第20話:蒲生遺臣の自然増殖と人事パンク
永禄十年(一五六七年)九月下旬。
大隅・獅子目の台地に広がる空は高く澄み渡り、吹き抜ける秋風が刈り取りを控えたわずかな粟や稗の穂を揺らしていた。
だが、すり鉢状の盆地に築かれた出先砦の広場は、収穫の長閑さとは程遠い、異様な怒号と熱気に包まれていた。
「若君ぃぃッ! 弥三郎ぉぉッ! 見てくだされ、この壮観なる光景をッ!!」
砦の木戸を蹴破らんばかりの勢いで駆け込んできたのは、甚兵衛(五十九歳)だ。
白髪混じりの髭を汗と涙でぐしゃぐしゃに濡らし、両手を天高く突き上げて大河ドラマさながらの熱唱を轟かせている。
「蒲生八幡の御神木、大楠の若木たる若君が、この獅子目の地で旗を挙げられたと聞きつけ! 敵の伊東や肝付の下っ端に甘んじておった旧臣、さらには夜逃げ同然で逃れてきた流民どもが、続々と集結して参ったぞッ! これぞ先代・範清様の御徳! 蒲生再興の兆しじゃあぁぁっ!!」
甚兵衛が振り返った先――砦の外に広がるシラスの白い坂道には、見渡す限りの人の列が続いていた。
その数、ざっと百名以上。
刃こぼれした錆び刀や竹槍を握りしめ、ボロボロ携帯の襤褸をまとった浪人たち。あるいは筵に包んだわずかな家財を背負い、飢えで頬をこけさせた逃散農民の家族連れが、救いを求める亡者のように広場へ押し寄せていた。
「うおぉぉっ! 蒲生のお殿様がおられると聞いて参った!」
「島津と肝付の小競り合いで田畑を焼かれ、食うや食わずじゃ! 仲間に入れてくだされ!」
「槍なら突けます! 仇敵・島津を討ち滅ぼすためなら命も惜しくねえ!」
口々に叫び、砦の板塀を取り囲む群衆。
その異様な光景を前に、広場の長机で秋の収穫台帳をつけていた弥三郎(十九歳)の手が、ピタリと止まった。
弥三郎は手にした筆をカタカタと震わせ、やがて筆をへし折らんばかりの力で机に叩きつけた。
「ちょっと待てぇぇーーッッ!! 爺様、何を受け入れて満面の笑み浮かべて喜んでるんですかァァーーッ!!」
絶叫とともに立ち上がった弥三郎の顔は、怒りと恐怖で土気色に変色していた。
長身を折り曲げ、胃のあたりを両手で強く押さえながら、甚兵衛の胸ぐらを掴まんばかりに詰め寄る。
「うちの兵糧事情を何だと思ってんですか! 本家から形式的に貰った米百石と古米十石、三百八十人の口で食い延ばして、春の孟宗竹の種付けと豚の放牧でようやく一息ついたところですよ!? そこへ食う口だけいきなり百人以上も増やしてどうすんですか! 明日からの飯はどうすんだよォッ!!」
「何を喚くか弥三郎ッ! 志を同じくして馳せ参じた同胞を追い返せと言うのか! 蒲生の義を忘れたか!」
「『義』で腹が膨れるならいくらでも鍋で煮て食わせますよォッ!」
弥三郎は頭を抱え、霜の降りかけた土間を転がり回りそうな勢いで足をバタつかせた。
「しかも連れてきた連中の面構えを見なさいよ! 全員ボロボロの槍を振り回して『島津を倒すぞー!』とか物騒なこと喚いてるじゃないですか! うちが今一番欲しいのは、槍を振り回すだけの特攻バカじゃなくて、水路を掘る『土木の手』と、木を削れる『職人』と、算盤が弾ける『勘定役』なんですよォッ!! 僕ぁね、もう限界ですよ! 訴え出ますよ! こんな山奥に口入れ屋を作って全員適性検査を受けさせろッ!!」
「何をわけのわからん呪文を叫んでおるか! 蒲生の男児なら槍一本で――」
「その槍一本で飯が食えねえから逃げてきた連中でしょうがァァッ!!」
孫と祖父の凄まじい怒号の応酬が、秋の山風に乗って砦中に木霊する。
