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第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第5部「黒潮海道と京洛の謀略」

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第82話 伊集院忠棟の異論と「銭の出処」

「……な、何と申された!」

大広間の空気を裂いて立ち上がった伊集院忠棟の顔は、怒りと信じがたさで紅潮していた。

耳川の鹵獲品である異形の青銅砲「国崩し」を見下ろす忠棟の鋭い視線が、そのまま平然とした面持ちの崇清へと突き刺さる。

「南蛮渡来の怪しげな筒を解体し、複製して量産じゃと? そのような絵空事に現を抜かすのみならず、某は先刻より末弟殿の物言いに聞き捨てならぬものを感じておりました!」

忠棟は義久の前に進み出ると、裾を払って膝をつき、両拳を畳に叩きつけるように据えた。

「御屋形様! 耳川にて大友を打ち破り、日向を抑えたばかりの今、我が島津がなすべきは領国の足固めにござる! 北を見れば肥後の相良は未だ腹の内を見せず、筑後・肥前には龍造寺が虎視眈々と勢力を伸ばしておる。そのような折に、なぜ出水の山奥に引き籠もり、職人どもを集めて奇矯な真似に時を費やす必要があるのか!」

広間を埋める重臣たちの中からも、忠棟の言葉に同調するように低いため息や頷きが漏れ始めた。島津の伝統的な武士団にとって、戦とは槍と弓、そして鉄砲の数と気概によるものだ。未知の大砲を解体して自作するなどという話は、途方もない金喰い虫の道楽にしか聞こえなかった。

だが、崇清の瞳は波一つ立たず、冷徹に澄み切っていた。

現代において数々の破綻企業の事業再生を手掛け、限られたリソースの配分と「勝利の確定(エグジット戦略)」を叩き込んできた男にとって、忠棟の反発など織り込み済みの想定問答に過ぎない。

崇清は静かに身を起こし、義久へ向けて頭を下げた。

「忠棟殿の言、まさに国境を守る重臣としての正論にございます。なれど――」

崇清はすっと顔を上げ、広間一同を見渡した。その声は決して声を荒らげることなく、しかし広間の隅々まで染み渡るように通った。

「戦に勝つことと、その勝ちを確定させることは全くの別義にございます」

「……何だと?」

忠棟が眉根を寄せる。崇清は淡々と論陣を張り始めた。

「耳川で大友軍は壊滅いたしました。豊後へ逃げ帰った宗麟は今や正気を失い、我が身の保身のために神仏を焼き、民を捨ててキリシタンの狂信へと逃げ込んでおります。大友の領国は内側から腐り落ち、自壊を始めております」

「ならば力攻めにて豊後へ押し寄せ、大友の首を刎ねればよかろう!」

「力攻めをすれば、大友の忠臣どもが死に物狂いで抵抗いたしましょう。それこそが忠棟殿の仰る相良や龍造寺に背後を突かれる隙を生みます」

崇清は首を横に振った。

「今、なすべきは武力による追い討ちではございませぬ。大友宗麟の狂気を天下に知らしめ、大友を『朝敵』へと追い落とし、島津こそが九州において朝廷と神祇を守護する正統なる覇者であると、帝の御墨付きを得ること――すなわち、朝廷工作にございます」

大広間がしんと静まり返った。

義久がわずかに目を細める。

「朝廷工作、とな」

「は。現在、京の都では禁裏の御築地修復が進められておりますが、長年の戦乱で朝廷の財政は逼迫を極めております。ここに我が島津より巨額の『禁裏御築地修理料』を献納し、皇室への絶対の忠節を示します。あわせて、我が獅子目に鎮座する若一王子神社の神階を、最高位たる『正一位』へと昇叙いただく奏請を行う使節団を、速やかに上洛させるべきにございます」

その言葉が出た瞬間、忠棟は再び激昂した。

「狂気の沙汰じゃ!」

忠棟は崇清を指差し、唾を飛ばす勢いで声を張り上げた。

「滅相もない! 遠く離れた京の公家どもに、なぜ我が島津の汗と血の結晶たる銭をくれてやる必要があるのか! ただでさえ日向の陣触れで米も銭も費やしたばかりぞ! その上、若一王子神社じゃと……!? 出水の片隅にある小社を正一位に押し上げるなど、島津代々の崇敬たる大隅正八幡――鹿児島神宮や、我が氏神の諸社を差し置いて何たる不敬! 末弟殿の領分越境、家中の序列を乱す売名行為にござる!」

忠棟の詰問は、組織の筆頭家老として極めて真っ当な「筋論」であった。

家中の財政を守り、伝統的な神仏の序列を守る。義久もまた、眉間に深い皺を刻んで腕を組んでいた。

だが、崇清の表情には微塵の動揺もなかった。

「忠棟殿。二点、言わねばならぬ理がございます」

崇清は指を一本立てた。

「第一に、銭の出処について。朝廷へ献納する禁裏修理料、ならびに上洛にかかる一切の費用――島津宗家の公金は、一文たりとも使いませぬ」

「……何じゃと?」

「すべて、我が獅子目の交易益、ならびに某の私財より拠出いたします。宗家の蔵から米一粒、銭一文も持ち出させぬと、この場で義久兄上、ならびに一門の御前において起請文を認めてもよろしゅうございます」

