上げ、現場が再び慌ただしく動き出した。

試行錯誤を重ねることさらに十日。

改良された循環式枝条架タワーから送り込まれた極濃かん水が平釜で煮詰められ――今度こそ、釜の底一面に雪のような純白の結晶が分厚く盛り上がった。

「お、おおお……! 白い! 灰汁のない、本物の極上塩が山のように……!」

甚兵衛が平釜の前に膝をつき、熱々の塩を一握りすくい上げて涙を流した。

その日の夕刻、高須の船溜まりには、獲れたてのアジやキビナゴに純白の塩を揉み込み、寒風に干し並べた塩魚のすだれが整然と広がっていた。

炊事場の熱い塩魚汁を夢中で啜る領民たち。

「若君。文句ばっかり言って悪かったですよ」

弥三郎が椀を片手に俺の隣へ腰を下ろし、ふぅと息を吐いた。

「問屋の親父どもも、この真っ白な塩と循環製塩の効率を見た瞬間、手のひら返してすり寄ってきやがりましたよ。これで冬の飢え死には完全に回避できましたね。で、次はこの余った塩と干物をどうするんです?」

「売るんだよ、弥三郎」

俺は暮れゆく錦江湾の水平線を見据え、静かに言い放った。

「木炭や和紙、この高須の極上塩と干物……そして、獅子目で作っている石鹸だ。これを船に満載して錦江湾を渡り、薩摩本国の豪商へ直販する」

その瞬間、弥三郎が椀を取り落としそうになり、血相を変えて立ち上がった。

「なに考えてんすか! 石鹸は本家の専売でしょうが! 若君まであの暴走じいさんみたいな真似してどうすんですかァッ!!」

弥三郎は首筋の古傷を激しく掻きむしり、泡を食って俺に詰め寄った。

「石鹸を勝手に城下で売り捌いたらどうなるか、昔身に沁みて分かってるはずでしょうが! あの時は親父殿――貴久公の懐に飛び込んで専売事業に組み込んでもらったから首が繋がったんですよ!? 本家を通さずに海を渡って密売なんかしてみなさいよ、今度こそ義久公や歳久公の耳に入って『謀反の密貿易』で一発打ち首、全員海に沈められて終わりですよォッ!!」

「騒ぐな弥三郎。俺がそんな無計画な密売をするわけがないだろう」

俺は薄板を膝に置き、慌てふためく弥三郎をじっと見上げた。

「獅子目へ追放される直前、俺が親父殿――貴久公と何を交渉したか覚えているか?」

「へ……? 親父殿と……?」

「本家の長男・義久兄上たちは、俺たちを獅子目の死地に放り出して飢え死にさせ、蒲生の血筋を合法的になかったことにするつもりだった。だが親父殿は違った。『この石鹸という利権を考案した知恵』の価値を誰よりも理解していた」

俺は指を一本立てて見せた。

「あの時、俺は親父殿から極秘の裏書きを取り付けてある。『獅子目砦を自力で防衛し、維持するための軍資金としてならば、製造した石鹸のうち数を定めて、獅子目の裁量で商人に直接売り捌く権利』だ」

「なッ……数を決めて獅子目でも売る権利!?」

弥三郎が目を丸くし、甚兵衛も口をあんぐりと開けた。

「そうだ。本家が表向き管理している公的な専売ラインとは別に、獅子目防衛という名目のもと、年間で決められた枠内であれば、俺たちが直接商人と取引して銭に変えることを親父殿は認めている。親父殿にしてみれば、本家の蔵から一文も出さずに俺たちが勝手に自活し、大隅の最前線で肉の盾になってくれるなら安い投資だからな」

「親会社公認の……特例直販枠……!」

弥三郎がごくりと喉を鳴らした。

「そうだ。だからこれは謀反の密売ではない。親父殿の許可を得た合法的な枠を、この高須港の水運を使って最大限に換金するだけだ。そして手に入れた銭で、島津本家の配給を通さずに『米』と『鉄』と『火薬』を船ごと買い付ける」

「……へっ。まったく、恐ろしいタヌキ親父と食えないガキですよ」

弥三郎は呆れたように笑い、深くため息をついた。その瞳には、かつての恐怖ではなく、冷徹な勝算に対する確信が宿っていた。

山奥の捨て石から、海を制する交易拠点へ。

大隅の片隅で産声を上げた小さな拠点が、親会社トップとの裏取引を武器に、いよいよ錦江湾の経済圏を揺るがす「自立経済」の実動フェーズへと漕ぎ出そうとしていた。

明日は7時に更新します

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