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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第7部 崇清の婚姻と九州統一

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第107話 相良の国替えと知覧の青き畝

 山川湊から北へ、馬の背に揺られて半日。

 南薩の尾根を縫う細い街道は、かつて崇清が敷かせた叩き土の工兵道によって、荷駄の車輪が軋むこともなく滑らかに伸びていた。

 だが、その列を進む一団の空気は、鉛を呑み込んだように重苦しい。

 相良義陽を先頭とする、旧球磨領主・相良家の一行である。

 先祖伝来の人吉の城を明け渡し、一族郎党三千人を引き連れて薩摩の南端へとやってきた武士たちの顔には、疲弊と、故郷を奪われた暗い屈辱が濃く張り付いていた。

 特に義陽の馬首にぴったりと寄り添う宿老・犬童美濃守頼安の眼光は、抜き身の刃そのものだった。

 街道の左右に立ち並ぶシラスの崖を睨みつけ、手綱を握る指の節々を白く尖らせている。

「……殿、油断召さるな。島津は口では国替えと申しておりますが、ここは薩摩のどん詰まり。山に囲まれた僻地で兵糧を断たれれば、袋の鼠にござる」

「滅多なことを申すな、頼安」

 義陽は静かに窘めたが、その声にも隠しきれぬ焦燥が滲んでいた。

「島津又八郎殿は、球磨の山番や百姓の命まで帳面に書き残して救うた男じゃ。阿蘇をも神道の手管で傷一つつけずに抱き込んだ。今さら我らをこのような山奥で謀殺するような、安っぽい真似はあるまい」

「しかし、石高は二万石から一万二千石への減封! 表高だけで四割も削られて、人吉から連れてきた家中をどうやって食わせろと申すのか……!」

 頼安が悔しげに奥歯を噛み鳴らした、その時だった。

「――相良殿、頼安殿。前方の峠を越えますぞ」

 先導を務めていた蒲生甚兵衛が、馬上で太い腕を掲げた。

 後岳の切り通しを抜けた瞬間、一行を包み込んでいた鬱蒼とした杉木立の影が、一気にパッと左右へ開けた。

 吹き抜けてきたのは、冷たく湿った山風ではない。

 錦江湾から開聞岳の裾野を撫でて立ち上る、どこまでも温暖で柔らかな南風(はえ)だった。

「……っ!?」

 義陽が息を呑み、頼安が思わず手綱を引き絞った。

 峠の向こう、なだらかにうねる広大な丘陵地帯一面に広がっていたのは、荒れ果てた痩せ地などではなかった。

 見渡す限り、幾筋もの美しい曲線を描いて地平の果てまで刈り揃えられた、瑞々しい緑の絨毯――朝霧を透かして朝陽を浴び、まるでエメラルドの海のように光り輝く、広大な「茶畑の畝波」であった。

 谷間からは、茶の若葉が放つ青く爽やかな香気が、風に乗って押し寄せてくる。

 畑のあちこちでは、笠を被った農民たちが手際よく下草を刈り、肥沃な灰汁堆肥の畝を整えている姿が見えた。

「……な、何じゃ……これは……?」

 頼安の口から、呆然とした声が漏れた。

「城も、武者溜まりも見当たらん……。見渡す限り、草の畑ではないか……!?」

「草ではありませんよ、頼安殿。……茶です」

 丘の上の東屋から、軽やかな足取りで歩み出てきた男がいた。

 紺染めの素襖に、泥のついた作業用の前掛けを巻いた青年――島津崇清である。

 二十一歳。天下を揺るがす耳川の決戦を背後から支え、都の公卿や織田信長と渡り合ってきた怪物の姿には見えない。手には竹の柄杓と、土のついた帳面を抱えていた。

「ようこそ知覧へ、相良殿。道中、怪我人もなく無事に到着されたようで安心しました」

「……又八郎殿」

 義陽は馬を降り、深々と礼を交わした。

「これはいったい……。南薩の地は、猫の額ほどの田畑しかない僻地と聞いておりましたが……」

「ええ。米を作ろうとすれば、ここはシラスと呼ばれる火山の灰の台地ですから、水がすべて抜けてしまって田んぼになりません」

 崇清は平然と言い放ち、足元の白い土を指先で掬って見せた。

「ですが、このシラスの水はけの良さと、朝夕に立ち込める霧、そして雪の降らぬ温暖な南風は、茶の木にとっては日の本で最も贅沢な苗床になります。元亀二年に木崎原で生き残ってすぐ、私が知覧の地侍たちに苗を植え付けさせておいたものが、五年を経てようやく見事な成木に育ちました」

