↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第6部 「血を流さない南九州制覇」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
124/165

第102話 南薩のざわめきと大隅の割当

昨日の19時私のミスで19時の予約投稿をできず23時前にアップしました。最新話から来てる方で昨日の23時前までしか見てない方は101話を見逃してる可能性があります。申し訳ありません。

相良義陽が八代・古麓城への出立を決意した天正五年(一五七七年)七月の半ばから、時計の針をひと月あまり遡る。

薩摩半島南部――知覧(ちらん)と頴娃(えい)の境に近い、川辺郡の寄合所(よりあいじょ)。

梅雨明け前の蒸し暑い風が吹き抜ける広間には、知覧・頴娃の一帯に所領を持つ地侍(在地領主)三十八家の当主たちが顔を揃え、異様な熱気とざわめきを充満させていた。

彼らの前には、鹿児島の内城から下された一通の奉書と、細かな墨字がびっしりと書き込まれた二種類の目録が広げられている。

上座の脇に控えているのは、蒲生島津家の当主・島津又八郎崇清(たかきよ)と、その実務を補佐する家老の蒲生弥三郎清忠、そして宗家の勘定所から目付として同行した算用役人たちであった。

「――話が見えぬぞ、又八郎殿!」

最初に声を荒らげたのは、知覧の東に百五十石の所領を持つ有力地侍、佐多(さた)源左衛門であった。日焼けした首筋に太い血管を浮き上がらせ、目の前の目録を拳でドンと叩く。

「肥後の相良を攻めるための軍議かと思いきや、いきなり我ら南薩の衆に『所領を空け渡せ』とはどういう魂胆じゃ! 我らは大隅の肝付攻めでも、日向の高原城攻めでも、宗家の御旗の下で血を流してきた忠義の臣なるぞ! 罪も落度もなき我らから、先祖伝来の土を取り上げる気か!」

「左様じゃ! 源左衛門殿の申される通りよ!」

「我が家は鎌倉の昔より、あの谷の田を拓き、鎮守の社を守ってきたのじゃ! よその土地へ移れなどと、死んだ親父殿やご先祖様に顔向けできると思うてか!」

広間のあちこちから、怒号と不満の声が噴き上がった。

彼ら南薩の武士たちは、球磨の盆地で塩と鉄を絶たれて窒息しかけている相良家臣団とは、置かれている立場が根本から異なる。

島津の経済圏の内部にいる彼らは、高須の白塩も、唐芋の種芋も、安価な鉄器も手に入る環境にあり、外敵に包囲されて明日をも知れぬ困窮に喘いでいるわけではない。つまり彼らは、「まだ従来の領主制を維持できる側」であった。だからこそ、宗家から突きつけられた突然の再編案は、彼らの誇りと既得権を逆撫でしたのである。

罵声を浴びながらも、崇清は表情一つ変えず、扇子を膝の前に置いて静かに頭を下げた。

「源左衛門殿、皆様方。お怒りはごもっともにございます。まず誤解なきよう申し上げますが、御屋形様(義久)は皆様の武功を軽んじたわけでも、無理やり所領を奪おうとされているわけでもございませぬ」

崇清は穏やかな、しかし広間の隅々まで通る澄んだ声で続けた。

「これより島津が肥後、さらには筑前・豊後へと覇を唱えるにあたり、薩摩半島の南端――ここ知覧・頴娃から指宿・川辺に至る一帯に、宗家直轄の蔵入地と合わせ、どうしても『一万二千石規模のまとまった空きの所領』を作る必要が生じました。本日の寄合は、その第一陣となる知覧・頴娃の三千石分、三十八家の皆様に、二つの道のいずれかを自ら選んでいただくための場にございます」

崇清は背後の弥三郎に目配せし、大きな白木の板に貼られた二枚の図面を掲げさせた。

「一つ目の道は、これまで通り『土地と百姓を治める領主』として、大隅国の宗家直轄地――旧肝付領の鹿屋(かのや)や串良(くしら)の平野部へ移っていただく道です。移られる方には、現在の知覧・頴娃での石高に対し、二割増しの良田を大隅にて宛行います。もちろん、新たな館の普請代と引越しの船・人足の費用は、すべて宗家が負担いたします」

「二割増し、じゃと……?」

源左衛門が眉をひそめた。

南薩摩は温暖とはいえ、シラス台地と山が海に迫り、平地の水田は決して多くない。それに比べれば、大隅の肝属川流域に広がる鹿屋・串良の平野は、川の水が豊かな一面の穀倉地帯である。

