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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第6部 「血を流さない南九州制覇」

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【第104話】銭侍の誕生と空いた南薩の器

天正五年(一五七七年)七月上旬。薩摩半島南部・知覧(ちらん)の郡役所。

梅雨明けの強烈な日差しが照りつける中庭には、朝から百人を超える武士とその家族、そして譜代の郎党や下人たちが詰めかけ、異様な熱気と喧騒に包まれていた。

縁側に据えられた長机の上には、鹿児島の内城から運ばれてきたばかりの桐箱が置かれている。その中には、当主・島津義久の朱印と、筆頭勘定奉行・伊集院忠棟の連署がくっきりと据えられた二十通の『永代俸禄手形』、ならびに『軍役ならびに番役定書(さだめがき)』が収められていた。

「――樺山藤七郎殿。前へ」

蒲生島津家の家老・蒲生弥三郎清忠が名簿を読み上げると、四十石の小身地侍であった樺山藤七郎が、緊張で青ざめた顔で進み出た。その背後には、長年樺山家に仕えてきた三人の郎党と、四人の下人が不安げな面持ちで控えている。

長机の中央に座る島津又八郎崇清は、その隣に陣取る内城勘定所の首席算用役・本田与一左衛門(忠棟が送り込んだ腹心の監査官)と目配せを交わし、一通の証文を広げた。

「樺山藤七郎殿。これなるは、貴殿が頴娃の山あいに持つ公称四十石(平年年貢二十二石)の所領知行権を宗家へ返上する引き換えとして、毎年『玄米十二石ならびに銀二枚』を宗家の蔵より永代にわたり支給することを約した手形である。不作の年とて一粒も減ずることはなく、高須湊の運上銀五百貫の枠をもって支払いを保証する」

「は、はっ……!」

「また、別紙の『軍役定書』にある通り、今日この刻より、貴殿には本人以外の軍役割当を一切免除する。平時の番役は月に十日、合戦への動員は年に六十日以内とし、出陣中の兵糧・塩・玉薬・武具損耗はすべて宗家兵站方が負担する。これと引き換えに、村の検地・年貢徴収・用水の裁きに関する一切の支配権を宗家へ引き渡すこと、相違なきか」

「相違ございませぬ!」

藤七郎は震える手で筆を取り、所領返上の起請文に花押を記して血判を押した。そして、義久の御判と忠棟の連署が入った分厚い孟宗竹紙の『永代俸禄手形』を両手で押し頂いた瞬間、その目尻から熱い雫がぽろぽろと零れ落ちた。

(……これで、今年の秋に台風が来ても、女房や子供に稗(ひえ)の薄い粥を啜らせずに済む。合戦のたびに山川の商人へ頭を下げて借金を背負い、夜も眠れぬ思いをしなくて済むのだ……!)

藤七郎は手形を胸に抱きしめ、その場に深く平伏した。しかし、儀式はそれで終わりではない。むしろ、ここからが中世の「主従のしがらみ」を解きほぐす最も泥臭い実務の始まりであった。

「では、続いて藤七郎殿の家に仕えていた郎党三名、下人四名の『振り分け』を行う」

隣の本田与一左衛門が、真新しい『南薩七百五十石・人別ならびに軍役台帳』を開き、冷徹な声で呼びかけた。

「郎党の弥平、六助、ならびに与作の三名! 前へ出よ!」

名を呼ばれた三人の屈強な男たちが、戸惑いながら前へ進み出た。彼らは代々、樺山家の狭い納屋に住み込み、藤七郎の田を手伝いながら、合戦の折には槍や荷を担いで戦場を駆けてきた譜代の家来である。

「お前たち三名は、主の藤七郎殿が『単身軍役の俸禄侍』となったことにより、本日をもって樺山家の私的な軍役から解かれる。……だが、案ずるな。先日の面談で申し渡した通り、お前たちには二つの道が用意されておる」

崇清が穏やかに、しかしはっきりと言葉を継いだ。

「一つは、宗家が新たに編成する『直轄常備足軽・兼・輜重警固衆』として、宗家に直接奉公する道だ。選ぶ者には、一人につき『年米五石の扶持』と谷山の足軽長屋を与え、高須と鹿児島を結ぶ荷駄の警固と合戦時の常備兵を務めてもらう。もう一つは、大隅の鹿屋・串良に開かれる新田・唐芋畑の『名主・百姓』として独立し、自分の田畑を耕す道だ。……さあ、どちらを選ぶ?」

