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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第6部 「血を流さない南九州制覇」

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【第105話】古麓城の茶席と国替えの目録

天正五年(一五七七年)七月中旬。肥後国・八代、古麓(ふるふもと)城。

不知火海(八代海)を見下ろす険しい山腹に築かれたこの城の二の丸書院には、朝から一触即発の張り詰めた空気が澱んでいた。

書院の周囲は、城代・犬童頼安(休矣)が選抜した二百名の相良精鋭兵によって幾重にも取り囲まれている。廊下の陰には抜身の槍が伏せられ、庭の植込みの裏では火縄銃の銃口が書院の障子へと向けられていた。

相良家第十八代当主・相良義陽(よしひ)が端座する上座の脇には、猛将・犬童頼安と、文官の宿老・深水長智(宗方)の二人が、いつでも主君の盾となる覚悟で控えている。

そして、招き入れられた島津側の使節は、わずか四名であった。

金襴の陣羽織を涼しげに着流した三男・島津左馬頭歳久。

藍染めの簡素な麻帷子(かたびら)を纏った五男・島津又八郎崇清。

その背後に控える実務家老の蒲生弥三郎清忠。

そしてもう一人――日焼けした精悍な顔つきで、どこか懐かしそうに相良家の面々を眺めている四十前後の武将が座っていた。

「……まずもって、修理大夫(義陽)殿。我らのぶしつけな茶の誘いに応じ、人吉よりわざわざ足を運んでいただいたこと、厚く御礼申し上げる」

歳久が扇子を膝の前に置き、ゆったりと頭を下げた。

だが、犬童頼安は挨拶も返さず、ぎろりと目を剥いて歳久と崇清を睨みつけた。

「世辞は結構にござる、左馬頭殿! 八代と水俣の海を商船ごと干上がらせ、我らの首を真綿で絞めておきながら、よくもまあ丸腰同然でノコノコとこの古麓城へ上がってこられたものよ! ……この休矣がその気になれば、貴殿らの首など今この場で――」

「控えよ、頼安」

義陽が静かに、だが有無を言わせぬ声で制した。

義陽の涼やかな双眸は、歳久の隣で黙って茶道具の支度をしている若者――当年十九歳になる島津崇清の落ち着いた所作に注がれていた。

「左馬頭殿、そして又八郎殿。頼安の無礼を許されよ。……されど、頼安が苛立つのも無理からぬこと。島津が阿蘇の大宮司様と甲斐宗運殿を神職の極位をもって味方に引き入れ、不知火海の湊から塩と鉄を吸い上げておられる以上、我ら相良が袋の鼠であることは分かっております」

義陽は背筋を伸ばし、腹の底に秘めた切腹の覚悟を滲ませて真っ直ぐに問いかけた。

「回りくどい駆け引きは無用に願いたい。……島津は、我ら相良に何を求められるのか。この義陽の首一つと、八代・芦北の割譲をもって、球磨の盆地に残る家臣と民に『塩の道』を開いていただけるならば、今この茶席で腹を切る支度はすでに整えて参った」

「お、御屋形様ッ!?」

頼安と長智が息を呑んだ。

主君が最初から自らの命と引き換えに家臣団を救うつもりでいたことに、二人の老臣の目頭が熱く潤む。

ところが。

義陽の悲壮な決意を聞いた瞬間、下座で茶筅(ちゃせん)を動かしていた崇清が、ぽかんと手を止め、首を横に振ったのである。

「……修理大夫殿。どうか早まらないでいただきたい。私たちは、修理大夫殿のお首を頂きに参ったのでもなければ、相良四百年の御家を取り潰しに参ったのでもございませぬ」

「なに……? 首も要らぬ、家も潰さぬだと?」

「はい。それどころか、今日ここへ参ったのは、修理大夫殿と相良の御家中を『球磨の袋小路』から救い出し、今よりも遥かに豊かで、誰一人として塩や借金に苦しまずに済む新天地へお招きするためです」

崇清は弥三郎に目配せし、氷室から切り出した氷で冷やした「豆乳の冷菓(ブランマンジェ)」と、山芋と白砂糖でふっくらと蒸し上げた「かるかん」、そして水出しの大隅新茶を三人の前へ運ばせた。

