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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第5部「黒潮海道と京洛の謀略」

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第84話 鉄と青銅の解剖台

第74話:鉄と青銅の解剖台


錦江湾を挟んで桜島がかすかに煙を吐く早春、大隅国・飯隈の工房地帯。 普段はサボンを煮る灰汁の刺激臭や、唐芋をツブロ式蒸留器で落とす甘やかな湯気に包まれていた土間に、今や異様な鉄錆の匂いと、大槌の重々しい地響きが満ちていた。


頑丈な楠の丸太を組み上げた解剖台の上には、耳川の修羅場で蒲生武士団が敵兵から直接ぶんどり、ぬかるんだ泥土の中から引きずり出してきたあの異形の青銅巨砲――大友宗麟が「国崩し」と号したフランキ砲が、巨大な獣の死骸のように横たえられている。


「……若君。よくまあ、あんな敵陣のど真ん中から、こんな化け物を泥まみれになって引っ張り出してこれたもんですよ。大友の砲手どもを蹴散らしたまでは良かったですがね、耳川のぬかるんだ泥土に車輪がめり込んで……丸太を噛ませ、麻縄を引きちぎりそうになりながら、まずは海岸まで引きずり出したんですよ。そこから高須港までは次郎兵衛の船に載せて……飯隈へ運び上げる間、僕ぁね、重さで胃に穴が三つ開きましたよ」


首筋の古傷をぽりぽりと掻きむしり、十文字槍を壁に立てかけたのは弥三郎(三十歳)だ。 その隣では、耳川で大友の砲兵を丸太と竹束で薙ぎ倒し、砲を強奪した功労者である甚兵衛(七十歳)が、白髪混じりの髭を逆立てて胸を張っている。


「何をボヤいておるか弥三郎ッ! 蒲生八幡の御神木たる若君の御指図通り、敵の度肝を抜く大筒を敵兵の手から直にもぎ取って参ったのじゃ! これぞ蒲生の武威、天下に轟く一番の手柄よ!」


「はいはい、武威武威。で、その一番の手柄を『宗家へ差し出せ』って言ってきた忠棟の親父を、若君が大広間で綺麗に論破してここに持ち帰ったってわけですね。……相変わらず、現場のケツを拭くのが上手いこって」


弥三郎が呆れたように息を吐く。 その二人の前で、解剖台の巨砲を腕組みして見つめていた男たちがいた。


一方は、高須港を本拠とする能野水軍の頭領・次郎兵衛。 そしてもう一方は、紀伊水道から流れ着いた男たち――雑賀の鍛冶頭・徳兵衛たちであった。本願寺方として織田信長と刃を交え、紀伊に居場所を失いかけていたところを、耳川以前から楠行者衆の手引きによって高須・飯隈へと先行して迎え入れられていた職人集団である。


肌は潮風と炉の炎に焼けて黒く、手のひらには火薬の粉が染み込んだ無数の傷跡がある。


「……おいおい、紀州の徳兵衛さんよ。見惚れるのは勝手だがな」


煙管の煙をくゆらせながら、能野の次郎兵衛が不敵に笑った。


「そいつを日向灘の荒波の中、敵の追撃を振り切って高須の浜まで運びきったのは、俺たち能野の船乗りだ。傷一つつけずに運んでやったんだ、せいぜい拝むがいいさ」


「へっ、船足で見栄を張る気は毛頭ねえよ」


徳兵衛が苦い唾を土間に吐き捨て、無精髭を撫でた。


「だがな、次郎兵衛の頭。いくら船が速かろうが、火薬の詰め方も青銅の冷まし方も知らねえ素人が撃てば、二発目で薬室が吹っ飛んで船ごと海の藻屑だ。この南蛮筒の本当の直し方と撃ち方を知ってんのは、本願寺の浜で信長の大船を迎え撃ってきた俺たち雑賀の鍛冶と砲手だけだぜ」


「なんだと?」「おい、紀州の余所者が調子に乗るなよ!」


互いに海と火薬で生きてきた男たちだ。土着の自負を持つ能野水軍と、最先端の戦場で修羅場をくぐってきた雑賀衆。一触即発の火花が散りかけた土間に、崇清の静かな足音が割り込んだ。


