↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第三部完『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第2部「獅子目兵站記」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/55

第21話:飯隈の損切りと「山・川・海」ラインの策定

永禄十年(一五六七年)十一月下旬。

初冬の冷たい北風が、獅子目の台地に吹き荒れていた。

五百人を越える大所帯となった出先砦の広場では、掘立小屋の増築と冬支度の煙があちこちから立ち上り、活気と喧騒が渦巻いている。

だが、砦の奥――軍議の場として使われている板張りの広間に集まった中核メンバーの表情は、冬の寒さ以上に張り詰めていた。

「若君。飯隈いいぐまの検分から戻り申した」

漆黒の濡れ蓑を脱ぎ捨て、膝をついたのは楠行者衆の頭領・道純だ。

その浅黒い顔には、夜通し山野を駆けてきた疲労と、濃い警戒の色が張り付いている。

「飯隈の地は、この獅子目から北東へ一里半。土壌は悪くありませぬが、周囲が開けており、大姶良・鹿屋方面からの敵の侵入路が四方八方に通じておりまする。本家から拝領したとはいえ、今の我らの手勢で守り切るには、あまりに間口が広すぎまする」

「間口が広い? 守りきれんとはどういうことじゃ、道純!」

上座の脇で腕組みをしていた甚兵衛(五十九歳)が、白髪混じりの髭を逆立てて身を乗り出した。

「飯隈は島津本家より、この獅子目とともに正式に下された我が蒲生の正当なる拝領地じゃぞ! 広ければ広いほど田畑が開けるではないか! なぜそこを守れぬと申す!」

「爺様、声がデカい。道純さんの話の腰を折るんじゃないよ」

横に座る弥三郎(十九歳)が、首筋の古傷をボリボリと掻きむしりながら息を吐き出した。

手元の算盤と出納帳をパチパチと弾きながら、死んだ魚のような目で甚兵衛を睨みつける。

「広けりゃいいってもんじゃないでしょうが。間口が広いってことは、敵がどこからでも攻め込んでき放題ってことですよ。新入りの連中を仕分けて五百人になったとはいえ、戦える専業武士はたった八十人です。獅子目のこの狭いすり鉢状の谷だからこそ、罠と伏兵で三百の敵を追い返せたんです。あんなだだっ広い飯隈まで兵を半分に分けて守ってみなさいよ。各個撃破されて一発で全滅ですよ」

「ぐ、ぐぬぬ……! しかし、本家から貰った土地を無駄にするなど……!」

「無駄にするんじゃない、甚兵衛」

俺――九歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)は、冷え切った小さな両手を擦り合わせながら、広間の床板に広げた大隅南部の絵図を指先で叩いた。

九歳児の細い身体は、冬の冷気に晒されるだけで体力を削られる。だが、前世の経営コンサルタントとしての頭脳は、自陣営の防衛限界と地理的リスクを冷徹に計算し尽くしていた。

「甚兵衛、戦において最も愚かなのは『守りきれない領地に固執して、防衛線を無駄に広げること』だ。飯隈は現状、我らにとって防衛の負担が重すぎる不良債権でしかない」

「ふ、不良……さいけん……?」

甚兵衛が目を白黒させる。

「敵の肝付良兼は、高山で着々と兵を集めている。春になれば、まず間違いなく大軍でこの一帯を奪い返しに来るぞ。その時、飯隈に中途半端な守備兵を置いていれば、真っ先に餌食になる」

俺は絵図の「飯隈」の文字の上に、炭で大きくバツ印をつけた。

「飯隈はいったん手放す。兵も住民も置かず、あえて無人の『緩衝地帯』にするんだ」

「領地を……手放す……!?」

甚兵衛が息を呑み、絶句した。

武士にとって、主家から与えられた領地を自ら手放すなど、前代未聞の暴挙に他ならない。

「若君、それは本家に対する背信……いや、敵に領地を明け渡すことになりませぬか!?」

「明け渡すのではない、『捨て置く』のだ」

俺は冷徹に言い放った。

「敵が飯隈に入ってくれば、今度は敵がそのだだっ広い土地の維持管理と警戒に兵力を割かねばならなくなる。こちらは飯隈の動向を行者衆に監視させ、敵が手薄になった隙や、油断して獅子目の狭隘な谷へ誘い込まれたところを叩けばいい。飯隈は、我らが強大になってから改めて前線要塞として奪還すればいいんだ」

「なるほどな。持ってるだけで損する土地は、一度損切りして敵に押し付けるってわけか」

弥三郎が算盤を置き、顎に手を当てて小さく頷いた。

その瞳には、荒唐無稽に見える幼子の決断の裏にある、強烈な合理性への納得が宿っていた。

「で、若君。飯隈を手放して浮いた人員と手勢は、一体どこへ注ぎ込む気なんですか? 五百人の飯の種は、この獅子目の山奥だけじゃどう転んだって足りませんよ」

「よくぞ聞いた、弥三郎」

俺はニヤリと笑い、絵図の南西――獅子目から西へ流れる姶良川の河口と、その先に広がる青い錦江湾を、炭の筆で力強く一本の線で結んだ。

「これより、我らがリソースを一点集中させる『山・川・海』の生存ラインを策定する」




① 完成原稿

第21話:飯隈の損切りと「山・川・海」ラインの策定(後編)