「まずは、遠路の疲れを癒やすために一服召し上がってくだされ。毒など入っておりませぬことは、隣におられる『この御方』が保証してくださいます」

崇清が手で示すと、隣に座っていた四十がらみの武将が、頼安に向かってニヤリと笑って会釈した。

「ご無沙汰しておるな、犬童休矣殿。それに深水殿も」

「な……っ!? そ、その顔は……大隅・根占の、禰寝(ねじめ)重長殿ではないか!?」

頼安が仰天して腰を浮かせた。

禰寝重長といえば、大隅半島の南端で肝付氏と並び立ち、長年にわたって島津宗家と血みどろの合戦を繰り広げてきた誇り高き名族の当主である。四年前に島津へ降ったとは聞いていたが、まさかその本人が、我が物顔で島津の使節として同席していようとは夢にも思わなかったのだ。

「禰寝殿! 貴殿ほどの武門の誉れ高き方が、なぜ島津の茶坊主のごとき真似をしておられる! 所領を奪われ、人質にでも取られて無理やり連れてこられたのか!?」

「はっはっは! 相変わらず血の気が多いのう、休矣殿!」

重長は豪快に笑い、冷たい豆乳の菓子をスプーンで掬って美味そうに口へ運んだ。

「人質どころか、わしは今、大隅の根占と高須の間で、昔よりも三倍は裕福な暮らしをしておるよ。……休矣殿、わしも四年前までは、貴殿とまったく同じことを考えておった。『先祖伝来の根占の城を枕に討ち死にしてやる』『島津の風下になど立つものか』とな。だが、その意地を張った結果、どうなったと思う?」

重長は茶を一口啜り、真剣な眼差しで頼安と義陽を見つめた。

「塩が止まり、鉄が止まり、薬が止まった。わし自身は城で腹を切れば済む。だが、わしについてきてくれた譜代の家臣たちの女房や幼子が、塩気のない雑炊を啜って痩せ細り、郎党どもが借金で首が回らなくなって夜逃げしていく姿を毎日見せつけられたのじゃ。……その時、この又八郎殿がわしの前に持ってきたのが、刀ではなく『算盤と帳面』じゃった」

重長は懐から、自分が着ている上質な絹の夏羽織の襟を引っ張って見せた。

「わしは『戦国大名として他国と戦う権利』と『湊の関税を勝手に取る権利』を島津宗家へ返上した。その代わりに、高須の白塩と交易の分け前を保証され、今では島津の重臣として大隅の海運の一翼を担っておる。家臣どもは誰一人として路頭に迷わず、それどころか毎年確実に入る禄と商いの利益で、昔より遥かに良い具足を揃え、白い米を腹いっぱい食うておるわ! ……修理大夫殿、まずは又八郎殿の広げる『目録』を、偏見を捨ててご覧になられよ」

実体験を語る重長の言葉には、どんな脅迫や美辞麗句よりも重い、圧倒的な「リアリティ」があった。

義陽はゴクリと唾を飲み込み、崇清へと視線を戻した。

「……又八郎殿。その目録とやらを、拝見いたそう」

「はっ」

崇清は深々と一礼すると、文机の上に大きな二枚の絵図と、分厚い一冊の目録を広げた。

「修理大夫殿。単刀直入に申し上げます。……相良家には、この球磨・八代・芦北の二万石をすべて島津宗家へ明け渡していただき、御一族と家臣団ごと、薩摩半島南部――知覧(ちらん)・頴娃(えい)・指宿(いぶすき)の一万二千石の新領地へ『国替え(移封)』をしていただきとうございます」

「な……ッ!? く、国替えじゃとぉぉッ!?」

犬童頼安が雷に打たれたように跳ね起きた。

深水長智も、手にしていた茶碗を取り落としそうになり、わなわなと唇を震わせる。

「ふ、ふざけるな又八郎ッ! 鎌倉の元久二年より三百七十年! 相良の御家は、あの球磨の川と山とともに生きてきたのじゃ! 先祖代々の墓も、青井阿蘇の社も、すべて人吉にある! それを捨てて、見知らぬ薩摩の南端へ引っ越せと申すか!? しかも、二万石から一万二千石へ減封するとは、我らを愚弄するにも程があるぞ!」

「頼安殿。お怒りはもっともですが、どうかこの『一万二千石の中身』と『球磨二万石の現実』を、深水殿と一緒に算盤で比べていただきたいのです」

崇清は少しも怯まず、パチリと十露盤の珠を弾いた。

「深水殿。先ほど人吉城でも計算されたはずですが、今の球磨・八代二万石は、あくまで『表向きの石高』にすぎませぬ。山が深く急流に阻まれた球磨盆地では、水害や冷害が多く、平年に相良家の蔵へ入る実質の年貢米は一万石足らず。しかも、不知火海の商船が我が島津の湊へ流れた今、その米を売って塩や鉄、火薬を買おうとすれば、従来の三倍、四倍の値を払わねばなりませぬ。……つまり、球磨の二万石は、今の相良家にとっては『実質五千石分の購買力もない、維持するだけで赤字が膨らむ土地』になってしまっているのです」

