↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第三部完『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第2部「獅子目兵站記」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/55

第19話:黒豚とクヌギのレーション開発

すみません、少し遅れました。

永禄十年(一五六七年)六月下旬。

大隅・獅子目の台地を吹き抜ける風は、梅雨明けの強い日差しを含んでじっとりと重く、肌にまとわりついてきた。

出先砦の南、険しい侵食谷の合間に広がる未開の雑木林。クヌギやナラ、カシの巨木が鬱蒼と生い茂る木立の前に、丸太を荒く組んだ頑丈な囲いが設えられていた。

その中で、ブヒィ、フゴォと野太い鼻息を響かせ、泥まみれの黒い巨体を揺すっているのは――筋骨隆々とした五頭の琉球猪豚である。

「若君。僕ぁね、もう侍をやめて南蛮船の家畜番にでも成り下がった気分ですよ」

弥三郎(十九歳)が、柵の外で手拭いを鼻に押し当てながら、深い苦悶の声を漏らした。

額には脂汗が光り、手にした飼い葉桶からは、すえた米糠の臭いが漂っている。

「坊津の密貿易商人から、竹の根のついでに豚を五頭も買い付けるなんて正気の沙汰じゃありませんよ! ただでさえ三百八十人の飯を食わせるだけで米俵が底をつきかけてるのに、こんな大食らいの獣に何を食わせる気なんですか! このままじゃ俺たちの食う麦まで全部この黒い塊に吸い取られちまいますよ!」

「弥三郎、足元を見ろ」

俺――九歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)は、幼児特有の短い身体で柵の横木に足をかけ、頭上に広がる濃密な原生林を指差した。

「獅子目の南には、人の手が入っていないクヌギやナラの雑木林がどこまでも続いている。秋になれば、地面を埋め尽くすほどのドングリがタダで降り注ぐんだ」

「ドングリ? あの渋くて苦い、人間が食えたもんじゃない山の実ですか?」

「人間には渋くて毒でも、豚にとっては極上の高カロリー飼料だ」

俺は手元の薄板を指先で叩き、頭の中で弾いた資源循環の試算を説いた。

「夏の間は下草やクズの根を掘り返させて山林の手入れを代行させ、秋には山一面のドングリを腹一杯食わせて脂を乗せる。人間が消化できない山の廃棄資源を、豚という生体工場を通して極上の肉と脂に変換するんだよ。飼料代は実質ゼロだ」

「な……下草刈りとドングリで豚が勝手に太るじゃと!?」

小屋の陰から、肥桶を担いで現れた甚兵衛(五十九歳)が、白髪混じりの髭を震わせて目を剥いた。

「左様でございますか若君! 蒲生八幡の神域に放たれた神の獣! 雑草とドングリを食うて勝手に太るなど、まさに無から米を生み出すがごとき奇跡……!」

「甚兵衛、驚くのはまだ早いぞ」

俺は薄板を裏返し、炭で引いた第二の事業計画図を掲げた。

「豚を放牧するために間伐したクヌギやナラの丸太――この原木を使って、第二の極秘兵糧を立ち上げる。『干しシイタケ』の人工栽培実験だ」

「ほ、干しシイタケ……!?」

甚兵衛が素っ頓狂な声を上げ、持っていた柄杓を地面に落とした。

その横で、弥三郎も目を丸くして固まっている。

「若君……シイタケって、あのシイタケですか!? 山奥の険しい谷底で、朽ちた大木に稀に生えているのを薬草採りが命がけで探してくる、あの黒い笠の……!?」

「そうだ」

「ば、馬鹿を仰っちゃいけませんよ!」

弥三郎が血相を変えて詰め寄ってきた。

「干しシイタケなんつったら、都の公家や堺の豪商ですら銀を積んで買い求める雲の上の高級品ですよ! 朝廷への献上品か、南蛮人や明国との交易で金銀並みの値で取引される『黒い宝玉』じゃないですか! そんなもん、山で偶然見つかるのを待つしかない神仏の授かり物でしょうが! 人間の手で狙って作れるわけがありませんよ!」