「五年前から……!?」

 頼安が目を剥いた。木崎原の合戦の最中から、すでにこの男は五年後の今日、この南薩の地を見据えて土を耕していたというのか。

「相良殿。お渡しする領地の目録です」

 崇清は脇に控えていた弥三郎から桐箱を受け取り、義陽の前へ差し出した。

「表高は一万二千石。ですが、中身は人吉の二万石とは全く別物です。この知覧一帯の茶畑三千畝の差配権、後岳の製茶工房、そして山川湊へ茶と唐芋を運び出す荷駄街道の通行税免除……それらすべてを、相良家の直轄利権としてお引き渡しします」

「……茶の、利権……?」

 義陽が眉をひそめた。

「又八郎殿。お心遣いはありがたいが……茶など、都の貴族や禅僧が嗜む抹茶か、さもなくば山野の民が腹痛の折に煎じて飲む苦い番茶くらいのもの。米の代わりに茶を育てて、どうやって三千の家臣に飯を食わせろと申されるのか」

 当時の武士にとって、「富」とは田んぼから取れる米の容積(石高)そのものだった。米が獲れぬ土地など、どれほど青々としていようと無価値に等しい。

 崇清は困ったように笑い、首を横に振った。

「百聞は一見に如かず、ですね。甚兵衛、湯を頼む」

「ははっ!」

 東屋の炉端で、甚兵衛が手際よく鉄瓶の湯を沸かしていた。

 崇清は竹筒から、細長く揉み込まれ、艶やかな深緑色をした乾いた茶葉を取り出した。唐津で焼かせた素朴な横手の急須にパラパラと落とし、少し冷ました湯を静かに注ぐ。

 立ち上ったのは、草の青臭さではない。

 香ばしい炒り米のような、それでいて清涼な山の空気を凝縮したような、甘く芳醇な香気だった。

 崇清は白磁の小さな碗に、黄金色に澄んだ湯をトクトクと注ぎ分け、義陽と頼安の前に置いた。

「どうぞ。知覧の『釜炒り茶』です」

 頼安は毒見をするように警戒しながら、碗を取り、恐る恐る口をつけた。

 一口啜った瞬間――頼安の目が、見開かれた。

「……っ!? な、何だ、この味は……!?」

 渋みがない。舌の上に広がるのは、出汁を飲んだかのようなまろやかな旨味と、喉の奥をすっと駆け抜ける清らかな甘み。

 抹茶のように茶臼で何時間も粉を挽く手間も要らず、ただ湯を注いだだけで、これほど澄んだ至福の味が口中に満ちる。

 義陽もまた、息を呑んで碗を見つめていた。長旅の渇いた喉に、その黄金の湯が染み渡っていく。

「……甘い。茶とは、これほどまでに甘く、香るものなのか……」

「蒸さずに、大鍋の強火で一気に炒って揉む南蛮・明の手法を取り入れました」

 崇清は淡々と解説を始めた。

「いま、都や堺の茶の湯は、千利休殿の侘び茶が全盛です。狭い四畳半に閉じこもり、作法を一つ間違えれば命取りになるような、息の詰まる政治の道具と化している。ですが、そんな肩の凝る抹茶を、毎日の畑仕事や陣中で飲めるはずがない」

 崇清は知覧の畑を指差した。

「この釜炒り茶は、急須に放り込んで湯を注ぐだけで、誰でもどこでも極上の味ががぶ飲みできる。すでに高須水軍の手で、日向や大隅の城下、そして薩摩中の郷士たちへ日常の茶として売り出しています。飛ぶように売れていますよ。山川湊に運べば、その日のうちに極上の白塩や米、唐芋と交換できる。相良の家中が日々の小遣いや食い扶持に困ることは、まずありません」

