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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第6部 「血を流さない南九州制覇」

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第101話 球磨の袋小路と塩の秤

おおう……予約投稿したつもりができてませんでした。申し訳ないです。

天正五年(一五七七年)七月。肥後国・球磨郡、人吉城。

球磨川から立ち昇る夏の川霧は、盆地の底に澱んだ熱気と混じり合い、城の広間に敷かれた畳までじっとりと湿らせていた。

開け放たれた障子の向こうでは、四方を幾重にも取り巻く九州山地の深い緑が、まるで巨大な翠(みどり)の壁のようにそびえ立っている。鎌倉の元久二年(一二〇五年)、遠江国相良庄から下向した遠祖・相良長頼がこの地に根を下ろして以来、およそ三百七十年。どれほどの外敵が押し寄せようと、この険しき山々と日本三大急流・球磨川の激流が、相良の社稷(しゃしょく)を守り抜いてきた。

だが今、その天然の要害は、相良家第十八代当主・相良義陽(よしひ)の目には、出口のない巨大な「袋小路」としか映っていなかった。

「……まことか、長智(ながとも)。甲斐宗運殿が、矢部の浜の館で島津に頭を下げたというのは」

上座に端座する義陽の声は、低く、乾いていた。当年三十四歳。和歌や古典に通じ、球磨・八代・芦北の三郡を束ねる分別を備えたこの名君の額には、拭いきれぬ疲労の皺が刻まれている。

文机の前に平伏していた文官の宿老・深水長智(宗方)が、白髪の混じった頭を重々しく上げた。

「はっ。八代に放っていた間者からの急報にございますれば、万に一つも違いございませぬ。去る六月末、京より帰還した島津左馬頭(歳久)と蒲生又八郎(崇清)、わずか百余の供回りを連れて矢部へ登り、阿蘇大宮司(惟将)様へ『阿蘇十二神・正一位』ならびに『健磐龍命・神階極位』の口宣案を奉じたとのこと……」

「正一位の、勅許だと……?」

「それだけではございませぬ」

長智は懐から取り出した書付を広げ、震える指先でその文字列をなぞった。

「阿蘇家は朝廷より『天朝の鎮護・九州の総社』たる神職の極位を賜るとともに、俗世の所領支配と軍役を島津宗家へ委ねる盟約を結びました。大宮司様は戦国大名としての旗を下ろされ、御舎弟の惟種殿、そして筆頭宿老たる甲斐宗運殿は……島津の『重臣格』として、北肥後の守りに就いたとの由にございます」

「ば、馬鹿なッ!!」

広間の畳を激しい音が打ち据えた。

八代・古麓(ふるふもと)城代を務める相良家随一の猛将、犬童頼安(いぬどう・よりやす/休矣)が、太い眉を逆立てて膝を乗り出していた。赤銅色に焼けた頬が怒りでひくつき、握りしめた拳の関節が白く浮き上がっている。

「あの甲斐宗運が、一戦も交えずに薩摩の軍門に降ったと申すか! 耳川で大友が敗れたとはいえ、阿蘇には矢部の険があり、宗運が手塩にかけた一万の精兵がおったはず! 老いぼれて腰が抜けたか、それとも島津の黄金に目が眩んで魂を売ったか!」

「頼安、声を鎮めよ」

義陽が静かに制した。だが、頼安の荒い鼻息は止まらない。

「鎮められませぬぞ、御屋形様! これまで我ら相良が島津の北上を食い止めてこられたのは、東に豊後の大友、北に阿蘇の宗運という二つの柱と手を携えておったからにござる! その大友は昨冬の耳川で日向から叩き出され、今また阿蘇が島津の盾に成り果てた……! これでは球磨も八代も、南と東と北の三方を、まるごと島津の牙に囲まれたも同然ではございませぬか!」

頼安の叫びは、そのまま広間に居並ぶ相良家の譜代家臣たち全員の恐怖を代弁していた。

南の薩摩・大隅には島津義久・義弘。東の日向・真幸院(えびの)には、かつて木崎原で相良の援軍とも刃を交えた鬼神のごとき島津勢。そして今、頼みの綱であった北の阿蘇までもが「島津の与力」へと反転したのだ。

「されど、御屋形様!」

頼安は自らに言い聞かせるように胸を張り、床の間の太刀掛けを睨みつけた。

「阿蘇が裏切ろうと、恐れることはございませぬ! 我らには水俣城があり、佐敷があり、八代の古麓城がござる! 万が一、海沿いの芦北・八代を突破されようとも、この球磨盆地は四方を絶壁に囲まれた天険の要害! 球磨川沿いの細道を塞ぎ、山々に砦を築いて迎え撃てば、いかに島津が大軍を催そうとも、一兵たりともこの人吉の土は踏ませませぬ! 五年でも十年でも籠もり、薩摩の猪どもの屍で球磨の谷を埋めてくれましょうぞ!」