弥三郎の常識は、戦国時代としては百点満点の正論だった。

この時代、シイタケの人工栽培技術など日本中のどこにも存在しない。倒木に偶然胞子が着生し、数年かけて自然に生えてくる天然物を山伏や樵が採取するのみであり、その希少価値と滋養強壮の薬効から、干しシイタケは文字通り「金銀に匹敵する超高級戦略物資」として扱われていたのだ。

「狙って作れるんだよ、弥三郎」

俺は不敵に笑い、幼児特有の小さな手で地面に落ちていた手斧を拾い上げた。

「自然の倒木に生えるなら、その倒木と同じ環境を人工的に作り出してやればいい。クヌギの倒木に菌を意図的に植え付け、日陰と湿度を管理して大量に収穫する『原木栽培』の技術を確立する」

「な……! あの幻のシイタケを、畑の野菜みたいに山ほど収穫するじゃと……!?」

甚兵衛が膝をガクガクと震わせ、白髪混じりの髭を激しく引っ張った。

「弥三郎、干しシイタケがこの獅子目でどれほどの価値を生むか分かるか?」

俺は手元の薄板を指先で弾いた。

「第一に『外貨獲得』だ。乾燥させた上等な干しシイタケは、軽くて腐らず、堺や博多の豪商へ運べば米何十石分もの銅銭や銀に化ける。石鹸に次ぐ、獅子目ラボの最強の換金物資になる」

「ぜ、銭が湧き出る……!」

「そして第二に『戦国最強の保存糧食』だ」

俺は身を乗り出し、二人の目を射抜くように見つめた。

「生木や米と違って、乾燥させれば重さは十分の一以下になる。腰兵糧袋に詰め込んでも兵の腰を痛めず、何日歩いても絶対に腐らない。しかも湯や水で戻せば膨大な『うま味』が溶け出し、野草や少量の米と一緒に煮るだけで極上の滋養汁になる。塩気だけの塩むすびを齧っている敵兵と比べて、兵の士気と体力回復力が桁違いに跳ね上がるんだ」

「金銀並みに高く売れて、兵糧にすれば軽くて腐らず、美味い出汁で腹が太る……」

弥三郎がゴクリと喉を鳴らした。

日々、兵糧の出納帳とにらめっこして胃を痛めている現場主任だからこそ、その恐ろしいまでの利便性と経済価値が一瞬で頭に叩き込まれたのだ。

「さらに第三に、豚の塩漬け肉とラードだ。豚の脂身を煮詰めてラードを抽出し、素焼きの壺に密閉して貯蔵する。少量のラードを干しシイタケの出汁スープに落とすだけで、野戦の泥水が『超高カロリーの濃厚豚汁』へ化ける。極寒の冬期野戦でも、兵の体温を奪われずに戦い続けられるぞ」

「超高カロリーの……濃厚豚汁……!」

甚兵衛の喉が激しく鳴った。

戦国の武士が口にする陣中食といえば、干し飯、焼き米、味噌玉、そして塩漬けの梅干し程度だ。動物性の濃厚な脂と、凝縮された最高級キノコのうま味が融合した携帯レーションなど、この時代の人間にとっては神仙の領域である。

「若君。話は分かりましたよ」

弥三郎は首筋の古傷をボリボリと掻きむしり、鉈の柄を握り直した。

「理屈は相変わらず完璧すぎてぐうの音も出ません。でもね、その幻のキノコ、どうやって山で『狙って』生やすんですか? 木を切り倒して放っておくだけじゃ、いつ生えてくるかも分からんでしょうが」