「在地領主としての家格と誇りを守り、ご一族や郎党をこれまで通り自前の所領で養っていきたいとお考えの方は、どうかこの大隅移転をお選びくだされ。高須の湊にも近く、商いの便も南薩に劣りませぬ」

崇清がそこまで語ると、広間の前方に座っていた百石以上の有力地侍十二名の間に、「百五十石が鹿屋の平地で百八十石になるならば、決して悪い話ではないぞ……」という計算高い囁きが広がり始めた。彼ら大身にとって、土地と百姓を直接支配すること自体が権力であり、家格の源泉だからである。

だが、広間の後方――五十石や三十石といった零細な所領しか持たぬ二十六家の小身の地侍たちの視線は、大隅の地図ではなく、もう一枚の奇妙な書付に釘付けになっていた。

「……では、又八郎殿」

遠慮がちに手を挙げたのは、頴娃の山あいに公称四十石の所領を持つ、樺山(かばやま)藤七郎という三十代半ばの武士だった。着ている麻の帷子(かたびら)は綺麗に洗われているものの、袖口が擦り切れており、その頬はどこかやつれている。

「この二つ目の目録にある……『所領の知行権を宗家へ返上し、蔵米取りの俸禄侍(ほうろくざむらい)となる』というのは、いったいどういう仕組みにございましょうか」

「よくぞお尋ねくださいました、藤七郎殿」

崇清は身体の向きを少し変え、広間の後方に座る小身の武士たちと真っ直ぐに目を合わせた。

ここからが、崇清がこの南薩で仕掛けようとしている「領主権と軍役と収入源の切り離し」という、前代未聞の制度実験の本丸であった。

「藤七郎殿。少し立ち入った家の台所事情を伺いますが、貴殿の『四十石の所領』から、毎年実際に藤七郎殿の蔵へ入る年貢米はどれほどあり、また郎党(家来)を何人抱えておられますか?」

「は、はい……。四十石の田畑と申しても、それは表向きの貫高・石高にございますれば、五公五民から六公四民で取り立てて、平年ならば我が家に入る年貢米は二十二石ほどにございます。そこかしこに手作りの畑を持たせている譜代の郎党が三人、屋敷で使う下人が四人おりまする」

「平年で二十二石ですね。では、その二十二石を得るために、藤七郎殿は毎年どれほどの手間と米を費やしておられますかな?」

崇清は手元の算盤を取り上げ、パチリと珠を弾いた。

「まず、毎年きっちり二十二石の年貢が入るわけではありませぬ。秋に大風が吹けば稲が倒れ、日照りが続けば隣の村と用水の奪い合いになる。領主たる藤七郎殿は、その水争いや境論の仲裁に頭を悩ませ、秋になれば『今年は不作ゆえ年貢を負けてくれ』と泣きつく百姓の未進(滞納)を督促せねばならぬ。……去年の秋は、実際に何石入りましたか?」

「う……い、いや、去年の秋は長雨で実入りが減り、百姓に種籾を貸し与えたせいもあって、実際に納まった年貢は十五石にも届きませなんだ……」

藤七郎が苦渋の表情で頷くと、周囲の小身の武士たちからも「うちも同じじゃ」「年貢の取り立てと水争いの裁きほど胃の痛むものはない」と低い吐息が漏れた。

「平年で二十二石、不作の年は十五石。……ところが、入ってくる米は天候や百姓の都合で毎年激しく揺れ動くのに、出ていく米と銭は待ってくれませぬ」

崇清の指が、算盤の珠を次々と弾いていく。

「平時であっても、屋敷の下人四人と郎党三人に食わせる扶持米や雑穀で、年に七石から八石は確実に消えるでしょう。そして何より重いのが、宗家から陣触れ(動員令)が出た時の『軍役』です。四十石の領主であれば、藤七郎殿ご自身のほかに槍持ちの郎党二人、荷運びの陣夫一人を連れ、その全員分の具足、槍、笠、そして出陣中の兵糧と塩をすべて『自腹』で揃えて駆けつけねばなりませぬ。……昨冬の耳川への遠征の折、藤七郎殿はいくらの借金をされましたか?」

「…………ッ」

藤七郎は顔を赤くして俯いた。

「……山川の商人から、銀三枚を借りました。郎党の胴丸を繕い、馬の沓と干し飯を買い揃えるだけで精一杯で……その元利を返すために、毎年米四石分が消え、今年の秋の年貢まで前借りの抵当に入っております……」