「そこまでにせよ」


男たちが一斉に口を噤み、道をあけた。 崇清は小袖の袖をまくり上げ、手には墨の染みた設計図を抱えている。


「いがみ合う暇があるなら、手を動かせ。――甚兵衛、弥三郎」


崇清はまず、現場で砲を直接奪取してきた蒲生武士団の二人に目を向けた。


「耳川の修羅場で、大友の砲兵を蹴散らしてこの筒を奪い取ったお前たちの働きは見事だった。本丸の大広間で忠棟殿が何と吼えようと、この砲は蒲生の手柄だ。それは兄上方も認めている」


「ははっ!」 甚兵衛が誇らしげに鼻を鳴らす。崇清は続けて、能野の次郎兵衛と雑賀の徳兵衛へと向き直った。


「そして次郎兵衛、徳兵衛親方。高須の海を誰よりも知り、黒潮を読み切る能野の足がなければ、この重い砲を運ぶことすら叶わなかった。だが、その砲をただの青銅の置物で終わらせず、真に島津の牙とするには、雑賀の持つ火砲鍛造の知恵が不可欠だ。――いがみ合う相手を間違えるな。お前たちの敵は互いではなく、海を塞ぐ織田であり、いずれ襲来する南蛮船ではないのか」


正論であった。だが、徳兵衛はすぐに頭を下げなかった。 腕を組んだまま、険しい眼光で崇清を真正面から見据える。


「……若殿の仰る理屈は、ごもっともでさぁ。だがね、大筒の鋳造なんざ、鉄砲を一丁引くのとは訳が違う。銅の熔解一つ、型の乾燥一つで鬆が入り、試射で一発暴発すりゃあ職人の首が飛ぶ。失敗が続いた時、責めを負わされるのは所詮、他国から流れてきた俺たち雑賀の鍛冶じゃねえんですかい?」


土間に冷たい沈黙が落ちた。現場の技術者が抱く、権力者への拭えぬ不信。 崇清は目を逸らさず、静かに徳兵衛の目を射抜いた。


「失敗の責任は、すべて俺が取る」


「……何?」


「失敗すれば型を砕き、割って中を見ればいい。最初から成功する技術などこの世にない。必要なのは、なぜ割れたのかを測り、書き残し、次に活かすことだ。そのための銅も、薪も、米も、飯隈の蔵から惜しみなく出す。――お前たちの腕を疑って呼んだのではない。雑賀の誇りを、この工房で買い取ったのだ」


徳兵衛の喉仏が、ごくりと動いた。 「失敗してもいいから、原因を測れ」などと言い放つ武士に、これまで出会ったことなどなかった。 やがて、徳兵衛は深く息を吐き出し、口元を自嘲気味に緩めた。


「……へっ。まったく、食えねえ若殿だ。そんな風に腹を括られちゃあ、こっちが逃げを打つわけにはいかねえやな。――次郎兵衛の頭、悪かったな」


「いや、こっちこそ突っかかった。……頼むぜ、徳の字」


二人が無骨な手をがっしりと握り交わす。 職人たちの腹が据わったのを見届け、崇清は解剖台の巨砲に歩み寄った。 冷たく光る青銅の砲身に指を這わせる。


「よし。では始めるぞ。――拝むな、測れ。大友が神仏の奇跡と恐れ敬った『国崩し』を、ただの金属の塊に叩き落とす」


崇清の号令で、飯隈の工房における逆行開発が幕を開けた。


崇清は砲口の縁や砲尾から削り取らせた金属片を指先で転がし、目を細めた。


「……徳兵衛。この砲、どうも錫が多すぎるように見える。通常の青銅砲より、かなり硬く脆い配合ではないか?」


徳兵衛が削り粉を天秤に乗せ、坩堝へと放り込んだ。 火にかけて溶かし、比重を確かめた徳兵衛が、呻くように唸り声を上げる。


「……若殿、こいつぁ驚いた。銅に対して錫が一割五分近い。場所によっちゃ二割に届くところもありやすぜ。それに鉛もわずかに混じってやがる」


「湯流れを良くし、鋳型への回りを滑らかにするために安易に鉛を混ぜたのだろう。だが、これでは硬くなりすぎて脆い。火薬の爆圧を受ければ、内腔に細かなひびが走る恐れがある。南蛮の砲とて完全ではないのだ。……薩摩の良質な銅を使い、錫はまず一割を基準にする。そこから五分刻みで配合を変えて試せ。硬さだけでなく、割れにくさとの釣り合いを探すのだ」


