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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第7部 崇清の婚姻と九州統一

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第131話 肥前包囲網と黒潮の兵站

天正六年(一五七八年)十一月


肥前・佐嘉城の奥御殿に、怒号と物が砕け散る凄まじい破壊音が響き渡った。


「島津の田舎侍どもが、誰に口を利いておるのかッ! この儂に大友から奪った領地を朝廷へ返し、隠居して都へ登れだと!? 笑止千万! 片腹痛いわッ!」


巨体を揺らし、酒臭い息を荒らげて咆哮したのは「肥前の熊」龍造寺隆信であった。


投げつけられた青磁の壺が柱に激突して粉々に砕け散り、板敷きには崇清が突きつけた朝廷綸旨の写しと、降伏を促す通牒が引き裂かれて散乱している。


「殿、どうか、どうか我が言をお聞き入れくださりませ!」


平伏したまま額を床に擦り付け、必死に声を絞り出したのは、義弟にして龍造寺の屋台骨を支え続けてきた鍋島直茂であった。連日の前線巡回と兵糧の手当てで頬はこけ、眼窩は黒く窪んでいる。


「筑前の戦線は立花道雪・高橋紹運の頑強な防陣に阻まれ、兵糧の欠乏から一歩も前に進めませぬ! 従属する筑後や北肥後の国衆も、過酷な軍役と届かぬ恩賞に怨嗟の声を上げております! これ以上手を広げれば、我が軍勢は自らの重みで崩壊いたします! ここは朝廷の綸旨に従い、大友旧領を返上して手打ちとするのが、龍造寺の家名を残す唯一の道――」


「黙れ、直茂ッ!」


隆信はぎょろりとした血走った眼で直茂を睨みつけ、その肩を無造作に蹴り飛ばした。


「大友の領地を切り取って何が悪い! 儂は五州の太守ぞ! 島津の小倅の指図など受けるものか! ……ええい、島原の有馬が八代の島津へ密使を送り、寝返りを企んでおるという報せも届いておるわ! 儂を侮る小僧どもめが! 筑前の兵を一部引き揚げ、島原の有馬を一気に踏み潰すぞ! 儂自ら馬を出す!」


「殿! 島原へ軍を向けてはなりませぬ! 泥田と狭隘な地形で大軍の用をなさず、島津の思う壺でございます!」


「喧しいわ! 臆病風に吹かれたか直茂! 下がれ、下がれッ!」


荒れ狂う隆信の背中を見つめながら、蹴飛ばされた直茂は唇を噛み切り、血を滲ませた。


胸元には、崇清から自分宛てに届いた密書が冷たく張り付いている。


――『大友旧領を朝廷へ返上し、隆信公の暴走を止めるならば、肥前在地の統治と差配はそのまま鍋島に委ねよう。主家を道連れに領民もろとも討ち死にするか、主家の血脈を都へ逃がして肥前の実務を背負うか、選ばれよ』


直茂は奥歯を噛み締め、懐のその書状を衣の上から強く握りしめた。


(……崇清殿。貴殿の見立て通り、我が主君の耳には、もはや人の言葉は届かぬ)


直茂は静かに立ち上がり、深々と一礼して奥御殿を辞した。


その双眸からは迷いが消え、凍てついた覚悟の光が宿っていた。


主従の絆は、修復不能の亀裂となって砕け散っていた。


*


肥後・八代の古麓城大広間。


上座にどっかと胡坐をかき、太い腕を組んで地図を睨み据えているのは、島津軍事総司令官・島津兵庫頭義弘であった。


その脇には城代として後方拠点を固める新納武蔵守忠元、そして日向から遊撃の軍勢を率いて駆けつけた四男・島津家久が並んでいる。


「佐嘉城より早馬が走りました」


板間に滑り込んできた道純が、低く息を整えて崇清へ頭を垂れた。


「有馬の重臣が八代へ送った密使の動き、佐嘉の耳へ漏れましてございます。……当方の撒き餌が見事に効きました。龍造寺隆信、島津の降伏勧告を破り捨て、裏切り者の有馬を成敗せんと島原出陣の触れを出しました」


「がはは! 見事に釣れおったな!」


家久が野太刀の鍔を鳴らして獰猛に笑い、義弘もまた鋭い眼光を崇清へ向けた。


「崇清、手筈通りだな。先に有馬へ『動くな』と釘を刺していたのも、このためか」


「はい、義弘兄上」


崇清は立ち上がり、壁に掲げられた巨大な九州全図を指し示した。


「隆信自ら島原へ全軍を引き連れて踏み込んでくるならば、もはや待つ理由はありません。有馬家にはすでに八代より弾薬と兵糧を船で運び込ませ、島原南部の沖田畷へ敵を誘い込むよう迎撃の手はずを整えさせております。……そして此度の戦、我ら島津だけで肥前の熊を相手にする必要はありませぬ」