「つまり、こういうことです」

崇清は算盤を掲げて見せた。

「表向きは『四十石の領主』であっても、実際の年貢は二十二石、不作なら十五石。そこから郎党・下人の扶持で八石が消え、軍役の借金返済と武具の修繕で四石が消える。……藤七郎殿ご自身と奥方、お子たちが純粋に暮らしのために使える米は、平年でも十石足らず、去年のごとき不作の年には『わずか三石』しか残っていなかった計算になります」

広間が静まり返った。

南薩の武士たちは、島津の経済圏にいるおかげで「物が買えない」わけではない。しかし、従来の「土地侍(在地領主)」という制度そのものが、「不作や未進という収入の変動リスク」と「村の紛争調停・徴税という行政負担」、そして「郎党を常時養い、合戦のたびに自前で小部隊を編成して出陣する軍役コスト」のすべてを、個人の肩に背負わせる仕組みだったのである。

百五十石の佐多源左衛門のような大身なら、その負担を吸収して余りある余力と権勢がある。だが、五十石以下の小身の武士にとって、「領主であること」は誇りであると同時に、一たび不作や遠征が続けばたちまち家計を破綻させる重荷と化していたのだ。

「そこで、二つ目の道――『俸禄侍(銭侍)』の仕組みにございます」

崇清はすっと書付を掲げた。

「この道を選ぶ方は、現在お持ちの『所領の知行権(百姓から年貢を取り立て、村を支配する権利)』を宗家へ返上していただきます。なお、今お住まいの屋敷地と、屋敷の周りで下人やご家族が野菜や唐芋を作っておられる『手作(てづくり)の門田・菜園』については、年貢諸役免除のままお持ちいただいて構いませぬ。もし知覧の屋敷ごと空けていただける場合は、鹿児島城下か谷山、あるいは大隅の高須に同等の屋敷地と菜園を無償でご用意いたします」

「ち、知行権を返上すれば、我らの禄はどうなるのですか?」

「宗家の蔵から、毎年決まった額の米と銀――すなわち『定額の俸禄』を直接お支払いいたします。藤七郎殿の四十石の所領(平年年貢二十二石)であれば、毎年『玄米十二石と銀二枚(米換算で計十六石相当)』を、大風が吹こうが不作であろうが、毎年欠かさず三度にわけて支給いたします」

「げ、玄米十二石と銀二枚……? 平年の年貢二十二石よりは、額面が減るのではございませぬか?」

藤七郎が戸惑ったように聞き返した。

すると崇清は、待っていたとばかりに指を一本立てた。

「額面が二十二石から十六石相当になっても、藤七郎殿の手元に残る米は逆に跳ね上がります。なぜなら、所領を返上した俸禄侍には、『本人以外の軍役割当』を一切免除するからです」

「な……っ!?」

「合戦の折には、藤七郎殿ご自身が一本の槍を持って単身で駆けつけてくださればよい。郎党や陣夫を自腹で連れてくる義務はございませぬ。さらに、出陣中の兵糧、塩、鉄砲の玉薬、ならびに武具の損耗に対する修繕料は、すべて宗家の兵站方が支給いたします。もちろん、村の水争いを裁く苦労も、年貢の未進を取り立てる胃痛も、すべて宗家の代官が引き受けます」

広間の後方で、何人もの小身武士がガタリと腰を浮かせた。

「ほ、本人ひとりの奉公だけでよい、だと……!?」

「郎党三人と下人を養う八石も、軍役の借金四石も要らなくなるのか!?」

「ならば、不作で三石しか残らなかった我が家の手取りが、毎年確実に『まるごと十六石分』残るというのか……!」

小身の武士たちの頭の中で、猛烈な勢いで算盤が弾かれた。

これまで表向きは二十二石の年貢があっても、郎党の扶持と軍役経費で十二石が消え、不作になれば手元に三石しか残らなかった。

それが、領主という看板を下ろして「本人単身の奉公」に切り替えるだけで、水争いの苦労も借金の恐怖も消え失せ、毎年確実に玄米十二石と銀二枚(十六石相当)が、丸ごと自分と妻子の生活費として手元に残るのである。実質的な可処分所得と家計の安定度は、平年比で一・五倍、不作時と比べれば五倍以上に跳ね上がる計算だった。

(一方、宗家の側から見れば、返上された四十石の所領から平年二十二石の年貢を直接徴収し、藤七郎には十六石相当を払うのだから、差額の六石が宗家の蔵に残る……。その六石を原資にすれば、免除した分の直属足軽を雇う計算が成り立つ)