三人の郎党は、まず旧主である藤七郎の顔を振り返った。藤七郎は涙を拭い、三人に深く頭を下げた。

「弥平、六助、与作……。これまで貧しい我が家で、ろくな扶持もやれぬまま苦労をかけた。今日からはわしに遠慮せず、お前たちの好きな道を行ってくれ。宗家の直参足軽になるもよし、自分の田を持つもよし……どこへ行こうと、お前たちが樺山家を支えてくれた恩は生涯忘れぬ!」

「だ、旦那様……!」

年長の弥平(四十歳)は鼻をすすり、崇清の方へ向き直った。

「わしは……わしは女房と幼い伜がおりますゆえ、合戦の足軽よりは、大隅で自分の畑を持たせていただきたく存じます! 唐芋という腹に溜まる芋が作れるのなら、百姓として一から土を耕しとうございます!」

「よし。弥平は『大隅・串良新田の百姓』として台帳に記す。種芋と鍬一式、ならびに最初の半年の夫食米(つなぎの飯米)を貸し与えるゆえ、明後日の船に乗れ」

「あ、ありがたき幸せにございます!」

一方、まだ二十代で独り身の六助と与作の二人は、目を輝かせて進み出た。

「わしら二人は、槍働きと力仕事しか能がございませぬ! 宗家の『常備足軽』にお取り立てくださりませ! 年に五石もの米を我が身一つに頂けるなら、どこへでも荷を担いで走りまする!」

「よし。六助、与作の二名は『宗家直轄・常備足軽三十人衆』に編入する! 本田殿、軍役台帳への記載を!」

「承知!」

本田与一左衛門の筆が、猛烈な速さで台帳の上を走る。なお、屋敷の下人四名のうち、老夫婦の二人は藤七郎に残された「手作りの門田・菜園(年貢免除の自営畑)」の耕作手としてそのまま樺山家に残り、若い二人は高須の塩浜の釜焚き人足として銀給で雇い入れられることが決まった。

「……見事なものだ」

帳面に判を押し終えた本田与一左衛門が、感嘆のため息を漏らした。

「これまで『樺山藤七郎の四十石』という曖昧な袋の中に押し込められていた武士一人、郎党三人、下人四人が、今日この場で『単身で戦う俸禄侍』『宗家直属の常備足軽二名』『大隅の独立百姓一名』『塩浜の労働者二名』『自営畑の下人二名』へと、一分の無駄もなく分解・再配置された……! しかも誰一人として路頭に迷わず、それぞれの稼ぎと役割がすべてこの三冊の台帳に紐づけられておる!」

これこそが、崇清が南薩の二十家・七百五十石という小さな箱庭で実証してみせた「中世の解体と近世の組み立て」であった。

同じ手続きが、朝から夕刻まで二十家の小身武士すべてに対して淡々と、しかし熱気をもって進められた。その中でも、六十歳近い老武士・別府勘解由ら算筆と村の顔役に長けた五名には、『永代俸禄手形』に加えて『在郷下代官(ざいごう・しただいかん)任用状』と年米二石の役料が授与された。

「勘解由殿。貴殿には、これまで支配していた別府村を含め、近隣四つの返上村(計百五十石分)の『宗家下代官』を命ずる。ただし、もはや貴殿の私領ではない。本田殿が定めたこの『統一検地帳』と『年貢算用帳』の書式に従い、秋の年貢を取りまとめて内城の蔵へ納めよ。水争いや境論が起きた際は、五人の下代官の合議で裁き、決着がつかぬものだけを内城へ上げよ」

「はっ! 村の隅々の水路まで知り尽くした土地にございます。私領であった頃には隣の地侍と意地を張り合うて揉めておりましたが、これからは同じ『宗家の下代官』として算盤を合わせるとなれば、かえって公平に裁けまする!」

勘解由は誇らしげに帳面を受け取った。領主としての支配権は失ったものの、「宗家の直轄代官の一翼を担う役人」という新たな名誉と年二石の役料を与えられたことで、彼らの自尊心は完全に満たされていたのである。

*

そして翌日の早朝。知覧の南、山川(やまかわ)と指宿(いぶすき)の湊には、高須水軍の船頭・能野甚五郎と船大工の茂平次が率いる大型の平底輸送船二十隻が、ずらりと舳先を並べていた。

こちらは、俸禄侍化ではなく「大隅の宗家直轄地(鹿屋・串良)への二割増し移転」を選んだ、佐多源左衛門ら大身十二家と小身六家――合わせて十八家(旧知行二千二百五十石・移転後二千七百石)の大引越し船団であった。

