第17話 蒲生再興の意識改革と組織再編
第2章です
永禄九年(一五六六年)十二月初旬。
大隅国・獅子目の台地を切り裂く寒風は、肌を刺すように冷たい。
先日の第一次防衛戦で血と泥にまみれた出先砦の跡地には、島津本家から「山崩れのまぐれ勝ちで生き残った捨て石への施し」として形式的に届けられた、古米十石の俵が無造作に転がっていた。
切り立ったシラスの白い崖の下、急ごしらえの掘立小屋の土間に、八十名の蒲生武士団が車座になって集まっていた。
全員が粗末な麻の着物に、刃こぼれした刀や手入れの行き届いていない槍を抱えている。その中央で、白髪混じりの髭を怒りで逆立て、床板が割れんばかりの勢いで足を踏み鳴らしたのは甚兵衛だった。
「若君ッ! なぜ本家への注進状にあのような嘘をお書きになったのですか!」
甚兵衛の太い声が、土壁を震わせる。
その血走った両眼には、憤死した先代・蒲生範清への忠義と、十数年ものあいだ泥水をすすりながら耐え忍んできた老臣の無念が、真っ赤な炎となって燃え盛っていた。
「我らは仇敵・島津の押し付けた死地で、大姶良の正規兵三百を見事に打ち破ったのじゃぞ! 蒲生八幡の御神木のご霊験、亡き殿の御無念を晴らす第一歩として、堂々と『蒲生の武威ここにあり』と天下に叫ぶべきではなかったのか! それを『天狗の祟り』じゃの『崖崩れのまぐれ勝ち』じゃの……これでは犬死に同然の扱いでないかァッ!」
「そうだ! 甚兵衛殿の仰る通りだ!」
「我ら蒲生の槍働き、島津の横暴に一矢報いたと誇りたい!」
甚兵衛の背後に控える十数名の古参武士たちからも、次々と怒号が上がった。
彼らの瞳に宿るのは、主家を滅ぼされて以来、胸の奥で燻ぶり続けてきた「死狂い」の情念だ。
名誉のために華々しく散ることこそが武士の本懐であり、敵を道連れにして討ち死にすることこそが忠義であると信じ切っている、中世の生粋の亡霊たち。
(これだ。この特攻精神とメンツへの執着こそが、中小零細を最短で潰す最大の構造欠陥だ)
俺――八歳の楠千代丸(島津本家での通称:又八)は、幼児特有の冷え切った両手を懐で温めながら、静かに息を吐き出した。
大人の膝下ほどしかない身体は、冬の寒風に晒されるだけで体力を削られる。前世の二十七歳コンサルタントの思考が、目の前で感情を爆発させる男たちの心理状態と、手元の兵站リソースを冷徹に天秤にかける。
「甚兵衛。死んで名を残して、誰が喜ぶ?」
低く、だが芯の通った声が、騒然としていた小屋の空気を切り裂いた。
甚兵衛が気圧されたように言葉を詰まらせる。
「な、何を仰せか若君! 名こそ武士の命! 華々しく討ち死にしてこそ、草葉の陰の先代様も――」
「先代様は、お前たちに骨を拾わせるために死んだんじゃない」
俺は立ち上がり、甚兵衛の真正面に歩み寄った。
八歳の背丈では、大柄な老武士を見上げる形になる。だが、その澄んだ黒い瞳の奥にある絶対的な合理性の光に、歴戦の古武士たちが思わず半歩たじろいだ。
「よく聞け、蒲生の者たち。俺たちが目指す『蒲生再興』とは、敵陣に特攻して討ち死にし、軍記物に一行だけ名を残すような安っぽい自己満足じゃない」
俺は手元の薄板を指先で叩き、獅子目の荒涼たる山林を指差した。
「生き残ることだ。泥水をすすり、荒れ地を耕し、飯を食い、銭を稼ぎ、鉄と火薬を備蓄し……『島津本家が決して手放せない不可欠の戦力と富』をこの谷に築き上げることだ。それこそが、滅びた蒲生がこの乱世に勝つ唯一の道だ」
「し、島津が手放せない戦力……?」
甚兵衛が呆然と目を瞬かせる。
その横で、泥だらけの十文字槍の穂先を研いでいた弥三郎(十八歳)が、深く長いため息をつきながら立ち上がった。
「ほら見ろ、爺様。若君の仰る通りだ。ここで『蒲生が勝ったぞ!』なんて大騒ぎしてみろ。本家の正室トリオ(義久・義弘・歳久様)が『生かしておけば危険だ』って、今度こそ本隊数千を差し向けて俺たちを皆殺しに来るに決まってんだろうが」
弥三郎は首筋の古傷をポリポリと掻きながら、心底うんざりした顔で肩をすくめた。