だが、どれほど計算が合っていても、先祖伝来の制度を変えるには現場の強い疑念と摩擦が伴う。

藤七郎の隣に座っていた老武士・別府(べっぷ)勘解由が、鋭い目で崇清に問いかけた。

「又八郎殿、計算の上ではまことに結構な話じゃ。されど、三つ伺いたい。……第一に、所領を返上してしまえば、我らは後ろ盾となる土地を失う。もし数年後、宗家の蔵が苦しくなったからと『来年から俸禄を減らす』と言い出されたら、我らは干上がるしかなくなる。その保証はどうなさるのか」

「第二に、本人一人の奉公と申されるが、土地を持たぬからと、一年中あちこちの城普請や番役に無制限にこき使われるのではたまらぬぞ」

「そして第三に……我が家で代々養ってきた三人の郎党はどうなる! 軍役が免除されたからといって、『今日から飯は食わせぬ、出て行け』と路頭に迷わせるような不義理は、武士として絶対にできぬ!」

別府勘解由の三つの問いは、制度改革の核心を突く極めて重大な論点だった。

広間の全員が息を呑んで崇清を見つめる中、崇清は深く頷き、弥三郎から三通の証文の雛形を受け取った。

「勘解由殿、その三つのご懸念こそ、この制度の要石にございます。まず第一の『支給の保証』について。俸禄侍となられる方には、御屋形様(義久)の御判と、勘定奉行・伊集院忠棟殿の連署が入った『永代俸禄手形』を発行いたします。さらに、その引き当てとなる財源は、天候に左右される年貢米だけでなく、我が蒲生島津が差配する『高須の塩専売益と湊の津料』を特別の担保として紐づけます。万が一、不作で宗家の蔵米が不足した年は、高須の銀と白塩をもって同額を即座に決済することを、この崇清が起請文をもって請け負います」

「次に第二の『奉公の範囲』です。今回は宗家としても前例のない新たな試みゆえ、これまでの慣行に代えて、特別に『軍役ならびに番役定書(さだめがき)』を証文に添えます。平時の番役は『月に十日(十日番)』、合戦への動員は『年に六十日以内』と明確に日数を定めます。それを超えて動員された場合は、一日につき玄米二升・銭二十文の『兵糧加増(日当)』を別途支給いたします」

「ぶ、武士の奉公に日数と日当まで証文で定めるとは……聞いたこともないぞ……!」

当時の武士の奉公は無定量・無制限が当たり前であったため、勘解由たちはその「契約書」の異様さに目を丸くした。

「そして第三の『郎党の処遇』にございます」

崇清はここを最も丁寧に説明した。

「皆様がこれまで養ってこられた郎党を、路頭に迷わせることは断じていたしませぬ。彼らには二つの働き口を宗家が責任をもって用意いたしました。一つは、宗家が新たに編成する『直属の常備足軽・および兵站輸送隊』として、宗家が直接雇い入れ、その本人に直接給米と宿舎を与える道。もう一つは、大隅や南薩の新田・唐芋畑の『百姓(名主・作人)』として独立させ、自分の田畑を持たせてやる道です。皆様は不義理をして追い出すのではなく、『宗家の直参足軽か、自分の田を持つ百姓へ引き立ててやる』という形で、主従の義理を傷つけずに手を分けていただくことができます」

「……なるほど!」

藤七郎が膝を打った。

「郎党の連中も、我が家の狭い納屋で冷や飯を食うより、宗家の常備足軽として給米を貰うか、自分の畑を持てるとなれば、喜んで送り出してやれる……!」

広間の空気が、見事なまでに二つに分かれた。

前方に座る佐多源左衛門ら、百石以上の有力な地侍十二名は、「先祖伝来の領主の座を降りて、日数で働く『銭侍』になどなれるか! わしは大隅の鹿屋で二割増しの土地を貰うぞ!」と鼻息を荒くしている。彼らにとっては、在地での支配権や「殿」と呼ばれる家格こそが命であり、それを手放すつもりは毛頭ない。

一方で、後方に座る樺山藤七郎や別府勘解由ら、五十石以下の小身の武士二十六名は、互いの顔を見合わせて深く頷き合っていた。

彼らにとって、領主の看板はすでに借金と心労の重荷でしかなかった。郎党たちの行き先が保証され、本人の奉公範囲と定額の収入が証文で確定するならば、これほどありがたく、家族を救える話はなかったのである。