「そうじゃ! 休矣(頼安)殿の申される通りじゃ!」

「木崎原の恨み、ここで晴らさいでか!」

武辺者たちが次々と同調し、広間に勇ましい怒号がこだました。

だが、義陽は微動だにしなかった。その涼やかな双眸は、沸き立つ家臣たちの頭上を越え、ただ一点――文机の前で唇を噛みしめている深水長智の白い横顔だけを見つめていた。

「……頼安。甲斐宗運殿は、愚か者ではない」

義陽がぽつりと呟くと、広間の熱気がすっと冷えた。

「わしは十余年の間、宗運殿と幾度も書状を交わし、肥後の行く末を語り合ってきた。あのお方は、己の欲や一時の臆病で主家を売るような仁ではない。親族を斬ってでも阿蘇の社稷を守り抜いてきた、肥後で最も恐るべき冷徹な軍師だ。……その宗運殿が、矢一本射ることなく島津の前に膝を折った」

義陽は自らの膝の上に置いた両手に視線を落とした。

「脅されたのではない。……戦うよりも遥かに重く、抗いようのない『理(ことわり)』を突きつけられたのだ。そうであろう、長智」

名指しされた深水長智は、深く息を吐き出すと、脇に抱えていた分厚い三冊の帳面を畳の上に広げた。

それは軍勢の着到帳ではなかった。八代、水俣、そしてここ人吉の城下市(いち)における、直近半年間の『諸色相場ならびに荷改帳(物価と流通の記録)』であった。

「……休矣殿。貴殿は『球磨の山に籠もれば五年でも十年でも戦える』と申されたな」

長智のしわがれた声が、静まり返った広間に響いた。

「なれば問う。その五年、十年の間、城に籠もる武士と領内の百姓が舐める『塩』は、どこの山から掘り出すおつもりか?」

「な、なに……?」

頼安が眉をひそめた。

「塩など、八代の浜で焼かせ、天草や肥前の商船から買い入れればよいではないか! 兵糧の米ならば、この球磨盆地の水田にいくらでも実っておるわ!」

「その商船が、この春より一艘たりとも八代湊へ入っておらぬのです」

長智は一冊目の帳面をパシリと叩いた。

「休矣殿も古麓城におれば気づいておられよう。今、不知火海(八代海)の海原には、島津の丸に十文字の帆を掲げた大型の関船が我が物顔で行き交っております。だが、連中は水俣の湊を焼き討ちしたわけでも、八代の沖に軍船を並べて通せんぼをしておるわけでもございませぬ」

「……では、なぜ商船が来ぬのだ」

「島津が、出水(いずみ)と阿久根、そして大隅の高須・根占の湊の津料(関税)を大幅に引き下げたからにございます」

長智の言葉に、義陽の眉がピクリと動いた。

「それだけではありませぬ。島津の湊へ荷を運んだ商船には、大隅で大量に焼かれた雪のように白い極上の『高須塩』や、樟脳、竹炭、椎茸といった目玉の荷が、どこよりも安い値で優先して卸されます。さらに海賊除けの警固船まで無償で添えられる。……博多や肥前、天草の廻船問屋どもは、みな算盤を弾いて自ら舵を切りました。『わざわざ危ない相良の八代湊へ寄るより、島津の湊へ行って商いをする方が三倍も儲かる』とな」

広間に重苦しい沈黙が落ちた。

軍事による海上封鎖ではない。もし島津が武力で商船を襲っていれば、相良も水軍を出して応戦するか、商人に危険手当を払って密輸させる手立てがあった。

しかし、島津がやったのは「市場そのものの書き換え」だった。商人たちが己の利益を求めた結果として、自発的に八代と水俣を素通りし、不知火海の物流が根こそぎ島津の港へと吸い上げられてしまったのである。

「その結果が、この帳面にございます」

長智は帳面の頁をめくり、冷酷な数字を読み上げた。

「現在、八代・水俣の市に入ってくる荷は、島津の湊からのおこぼれを扱う仲買人が、島津側の言い値で運んでくる分のみ。去年の夏と比べ、ここ人吉の市における『塩』一升の値は、すでに三倍に跳ね上がっております」