「へえ! 型に流す銅の配合から、手探りで割出しやす!」


さらに、崇清はこの砲の最大の特徴である「子母構造」――砲尾が空洞になっており、あらかじめ火薬と弾を詰めたビール樽大の「子砲」を後方から装填して速射する機構へと歩み寄った。


「問題は、この子砲と母砲の隙間だ」


崇清が子砲の模型を母砲の尾部に落とし込み、鉄のクサビを打ち込んでみせる。


「耳川で大友が撃ち放った際、発射のたびにこの接合部から火薬ガスが激しく吹き出していた。威力が落ちるだけでなく、砲兵が目を回しておったのだ。……徳兵衛、この接合部をわずかにすり鉢状に削り出し、真鍮の薄板を環状に噛ませてクサビで締め上げることはできるか」


徳兵衛が膝を打った。


「……成る程! 真鍮を噛ませりゃ、発射の熱と圧で真鍮がわずかに潰れて隙間を塞ぐ! うまく塞がれば、火薬の圧力が前へ集中して威力も跳ね上がるはずだ!」


「ああ。だが、これも一度でうまくいくと思うなよ。真鍮の厚みを変え、クサビの角度を変え、何度も撃ってガスが漏れぬ按配を確かめるのだ」


崇清はさらに、懐から一枚の図面を取り出し、解剖台の上に広げた。


「次郎兵衛、これを見ろ。耳川で泥濘に突っ込んだこの巨砲を見た時から、考えていた砲架の形だ」


水軍の頭領・次郎兵衛が身を乗り出し、図面を凝視した。


「……車輪の真ん中に太い軸があるな。若殿、こいつは首を振るのか?」


「そうだ。『可動後固定式砲架』だ。波に揺れる船上で、大砲の向きを敵船の帆や舵に合わせて自在に旋回させる。そして撃つ瞬間――足元のクサビと鉄環を噛み合わせ、甲板に完全にロックする」


次郎兵衛が顎を撫で、図面の一点を指先でトントンと叩いた。


「……若殿、このロックの金具だがな。海の上じゃあ波の横揺れが一番厄介だ。この鉄環を二重にして、甲板の梁に直接、太い鉄の楔を打ち込む形にしねえと、三発目で台ごと海へ引っくり返るぜ」


「ほう……なるほど、船乗りの知恵だな。採用だ、図面を直せ」


崇清が笑うと、次郎兵衛も白い歯を見せて笑った。 蒲生の奪取、能野の操船経験、雑賀の冶金技術、そして崇清の全体設計。 四つの知恵が、解剖台の上で音を立てて噛み合い始めていた。


「徳兵衛、一度で綺麗な砲を引こうとするな。鋳型を変え、湯口を変え、失敗した砲身は躊躇なく叩き割って中を見ろ。鬆がどこに出るか、現場で標準を見出すのだ」


「へへっ! 割って中を見るなんざ、一番気の利いた指図でさぁ! 腕が鳴りまさぁな!」


「甚兵衛、弥三郎、高須の船蔵で砲架を載せる早船の補強だ。次郎兵衛の指示に従って梁を太くしろ」


「「へえっ!!」」


作業場に、男たちの野太い怒声と槌音が重なって響き渡った。 飯隈の夜空へ、赤々と火花が舞い上がる。


神秘のヴェールを剥ぎ取られた南蛮巨砲は、いまや大隅の職人たちの手で「検証可能な工業製品」へと生まれ変わろうとしていた。


工房の熱気を背に受けながら、崇清は外の夜風を吸い込んだ。 軍事の牙は、こうして地道な実験の積み重ねによって研ぎ澄まされていく。


(海と鉄は、これで回る。――次は、都の貴族どもを絡め捕る番だ)


崇清の視線は、次なる仕込み――公家たちの五感を狂わせる「香り」と「味覚」の実験場へと、静かに向けられていた。



次は19時更新です

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