「山、川、海、だと?」

弥三郎(十九歳)が算盤を取り落としそうになりながら、絵図の上に引かれた太い黒い線を食い入るように見つめた。

「若君、まさか……獅子目の山奥から姶良川を下って、錦江湾の出口にある高須の港まで手を伸ばす気ですか!? 山の谷底で細々と石鹸作って豚を飼う話じゃなかったんですか! なんで九歳児がいきなり『海の港の制圧』なんて大風呂敷を広げてんですかァッ!」

「風呂敷ではない、生存のための生命線の直結だ」

俺――九歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)は、手元の薄板を指先で叩いた。

部屋の隅に座る道純が、暗がりの中で鋭く目を光らせて頷く。

「弥三郎、現状の数字を見ろ。五百人を超えた領民と兵を養うには、獅子目の山林で採れる山菜や豚、わずかな隠し田の米だけでは絶対に足りない。だが、姶良川の水運を使って高須港へ抜ければ、海という無限の資源と物流が一気に手に入る」

俺は絵図の三つの拠点を順に指差した。

「第一に『獅子目』――ここは山林資源と防衛・製造の中核だ。クヌギの木炭、椿油、石鹸、そして将来の干しシイタケと孟宗竹の工房群。天然の隘路に守られた不落の拠点として機能させる」

「第二に『大姶良』――ここは姶良川の水利と米の生産地だ。城そのものは奪わず、川沿いの水運路と米の集積機能だけを握る。大姶良の土豪とは無駄に戦わず、水利の共同整備と交易益の分配をチラつかせて実利で縛るぞ」

「そして第三に『高須』――ここがすべての富と食糧を結節させる海の要衝だ」

「高須の港……!」

甚兵衛(五十九歳)が息を呑み、白髪混じりの髭を震わせた。

「高須を押さえれば、何ができるのでございますか、若君!」

「食糧事情が劇的に変わる」

俺は確信を込めて言い切った。

「錦江湾の沿岸漁業を押さえれば、アジやイワシ、キビナゴといった海の魚が一年中手に入る。さらに獅子目の山林で焼いた大量の木炭を高須へ運び、海水を煮詰めて『大規模製塩』を立ち上げるんだ」

「塩……! 浜で塩を焼くのでございますか!」

「そうだ。塩と魚があれば、膨大な『干物と塩蔵魚』が作れる。米の収穫期に左右されない、絶対腐らない動物性タンパク質の備蓄だ。そして何より、獅子目の高品質な石鹸、木炭、和紙、そして高須の塩を船に積み込めば、山道を越えずに錦江湾の海路を使って、薩摩本国や上方の商人へ直販できる」

「な……! 船で一気に薩摩や博多へ売り捌くじゃと……!?」

甚兵衛の目が爛々と輝き始めた。

「おお……! 山で木を伐り、谷で泥石を練り、海で塩を焼き、船で天下へ売りに出る! これぞ蒲生水軍の胎動! 蒲生八幡の御神木が、ついに海へと根を伸ばされたのじゃあぁぁっ!」

「爺様、勝手に『蒲生水軍』とか名乗って風呂敷を広げるんじゃないよ!」

弥三郎が頭を抱え、床板に突っ伏して叫んだ。

「言ってる理屈は恐ろしいほど筋が通ってますよ。飯隈の平地で敵の矢面に立つより、山・川・海を一本の線で繋いで船を走らせる方が、何倍も儲かるし安全だってことは分かりましたよ! でもね若君、高須港へ出るってことは、姶良川の船頭や港の問屋どもを抱き込まなきゃならんのですよ? 誰がその海千山千の荒くれ者どもと交渉すると思ってんですか!」

「弥三郎」

俺はにっこりと微笑み、十九歳の現場主任の肩に小さな手を置いた。

「お前しかいないだろ。新入りの民の中に、川魚獲りの名人と船大工が何人か混ざっていたな。あいつらを連れて、年明け早々に高須の浜へ先乗りしろ」

「やっぱり俺かァァーーッ!!」

弥三郎の絶叫が、初冬の夜空へと木霊した。

「山で木を伐り、谷で泥水すすり、豚のフンを片付けたと思ったら、今度は海辺で船頭の相手ですか!? 僕ぁね、もう大名家の筆頭家老より働いてますよォッ!!」

文句を喚き散らしながらも、弥三郎は手元の帳面に「高須港・先行調査要員」の割り振りを猛烈な勢いで書き込み始めていた。

その姿を見つめながら、俺は手元の絵図の「飯隈」に記したバツ印をもう一度確認した。

(飯隈は、今は捨てる。だが、敵にくれてやるわけではない。道純の行者衆に監視させ、敵の動きを吸い上げる巨大な緩衝地帯として利用する)

局所的な領地の所有にこだわらず、物流と機能のつながりで勝つ。

前世の資産管理の思想が、大隅の山奥で確実に形作られつつあった。

だが、この時――

「不要な拠点を損切りした」という完璧なはずの計算が、数年後に「捨てられた飯隈の空白地帯」を巡って思わぬ勢力の介入を招くことなど、まだこの時の俺の分析には組み込まれていなかったのである――。

今日はもう一度21字に更新します



調子に乗って書いてたら47話まで進んだのでちょっと余裕があるので

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。