【第1話】元服の朝と四百年後の苗木
ここから7話ほど閑話が入ります。まずは木崎原のあと崇清が元服してすぐに時計の針を戻します……
南薩の空を覆う雲は、いつも低い。
東シナ海から吹きつける湿った潮風が、開聞岳の裾野を舐め、知覧の山懐にぶつかっては白い霧となって滞留する。
知覧領主・佐多氏の屋敷からほど近い、麓の町外れ。
石垣の隙間に青苔がへばりつく古い武家屋敷の縁側に、知覧の古参郷士・肝付兼綱は腰を下ろしていた。
齢は六十を越えている。膝の関節が痛み、刀の柄を握る手の節々には、日向や大隅の泥濘を這い回った古傷が赤黒く引き攣れていた。
兼綱は、目の前の竹ざるに無造作に広げられた黒ずんだ枯葉をつまみ、白く濁った湯の張られた素焼きの椀に放り込んだ。
じわりと、赤茶けた色が湯の中に滲み出す。
立ち上る湯気には、甘みなど微塵もない。雨に濡れた落葉を焦がしたような、鼻をつく生臭さと、舌の奥を痺れさせるような渋みだけが漂っていた。
「……渋いな」
椀に口をつけ、皺だらけの顔をさらに歪めて兼綱は呟いた。
知覧の武家屋敷の境には、どこもかしこも茶の木が植えられている。
植えている、というよりは、勝手に生い茂っていると言ったほうが近い。
隣の屋敷との境目を分かつため、あるいは冬の吹き返しを防ぐ生垣の代わりとして、背丈ほどに伸びた枝葉を年に一度、鉈で適当に叩き切るだけだ。
春先に伸びた硬い葉をしごき取り、筵の上に広げて初夏の日差しで干し殺す。
そうして出来上がるのは、腹を下したときに苦い顔で胃の腑へ流し込む「腹薬」、あるいは野良仕事の合間に喉を潤すだけの「気休めの番茶」であった。
茶の湯に使うような宇治の挽茶とは、比べるべくもない。
あんなものは京の公家や堺の豪商が、金に飽かせて喫する雲の上の贅沢品だ。
この南薩の山あいにおいて、生垣の茶の木など、山に自生する桑や葛と大差ない雑木にすぎなかった。
その縁先の土間に、草鞋の紐を締め直した山川湊の商人・清兵衛が、竹筒を腰にぶら下げて頭を下げていた。
「――兼綱様。本当に、お引き受けいただけるので?」
「引き受けるも何も、清兵衛」
兼綱は椀を縁側に置き、庭先の生垣に目をやった。
小雨を浴びて、深い緑色の肉厚な葉がぎっしりと重なり合っている。
「あの大隅の怪童……いや、先だって加久藤の城を守り抜き、飯野で元服して名を改めたという、島津又八郎崇清殿か。あの若君は、真面目にこの生垣の雑木を買い取ると申しておるのか? 騙りでもいたずらでもなく」
「滅相もございません」
清兵衛は懐から、丁寧に油紙で包まれた平包みを取り出し、板敷きの上に押し戴いた。
包みが解かれると、中から現れたのは、息を呑むほどに純白な粒を揃えた塩であった。
雑穀の灰や砂が混じった、そこらの浜で焼く灰色の粗塩ではない。
高須の塩田で天日と潮風、そして徹底した濾過を経て製された、舐めれば塩気の中に確かな甘みが広がる「高須の白塩」だ。
さらにその脇には、鍛冶の鎚目が鋭く光る、新品の鉄釘が五十本、藁束に整然と束ねられていた。
「手付にございます。大隅の蒲生島津家より預かってまいりました」
清兵衛の声は低く、だが商人の確信に満ちていた。
「知覧および頴娃の境目に生えております茶の木より、熟した実と、根をつけた若苗――これを掘り起こして集めていただきたい、と。苗木一本につき白塩一合、実を詰めた俵一つにつき鉄釘十本。集まり次第、高須の船で山川湊へ運んでくだされば、即座に現物とお引き換えいたします」
兼綱は、白塩の山を無骨な指先で突いた。
指白く残る粉を舐める。尖った苦みがない。
知覧の山あいにおいて、塩と鉄は命そのものだ。