「だからこそ、クヌギの丸太に『菌を入れる傷』を刻み込むんだよ」

俺は不敵に笑い、日陰の湿地に並べられたクヌギの原木を指差した。

「木に傷を刻んで、あの幻のシイタケを呼ぶ……? 若君、また怪しげな呪文を唱え始めましたね」

弥三郎(十九歳)が十文字槍を地面に立てかけ、手にした手斧を弄びながら怪訝そうに眉をひそめた。

獅子目の南側、吾平境へと深く続く鬱蒼とした原生林からは、蝉の鳴き声と濃密な樹液の匂いが立ち込めている。

「シイタケってのは、山奥のじめじめした倒木に何年もかかって稀に生えてくる神仏の授かり物でしょうが。傷をつけただけで庭の野菜みたいに生えてくるなら、都の商人や薬草採りはみんな大金持ちになってますよ。僕ぁね、もう山狩りでキノコを探すだけでも腰が痛いってのに、木を刻むなんて無駄骨はご免ですよ」

「無駄骨かどうかは、やり方次第だ」

俺――九歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)は、幼児特有の背丈で腰をかがめ、日陰に並べられたクヌギの丸太を指差した。

「弥三郎、山伏たちが山奥で採ってきた天然のシイタケがあるな。傘が開ききって胞子をたっぷり含んだ熟したシイタケを、すり鉢で細かく擂り潰して水と混ぜるんだ」

「す、すり潰す……!? あの金銀並みに高い極上のシイタケを泥水にするんですかい!?」

工兵班の若手が、信じられないものを見るような顔で声を上げた。

「そうだ。その胞子を含んだ水を、このクヌギの丸太に手斧で斜めに刻んだ傷――『なた目』に塗り込むんだよ。クヌギやナラの樹皮は固いが、なた目をつけることで菌が木の内側へ潜り込みやすくなる。あとはこの丸太を、獅子目の南の沢沿い、直射日光が当たらず常に湿り気のある木立の影に斜めに立てかけておく」

俺は手元の薄板に墨で引いた管理手順を掲げた。

「これはいわば『人工の倒木』だ。自然に任せれば十年かかる倒木の腐朽と菌の定着を、人間の手で管理して一年半から二年に短縮する。来年の秋か再来年の春には、この丸太一本から数十個の極上シイタケが勝手に湧き出してくるようになるぞ」

「な……! 丸太から幻のシイタケが湧き出す!?」

甚兵衛(五十九歳)が白髪混じりの髭を震わせ、丸太に抱きつくようにして目を剥いた。

「おおお……! 蒲生八幡の御神木ならぬ、獅子目の霊木! 若君の手にかかれば、ただの薪が金銀の山に化けるのじゃあぁぁっ! 弥三郎、ぼさっとするな! 手斧を持て、傷を刻まんかい!」

「爺様、だから抱きつくのやめてくださいよ! 樹液で袴がベタベタになるでしょうが!」

弥三郎は文句を垂れつつも、手際よく工兵班の三十名に指示を出し、切り倒されたクヌギの間伐材へリズミカルに手斧を打ち込ませ始めた。

トントン、カンカンと乾いた音が、獅子目の山林に小気味よく響き渡る。

武士たちにキノコの原木仕込みをさせるのは、本来なら戦国武士の誇りが許さない。だが、自分たちの手で仕込んだ丸太が、将来「軽くて出汁の出る極上の兵糧」や「莫大な換金物資」に化け、配給が増えるという明確な果実が見えているからこそ、彼らは迷いなく手を動かしていた。

「若君、豚の囲いの方も手が空きましたぜ」

柵の補修を終えた若武者が、泥だらけの顔で報告してきた。

見やれば、五頭の琉球猪豚が、獅子目の南の斜面で鼻先を器用に使って地面を掘り返し、クズの根やミミズを夢中で貪り食っている。

「よし。豚の糞尿は絶対にそのまま川へ流すなよ。掘り込み式の堆肥小屋に落葉や籾殻と一緒に積み上げ、発酵させて堆肥を作る。この極上の肥料を、春に植えた孟宗竹の育苗区画や、裏の麦畑に撒くんだ」

「豚が下草を刈って山林を掃除し、ドングリを食って肉とラードになり、フンが竹や麦を育てる……」

弥三郎が手斧を止め、額の汗を拭いながら感心したように息を吐いた。

「無駄が一つもねえな。山から海まで、全部の仕事が一本の縄みたいに繋がってやがる。若君、あんた本当に九歳ですか? どっかの古い大名家で五十年間内政やってたジジイの生まれ変わりじゃないんですか」