「おーい! 佐多殿の馬と武具箱は三番の平底船へ積め! 仏壇と墓石は揺れぬよう船底の真ん中に縄で固定しろよ!」

弥三郎が声を枯らして差配し、猪之助が率いる工兵たちが滑車を使って次々と重い長持や農具を船へ吊り上げていく。

桟橋の前に立った佐多源左衛門(百五十石→鹿屋にて百八十石)は、先祖代々の位牌を胸に抱え、生まれ育った南薩摩の青い山並みを振り返った。

「……源左衛門殿。長年住み慣れた知覧の土を離れること、さぞかし名残惜しかろうと存じます」

歩み寄った崇清が静かに声をかけると、源左衛門は豪快に鼻を鳴らして笑った。

「ふん! 最初は『又八郎の小倅め、わしらを追い出す気か』と腹が煮えくり返っておったわ! ……じゃが、先発の家人を見にやらせたところ、鹿屋の百八十石の田は、知覧の谷田とは比べものにならぬほど水回りの良い一面の平地じゃったそうだな! しかも、すでに飯隈の工兵衆が新しい館の柱まで建ててくれておると聞く!」

源左衛門は崇清の肩をバシンと叩いた。

「武士たる者、二割増しの良田を貰うて新天地を拓くとなれば、いつまでも古い谷にしがみついてはおられぬ! 大隅へ行っても、我が佐多の槍はいつでも宗家の先陣を切るぞ、又八郎殿!」

「頼もしいお言葉、痛み入ります。鹿屋から高須の湊までは馬で半刻あまりです。大隅の米と唐芋、ともに大きく育ててまいりましょう」

「おうよ! 船を出せぇい!」

源左衛門たちが乗り込んだ二十隻の輸送船団が、白い帆に夏の朝風を孕み、錦江湾を横断して大隅の対岸(鹿屋・高須方面)へと次々に滑り出していく。その船団には、昨日樺山家から独立して「大隅の新田百姓」となることを選んだ旧郎党の弥平一家も、希望に満ちた顔で乗り込んでいた。

船団が朝の海原の彼方へと小さくなっていくのを見届けながら、崇清の隣に立つ弥三郎が、分厚い完了目録をパチンと閉じた。

「……終わりましたね、若君。知覧・頴娃の十八家が綺麗さっぱり大隅へ渡り、残る二十家は所領を返上して『俸禄侍』に切り替わりました。既存の宗家直轄地四千石と、相良の与力になる地侍の分を合わせれば――ここに、『相良義陽殿と家臣団三千人を受け入れる、南薩摩一万二千石の器』が、一滴の血も流さずにぽっかりと空きましたよ!」

誰も飢えず、誰も反乱を起こさず、宗家の本蔵は忠棟が定めた「五千石の先行投資枠」の中にピタリと収まったまま、南薩摩の統治構造そのものが一段上の次元へとアップデートされた瞬間であった。

「ああ。……だが弥三郎、本当の勝負はここからだ」

崇清は踵を返し、北の空――不知火海の向こうに連なる肥後の山並みを見据えた。

「器はできた。しかし、どれほど立派な器を南薩に用意しようとも、そこへ入る相良義陽殿と、四百年近く球磨の盆地を守ってきた相良の家臣たちが『はい、そうですか』と首を縦に振るとは限らない」

南薩の武士たちは、島津の身内であり、大隅への栄転や借金からの解放という実利で動いた。だが、これから向き合う相良家は、かつて木崎原で刃を交え、今まさに島津の経済封鎖によって喉元を締め上げられている「誇り高き独立大名」なのである。

「弥三郎。山川湊で待機している関船に、大隅の極上の新茶と、氷室から出した氷、それに『かるかん』と『豆乳の冷菓』を積み込め。それから……大隅からわざわざ駆けつけてくださった『あの御方』にも、同船していただく」

「へい! 禰寝(ねじめ)の重長様ですね! すでに船の上で、新しい南蛮鉄砲の手入れをしながら今か今かと待っておられますよ!」

かつて大隅の南端で島津と血みどろの戦を繰り広げながら、誰よりも早く崇清の「経済と物流の傘」に飛び込み、今や旧領に勝る繁栄を謳歌している証人――禰寝重長。

「よし。兄上(歳久)と合流し、八代の古麓城へ向かうぞ!」

崇清は陣羽織の裾を翻し、桟橋へと歩き出した。時計の針は、再び――相良義陽が悲壮な切腹の覚悟を秘めて人吉城を下り、八代・古麓城の茶席へと向かう、天正五年七月中旬の現在へと重なり合う。


一部とはいえ中央集権の道を歩み始めました。


次の投稿は19時予定です。

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