第110話 炸裂の焔と鍛冶屋の業(ごう)
「……逃げてきた、とは人聞きが悪うございますな、若」
天正五年、初冬。錦江湾からの潮風が吹き抜ける大隅・獅子目の海岸れんが道を踏みしめながら、蒲生清忠(弥三郎)が呆れたように半眼を向けた。
「逃げてきたんじゃねえ、現場視察だ」
崇清は鼻先を撫で、首筋をすくめた。
「冬の間に高須のドックと獅子目ラボの設備点検をしておくのは、事業計画上の基本だろうが。あの内城の重苦しい空気から、胃袋を休めるための必要な出張だ」
「どの口が仰いますか。内城を出る際、亀寿様が『又八郎叔父様、飯隈へ行くならわらわも連れてゆけ!』と帯にしがみついて泣き喚き、義久公が眉一つ動かさずに『婿の役目を果たせ』と睨んでおられたのを、振り切って馬を飛ばしたのはどこの誰です」
「……言うな。思い出させるな」
崇清は右掌でみぞおちを強く圧迫した。
八歳の姪が「将来の夫」という言葉を魂の底に刻み込み、純粋無垢な熱量で真正面からぶつかってくる。中世の政略結婚という枠組みの残酷さと、少女の真っ直ぐな好意の板挟みになり、崇清の内臓は連日ギリギリと音を立てて軋んでいた。
(現場だ。鉄と木と火薬の匂いを嗅いで、正気を保たなきゃやってられん……)
現実逃避するように早足で向かった先は、獅子目の集落からさらに海沿いへ半里ほど離れた、人気のない砂浜の端であった。
黒松の防風林に囲まれたその一角には、分厚い土塁に囲まれた粗末な鍛冶小屋が据えられている。
耳川で分捕った青銅巨砲「国崩し」を解体・分析した雑賀流の鍛冶師・徳兵衛や、蒲生以来の古参鍛冶・鉄造らが詰める、火薬・火砲の隔離実験場である。
小屋の前に立つと、すでに鉄と硫黄の焦げ付くような刺激臭が漂っていた。
「おう、若殿! よう来られた!」
腕まくりをした鍛冶頭の徳兵衛が、煤だらけの顔を綻ばせて土間から出てきた。
その後ろからは、眉を焦がした鉄造が、いかにも職人らしい頑固な面構えで無骨な礼を寄こす。
「徳兵衛、鉄造。例のものの進み具合はどうだ」
「へえ。若殿が先月、紙の端っこに殴り書きして寄こした『中が空洞の大砲玉』ですかい? ……あんな気味の悪いもん、よく思いつきましたな」
徳兵衛が土間の筵を跳ね上げる。
そこに転がっていたのは、いつもの無垢の鉄球や石弾ではなかった。
人の頭ほどの大きさがある、黒光りした青銅の球体。その頭頂部には親指ほどの穴が穿たれ、木製の栓がねじ込まれていた。
崇清の「ふわっとした前世知識」から生まれた試作品――中空炸裂弾(榴弾)である。
(大砲の弾ってのは、ただの鉄の塊をぶつけるだけじゃなくて、着弾した瞬間に中に入った火薬が破裂して破片をばら撒くやつがあったはずだ。……南蛮船が錦江湾に入ってきたとき、船板を撃ち抜くだけじゃなく、甲板の水主どもを根こそぎ吹き飛ばす手立てがいる)
以前、酒の席の雑談まじりに「青銅で中を空洞にして火薬を詰め、木の管に火薬を通した信管をねじ込めば、目標に届いた頃にドカンと弾けるんじゃないか」と口走ったポンチ絵を、この技術バカどもは見事に鋳造の現物に落とし込んでいた。
「……どうやって中を抜いた?」
「若殿の言う通り、土で中子を作って浮かせ、その周りに溶銅を流し込みやした。冷えてから穴から土を掻き出して、中に黒色火薬と鉄屑をみっしり詰めてやす。穴には松脂を塗った朴の木の管を打ち込み、管の中に導火線を仕込んでありまさぁ」
鉄造が自慢げに青銅弾を叩く。
金属の鈍い音が響く。崇清は屈み込み、その球体を撫で回した。
(……待てよ)
崇清の指先に、嫌な違和感が引っかかった。
球体の表面を撫でると、ある部分は異様に薄く、反対側は分厚く歪んでいる。青銅の肉厚がまったく均一ではない。中子を固定する技術が中世の現物合わせである以上、鋳型の内部で芯がズレたのだ。
さらに、ねじ込まれた木製信管の隙間から、わずかに黒い火薬の粉がこぼれていた。
「……おい、鉄造。この肉厚、薄いところと厚いところで二倍近く差があるぞ。それにこの木の管、発射の爆圧で隙間から火が筒の中に吹き抜けたりしないのか?」
「へへっ、細かいこたぁ撃ってみりゃ分かりますよ!」
鉄造はあっけらかんと笑い飛ばした。
「試射用の小ぶりなフランキ砲を用意してありやす。浜辺の砂山に向けて、一発ぶっ放してみせましょうや!」
「待て、撃ってみりゃ分かるって、お前――」
崇清が制止の声をかけるより早く、雑賀の若い職人がすでに子砲(薬室)に装薬を詰め、砲尾へ落とし込んでいた。
鉄造が導火線の先端に火縄を近づける。
「おい、離れろ! 退避線まで下がれ!!」
崇清の喉が張り裂けんばかりに叫んだ、そのコンマ数秒後であった。
――ジュッ。
信管の導火線に火が移った瞬間、パチパチと火花が散るはずの火が、木栓のわずかな隙間から「ヒュッ」と音を立てて球体の内部へと吸い込まれた。
「あ――」
鉄造が間の抜けた声を上げた。
次の瞬間、世界が真っ白に弾け飛んだ。
ドッッッッガァァァァァァァァァァンッッ!!!!