「俺だって討ち死になんて真っ平ですよ。せっかくあんな恐ろしい泥沼の罠で生き残ったんだ。犬死にするくらいなら、若君の言う通り泥水すすってでも米を食って生き延びてやりますよ。大体、今のうちの米の備蓄を見なさいよ。本家から貰った米百石と古米十石、総勢三百八十人で食ったら、春を待たずに底をつくんだよ! 名誉で腹が膨れるなら、爺様の誇りを鍋で煮て食わせてくれってんだ!」
「弥三郎! お前というやつは、侍の誇りをどこへ捨ててきたのじゃ!」
「誇りで腹は膨れませんよォッ! 僕ぁね、もう二度とあの飢え死に寸前の野武士暮らしには戻りたくないんですッ!」
弥三郎の切実な叫びが小屋に響き渡る。
老臣の情念と、若手の生存本能。
この二つを綺麗に整流し、向かうべき実務目標へ再配分するのが、事業再生屋としての俺の仕事だ。
「甚兵衛、弥三郎。これより、蒲生武士団八十名の『全面的な組織再編』を行う」
俺は手元の薄板を裏返し、炭で書き殴った新たな部隊編成を掲げた。
「今までのような『槍を持って突撃するだけの武士』は一人も要らない。これからは、全員に固有の役割と任務を割り振る」
俺は薄板に記された三つの区分を指し示した。
「第一班・二十名は『夜間偵察・情報班』だ。楠行者衆の道純の下につき、山林の獣道、夜間の歩行術、狼煙と暗号の通信手順を叩き込め。敵の接近を半日前に察知できなければ、この孤立した谷は守れない」
「第二班・三十名は『精密伏兵・射撃班』。弓と投石、そして将来手に入れる鉄砲の訓練を徹底する。敵と正面から切り結ぶな。物陰から急所を撃ち抜き、敵が崩れたところを仕留める職人になれ」
「そして第三班・三十名は『陣地構築・工兵班』だ。弥三郎、お前が束ねろ。谷筋の土木工事、空堀の掘削、逆茂木や泥濘地の造成を専門に行う部隊だ。戦の勝敗は、槍を合わせる前に『どこで戦うか』を整えた時点で八割決まる」
整然と読み上げられる役割分担に、武士たちが顔を見合わせ、ざわめきが広がった。
甚兵衛が眉をひそめ、恐る恐る口を開く。
「若君。武士に、土木や夜這い同然の偵察を専門にやらせるというのでございますか? それではまるで、野伏や山窩のようでは……」
「形にこだわるな、甚兵衛」
俺は鋭く老臣の目を射抜いた。
「敵を殺し、味方を一人も死なせず、領地を守り抜く者が真の武士だ。この冬の間に、八十名全員を徹底的に鍛え直す。生き残りたい者だけ、俺の指図に従え」
静まり返る土間。
八歳の幼子の小さな背中から放たれる圧倒的な気迫に圧され、甚兵衛は深く頭を垂れ、八十名の武士たちもまた、言葉を失って平伏した。
「工兵班だと? なんで俺が土木工事の親方にならなきゃならんのですか」
弥三郎は手にした十文字槍の柄を土間に突き立て、引きつった笑いを浮かべながら天を仰いだ。
十八歳になり、長身に引き締まった体躯はいっぱしの若武者そのものだが、その表情には日陰の屋敷時代から変わらぬ深い苦労の色が滲み出ている。
「若君、俺はこれでも蒲生一族の槍働きとして、先日の泥沼戦でも敵の小頭を二、三人突っ伏したんですよ? それを『お前は土木を束ねろ』って……僕ぁね、もう侍をやめて鍬とスコップで生きろと言われている気分ですよ」
「槍で突っ伏す前に、敵の足を止めたのは何だ、弥三郎」
俺は手元の薄板を指先でトントンと叩き、弥三郎をじっと見据えた。
「お前たちが前もって谷底へ敷き詰めたトロロアオイの粘液と、斜面に打ち込んだマダケの逆茂木だ。あれがなければ、敵三百の突撃を八十名で受け止めきれるはずがなかった。弥三郎、お前は現場の地形を見て、どこに罠を掘れば敵が嫌がるかを直感で嗅ぎ分ける才がある。それを『工兵』として組織で回すんだ」
「買い被りすぎですよ。俺はただ、爺様が突っ込んで死なないように必死で足止めを仕掛けただけですっての」
弥三郎は首筋の古傷をボリボリと掻きながら口を尖らせたが、その言葉の裏には確かな自負と、理詰めで納得した諦念が混ざっていた。
戦国武士が嫌がる土木作業を、ただの懲罰や雑務ではなく「戦の勝敗を握る最重要の役目」として定義し直す。これこそが、限られた人的資源で大軍を相手取るための第一歩だ。
「甚兵衛」
俺が視線を転じると、白髪混じりの老臣がビクッと肩を跳ねさせた。
「は、ははっ! なんでございましょう、若君!」