塩がなければ夏を越す魚を漬け込めず、鉄がなければ鍬も鎌も打ち直せぬ。
その貴重な塩と鉄が、庭の生垣を間引いた雑木と引き換えに手に入るという。
「……正気とは思えんな」
兼綱は喉の奥で唸った。
「木崎原で三千の伊東勢を相手に、わずか数百で討ち破ったと聞いておる。その軍功で元服を許され、獅子目と飯隈の差配を一任されたばかりの若者が……なぜ初陣の血も乾かぬうちに、南薩の生垣の苗木などを欲しがるのだ? 馬の飼料にでもする気か?」
「いえ」
清兵衛は苦笑いを漏らし、懐からもう一枚、小さく折り畳まれた紙片を取り出した。
紙は、高須の楮から漉き出された、厚手で水に強い上等な和紙であった。
そこには、墨の匂いも真新しい、角張った筆跡で箇条書きが記されていた。
一、生垣の若木は根を傷つけぬよう掘り起こし、濡らした筵に包んで運ぶべし。
一、屋敷に残す茶の木は、決して上に伸ばすべからず。地上二尺(約六十センチ)にて芯を止め、横へ横へと枝を広げさせるよう、毎秋、平らに刈り揃えておくべし。
一、三年後、成木となりて青き新芽を吹かば、その葉はすべて蒲生島津が定額の米または塩にて買い取る契約を結ぶべし。
「……三年後、だと?」
兼綱は眉をひそめた。
「苗木を買い取るだけでなく、三年後の生垣の葉まで買い取ると言うのか」
「左様にございます。崇清様は仰せでした。『知覧の土と霧は、茶を育てるために天が誂えた器だ。今はただの生垣であろうとも、三年手入れを施して枝を張らせれば、必ずや黄金を産む畑になる』と」
「黄金だと……? この、胃が縮むほど渋い苦汁が毛織物の染料にでも化けるというのか」
「それについて、崇清様より兼綱様へ、言伝がござる」
清兵衛は、和紙の裏面を指し示した。
そこには、さらに細かい手引きが書き連ねられていた。
――知覧の茶が赤く濁りて渋きは、天日に晒して葉を殺すがゆえなり。
――新芽を摘まば、干すべからず。その日のうちに薪を熾し、大鍋を熱して手早く放り込み、強火にて一気に煽りて炒るべし。
――葉の青みが深まり、香りの立ち上りたる刹那に鍋より上げ、竹の筵の上に広げて、熱いうちに両の手のひらにて強く揉み潰すべし。
――揉みたる後、風通しの良き日陰にて干し上げよ。
「……鍋で、炒る?」
兼綱は目を瞬かせた。
茶の葉など、筵の上に広げてカラカラになるまで放り出しておくのが、先祖代々のやり方だ。
鍋で炒るなど、熱を通せば葉が煮崩れて黒焦げの灰になるだけではないのか。
「兼綱様。崇清様は『まずは庭先の葉で試してみよ。騙されたと思うなら、苗木集めは断ってくれて構わぬ』と笑っておられました」
「…………」
兼綱は腕を組み、しばし沈黙した。
十四歳。
先代・貴久公の妾腹として北の丸の片隅で育ち、いまや大隅の兵站を一手にとり仕切るという異形の若武者。
噂は知覧の田舎侍の耳にも届いている。
木崎原の合戦では、加久藤城の狭隘地を竹と泥で塞ぎ、伊東の先鋒を足止めして自軍の損耗を極小に抑えたという。
武勇を誇る薩摩武士らしからぬ、算盤の弾くような戦い方をする男だ。
その男が、わざわざ紙を送り、塩と鉄を積んでまで、この知覧の生垣に手を入れるよう唆してきている。
「……清兵衛。竈に火を入れろ」
兼綱は立ち上がった。
「試すだけなら、塩も鉄も減りはせん」
半刻後。
屋敷の土間は、パチパチと薪が爆ぜる熱気と、立ち込める白煙に包まれていた。
鉄の大鍋は、底が赤く光る寸前まで熱せられている。
兼綱は、庭先の生垣からむしり取ってきたばかりの、露に濡れた柔らかい新芽の束を抱え、躊躇いながらも一気に鍋の中へぶちまけた。
ジュウウッ――!