轟音などという生易しいものではなかった。
発射の火薬に点火するよりも早く、砲身の中で中空弾そのものが早期起爆したのだ。
青銅の砲身が真紅の火花とともに四つ裂きに破裂し、実験小屋の土壁と竹の屋根が木っ端微塵に吹き飛んだ。
猛烈な爆風が崇清の体を薙ぎ払い、砂利混じりの砂浜へ叩きつける。
「ぐあっ……!?」
「若っっ!!」
弥三郎が覆いかぶさるように崇清を庇い、頭上を「ヒュンッ! ヒュンッ!」と凄まじい風切り音を立てて青銅の破片が飛び交った。
硝煙と土煙がもうもうと立ち込め、硫黄の悪臭と、生々しい血の匂いが鼻腔を突いた。
「……う、あぁぁぁっ……!」
「腕が……! 熱い、熱いッ!!」
砂煙の向こうから、悲鳴が上がった。
崇清は砂を吐き出しながら跳ね起き、煙の中へ飛び込んだ。
目に入ったのは、地獄絵図だった。
実験用の砲は跡形もなくひしゃげ、敷いていた楠の丸太が真っ黒に裂けている。
若い職人が吹き飛ばされ、太ももから血を流して転がっていた。
そして――鉄造が、右腕の袖を丸焼けに焦がし、ずるりと皮膚のめくれた腕を押さえて砂利の上にうずくまっていた。
ドクン、と崇清の胸の奥で、冷たい何かが跳ねた。
視界が急速に狭まる。
耳鳴りがキーンと脳髄を貫き、呼吸が引き攣るように浅くなった。
目の前の血溜まりと焼け焦げた肉の匂いに、前世の記憶が、濁流となって雪崩れ込んでくる。
――東京の環七、深夜の工事現場。
無理な工期短縮の末、滑落した足場。
ぐにゃりと曲がった鉄パイプの下から伸びていた、同世代の若い職人の血まみれの腕。
救急車の回転灯の赤い光と、「誰の責任だ」「工程はどうなる」と電卓を叩きながら保身に走っていた元請けの怒号。
そして、事務所の机の上で、心臓を押さえて突っ伏した自分自身の冷え切った指先――。
(まただ……また、俺の杜撰な指示のせいで、人がすり潰された……!)
胃袋から酸っぱいものがせり上がり、崇清は膝をついて激しく嘔吐しかけた。
顔から血の気が完全に引き、蒼白を通り越して土気色になった崇清は、震える足で立ち上がると、狂気のような怒気を孕んだ声で怒鳴り散らした。
「――中止だッッ!!」
喉が裂けるほどの絶叫が、煙の巻く浜辺に響き渡った。
「こんな危険なものは今すぐやめろ! 中空弾の試作は全面凍結だ! 図面も型も全部叩き割れ! こんなものは人の扱う道具じゃない! 人の命を……職人の命を何だと思っているんだッ!!」
崇清は駆け寄り、自分の小袖を力任せに引き裂くと、鉄造の焼け爛れた腕に巻き付けようとした。
前世の労災の亡霊に首を絞められ、ただただこれ以上の「破損(死)」を止めることだけに血眼になっていた。
だが。
「……触るなッ!!」
鉄造が、残った左手で崇清の腕を荒々しく払いのけた。
煤と血にまみれた顔を上げた老鍛冶の瞳は、痛みに怯える色など微塵もなかった。
そこにあったのは、獲物に食らいつく野獣のような、昏く獰猛な「狂気」であった。
「……何が、中止でございますか」
低く、地を這うような声だった。
「鉄造……?」
「職人が! 新しい技を引く途中で手前ぇの不手際で火傷を負ったからと、尻を撒くって逃げ出せと仰るのかッ!?」
「不手際じゃない、物理的に無理なんだよ! 砲身の中で暴発したんだぞ!? 一歩間違えればお前らは肉片になって死んでいたんだ!」
「死ぬなら本望じゃッッ!!」
鉄造が血走った目を剥き出し、崇清の胸倉に掴みかからんばかりに怒鳴り返した。
「鍛冶も火薬も、初めから命がけじゃ! 炉の熱で目を潰し、鞴の粉で肺を腐らせ、それでも誰も届かねえ鋼の高みを目指すのが儂ら鍛冶屋の業じゃろうがッ!! 若君、恐ろしいのは火薬ではありませぬ! これを作れずに、海の上で敵の南蛮砲に撃ち抜かれて無残に沈んでいく島津の兵ですぞッ!!」