「う……ぐっ……」

深水長智は、以前自分が義陽に突きつけたばかりの数字をそのまま言い当てられ、返す言葉もなく呻いた。

「それに対し、私がご用意した南薩摩――知覧・頴娃・指宿の『一万二千石』はどうか」

崇清は南薩摩の絵図を指し示した。

そこには、南薩で崇清と伊集院忠棟が血の滲むような調整で空けたばかりの、広大な土地と屋敷割りが鮮やかに描かれていた。

「第一に、この一万二千石には、すでに二期作の稲と、どのような凶作でも絶対に枯れぬ救荒作物『唐芋(サツマイモ)』の畑が整備されております。さらに、すぐ隣の山川湊と大隅の高須湊から、雪のように白い高須塩と、飯隈の良質な鉄地金、そして南蛮の硝石が『島津の国内卸値(現在の人吉の相場の四分の一)』でいつでも自由に買い入れられます。……深水殿、物価が四分の一になり、唐芋の裏作がある一万二千石は、実質何石分に相当しますか?」

長智の目が、驚愕に見開かれた。

「ぶ、物価が四分の一……! ならば、表向きは一万二千石であっても、買える塩と鉄の量、家臣の暮らし向きで言えば……球磨にいた頃の『三万石、いや四万石以上』の豊かさに匹敵いたします……!」

「それだけではございませぬ」

崇清はここから、南薩で実験を始めたばかりの『新しい家臣団維持の仕組み』を、相良家を救う最大の切り札として提示した。

「修理大夫殿が最も心を痛めておられるのは、『国替えをすれば、球磨の土地にしがみつく小身の家臣や郎党たちが付いてこられず、家がバラバラになって路頭に迷うのではないか』ということでしょう」

「……その通りだ」

義陽が初めて、身を乗り出して崇清の目を見た。

「相良には、百石以上の譜代だけでなく、三十石、五十石の小さな谷田を耕しながら戦の折に駆けつける地侍が何百人もおる。彼らを南薩へ連れて行っても、全員に同じだけの土地を分け与えることはできぬ」

「はい。そこで、私どもがこの夏、知覧と頴娃で新たに立ち上げた『二つの選択制』を、そのまま相良の御家中にもお使いいただきます」

崇清は、南薩で樺山藤七郎や佐多源左衛門に示したのと同じ『制度の設計図』を広げた。

「まず、犬童頼安殿や深水長智殿をはじめとする百石以上の重臣・中堅の皆様には、大隅へ移転した旧領主たちが空けたばかりの『知覧・頴娃の良田と立派な武家屋敷』をそのまま割り当てます。では、土地が足りなくなる五十石以下の小身の家臣たちはどうするか? ……彼らには、土地の代わりに『相良家・および島津宗家が連帯保証する定額の蔵米と銀(永代俸禄手形)』を与え、『本人単身の軍役(郎党・陣夫の動員免除)』へと切り替えていただくのです!」

「な……っ!? ほ、本人単身の軍役と、定額の蔵米だと!?」

深水長智が、信じられないものを見るように目録へ武者振りついた。

「よくお考えくだされ、深水殿。今、人吉で五十石、四十石の家臣たちがなぜ借金で首が回らなくなっているのか。それは、不作で年貢が減るにもかかわらず、軍役のために郎党を何人も養い、高騰した武具と兵糧を自腹で揃えねばならぬからです。……もし彼らが南薩へ移り、『本人一人の槍働きだけでよい、郎党を養う義務も年貢を取り立てる苦労も免除する、その代わり毎年確実に玄米十二石と銀二枚を渡す』と言われれば、どうなりますか?」

「……救われます!」

長智の声が震えた。

「借金と軍役の重荷から解き放たれ、家族全員が白い飯と塩にありつける……! しかも、彼らが手放した郎党や、球磨の土を離れたくない百姓・職人たちはどうなるのですか!?」

「球磨に残りたい郎党や百姓・山番たちは、無理に南薩へ引っ越す必要はございませぬ。旧相良領二万石を接収する島津宗家が、彼らを『球磨川開発の工兵・樵(きこり)』『八代・人吉の直属城番足軽』あるいは『宗家直轄地の自作百姓』として、一人残らず現地で再雇用し、高須の白塩と日当を支払います!」