激しい蒸気の音とともに、青臭い水分が一気に弾け飛ぶ。
「兼綱様、煽ってくだされ! 竹のササラで手早く!」
清兵衛の叫び声に押され、兼綱は手にした竹箒の先で、鍋肌の茶葉を激しくかき回した。
焦げるかと思った。
炭になって煙を吐くだけだと踏んでいた。
だが――。
熱い鍋肌の上を転がる茶葉は、熱を吸い込むにつれて、黒ずむどころか、吸い込まれそうなほど鮮やかな深緑へと色を変えていった。
そして立ち上ったのは、いつもの腐った落葉のような臭気ではなかった。
青々とした若草の息吹と、炒った大豆のような香ばしさが混ざり合った、嗅いだこともない鮮烈な香気が土間いっぱいに広がったのだ。
「な……ッ!?」
「今です! 上げてくだされ!」
兼綱は慌てて鍋を傾け、筵の上に熱々の茶葉をぶちまけた。
湯気がもうもうと上がる。
兼綱は熱さに息を呑みながら、崇清の書き置き通り、両の手のひらで力任せに葉を擦り合わせた。
掌が焼けるように熱い。葉の繊維をへし折り、中の水分を均一に揉み出すように、無心で体重をかけて擦り込む。
筵の上で激しく揉みしだかれた葉は、青い汁の匂いを立てながら細く撚じれ、湿り気を帯びた深い緑の塊となっていった。
「……これを、日陰で乾かせばよいのか」
兼綱は、緑色の汁で染まった自分の掌を見つめ、息を整えながら呟いた。
まだ乾燥させていない。指で摘めば、ぐったりと湿り気を帯びた揉みたての葉だ。
だが、兼綱は我慢できず、その湿った葉を二、三片つまむと、素焼きの湯呑みの底へ落とした。
柄杓で、沸かしたての井戸水を注ぎ入れる。
「兼綱様、まだ乾かしておりませぬぞ!」
「よい、試すだけだ」
湯呑みの中を覗き込んだ兼綱の目が、見開かれた。
澄んでいた。
いつも椀の底を濁らせていた赤黒い泥のような色ではない。
湯の中に、淡い若草色の露が静かに広がっていく。
兼綱は湯呑みを持ち上げ、恐る恐るすすった。
「…………!」
まだ完全に乾かしていないため、青草のような荒々しい匂いは残っている。
渋みもある。だが、いつものように舌を痺れさせ、胃の腑を締め上げるような不快なえぐ味は、綺麗に消え去っていた。
炒られたことで角の取れた清らかな苦みの奥から、喉を通ったあとに、舌の根元をかすかに潤すような爽やかな後味が追いかけてくる。
「……違う」
兼綱は湯呑みを見つめたまま、低く呟いた。
「今までの泥水とは、根本から違うぞ。……まだ乾かしてもおらぬ、揉んだだけの生葉でこれだ。もし手引きの通りに風を通して陰干しし、完全に仕上げたら……一体どんな味になるのだ」
「それが、釜炒り茶にございます」
清兵衛が、満足そうに目を細めて頭を下げた。
「崇清様は仰せでした。『摘んですぐ火を通せば、葉が自ら腐ろうとする力(発酵)が止まる。あとは揉んで味を染み出させ、乾かすだけで、誰でもこの茶が作れる』と」
兼綱は、湯呑みの底に残った淡い緑の湯を飲み干した。
胃の腑に落ちた茶が、じんわりと温かい。
その温もりを感じながら、兼綱の背筋に、冷たい戦慄が走った。
手元の書き置きをもう一度見つめる。
――三年後、成木となりて青き新芽を吹かば、その葉はすべて蒲生島津が定額にて買い取る契約を結ぶべし。
茶の木が根を張り、枝を横に広げ、まともな収穫ができるようになるまで、確かに三から四年の歳月がかかる。
苗を植えたからといって、来月や来年に銭になるわけではない。
「……恐ろしい童だ」
兼綱は呟いた。
十四歳。元服したばかりの若武者が、木崎原の硝煙も冷めやらぬうちに、なぜ三年、四年先を見据えて動いているのか。
大隅の獅子目で何が起きているのかは知らぬ。
だが、この手引きを南薩の地侍どもに配り、苗木を買い集めさせれば何が起きるか。
貧しい知覧の武士どもは、塩と鉄欲しさに競って山や生垣から苗木を掘り起こすだろう。
そして教えられた通りに庭先の生垣を刈り揃え、三年後には、この美味い緑の茶を山のように作り始めるはずだ。
そして、その茶をすべて買い取ると約束しているのは――大隅の蒲生島津なのだ。
「清兵衛」
「はっ」
「知覧の三十八家、すべてに声をかけろ。わしが束ねてやる」
兼綱は、縁側に置かれた高須の白塩と鉄釘をぐっと引き寄せた。
「苗木も実も、集められるだけ集めて高須へ送ってやる。……だが、あの若君に伝えておけ。『三年後、この知覧の山が茶の葉で埋もれた時、買い取る米がないなどとは言わせぬぞ』とな」
「畏まりました。必ずや、その言伝をお届けいたします」
清兵衛が深く頭を下げた。
商人が去った後、兼綱は再び縁側に立ち、霧の立ち込める知覧の町並みを見下ろした。
瓦屋根と茅葺きが混ざり合う、痩せたシラスの武家集落。
先祖代々、鎌倉の昔から変わらぬ貧しさと、頑迷な意気地だけでしがみついてきたこの山あいの土地に、遠い大隅から見知らぬ風が吹き込んできている。
その風の正体は、まだ誰にも分からなかった。
だが、兼綱の掌に残る茶の緑色の染みと、鼻腔をくすぐる香ばしい匂いだけが、確かに新しい時代の足音を告げていた。
釜炒り茶は蒸し茶とはまた違った独特の匂いがあって好みはありますが僕は好きですね。
あと出来心でアホなもの描きました。こっちは島津は島津でも思いっきり頭わるい島津です。
頭を全く使わず楽しめる!
ネオ・サツマ・リローデッド:ニンジャ・ジゲンリュウ・カルネージ
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