家臣たちの間から、息を呑む音が漏れた。

「八代の塩浜だけでは、湿気の多いこの球磨盆地の数万の民と家臣を養う塩の三割も賄えませぬ。……休矣殿、塩が三倍の値になったということは、どういうことかお分かりか? この秋、領内の百姓も下級武士の女房も、冬を越すための味噌が仕込めず、大根や菜っ葉の漬物も漬けられず、川魚の塩漬けも作れぬということにございます」

「み、味噌と漬物が作れぬくらいで、武士が音を上げるか!」

頼安が吠えたが、その声には先ほどまでの威勢はなかった。

長智は容赦なく二冊目の帳面を開いた。

「秋は塩にございます。では、来春はどうなるか。……二冊目は『鉄』の帳面にございます。中国山地や豊後から入っていた鉄地金(ずく・鋼)の値は、去年の三倍半。しかも品物自体が市場から消えております」

長智の指が、鍛冶屋町の組合から上がった嘆願書を示した。

「人吉の鍛冶屋どもは、すでに炭ばかり余らせて槌を止めております。このまま鉄が入らねば、来春の田起こしまでに百姓の欠けた鍬(くわ)や鋤(すき)が直せませぬ。球磨の山から木を伐り出す樵(きこり)の斧も、合戦に備えて打ち直すべき槍の穂先も、馬の沓(蹄鉄)や城門の鎹(かすがい)に至るまで、すべてが摩耗したまま補充が効かなくなるのです」

そして長智は、最後の三冊目――最も薄い帳面を義陽の前へ差し出した。

「そして来夏を待たずに底を突くのが、『硝石』と『鉛』にございます。堺や南蛮からの火薬原料は、島津が坊津と高須で一手に買い占めており、四倍の銀を積んでも相良の領内には一斤も入ってまいりませぬ。今、人吉と古麓の蔵にある玉薬(弾薬)は、大軍と一度合戦をすれば三日で撃ち尽くす量しか残っておりませぬ」

秋には塩が欠乏して越冬の保存食が消え、春には鉄が尽きて農具と武具の維持が止まり、夏には火薬が枯渇して鉄砲がただの鉄パイプと化す。

「米はまだ蔵にございます。ゆえに、今日明日にも城内で餓死者が出るわけではありませぬ」

長智は静かに帳面を閉じ、顔を上げた。その老いた瞳には、武力よりも遥かに恐ろしい「怪物」の正体を見据える戦慄が宿っていた。

「ですが御屋形様、休矣殿。……我ら相良はもはや、『己が必要とする物を、いくらの値で、いつ買い入れるか』を自分たちで決める力を完全に失いました。島津は水俣へ一兵も差し向けぬまま、海の向こうで算盤の珠を一つ動かすだけで、この球磨盆地の息の根を自在に絞めることができるのです」

「…………っ」

犬童頼安は、奥歯が砕けんばかりに噛みしめ、畳の上に視線を落とした。

どれほど球磨の山が険しくとも、どれほど相良の武士が勇敢であろうとも、塩と鉄と火薬は山からは湧いて出ない。

さらに深刻なのは、それによって「相良家という大名家の仕組みそのもの」が内側から崩壊しつつあることだった。

「……長智の申す通りだ」

上座の義陽が、静かに口を開いた。

「今、この人吉の城下でも、百石、五十石の所領を持つ地侍たちが何に苦しんでおるか、頼安も知っておろう。米の値は変わらぬのに、塩や鉄、武具の修繕代だけが三倍、四倍に跳ね上がった。所領から上がる年貢米を市で売っても、郎党に持たせる塩や鉄砲玉すら買えぬのだ」

中世の武士(領主)は、主君から与えられた土地の年貢で自らの家族と郎党を養い、合戦の折には自前で具足と兵糧を揃えて駆けつける。

だが、その前提となる「米と戦略物資の交換レート」を島津の海運網によって破壊された今、相良の家臣たちは戦場に立つ前に、平時の家計と軍備維持だけで借金まみれとなり、首が回らなくなっていたのである。

「……一戦も交えぬうちに、家臣の暮らしが立ち行かなくなり、郎党が逃げ、領民が塩気を失って倒れていく。山に籠もって意地を通せば、一年後には刃を交える前に、この球磨の谷そのものが内側から立ち枯れる」

義陽は立ち上がり、縁側へと歩み出た。

眼下を流れる球磨川のせせらぎが、やけに遠く聞こえる。

史実において、義陽がこの四年後の天正九年、島津の圧力に屈してかつての盟友・甲斐宗運の守る阿蘇領へ攻め込まされ、響野原(ひびきのはら)の露と消える悲劇を、この世界の義陽は知らない。