押し寄せた浪人や農民たちは、あまりの剣幕に気圧されて押し黙り、恐る恐る顔を見合わせ始めていた。
(急激な事業拡大に伴う、典型的な労務と人件費の許容量超過だな)
俺――九歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)は、砦の物見台から広場を見下ろし、冷え切った小さな両手を懐で擦り合わせた。
九歳児の細い身体には、秋の初風が骨身にしみる。だが、前世のコンサルタントとしての頭脳は、この雪崩れ込んできた人的資源の損益分岐点を瞬時に弾き出していた。
「二人とも、そこまでだ」
静かな、だが通る声で物見台の階段を降りると、甚兵衛と弥三郎がハッと口を噤んだ。
「若君……っ。申し訳ございませぬ、この老骨が先走り――」
「いや、甚兵衛。責める気はない」
俺は首を横に振り、砦の門前に溢れかえった百余名の群衆をじっと見据えた。
「労働力が勝手に向こうから転がり込んできたんだ。この出涸らしの荒野を開発する上で、これ以上の追い風はない。ただし、弥三郎の言う通り、全員をただの兵として養う余裕はうちには一石たりとも存在しない」
俺は手元の薄板を裏返し、炭で大きな三つの枠線を描き殴った。
「これより、集まった者全員の『適性検査』を行う。弥三郎、長机を門の前に並べろ。一人残らず、持っている技術と体力を値踏みしてやる」
秋風が吹き抜ける獅子目出先砦の門前。
板戸を外して並べた粗末な長机の前に、俺は腰掛けていた。
手元には、薄く削った木板の束と濃墨を満たした硯。
板の上には、前世のコンサルタントとしての思考ルーチンが弾き出した「職能分類表」が、整然と並んでいる。
【第一区分:鍛冶・鋳造】
【第二区分:木工・大工】
【第三区分:読み書き・算盤】
【第四区分:土木普請】
【第五区分:その他・一般兵役】
(分かりやすい技能を持つ者を最優先で抽出する。鍛冶や木工は獅子目ラボの設備投資に直結し、算盤は今後の交易で必須になる。それ以外の単純労働者は土木へ回して水路開削だな)
手早く配分する完璧な設計図。
だが、その合理的な目論見は、最初の面談から音を立てて崩れ去った。
「次。名前と、お前ができることを言え」
俺の横で帳面を開いた弥三郎が、疲労を滲ませた声で促す。
机の前に立ったのは、膝の抜けた襤褸をまとい、背中を丸めた五十絡みの男だった。泥にまみれた手をもじもじと擦り合わせ、申し訳なさそうに視線を落とす。
「へ、へい……権六と申します。元は肝付の領境で小作をやっておりやしたが……戦で田を焼かれまして。その、鉄を打つことも、家を建てることも、字を読むこともできねえでして……」
俺は手元の木板を見つめた。
第一から第三の専門技能枠はすべて空欄。第四の土木に回すにも、栄養失調で腕は痩せ細り、重いツルハシを一日中振るえる体力があるようには見えない。
(該当なしか。技能なしの単純労働枠としても、現状の作業効率は極めて低いな)
俺が第五区分へ印をつけようと筆先を滑らせかけた、その時だった。
「おい権六」
弥三郎が帳面から顔を上げ、不意に声をかけた。
「お前、さっきから爪の間に馬の毛が挟まってんじゃねえか。昔、馬を飼ってたのか?」
「え? あ、へえ……! 昔、地頭様の館で馬の世話と、馬糞の掃き掃除を十年ばかりやっておりやした。暴れる馬を宥めるのと、馬糞を集めて乾かすのだけは手前、誰よりも手早いつもりでして……」
「馬糞の始末?」
俺は眉をひそめ、弥三郎を見た。そんな項目は手元の分類表には存在しない。
「若君」
弥三郎は首筋の古傷をボリボリと掻きながら、呆れたように、だがどこか誇らしげに息を吐き出した。