広間が、水を打ったように静まり返った。

誰も死なない。誰も飢えない。

相良義陽と中核の家臣団は、準家老格(一万二千石)として温暖で物資の溢れる南薩摩の「空いた器」へ丸ごと移り、相良四百年の家名と主従の絆を完全に保ち続ける。

小身の武士たちは、苦しい「土地経営と自腹動員」から解放されて、安定した「俸禄侍」として生まれ変わる。

そして球磨の故郷に残る下人や百姓たちには、即座に島津の巨大な公共事業(球磨川開削と山林開発)から銀と白塩が降り注ぐのだ。

「……しかも、修理大夫殿」

崇清は最後に、武将としての義陽と頼安の「誇り」を守る決定打を添えた。

「南薩へ移られた相良家には、島津の『降伏した外様』ではなく、阿蘇の甲斐宗運殿と同じく『島津宗家の準家老格』としての席をご用意いたします。……ゆえに、かつての盟友である阿蘇の甲斐宗運殿と、相良の皆様が戦場で刃を交えることは、金輪際ございませぬ」

(史実の天正九年、島津の先鋒として阿蘇へ攻め込まされ、宗運に討たれて果てるはずだった義陽の運命は、ここで完全に消滅した)

「むしろ、これより島津が北の肥前・龍造寺や豊後の大友と決戦に及ぶ折には、八代から船を出せばすぐの南薩摩より、犬童休矣殿の勇猛なる相良勢に、島津の誇る大将の一人として堂々と陣に加わっていただきたいのです」

「……わ、わしに、阿蘇の宗運殿を討てとは申さぬのか……? 相良の旗を掲げたまま、島津の将として北の敵と戦えと申すのか……!」

犬童頼安のいかつい肩から、すっと力が抜けた。

人吉を出て以来、どうやって島津の使者を道連れにして死ぬかばかりを考えていた老猛将の目から、我慢しきれなくなった大粒の涙が畳の上にポタポタと零れ落ちた。

「……御屋形様」

深水長智が、目録を両手で抱きしめたまま、義陽の前へ平伏した。

「これは……降伏ではございませぬ。球磨の狭い谷で立ち枯れようとしていた相良の木を、薩摩の広い海辺へ植え替え、家臣も百姓も一人残らず生かすための『再生の道』にございます……! どうか、どうかお聞き届けくださいませ!」

上座の相良義陽は、ゆっくりと目を閉じた。

脳裏に浮かぶのは、三百七十年守り続けてきた人吉城の川霧と、球磨川のせせらぎ。先祖代々の土地を手放す痛みが、胸を抉らないはずがない。

だが――目を開けた義陽の視線の先には、涙を流して平伏する長智と頼安、そして涼やかで一点の曇りもない瞳でこちらを見つめる十九歳の青年・島津崇清の姿があった。

「土地を守るために、家臣と民を飢えさせて死ぬのが名君か。……それとも、土地を捨ててでも、四百年続いた相良の『人』と『家名』を次の世へ繋ぐのが当主の務めか」

義陽は静かに立ち上がると、懐に忍ばせていた切腹用の短刀を取り出し、それを自らの手で文机の脇へ置いた。

そして、下座の歳久と崇清に向かい、深々と、一点の迷いもない美しい礼を執った。

「……左馬頭殿、又八郎殿。この相良義陽、算盤と情理を尽くしたその器に、心より感服いたした。球磨・八代・芦北の二万石、謹んで島津宗家へお引き渡し申し上げる。……我ら相良の家臣団、南薩摩一万二千石の新天地にて、島津の御家のために粉骨砕身いたそう!」

「はっ! 修理大夫殿の御英断、兄・義久に代わり、謹んでお受けいたします!」

歳久と崇清が同時に平伏し、古麓城の書院に、一滴の血も流さぬまま歴史を塗り替える合意の拍手が響き渡った。

だが――合意が成立したということは、崇清と弥三郎にとって、戦国史上類を見ない「相良家臣団三千人の、球磨盆地から南薩摩への大引越しプロジェクト」という、超巨大な兵站実務のゴングが鳴り響いたということでもあった


相良義陽も島津義久も修理大夫なのです。ややこしいですね。ちなみに大友から相良ごとき小大名が従四位下を名乗るなどおこがましいと不快感を示したので公的にはなかなか名乗れなかったようですが…


次の投稿は7時予定です。

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