第18話 孟宗竹の密輸と獅子目ラボの始動
すみません、抜けてました!18話
永禄十年(一五六七年)二月中旬。
大隅の冬は底冷えが厳しいとはいえ、シラスの切り立った白い崖の間を縫う谷風には、かすかに春の気配が混じり始めていた。
獅子目の奥深く、敵の斥候からも島津本家の目付からも死角となるすり鉢状の盆地――後に「獅子目ラボ」と呼ばれることになる開発拠点に、一本の極太な青竹が運び込まれていた。
「若君、これですか? 琉球商人から銀二枚もふんだくられて極秘に運ばせた『門外不出の秘草』ってのは」
弥三郎(十九歳)が、運ばれてきた大きな麻袋の口を解きながら、胡散臭そうに眉をひそめた。
袋の中には、湿った黒土に包まれた、丸太のように太い竹の根株が三株、窮屈そうに収まっている。
「ただの竹の根っこじゃないですか。山を見りゃあマダケもメダケもハチクも、そこら中に生えてますよ。わざわざ坊津の密貿易商人を介して、明国渡りの竹の根を買い付ける意味がどこにあるんです? 僕ぁね、貴重な銀がこんな泥まみれの木くずに化けたかと思うと、また胃がキリキリ痛んできますよ」
弥三郎は腰の鉈を弄びながら、心底呆れたように息を吐いた。
だが、その横に立つ俺――九歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)は、冷え切った両手を擦り合わせながら、手元の薄板に墨で引いた試算表を熱い目で見つめていた。
(これだ。これこそが、この出涸らしの荒野を黒字化し、不落の要塞へ化けさせるための最強の起爆剤だ)
前世の知識が、この植物の圧倒的な数値を弾き出している。
史実において、この「孟宗竹」が日本本土へ導入されるのは、百七十年後の享保年間、第二十一代当主・島津吉貴が琉球経由で磯庭園に植えたのが最初とされる。
いま日本中に自生している在来のマダケやハチクとは、太さも、肉厚も、成長速度も、そして食糧としての価値も文字通り桁が違う。
「弥三郎、山に生えているマダケとこれとでは、何もかもが別物だ」
俺は幼児特有の短い足で土間を進み、根株の表面を撫でた。
「第一に『食糧』としての価値だ。マダケの筍は細く、アクが強くて収量も知れている。だが、この孟宗竹の筍は一本で赤ん坊の頭ほどに育ち、肉厚で柔らかく、えぐみが少ない。これを春先に掘り起こして塩茹でし、天日干しにして『干し筍』に加工すれば、軽くて腐らず、水で戻せば膨大な繊維と栄養源になる。シラス台地で米が不作の年でも、これさえあれば領民も兵も絶対に飢え死にしない救荒糧食になるんだ」
「ほ、干し筍……!? 赤ん坊の頭ほどもある筍でございますか!」
小屋の奥から、薪を抱えて現れた甚兵衛(五十九歳)が、白髪混じりの髭を震わせて身を乗り出してきた。
「左様でございますか若君! 蒲生八幡の御神木ならぬ、琉球の巨大竹! 飯の足しになるばかりか、不作を乗り切る霊薬の木とは! やはり若君は神仏のお導きを受けておられる!」
「甚兵衛、話は食い物だけにとどまらんぞ」
俺は薄板の二項目目を指し示した。
「第二に『軍需・防衛』としての強度だ。在来のマダケは肉が薄く、鉄砲の弾丸が直撃すれば割れて貫通する。だが、この孟宗竹は幹の厚みが指二本分にも達する。これを四、五本束ねて『防弾竹束』を作れば、敵の鉄砲の鉛玉はおろか、弓矢や投石も弾き返す強固な移動盾になる」
「なッ……鉄砲の弾丸を弾く竹束じゃと!?」
甚兵衛が目を丸くして息を呑む。
戦国時代の最新兵器である鉄砲に対し、既存の竹束では心許なかった防護性能が、孟宗竹の圧倒的な肉厚によって一撃で跳ね上がるのだ。
「さらに第三に『土木基盤』だ。節をくり抜けば、そのまま極太の送水管になる。水捌けが悪くて泥濘化しやすい獅子目の谷底に埋め込めば、暗渠排水で農地を干拓できるし、逆に乾燥しやすい台地の上へ高隈山の湧水を引く水路を一瞬で量産できる。石や木材を削って樋を作る手間の、十分の一の工数で済むぞ」
「食料になり、盾になり、水路になり、籠にもなり、炭にもなる……」
弥三郎が指を折りながら計算し、やがて呆れたように口を開けた。
「本当なら、確かにとんでもない万能素材ですよ。でも若君、そんな夢みたいな植物、育てるのに何十年もかかるんじゃないですか? 俺たちが生きているうちに役に立たなきゃ意味がないでしょう」