「…………っ!」
「今、なぜ破裂したかは分かった! 肉厚が狂って火が中へ回ったんじゃ! なら、肉厚を狂わせぬ鋳型を作ればええ! 隙間を埋める信管を削り直せばええ! 新しい技の扉の隙間から光が射し込んだというのに、ここで退いてみろ……死んだ先祖にも、怪我をした弟子にも顔向けができんわッ!!」
傍らで煤を拭っていた雑賀の徳兵衛もまた、肩で息をしながら、崇清を真っ直ぐに見据えていた。
その瞳にも、鉄造と同じ光が宿っていた。
「……若殿。紀州で信長に国を焼かれた時、俺たちは思い知ったんでさぁ。新しい筒、強い火薬を持たねえ者は、ただ踏み潰されるだけだってな。……ここでやめたら、俺たちはただの負け犬だ。続けさせてくだせえ。手足の二、三本吹っ飛んだところで、誰も若殿を恨みやしねえよ」
崇清の全身の毛穴が、一斉に粟立った。
(……狂ってやがる)
前世の安全配慮義務、労働法、命の尊さ。
そんな近代の甘やかな物差しなど、この乱世の職人たちの前には一片の紙屑ほども通用しない。
彼らにとって、命とは「失ってはならない絶対の資本」ではない。
腕一本、命一つを炉にくべ、その対価として次の時代の技術を削り出すための「燃料」にすぎないのだ。
中世の技術者たちが背負う「業」の底知れぬ深さに、崇清は戦慄した。
ここで完全に禁じれば、彼らは夜陰に乗じて勝手に実験を続け、本当に命を落とすだろう。
崇清は深く、肺腑の底から息を吐き出した。
震える右手を強く握り締め、爪を手のひらに食い込ませる。
「……分かった」
崇清の声は、低く冷たい実務家のトーンへと戻っていた。
「だが、俺の現場で勝手に死ぬことは絶対に許さん。死んだら売上も技術もゼロだ。……条件を出す」
「条件……?」
鉄造が眉をひそめる。
「第一に、海岸の土塁を倍の厚さに盛り直し、試射の際は全員が退避壕の奥へ完全に隠れること。第二に、火縄で直接点火することは厳禁とする。遠く離れた壕の中から、長い引き綱を引いて点火する『遠隔発火装置』を組め。……そして第三に」
崇清は焼け焦げた青銅の残骸を指差した。
「肉厚の寸法と信管の気密性が完全に証明されるまで、実射実験は一切禁止だ。中空弾の試作品はすべて頑丈な木箱に収め、厳重に施錠して封印しろ。……この条件を一つでも破ったら、獅子目の炉の火をすべて叩き消し、二度と鉄を触らせん」
有無を言わせぬ冷徹な眼差しに、鉄造と徳兵衛は気圧されたように唾を飲み込み、やがて揃って頭を下げた。
「……へえ。若殿の仰せの通りに」
「弥三郎、高須から医師を呼べ。火傷の手当てと傷薬の手配だ。治療費はすべて飯隈の直轄勘定から落とせ」
「承知いたしました」
弥三郎が駆け出し、現場の混乱が少しずつ収束へ向かう。
夕暮れの錦江湾から吹き付ける寒風が、焼け爛れた土間を冷やしていく。
(……大砲の弾一つすら、これだ)
崇清は煤に汚れた自分の掌を見つめ、自嘲気味に息を漏らした。
前世の聞きかじりの知識など、現場の物理と材料の限界の前には無力だ。技術とは、こうして血と煤を流しながら、職人たちの執念によってミリ単位で泥臭く前進させるしかないのだ。
背後で、片付けが始まっていた。
崇清には見えていなかった。
半壊した鍛冶小屋の片隅、焼け残った板壁の陰で――。
包帯を巻かれたばかりの痛む右手を庇いながら、鉄造が、震える左手で帳面に木炭の芯を走らせている背中を。
そこには、歪みを防ぐための鋳型の寸法と、中子を真鍮の支柱で固定するための、荒削りな割り出し図がびっしりと殴り書きされていた。
職人たち、島津の兵の命を守るための技術開発は嘘ではないですが実は彼らが技術の先を自分の手で開いてみたいという方がつよいです。職人の業ですね