「失礼なことを言うな。俺はただの九歳児だ」

俺は澄ました顔で返し、手元の薄板に「豚・シイタケ・竹林の循環生産体制」の覚書を書き足した。

(資源効率、最大化。廃棄コスト、ゼロ。獅子目という孤立した谷底で自給自足の防衛基盤を固めるための、完璧な循環体制だ)

前世のコンサルタント脳が、手応えに満ちた満足感を覚える。

この時、俺の頭の中にあったのは「山林の循環と生産効率」だけであり、この豚たちが産み落とす子豚の爆発的な増殖力と、将来の飼料不足という新たな労務トラブルのことなど、まだ頭の片隅にも置いていなかったのである――。

ササッ――。

生い茂るシダの葉をかすかに揺らし、楠行者衆の頭領・道純が山影から音もなく姿を現した。

その濡れ蓑からは、南の山岳地帯を全力で駆けてきた生々しい土の匂いが漂っている。

「若君。大隅の空気が、いよいよ動き申した」

低く湿った声が、作業の手を止めた男たちの耳を打つ。

「肝付の本領・高山にて、新当主・良兼の体勢がほぼ固まり申した。先日の橋口軍の自滅を『獅子目に潜む天狗の怪異』と警戒しつつも、大姶良の境界を越えて獅子目を包囲するための兵糧集積を始めております」

「いよいよ、本腰を入れてくるか」

俺は九歳の小さな身体を引き締め、獅子目の南に連なる山並みを睨み据えた。

敵の第一次攻勢は、手柄に焦った前線部隊の独断だった。だが、次に来るのは肝付本家の威信を懸けた組織的な軍勢だ。

竹の成長にも、シイタケの収穫にも、まだ時間はかかる。

だが、俺たちにはこの谷で培った「泥臭い組織力」と「死なないための知恵」がある。

「甚兵衛、伏兵の射撃訓練を怠るな。弥三郎、山城の空堀と逆茂木の造成を一段引き上げろ。敵がいつ攻め寄せてこようと、この獅子目の谷を一歩も踏み越えさせんぞ」

「「応ッ!!」」

男たちの力強い咆哮が、夏の青空へと吸い込まれていった。

② 主人公思考コラム

楠千代丸が実践したシイタケの原木栽培(なた目法)は、中世の「偶然の採取(ギャンブル採取)」を近代的な「管理型アグロフォレストリー(森林農業)」へと昇華させる試みである。

戦国期において、シイタケは「神仏の授かり物」として偶然の倒木に生えるものを採取するしかなく、その希少性ゆえに金銀並みの超高付加価値物資として扱われていた。千代丸は前世の農学・科学知見に基づき、「完熟胞子のすり潰し液の塗布」と「手斧によるなた目(樹皮への意図的切創)」を組み合わせることで、自然界では数年〜十年を要する着生・腐朽プロセスを人工的に短縮・制御した。

さらに、この原木栽培は豚の放牧事業と不可分に結びついている。放牧地を確保するための除伐・間伐で生じたクヌギの丸太を原木へ直結させ、豚が掘り返した林床の腐葉土と豚糞堆肥をシイタケの湿度管理や竹林の肥沃化へと循環させる。資材・飼料・肥料のすべてを域内自給ゼロコストで完結させるサーキュラー・エコノミーである。

しかし、この「完璧な増殖・生産曲線」もまた、生き物を扱う現場ゆえの不確実性を抱えている。豚の多産性による幾何級数的な個体増殖は、やがてドングリや下草のキャパシティを突破し、深刻な飼料不足という外部不経済を引き起こす。エクセル上の美しさに酔いしれる千代丸の死角を突くトラブルの火種は、この緑深き原生林の土の中で着実に育ちつつあった。

一日一話更新としてましたが反応がいいようなのでまだストックもあるし調子乗って12時にも更新します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。