「そこが最大の強みだ」
俺は不敵に笑い、手元の木板を叩いた。
「竹という植物の繁殖力と成長速度は異常だ。地下茎が網の目のように広がり、春先に芽を出せば、わずか二、三か月で大人の背丈の何倍もの大木に化ける。一本植えて定着すれば、数年で谷一つを覆い尽くすほどの竹林に化けるんだよ」
「谷一つを覆い尽くす……!?」
弥三郎の目がピクリと動いた。
その脳裏を、三年前の初夏、薩摩本丸の北の丸で繰り広げられた「あの悪夢」がよぎったらしい。
「若君」
「なんだ、弥三郎」
「植えすぎないでくださいよ? 昔、椿油で大儲けしようとして生垣にツバキを植えまくり、チャドクガを大発生させて俺たちの首の皮を全部剥ぎ取った前科を、俺は一生忘れてませんからね」
弥三郎が首筋をボリボリと掻きながら、死んだ魚のような目で釘を刺してきた。
「失礼な。あの時は初期防除の運用が未熟だっただけだ。今回は植物だぞ? 毛虫が湧くわけでもない。繁殖力が高いなら、生産量を最大化するために谷筋の日当たりのいい斜面へ徹底的に植え広げるのが、最も合理的な投資判断というものだ」
(資源効率、生産量最大化、成長速度の最大化。この三拍子が揃った完璧な資材だ。増やせば増やすほど獅子目の資産価値は跳ね上がる)
前世のコンサルタント特有の計算思考が、頭の中で完璧な増殖曲線を弾き出していた。
この時、俺の頭の中にあったのは「個別の効用」と「収量の最大化」だけであり、この怪物が数年後に引き起こす「生態系全体への二次被害」の恐ろしさなど、微塵も想像していなかったのである――。
「へいへい。どうせ俺の忠告なんざ聞き流すんでしょうよ」
弥三郎は首筋の古傷をボリボリと掻きむしりながら、死んだ魚のような目で空を仰いだ。
「『植えすぎないでくださいよ』って言った俺の言葉、絶対に頭の片隅にも残ってない顔をしてやがる。まあいいや。で、若君。その琉球渡りの秘竹が育つのは結構ですがね、竹ってのは根を張ってタケノコが出て、太い幹になるまで早くても二、三年はかかるでしょう? いま植えたところで、今年の春の飯や防護盾には間に合いませんよ。このドロドロの谷底の水捌けはどうすんですか」
「だからこそ、まずは手近な『在来のマダケ』で試作を作るんだよ」
俺は手元の薄板を叩き、小屋の裏に積み上げてあった自生のマダケを指差した。
「甚兵衛、道純。お前たちは谷の最深部、日当たりが良く冷たい北風を遮る南向きの斜面に、特設の育苗区画を三箇所作れ。琉球から届いた孟宗竹の根株三株を、腐葉土と木灰を混ぜた柔らかな土へ極秘裏に植え付ける。絶対に敵の斥候や本家の目付に見つかるなよ」
「ははっ! 蒲生八幡の御神木たる秘竹、この老骨が命に代えても根付かせてみせますぞ!」
甚兵衛が白髪交じりの髭を震わせて胸を叩き、麻袋を大事そうに抱えて谷の奥へと駆けていく。
その熱血な背中を見送りつつ、俺は弥三郎と工兵班の若武者たちへ向き直った。
「弥三郎、工兵班を動かせ。在来マダケを使った『暗渠排水』の実証実験を行うぞ」
「あんきょ? また呪文が出たよ」
弥三郎が顔をしかめる横で、俺は炭で地面に構造図を描き殴った。
「長めのマダケを十数本用意し、鉄の突き棒で節の内側をくり抜いて空洞の管を作る。外側には椿油を薄く塗って簡単な防腐処理を施し、管の側面に細かな穴を幾重にも開けるんだ。これを繋ぎ合わせて谷底の泥濘地に掘った溝へ埋め込み、上から小石と粗砂を被せて埋め戻す」
「土の中に、穴を開けた竹を埋める……? そんなことして何になるんですかい?」
工兵班の若手が、泥のついた額を拭いながら首を傾げた。
「土の中に溜まった余分な水だけが、小石の隙間を通って竹パイプの穴から中へ染み出し、一気に下流の川へ流れ出る。獅子目の谷はシラスの崖に囲まれていて水が抜けず、雨が降れば底なしの泥沼になる。だが、この暗渠を地下に張り巡らせれば、泥濘地をわずか数週間で乾燥させ、締まった強固な農地や陣地へ干拓できるんだ」
「な……! 泥沼から水が抜けるのか!?」
「木を削って樋を作る手間の、五分の一で済むじゃねえか!」
若武者たちからどよめきが上がった。
