外伝:虎の爪、雅の衣 ―島津家久覚醒記―第三話:『萩の露と隘路の罠』
本日4話目です。
永禄七年(一五六四年)の秋、鹿児島城の奥御殿。 庭先の萩が風に揺れる書院に、張り詰めた沈黙が流れていた。
十一歳の島津又七郎(家久)は、膝頭に置いた両手を硬く握りしめ、青磁の茶碗を前にして息を殺していた。 畳越しに向き合うのは、京の近衛家より下向している連歌師・猪苗代兼如と、島津家の茶頭・玄斎である。
「……又七郎様。連歌の席において、前句の情景を力尽くで引き剥がすような付け句は、野暮というものにございます」
兼如が白扇で膝を軽く打ち、涼やかな笑みを浮かべた。 その細い両目の奥には、都の貴族特有の、辺境武士を品定めするような冷ややかな光が宿っている。
「『風渡る 萩の葉すれに 露こぼれ』……この雅やかな上の句に対し、若様は『敵の首級を 薙ぎ伏せにけり』とお付けになられた。これでは、せっかくの歌会が血生臭い修羅場に早変わりしてしまいますぞ」
又七郎の額に青筋が浮き、奥歯がギリリと音を立てた。
(……すかした都の公家風情が。刀も握れん軟弱な手癖で、人を見下しおって)
怒りに任せて卓を蹴り飛ばしたくなる衝動が、足の指先まで走る。 以前の己であれば、怒鳴り散らして稽古場を飛び出し、そのまま裏山で木刀を振り回していただろう。
だが――。 又七郎は深々と息を吸い込み、冷え切った茶碗の肌に指を添えて、ゆっくりと呼吸を沈めた。
(……待て。『孫子』に曰く、怒りにまかせて兵を動かす者は、敵の思う壺に嵌まる。この男は、俺が田舎侍らしく激昂するのを待っているんだ)
数ヶ月間、父・貴久から与えられた兵法書を暗記するまで読み込み、茶室で玄斎から叩き込まれた「無言の駆け引き」が、少年の頭蓋の中で噛み合っていく。 連歌も茶の湯も、遊びではない。相手の呼吸を読み、間合いを測り、心理の隙を突く戦場そのものだ。
又七郎は膝の上の拳をほどき、兼如を真っ直ぐに見据えた。
「……失礼つかまつった、兼如殿。某、武骨な身ゆえ、秋風の音にすら戦場の気配を感じ取ってしまいました。では、付け直させてくだされ」
すっと背筋を伸ばし、淀みのない声で口を開く。
「『風渡る 萩の葉すれに 露こぼれ…… 袖にかくるも 惜しき夕暮れ』」
書院の空気が、ふっと静まり返った。 兼如が扇を握る手を止め、わずかに目を瞠る。 茶頭の玄斎もまた、柄杓を置いたまま、驚きを隠せぬ面持ちで少年の横顔を見つめていた。
粗野な薩摩の四男坊から、秋の情景と露の儚さを袖に重ねる、過不足のない流麗な付け句が返ってきたのだ。 ただ教えられた形をなぞったのではない。先刻までの血気盛んな獰猛さを、雅やかな衣の奥底へ完全に隠蔽してみせたのだ。
「……ほう。見事でございますな、又七郎様」
兼如が深々と一礼し、その視線から侮りの色が完全に消え去った。 又七郎は静かに茶碗を取り上げ、教えられた作法通りに三度回し、喉を鳴らさずに飲み干した。
(……勝った)
相手の土俵に引きずり込まれるのではなく、相手のルールを完璧に踏襲した上で、その鼻先をへし折る。 木刀を振り下ろすよりも遥かに静かで、そして遥かに痛烈な「勝利」の感覚が、胸の奥を満たしていった。
午後、城外の秋風が吹き抜ける野原。 又七郎は手袋をはめた左腕に若鷹を据え、馬の背の上から眼下のススキ野原を見下ろしていた。 背後には、五名の近習と勢子たちが控えている。
「又七郎様! 右手の谷筋から、野鹿の群れが飛び出しますぞ!」
勢子の叫び声とともに、乾いたススキを蹴立てて三頭の鹿が走り出た。 以前の又七郎なら、真っ先に愛馬に鞭を入れ、力任せに群れの中央へ突っ込んで矢を放っていただろう。 だが、今の彼の目は、戦場全体を上空から俯瞰するように冷徹だった。
(鹿の逃げ道は、正面の開けた平地と、左手の狭い岩場の二つ。……人間なら平地へ逃げたくなるが、獣は身を隠せる岩場を選ぶ)
「左の勢子、声を上げるな! 息を潜めて岩場の出口へ回り込め!」
又七郎は手綱を絞り、鋭く下知を飛ばした。
「右の者どもは、鉦を叩いて平地側から威嚇しろ! 鹿を無理に追うな、岩場の狭間へ『逃がしてやれ』!」 「はっ!」
勢子たちが左右へ散り、鉦の音を鳴り響かせる。 驚いた鹿の群れは、平地を避けて又七郎の狙い通り、左手の狭隘な岩場の裂け目へと雪崩れ込んでいった。
獲物が完全に袋小路へ頭を突っ込んだ瞬間、又七郎は左腕を掲げ、鷹の覆面を素早く外した。
「往けッ!」
バサリ、と鋭い羽音が風を切り、若鷹が急降下する。 逃げ道を失ってパニックに陥った先頭の鹿の頭上へ、鷹の鋭利な爪が深々と食い込んだ。 動きの止まった獲物へ、又七郎が馬を寄せて弓を引き絞り――放たれた矢が首筋を正確に射抜いた。
わずか一手も乱れぬ、完璧な狩り。
「……す、すげえ……! 追わずに獲物を罠へ引きずり込みやがった……!」
近習たちが馬上で息を呑み、歓声を上げる。 又七郎は弓を下ろし、獲物の血を吸う鷹を静かに手元へ呼び戻した。
(……これが、『形を隠し、敵を動かす』ということか)
北の丸で、五歳の弟・楠千代丸が弥三郎たちを使って見せた「見えない罠」。 そして貴久が説いた「人を動かし、地形を使い倒す将の器」。 兵法書の文字と、茶席で磨いた冷徹な観察眼が、今、武術という身体感覚と完全に一体化していた。
野生の虎のように荒々しかった少年の爪は、雅の衣という鞘に収められたことで、より鋭く、より見えざる凶器へと研ぎ澄まされつつあった。
家久の付け句、そんなにすごくないじゃん!という人いるかもですw
まぁ作者が連歌師でもなんでもない凡骨なのでw
そしてこの場面、家久が天才的な付け句をしたから連歌師達がおどろいたのではなく「敵の首級を 薙ぎ伏せにけり」みたいな話にならない付け句のあとに指摘されて「教科書通りの優等生」の付け句を付けたから驚いたのです。「教科書通りの」付け句は芸術的価値は低いですがそれをするためにはきちんと歌や連歌の知識が必要でそんなもの持ってないと思ってた家久が意外にもその知識はあったことに驚き態度を改めたわけです。
次は19次更新予定です