広間には、不知火海を渡って八代へ集結した諸将が顔を揃えていた。


北薩からは、耳川の重傷から復帰して蒲生島津の重鎮となった中馬大蔵重忠、その息子の巨漢・重方。


東肥後からは、阿蘇家の宿老・甲斐宗運の軍勢が北肥後を押さえるべくすでに陣を進めている。


さらに大隅の禰寝・肝付・伊地知の武頭たち、薩摩南部に移封した相良の犬童頼安が率いる鉄砲隊も、島津の号令に従って続々と八代へ布陣していた。


「筑前では、立花道雪殿と高橋紹運殿が出陣の備えを固めております」


崇清の言葉に、義弘が満足げに顎を引いた。


「背後から退路を塞ぎ、佐嘉城への連絡線を断つわけだな」


「左様です。龍造寺がこれまで力で脅し、掠め取ってきた周辺の諸勢力が、一斉に佐嘉へ槍の穂先を向け直す。これこそが、我らの敷く『九州新秩序』による総包囲網です」


「……壮観でさぁな。だが若、これだけの大軍が一度に動いて飯が続くんで?」


帳面を抱えた弥三郎が、額の汗を拭いながら問うた。


異なる家中の兵が集まれば、通常は指揮系統の乱れと兵糧の奪い合いで自滅するのが落ちである。


だが、崇清の陣営にはその混乱が一切なかった。


「弥三郎、各陣への割り振りは終わっているな」


「へい! 抜かりありやせん!」


弥三郎が手元の木札を弾きながら胸を張った。


「薩摩西岸の出水・坊津を前進中継地とし、大隅の高須から運んだ物資も合わせて船団が不知火海をピストン輸送で往復しておりやす。各陣の兵数に合わせて、一升の狂いもなく規格を揃えた兵糧を配備済みです」


運び込まれたのは、携行性に優れた高密度乾燥兵糧と、精製された純白の塩。陣中で泥水を沸かして飲むための茶葉と味噌玉。


さらに、寒風の泥濘を行く兵たちの渇きを潤し、素早く熱量を届ける特注の「松葉サイダー」が竹筒に詰められて前線へ配られた。


夜の冷え込みを防ぎ、泥水に浸かる兵の身体を芯から温めるため、大隅で蒸留された焼酎も規定量ずつ厳格に分け与えられている。


「……さらに、義弘様、家久様、忠元殿ら諸将の陣所には、飯隈で熟成させた上面発酵のエール麦酒を届けさせておりやす。高隈山の下面発酵はまだ冬の氷室で眠っておりますが、まずはこの一杯で景気づけを」


弥三郎が差し出した黒塗りの小樽に、家久が喉を鳴らした。


「相変わらず、又八の差配する飯と酒は気が利いておるわ!」


「ガハハ! これほどの兵站を揃えられては、戦う前から背筋が伸びるわい」


忠元が豪快に笑い、広間の空気が一気に引き締まった。


現地調達の略奪に頼り、凍える泥水と空腹に喘ぎながら島原へ向かう龍造寺の軍勢。


対する島津の連合軍は、整然とした配給で腹を満たし、温かい吸い物と酒で士気を研ぎ澄ませていた。


戦場で刃を交える以前に、組織と兵站の格差が勝敗の行方を大きく引き寄せていた。


「義弘兄上」


崇清は八代の港を見下ろし、冷徹に告げた。


「沖田畷の狭隘な泥田へ誘い込まれた時、肥前の巨熊は動けぬ標的となります。……そして隆信が討たれれば、鍋島直茂殿の手で肥前の扉は開かれるはずです」


義弘が立ち上がり、陣羽織を翻した。


「よし。不知火海を渡るぞ! 島原へ兵を入れよ!」


冬の初風が八代の港にひるがえる島津の丸十の旗を揺らした。


沖田畷の泥沼へと突き進む龍造寺の落日と、九州の海を覆う白帆の船団。


天正六年の冬、新たな時代の幕を開く決戦の火蓋が、静かに切って落とされようとしていた。




お読みいただきありがとうございます。


いよいよ龍造寺との決戦が始まります。


ただ、今回の戦は木崎原のような、戦場での奇策や逆転劇を楽しむタイプの戦いとは少し違います。


崇清がこれまで積み重ねてきた外交、情報戦、兵站、そして周辺勢力との関係構築。その成果を一つの戦場に集約させる戦いです。


言ってしまえば、戦が始まる前から勝つための条件を一つずつ積み上げてきたわけですね。


そのため、戦場そのものの緊迫感は少し控えめになるかもしれません。


蒼溟における崇清の戦は、大体こんな感じです(笑)。


ただ、戦争というものは必ずしも戦場で勝敗が決まるわけではありません。昔から『戦術の勝利で戦略の失敗は補えない』と言いますし、実際、少数の例外を除けばその通りです。

まぁその例外をやった一人の義弘が今回は戦略が十分な方にいるわけですがw


今回は、そこを楽しんでいただければと思います。

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