槍働きしか知らなかった男たちが、土木技術がもたらす圧倒的な効率に目を輝かせ、競うようにマダケの節抜きと穴あけ作業に取り掛かる。
――それから半日後。
切り立ったシラスの崖の下、湿地帯の片隅で、最初の通水実験が行われた。
「若君! 見てください、水が出てきましたぜ!」
工兵班の男が叫んだ。
埋設されたマダケの管の末端から、じわじわと濁った泥水が吐き出され、川へと勢いよく流れ落ちていく。
先ほどまで足を踏み入れただけで膝まで沈んでいたドロドロの湿地が、みるみるうちに余分な水を失い、草鞋でしっかりと踏みしめられる固さへと変わり始めていた。
「すげえな。本当に水が抜けちまったよ」
弥三郎が十文字槍を杖にして地面をドンと踏み鳴らし、呆気にとられたように呟いた。
「若君、あんたやっぱり恐ろしい奴ですよ。九歳の童が暗渠だの干拓だの、なんでそんなことまで知ってんですか」
「昔読んだ異国の書物に書いてあったんだよ」
俺は苦笑いして誤魔化しつつ、泥から引き抜いた試作マダケの端を検分した。
(原理は完全に実証できた。だが、やはり在来のマダケでは肉が薄い。土圧で半年もすればひび割れるし、腐食も早い。恒久的な基盤や、鉄砲を弾く強固な防弾盾に進化させるには、どうしてもあの『孟宗竹』の肉厚が必要だ)
俺は谷の最奥、黒土が盛られた特設区画を見上げた。
今はまだ地下で眠る三株の根株。
今年と来年はマダケで泥臭く場を繋ぎ、その間にこの怪物を谷の地下へ張り巡らせる。
(二年後、三年後だ。この三株が爆発的に繁殖した時、この獅子目の谷は不落の軍事特区へと化ける)
俺の頭の中では、収量と基盤が右肩上がりに伸びていく完璧な計画が描かれていた。
この時、弥三郎の「植えすぎないでくださいよ」という予言が、三年後に「山林まるごと竹藪化」という未曾有の外部不経済となって跳ね返ってくることなど、この時の俺はまだ微塵も疑っていなかったのである――。
シュッ――。
夕闇が迫る山林の影から、楠行者衆の頭領・道純が音もなく舞い降りてきた。
「若君。大隅中南部の気配、変わり申した」
低く湿った声が、作業の終わった谷底に冷たく響く。
「肝付の本領・高山周辺にて、肝付良兼が兵糧と軍馬のかき集めを始めております。先日の橋口軍の自滅を『怪異』として恐れつつも、獅子目を奪い返すための本格的な出陣準備を進めている模様」
「来たか」
俺は九歳の身体を引き締め、冷え切った夕暮れの風を受け止めた。
春の訪れとともに、敵の本格的な攻勢が始まる。
竹の本格的な成長を待つ間にも、獅子目ラボが解決すべき課題は山積みだった。
長期戦を支える「超軽量・高カロリーな兵糧」の自給――
次なる手は、高隈山の原生林を活かした「琉球猪豚」と「干しシイタケ」のハイブリッドレーション開発だった。
② 主人公思考コラム
楠千代丸が孟宗竹の導入に踏み切ったのは、極小拠点における「資材・食糧・工数のトリプル制約」を一撃で突破するためのレバレッジ戦略である。
大隅のシラス台地は水捌けが悪く、雨が降れば底なしの泥濘と化す一方で、高台は保水力がなく乾燥するという、農業・築城の双方において極めて厄介な土壌特性を持つ。通常であれば、木材を伐採・製材して樋を作り、石を積んで暗渠を築く膨大な土木工数が必要となるが、人口380名・戦闘員80名の蒲生陣営にそのような余力はない。
中空かつ高剛性な竹材は、節を抜くだけで配水管に転用できる「天然の既製品パイプ」であり、工数を十分の一以下に圧縮できる。さらに、肉厚な孟宗竹であれば土圧に耐える暗渠インフラとなり、地上部を束ねれば鉄砲の直撃に耐える防弾盾、春先の筍は塩茹で・乾燥により長期保存可能な救荒兵糧(カロリーと食物繊維の供給源)となる。
しかし、この極めて合理的な「単一品種による多重効用と収量最大化」の追求は、典型的なエクセル脳(机上の全体最適)の罠を孕んでいる。竹の驚異的な地下茎増殖力は、一度定着すれば在来樹林を枯殺し、シラス崖の浅層崩壊を誘発する環境破壊(竹害)という巨大な外部不経済をもたらす。弥三郎が直感で突いた「チャドクガの二の舞」という現場の危機感を切り捨て、効用曲線のみを信じた千代丸の判断は、数年後に獅子目ラボを未曾有の生態系トラブルへと追い込む伏線となっていくのである。