だが、この天正五年の夏、彼を追い詰めていたのは島津の猛将たちの槍ではなく、島津崇清という男が薩摩・大隅から張り巡らせた、目に見えぬ「経済と物流の檻」であった。

その時、廊下を慌ただしく踏み鳴らす足音が近づき、近習の一人が広間の敷居際に滑り込んだ。

「も、申し上げます! 八代の古麓城より早馬にございます!」

「何事だ。島津が水俣へ兵を進めたか!」

頼安が 反射的に太刀を引き寄せた。だが、近習が震える手で差し出した文箱は、戦の注進ではなかった。

「い、いえ……! 矢部より下りてきた島津左馬頭(歳久)様と蒲生又八郎(崇清)様が、手勢わずか百名ほどで八代の南、日奈久(ひなぐ)の宿に入られ……古麓城へ書状を届けてまいりました!」

義陽は長智の手からその書状を受け取り、封を切った。

良質な孟宗竹の紙に、癖のない端正な墨跡が並んでいる。そこには降伏を迫る脅し文句も、城の明け渡しを求める軍令も書かれてはいなかった。

『肥後の夏、殊の外暑く候えば、大隅の茶と冷菓を持参いたし候。八代・古麓城にて茶を一服差し上げたく、修理大夫(義陽)殿の御来駕を心よりお待ち申し上げ候――島津左馬頭歳久、島津又八郎崇清』

「……茶、だと?」

背後から覗き込んだ頼安が、信じられないものを見るように目を剥いた。

「我らを兵糧と塩で締め上げておきながら、わずか百の手勢で懐に飛び込み、茶を飲もうと申すか!? 御屋形様、これは天の助けにござる! 今すぐ八代へ兵を伏せ、その歳久と崇清の首を討ち取ってしまえば――」

「討ってどうする、頼安」

義陽は書状を巻き収め、静かに振り返った。

「使節の百人を騙し討ちにすれば、翌日には出水から新納忠元が、加久藤から島津義弘が、そして北の矢部からは『島津の重臣』となった甲斐宗運殿が、大義名分を掲げて球磨へ雪崩れ込んでくるぞ。そして不知火海の湊は完全に閉ざされ、球磨の民には塩一粒たりとも届かなくなる」

頼安は言葉を失い、唇を噛んだ。

百人の使節は、無防備なのではない。「この百人を斬れば、相良の三万の民が死ぬぞ」という圧倒的な構造の上にあぐらをかいているからこそ、鎧も着ずに茶席へ招くことができるのだ。

「……大隅の五男坊、島津又八郎崇清か」

義陽は竹紙の滑らかな肌触りを指先で確かめながら、まだ見ぬ若き怪物の姿を思い描いた。

大隅の肝付・禰寝を刃も交えずに呑み込み、耳川で大友の四万を泥濘に沈め、京の都で正一位の宣旨を引き出して阿蘇の千年王国を懐柔した男。

「まだ島津からは、降伏せよとも、城を明け渡せとも一言も届いておらぬ。連中が相良に何を求めておるのか……まずはこの目で確かめて参る」

「御屋形様! 敵が待つ八代へ自ら赴かれるなど、あまりに危険にございます!」

縋りつく頼安と長智を見下ろし、義陽はかすかに、だが凛とした笑みを浮かべた。

「頼安、長智。お前たちも共に参れ。……もし島津が、相良の四百年の家名を潰し、球磨の侍どもを路頭に迷わせるつもりならば、その時は茶席でわしが腹を切る。わしの首一つを置いて、球磨の家臣と百姓の命、そして塩の道だけは買い取って参るゆえ、案ずるな」

名君・相良義陽は、最悪の結末――自らの命と引き換えに家臣と民を救うという悲壮な覚悟を胸の奥底に秘め、八代への出立を命じた。

だが、この時の義陽には知る由もなかった。

彼を茶席に招いた島津崇清という男が、義陽の首など最初から一文の価値もないと考えており――それどころか、この会談に先立って、薩摩半島の南端で「相良家を丸ごと引っ越しさせるための前代未聞の地ならし」に大汗をかいている最中であることを。


相良を取り込めば薩摩大隅日向南肥後は概ね島津の勢力圏になります。

南九州は制覇です。(今の南九州は一般に鹿児島宮崎を指しますが…南肥後も感覚的には南九州でいいと思います)


次の更新は7時予定です。もう今のうちに予約投稿して予約ができたのまで確認して寝ることにします

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