広間がどよめいた。

「私財で賄う」という規模ではないはずだ。禁裏の築地修理を満額支援し、公家たちを動かすための費用など、万石単位の領主ですら傾きかねない莫大な額である。それを一介の末弟が、自領の産業と交易の利益だけで全額負担するという。

言葉を失いかけた忠棟に、崇清は二本目の指を立てた。

「第二に、神社の序列について。若一王子神社の主祭神は、天忍穂耳尊(オシホミミ)にございます」

崇清は凛とした眼差しで、忠棟を真っ向から見据えた。

「オシホミミは天照大神の御子にして、神武天皇の祖神。すなわち、皇室の真の祖神にまします尊にございます。大隅正八幡宮をはじめとする我が氏神は、島津の家と武士を守護する神。しかしオシホミミの社を正一位に上げるは、島津の我儘ではなく『朝廷の皇祖神に対する忠節』を天下に示す大義にございます。氏神への崇敬とは、そもそも軸が異なるのです」

崇清の理路整然とした弁舌は、淀みなく続いた。

「考えても御覧じろ。島津が皇祖神の社を正一位に押し上げ、朝廷から『神祇の守護者』たる勅許を得たならば何が起きるか。大友宗麟の神仏破却は、単なる乱行ではなく『朝敵の所業』へと格下げされます。さらに、肥後の阿蘇大宮司家はオシホミミの末裔たる建磐龍命を祀る社。島津がその本宮を正一位に導いた実績を見せつければ、阿蘇は戦わずして我が秩序に従いましょう。阿蘇が従えば、背後を断たれた相良義陽もまた、刃を交えずして膝を屈するしかなくなります」

崇清は一歩膝を進め、義久座す上座を仰ぎ見た。

「これは銭を捨てる道楽ではございませぬ。武力で肥後を平定すれば、どれほどの将兵が死に、どれほどの銭糧が消え失せるか。わずかな献納の銀によって、戦わずして中九州を包摂する『正統性の盾』を買い取る――これほど安上がりの策は、他にはござりませぬ」

「ぐ……ぬ……」

忠棟は呻き、言葉を詰まらせた。

金を出させず、神道の理論武装でも隙がなく、しかも得られる政治的果実は軍事力数万に匹敵する。完全に「投資対効果(ROI)」の理屈で詰められ、反論の糸口を塞がれたのだ。

重い沈黙が広間を支配する中、ふっと軽やかな笑い声が響いた。

「くくっ……忠棟殿、崇清の申す通りじゃ」

三男・歳久であった。

日頃は冷静沈着、島津きっての智謀の士として知られる歳久が、扇子で膝を軽く叩きながら身を起こした。

「大友を討つにも、やがて対峙するであろう織田信長と渡り合うにも、武力一辺倒の薩摩隼人のままでは天下の目は欺けぬ。銭も出さず、天下の大義が手に入るというのなら、乗らぬ手はありますまい。――御屋形様」

歳久は義久に向き直り、深々と頭を下げた。

「此度の上洛、麿が島津家の正使として立ちましょう。崇清を実務の副使とし、都の腹の内、そして公家や織田の動きをこの目で確かめてまいりたく存じます」

歳久が正使として立つ。その一言が、決定打となった。

末弟の独走ではなく、一門の知性派である歳久が手綱を握る公式使節団としての体裁が整ったのだ。

義久は静かに瞑目し、やがてゆっくりと目を開いた。

その瞳には、弟たちへの確固たる信任の色が宿っていた。

「……相分かった。上洛使節の儀、歳久を正使、崇清を副使として差配を命じる。費用の儀は崇清の申し立て通り、獅子目の賄いとせよ。また、鹵獲せし南蛮砲は崇清に預ける。好きに改めるがよい」

「ははっ!」

歳久と崇清が揃って平伏した。

義久の裁定が下った以上、忠棟もそれ以上は何も言えない。

「……御意」

忠棟は苦々しい表情のまま深く頭を下げたが、その視線はなおも、床に額をつける崇清の背中に張り付いたままであった。

(銭を出さぬと言ったな、末弟殿……。都の狸どもが、南国の若造の差し出す銀などですんなり動くと思うてか。しくじった時は、容赦はせぬぞ……)

評定が解け、居並ぶ諸将が立ち去る中、崇清は静かに息を吐き出した。

外へ出ると、南国の冬の冷気が頬を撫でる。

隣に並んだ歳久が、声を忍ばせて肩をすくめた。

「やれやれ、忠棟のやつ、顔を真っ赤にしておったな。だが崇清、理屈は通したが……前久公への連絡はどうするのだ? あの御仁が薩摩におられた折、麿がサボンを贈って以来、京のサロンを通じて文のやり取りはしておるが……神階の一件、そう容易く呑んでくれようか」

「案ずるには及びませぬ、兄上」

崇清は、遠く北の空を見上げながら、薄く笑った。

「手紙を書いて頼み込むだけでは、前久公とて動きませぬ。まずは第一の文を送り、都の空気を測るまで。――ここから先は、いかにして京の者どもが『向こうから欲しがる仕掛け』を作るかにございます」

崇清の脳裏にはすでに、獅子目の工房をフル稼働させ、京の貴族社会の喉首を掴むための次なる工程表が冷徹に描かれていた。


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