「お前には『第二班・射撃伏兵班』の頭を任せる。三十名の古参武士を率い、弓の引き絞り、崖上からの投石、そして将来手に入る鉄砲の据え撃ちを徹底的に体に叩き込め。ただし、条件が一つある」
「条件、でございますか?」
甚兵衛が眉を八の字にして首を傾げた。
「敵が目の前で崩れても、俺か弥三郎の合図があるまで絶対に突撃するな。武士の意地で槍を振り回して突っ込んだ瞬間、その者は蒲生の軍規違反として即座に兵糧の支給を止める」
「なッ! 崩れた敵を追撃して首を取るのが武功ではありませぬか! 首を取らずして何の手柄かァッ!」
甚兵衛が案の定、膝を叩いて絶叫した。
この時代の薩摩武士の遺伝子には、「敵が引いたら狂乱して突撃する」という習性が骨の髄まで刻み込まれている。だが、その突撃こそが敵の伏兵の餌食になり、少人数の防衛戦力をすり潰す最大の原因なのだ。
「首級の数で手柄を測る評価は、今日限りでこの谷から全廃する」
俺は冷徹に言い放った。
「敵の首を一つ取って味方が一人死ぬより、敵を五人負傷させて追い払い、味方を一人も死なせなかった者を最高の手柄とする。手柄の評価は米と塩、そして銅銭の割増しで直払いする。甚兵衛、死んだ奴に銭を払う余裕はうちにはないぞ」
「ぐ、ぐぬぬ……! 首を取るなと……味方が死なぬことが手柄じゃと……?」
概念としての理解が追いつかないのか、甚兵衛は髭を引っ張りながら頭を抱えて唸り声を上げた。
その横で、弥三郎が吹き出しそうになるのを必死に堪えている。
「ほら見ろ爺様、若君の言う通りだ。敵の首なんて血まみれの生首を持って帰ってこられたって、飯の足しにもなりゃしないんだから。五人追い払って怪我人ゼロ、ついでに米の配給が増えるならそっちの方が百万倍マシですよ」
「だ、黙れ弥三郎ッ! お前という奴はどこまでも現金な……!」
「現金で結構! 生きて美味い飯を食うための蒲生再興でしょうがァッ!」
孫と祖父の怒号が再び交錯する。
だが、小屋に集まった八十名の武士たちの表情からは、先刻までの陰鬱な「特攻の覚悟」が消え、どこか現実的で張り詰めた「実務の熱気」が宿り始めていた。
ヒュッ――。
すきま風が吹き込む土間の隅、影の中から音もなく一人の男が膝をついた。
濡れ蓑をまとい、顔半分に古い刃傷を刻んだ楠行者衆の頭領・道純だ。
「若君。山林の配置、整い申した」
低くしゃがれた声に、土間の空気が引き締まる。
「第一班の若手二十名、我が修験の手勢三十名と引き合わせ申した。今夜より、高隈山系から大姶良・肝付へ抜ける間道の夜間踏破、ならびに狼煙と鳥笛による通信の手順を叩き込みまする」
「頼むぞ、道純」
俺は八歳の身体を伸ばし、深く頷いた。
「大姶良の橋口軍は、先日の奇襲失敗で当面は手を出してこないはずだ。だが、春になれば本領の肝付良兼が事態の異常に気づき、必ず偵察を出してくる。それまでに、獅子目と飯隈の山林すべてを、敵が一歩踏み込んだだけで足取りが筒抜けになる『蜘蛛の巣』へ仕立て上げるぞ」
「御意。行者衆の山岳の技、余すところなく蒲生の若武者どもに仕込みましょうぞ」
道純は獰猛な眼光を細め、再び闇の中へ溶けるように立ち去った。
こうして、島津本家から「使い捨ての捨て石」として大隅の荒野へ放り込まれた蒲生武士団は、中世の命知らずな亡霊集団から、夜間偵察・射撃・陣地構築を専門とする近代的な防衛組織へと、その産声を上げた。
だが、組織を再編したところで、根本的な問題は何も解決していない。
三百八十名の人間がこの極寒の冬を越え、春からの防衛戦を戦い抜くための「絶対的な食糧と資源」が、圧倒的に不足していた。
備蓄の古米と手元の資金をいくら節約したところで、外から新たな実利を引き込む産業基盤が立ち上がらなければ、春を迎える前に干殺しになる。
(冬の間に、この谷を自給自足の生産拠点へ変える。手始めは……あの『竹』だ)
冷え切った指先で懐の木板を握り締め、俺は掘立小屋の隙間から、鉛色の冬空と荒涼たる獅子目の山林を見据えた。
前世の記憶にある、驚異的な成長力と肉厚な幹を持つ「ある植物」の導入――。
死地を産業要塞へと塗り替えるための、次なる極秘計画が静かに胎動を始めていた。
明日は8時投稿予定です




