第132話 白帆の防壁と黒鉄の嘴
天正六年(一五七八年)十一月
不知火海の北端、天草諸島の島々を縫う狭隘な瀬戸を抜け出ると、視界は一気に冷たい灰色の霧に包まれた広大な有明海へと開けた。
八代を出撃した島津水軍の艦隊は、冬の北西風を切り裂きながら、島原沖合へとその船列を広げていた。
先頭を進むのは、高須ドックで建造された島津の新鋭外洋関船群である。
船首から船尾まで狂いなく組み合わされたクスノキとスギの厚板は、燻煙と槙肌、そして特製の防水油によって鈍い光沢を放っている。
高くそびえ立つ主柱には、孟宗竹を幾重にも等間隔で縫い込んだ「硬式竹骨帆」が張られていた。
本来の和船は平底に近く、向かい風を受ければ横流れを起こして風上へ切り上がることは叶わない。
だが、この新鋭船は船底側面に差し込まれた着脱式の側板(あおり板)が横滑りを抑え、複滑車で引き絞られた竹骨帆が風の揚力を逃さず捉えることで、和船の常識を覆す鋭い角度で北西風へと切り上がっていた。
そして、前衛を行く関船の甲板――左右の舷側と舳先から突き出しているのは、青黒く鈍い光を放つ青銅の砲身であった。
――仏狼機砲。耳川で鹵獲され、雑賀の鋳造職人と能野の船大工の手で分析・複製された島津製「国崩し」である。
重すぎる大口径砲は中央の大型船に固定据え付けとし、前衛の快速関船には取り回しの利く中口径の子母砲が配備されている。
砲架の根元には、旋回歯車と頑丈な固定台が組み合わされていた。
照準時には滑らかに左右へ首を振り、目標を捉えた瞬間に太い鉄楔を打ち込んで固定する「可動後固定式砲架」。
発射の凄まじい荷重は、甲板下に幾重にも通された極太の横梁と船底構造材へと分散される設計となっていた。
「……たまげたもんだな」
関船の舳先に立ち、遠眼鏡越しに艦隊を見渡していたのは、日向から駆けつけた四男・島津又七郎家久であった。
その横には、能野水軍の頭領・甚五郎が、獰猛な笑みを浮かべて舵木を両腕で抱え込んでいる。
「大友が耳川に打ち捨てて逃げたあの南蛮筒が、まさかこれほど海の上に並ぶとはな。崇清、これだけの鉄と銅を揃えるのに、一体どれほどの銭を吐き出したのじゃ?」
「銭の話は弥三郎に聞かないでやってください。また胃を押さえて寝込みますから」
崇清は苦笑交じりに応じつつ、甲板を歩いて砲座の固定梁を点検した。
「雑賀の徳兵衛たちを招いて青銅の配合を突き止め、鋳造させたのが功を奏しました。……だが家久兄上、この船団の真価はただ大砲をぶっ放すことではありませんよ」
「ほう? 船ごと敵を木っ端微塵にするのが目当てではないと?」
「ええ。海の上で一番大事なのは、相手の『足』を奪うことです」
崇清は沖合、島原半島の海岸線を指差した。
「この竹骨帆と側板の機動性で風上を取り、相手の死角となる斜め後方から切り込む。狙うのは敵船の船腹ではなく、帆柱と舵です。近距離から子母砲を素早く連射して帆を裂き、舵を砕けば、敵の軍船は操船の自由を完全に失う。たとえ櫓で漕ごうとしても、舷側に掲げた竹束盾で矢弾を防ぎながら包囲すれば、無駄に沈めることなく拿捕できるんです」
「へへっ、若君の言う通りだぜ!」
舵を握る甚五郎が、赤銅色の胸を叩いて笑い声を上げた。
「竹骨帆は潮の流れと逆風でもグイグイ切り上がるし、舷側の竹束は敵の矢や鉄砲の威力をしっかり殺してくれる。おまけに大砲まで積んでんだ、有明海のどこの水軍が束になってかかってきても、間合いに入ることすらできねえよ!」
「調子に乗るんじゃねえ、甚五郎!」
甲板の点検口から、白髪混じりの頭に手拭いを巻いた老船大工――能野大工衆の棟梁・茂平次が顔を出し、手斧の柄で甲板を叩いた。