「――おのおの方、今日この場で即答していただく必要はございませぬ」

崇清は立ち上がり、広間の一同へ深く礼をした。

「これより五日の間、私と算用方の役人が一軒ずつ皆様のお屋敷を回り、現在の借金の有無、田畑の作柄、抱えておられる郎党の人数を伺いながら、大隅へ移った場合と俸禄侍になった場合の『個別の収支試算表』をお作りいたします。ご家族や郎党ともよくご相談の上、最もお家が立ち行く道をお選びくだされ」

寄合が終わり、地侍たちがそれぞれの思惑を胸に散っていくと、広間には崇清と弥三郎、そして内城の勘定所から同行していた目付役人の三人だけが残った。

「……ふうっ。若君、なんとか暴動にならずに済みましたね」

弥三郎が額の汗を拭い、大きく息を吐いた。

「今の様子なら、百石以上の大身十二家(計二千石)は『大隅の直轄地への移転』を選び、残る小身二十六家(計千石)は『所領返上・俸禄侍化』に手を挙げそうです。この方式を指宿や川辺の残り九千石にも広げれば、相良家を受け入れる一万二千石の器は綺麗さっぱり空けられますよ!」

しかし、崇清の表情は少しも緩んでいなかった。

崇清の視線の先では、内城から同行してきた勘定所の目付役人が、真っ青な顔で手元の帳面と算盤を睨みつけ、ガタガタと指を震わせていたからである。

「……ま、又八郎様」

目付役人が、かすれた声で顔を上げた。

「こ、このお話……本当にこのまま進めてしまわれるのですか……!?」

「もちろんだ。御屋形様からは、南薩の再編について下交渉を一任されている」

「し、しかし……! 四十石の藤七郎殿の例だけでもお考えくだされ! 平年なら年貢二十二石のうち十六石相当を渡して六石が宗家に残る計算ですが、もし去年のような不作で年貢が十五石しか入らなかったらどうなりますか!? それでも藤七郎殿には定額の十六石相当を払わねばならず、その上に雇い入れた常備足軽の給米まで宗家が払えば、たちまち宗家の蔵が大赤字になりますぞ!」

目付役人の叫びは、この制度が抱える最大の急所――「これまで地方領主が各自で被っていた不作や災害の変動リスクを、宗家がすべて固定費として一括で背負い込むことになる」という冷酷な事実を突いていた。

「それだけではございませぬ! 知覧や頴娃の村々から地侍がいなくなれば、いったい誰が村々の検地をし、年貢の未進を取り立て、百姓の水争いを裁くのですか!? 宗家の代官や書記官を何十人も新たに雇って送り込まねば、村の秩序が崩壊して年貢など一粒も集まらなくなります!」

目付役人は、まるで世界の終わりを見たかのように頭を抱えた。

「大隅の直轄地は二割増しで削られ、不作の赤字と足軽の給米は宗家が背負い、代官の人件費は跳ね上がる……! こんな帳面を内城へ持ち帰ったら、筆頭勘定奉行の伊集院忠棟様が、大薙刀を振るうがごとく猛反対されるに決まっております! いや、忠棟様の連署など絶対に頂けませぬぞ!」

「……だろうな」

崇清は苦笑し、開け放たれた障子から南薩摩の青い空を見上げた。

目付役人の恐怖は、少しも間違っていない。

地方の地侍たちが手放して喜んだ「減収のリスク」「村々の行政コスト」「兵員の維持・動員コスト」は、魔法で消えてなくなったわけではない。すべて島津宗家の肩へそのまま移動しただけなのだ。

しかも、現在の島津宗家には、まだ返上された村々を直接管理するだけの代官組織も、統一された検地・俸禄・軍役の台帳も整っていない。

「弥三郎。五日で南薩の個別面談と仮証文の取りまとめを終えるぞ」

「えっ、そのあとはすぐ八代の相良殿のもとへ向かうんじゃないんですか?」

「いや。八代へ行く前に、一度鹿児島の内城へ戻る」

崇清は算盤を懐に収め、静かに目を細めた。

「相良義陽殿を説得するよりも前に、まずは身内の『最大の関門』を突破しなければならない。……忠棟殿は単にケチで反対するのではない。『支払い能力と行政能力を超えた約束をすれば、島津の統治そのものが破綻する』と、誰よりも正確に算盤を弾いて襲いかかってくるはずだ。……その忠棟殿と、どの費用を先に払い、どの仕組みから作るのか、腹を割って殴り合ってこよう」


長期の利益と短期の利益は相反することも多く…伊集院忠棟という薩摩の帳簿魔にどうたいこうするか、が次回の話ですね。


次回の投稿は19時の予定です。原稿はできてるのでこのあと予約投稿して投稿できてるか確認しときます。今回はすみません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。