「こいつは『何もできない』んじゃありませんよ。『何をしてきたか聞いてない』だけです」
弥三郎は手元の十文字槍を立てかけ、身を乗り出した。
「馬糞の手入れができるなら、豚の囲いの糞尿処理と堆肥小屋の切り返しを任せりゃいい。暴れる獣の扱いを知ってるなら、獅子目の南に放牧した琉球猪豚の群れを見張るのにこれ以上の適任はいませんよ。違いますかい?」
「……!」
胸を突かれたような衝撃が、俺の脳裏を走った。
前世のコンサルタントとしての頭脳が、知らず知らずのうちに人間を「四角四面のマス目」へ無理やり当てはめようとしていたのだ。
だが、乱世の泥土に生きる民の営みは、そんな枠には収まらない。
「弥三郎、権六を『畜産・堆肥管理係』へ配属しろ。日当として麦一升を支給する」
「へ……へえっ!? ありがてえ、ありがてえ……!」
権六が地面に額を擦り付けて泣き崩れる。
その背中を見送りながら、俺は手元の木板の項目をすべて墨で塗り潰し、白紙の板へ書き直した。
【問うべきこと:これまで何をして飯を食ってきたか】
そこからの面談は、混沌を極めると同時に、驚くべき「人的資本」の宝庫と化した。
「わしは文字は読めぬが、川の流れを見れば魚の群れがどこに溜まるかが分かる」
「婆様から、山で腹痛と血止めに効く薬草の見分け方を叩き込まれました」
「寺の造り酒屋で十年間、麹の手入れをしておりました」
「戦で夫を亡くしましたが、子供を十人産んで育て上げました。飯炊きと赤ん坊の面倒なら任せてくだされ」
机の前に立つ百余名の人間から、次々と語られる泥臭い生の履歴。
魚捕りの名人には姶良川と高須港の漁撈・干物づくりを、薬草を知る者には楠行者衆と組ませての生薬精製を、麹を扱える者には味噌・醤油の醸造実験を、子育ての肝っ玉母たちには屯所の共同炊事と育児所を割り振っていく。
「ガハハ! 見たか若君! これぞ蒲生八幡の御神木に集いし八百万の民じゃあぁぁっ!」
甚兵衛が白髪混じりの髭を震わせ、広場で歓声を上げる新入りたちを抱きしめて涙を流している。
その横で、割り振りを終えた弥三郎が、長机に突っ伏して深い息を吐き出した。
「はぁぁ。全員の仕事は決まりましたけどね。若君、分かってます? これでうちの総人口、五百人を軽く突破しましたよ」
弥三郎は胃のあたりをさすりながら、引きつった笑いを浮かべた。
「武士八十人に、行者衆三十人、家族三百人。そこに今日の百余名と、その家族……ついでに春に植えた孟宗竹三株と、五頭の豚に、仕込み中のシイタケ丸太。この狭い獅子目の谷底に、どんだけ生き物を詰め込む気ですか? 僕ぁね、もう配給の計算をするだけで胃に穴が開きそうですよ」
「弥三郎、文句を垂れるな。人が人を呼び、その人間が新たな産業を生み、さらに人が集まる……これこそが好循環というものだ」
俺は手元の木板にぎっしりと埋まった人員配置図を見つめ、澄ました顔で返した。
だが、その内心では、前世の経営会議さながらの冷汗が背筋を伝っていた。
(人が増えすぎて、獅子目単体の食糧生産能力を完全に超えたな。冬を越すには、山林の自給自足だけでは絶対に足りない。次の手は、防衛線を整理して『外へ打って出る』ことだ)
島津本家から「使い捨ての捨て石」として放り込まれたはずの孤立拠点。
そこは今や、滅びた蒲生の亡霊たちが新たな生を求めて蠢く、巨大な「生命のるつぼ」へと膨張しつつあった。
なんか…見てくれる人がすごく増えてやる気が出てあのあと書き溜めがまた溜まったので…今日もあと17時に更新しますね!