「……日々の、食い扶持……」

 頼安の手から力が抜け、茶碗がカタと鳴った。

 人吉の痩せた山奥で、年貢の米が足りずに飢え、塩一俵を手に入れるために隣国と血みどろの小競り合いを繰り返していた日々が、脳裏をよぎる。

「ですが、真の仕掛けはこれからです」

 崇清の声が、一段低くなった。その瞳に、現代人の冷徹なマーケティングの光が宿る。

「あと数年もして、大友が片付き天下の道が開けた折――儂はこの急須で手軽に楽しむ茶を、都の近衛邸や烏丸サロンに持ち込みます」

「都へ……?」

「ええ。『堅苦しい利休の抹茶を捨て、白磁の器で茶の露を啜りながら、書画を愛で天下を語るのが最先端の風流』……名付けて、『薩摩流・文人煎茶道』として、公家や織田信長公の前ででっち上げて流行らせてご覧に入れますよ」

「ぶっ」

 脇で聞いていた弥三郎が吹き出しかけたが、崇清は真顔だった。

「信長公も公卿たちも、日々の激務に疲れています。あの息の詰まる茶室から解放されて、美味い茶を手軽に飲めるとなれば、都の貴族や豪商どもは競って知覧の茶葉と急須を買い求めるようになる。そうなれば、この南薩の山は、ただの畑ではなく、金銀を吹き出す宝の山に化けますよ」

 崇清は義陽の目を真っ直ぐに見据えた。

「相良殿。貴方を球磨から引きずり下ろしたのは、島津の都合です。ですが、死なせるために呼んだのではない。貴方の家臣三千人が、米の奪い合いで擦り切れることなく、この温暖な地で誇りを持って生き延びるための『新しい器』を用意したのです。……どうか、この土地を愛し、相良の百年をここから育てていただきたい」

「…………」

 静寂が、東屋を包み込んだ。

 吹き抜ける風が、青い茶畑をさざ波のように揺らしている。

 義陽は両手を膝につき、深く、深く頭を垂れた。

 その肩が、微かに震えていた。目から落ちた一筋の雫が、叩き土の床に濃い染みを作る。

「……恐れ入りました」

 義陽の掠れた声が、静かに響いた。

「我らは……先祖伝来の土地を奪われ、島津の都合で流された敗者であるとばかり思い定めておりました。されど……又八郎殿は、我らを生かすのみならず、相良の家臣の末端の飯の種、百年先の誇りまで、この緑の葉の上に描き切っておられたか……」

 横にいた頼安もまた、荒々しい息を吐きながら、畳むように両手を突いて平伏した。

 その背中からは、先ほどまでの抜き身の殺気は完全に消え去っていた。

「相良の家……これよりは島津の傘の下、この知覧の緑の畝にて、命の限り尽くさせていただきまする」

「……頭を上げてください、相良殿」

 崇清は苦笑し、手元の帳面をパタンと閉じた。

「さあ、そうと決まれば引き越しの荷解きです。弥三郎、屋敷割りの差配と、山川湊からの塩の配給表を回せ! 今日中に全員の寝床を確保するぞ!」

「へいへい! まったく、感動の涙が乾く暇もなく現場作業なんですから、うちの若は……! ほら相良の旦那方、帳簿の前に並んでくださいよォッ!」

 弥三郎のいつものぼやきが谷間に響き渡り、相良の武士たちの間にも、安堵の笑い声が静かに広がっていった。

*

 数日後。

 相良主従の知覧定着を見届け、肥後南部の防衛線が名実ともに完成したことを確認した崇清は、内城への帰路についていた。

 馬上で青空を見上げながら、崇清は心の底から深く息を吐き出す。

「……ふぅ。これで相良の手仕舞いもついたし、不知火海から日向灘までの補給線も完全に繋がった。肩の荷が下りたな。内城で義久兄上と歳久兄上に報告を済ませたら、獅子目に戻ってゆっくり風呂にでも入ろう……」

 稀代の現場監督は、このとき微塵も知らなかった。

 内城の奥書院で、自らを待ち受けているのが「近衛前久からの降嫁の打診」と、愛娘を嫁がせて未来の宗家当主を産ませようと企む「義久の真顔の婚姻宣告」という、人生最大の爆弾であることを――。



崇清、いきなり追い込まれる。


まぁ崇清は前世では27まで生きてそれなりに女性経験はありますが…いきなり婚姻だの婚約はキツイかもですw


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