「大砲をぶっ放すたびに、砲座から船底の梁まで凄まじい衝撃が抜けるんだ! 反動で留め木が緩んだら、すぐ下の梁を締め直さなきゃ船体が歪む。……若君、予備の留め木と楔は船倉にきっちり積んでありますぜ!」
「助かるよ、茂平次親方。高隈の山でホップ棚を組んでいる茂平次は今頃寒風に震えているだろうが、船のほうはお前がいてくれなきゃ困る」
「へっ、あっちの山番の茂平次と名前が同じだからって、あっしを山へ引っ張り出されちゃ敵わねえですからな! 船の面倒なら骨の髄まで見てやりまさぁ!」
老船大工が豪快に笑い、崇清も小さく頷いた。
この艦隊は、単なる兵器の陳列ではない。
能野水軍の操船技術、雑賀衆の鋳造と火薬、飯隈・高須の木工構造設計と兵站管理――崇清が数年かけて泥臭く集め、繋ぎ合わせてきた現場の職人組織そのものが形となった姿であった。
「……若君、見張りが島原の陸を捉えやした!」
弥三郎が甲板の先を指差した。
海上に漂う朝霧が晴れ渡り、雲仙岳の裾野が青く浮かび上がっている。
海岸線沿い――南の日野江城と、北の森岳との間に挟まれた広大な低湿地帯「沖田畷」の周辺に、無数の砂煙が立ち上っていた。
「龍造寺軍だ」
家久が遠眼鏡を構え、獰猛な光を宿した。
「先鋒はすでに有馬の領内へ踏み込んでおるな。……鍋島直茂の諫言を蹴飛ばし、裏切り者を叩き潰すために大軍をあの泥田の隘路へ押し込んできおったわ」
「ええ。有馬家の宿老たちは手筈通りに城へ引き籠もり、龍造寺の先鋒をあの畷道へ引きずり込んでいます」
崇清は冷徹に海岸線を見つめた。
陸上では、先行して別船団で不知火海を渡っていた島津義弘の本隊と、中馬重忠・重方父子の部隊が、すでに有馬勢と合流して泥濘の脇道に布陣を終えている。
そして、この有明海の制海権を握る島津水軍の役目は――肥前の巨熊の退路を海から完全に断ち切ることであった。
「家久兄上、甚五郎」
崇清は静かに号令を下した。
「龍造寺の補給船団が有明海へ逃げ出さぬよう、沖合に展開して退路を塞ぎます。……もし敵の船団が仕掛けてくれば、風上から詰め寄って帆と舵を奪え。ただし、無駄に沈めるなよ。拿捕して船も木材もすべて回収する」
「がはは! 相変わらず算盤の狂わぬ男よ!」
家久が野太刀を抜き放ち、冬の海風を切り裂いて掲げた。
「野郎ども、帆を張れ! 肥前の熊に、海の上から鉄の雷を浴びせてやれィ!!」
「「「応ッッ!!」」」
能野の荒くれどもが歓声を上げ、竹骨帆がグンと風を孕んで白波を蹴立てた。
青銅の砲門を覗かせた白帆の防壁が、冬の有明海を切り裂きながら、決戦の地・島原の沖合を完全に封鎖していく。
陸の泥濘に囚われた龍造寺軍の頭上へ、海からの絶対的な死線が、音もなく差し伸べられようとしていた。
お読みいただきありがとうございます。
どちらかといえばこれまで裏で支えてた印象の強い島津水軍です。今回は少しだけ活躍します。
【主力打撃・技術検証】:能野系(甚五郎・茂平次:操船・旗艦・カラス・新船型) + 紀州系(雑賀鍛冶・徳兵衛:大砲鋳造・砲撃システム) + 高須系(造船ドック・母港・兵站直属)
【外洋航路・南方海域】:禰寝系、坊津・山川系
【西岸哨戒・機動展開】:甑島系
【東岸兵站・豊後封鎖】:日向(油津・細島)系
【北部内海・局地案内】:天草・不知火海沿岸衆
現在の島津水軍は、おおむねこのような機能分担になっています。
それぞれが独自の得意分野を持ちながら、必要に応じて連携する仕組みです。
今回活躍するのは、一番上の主力打撃・技術検証を担う部隊ですね。




