↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第五部終了『蒼溟の覇王 ―島津海洋帝国記―』 〜「死んだら売上ゼロだろ」 戦国薩摩の捨て石から、畳の上で死ぬために組織と兵站を組んで海洋覇権を握るまで〜  作者: 堀川うつら
第4部 大隅制覇と耳川の戦い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
100/156

第80話 大友の落日と真の開戦

すみません、予約の手違いで7時投稿になってませんでした。

天正四年(一五七六年)十二月。

耳川の合戦から一ヶ月余りが過ぎ、日向路には吹きさらしの寒風が吹き荒れていた。

大友の四万余におよぶ南征軍が瓦解した衝撃は、九州全土を激震させていた。

名だたる重臣を耳川の濁流で失った大友方は、日向から雪崩を打って豊後へと引き揚げ、島津軍は血を流すことなく日向一国の完全な平定を成し遂げたのである。

高城の城下には、勝ち鬨をあげて美酒に酔う島津の兵たちの歓声が満ちていた。

だが――。

小丸川沿いの仮陣所で帳面を繰る崇清の眉間には、深い皺が刻まれていた。

パタリ、と天幕の隙間から滑り込んできたのは、楠行者衆の頭領・道純である。

その手には、豊後府内から届けられたばかりの密書が握られていた。

「……若君。筑前の立花道雪殿、ならびに高橋紹運殿よりの返書にござる」

崇清は筆を置き、墨の匂いがかすかに残る密書を受け取って素早く視線を走らせた。

読み進めるうちに、崇清の瞳に冷ややかな光が宿っていく。

「……宗麟公は、退かんか」

「はっ」

道純が苦渋に満ちた声で頷く。

「耳川の敗報が届くや、道雪殿らは若君の策通り、府内へ乗り込んで宗麟公に隠居と実権の完全剥奪を迫り申した。『日向遠征の惨状はすべて宗麟公の迷妄が招いたもの。今こそ義統様に実権をお譲りあれ』とな」

「だが、宗麟公は首を縦に振らなかったわけだな」

「それどころか、狂乱の態でござる」

道純は忌々しげに吐き捨てた。

「宗麟公は『この敗戦は、異教の神仏を祀る者どもが軍中にいたゆえ、デウスが与えたもうた試練である』と叫び、田北や佐伯の独断専行を罵倒したとか。神の加護を疑う者を『悪魔の手先』と糾弾し、側近のキリシタン官僚らを固めて、府内の奥殿に引き籠もってしまわれました。道雪殿ら伝統派の重臣たちとは、もはや口も利かぬ断絶状態でござる」

「……神の試練、か」

崇清は自嘲気味に息を漏らし、机の上に密書を置いた。

合理的な計算が通用しない狂信の恐ろしさを、改めて骨身に染みて思い知らされていた。

普通の戦国大名であれば、軍の主力を喪失し重臣を討たれれば、家名を保つために隠居して後継に実権を譲る。それが戦国の不文律であり、崇清の描いた「軟着陸の筋書き」だった。

だが、宗麟は現世の損得で生きていない。

己の信仰を正当化するためならば、どれほど家中が引き裂かれようと、意地でも権力の座に居座り続ける。

「若君、どうなさいますか」

道純が低く問う。

「家中は完全に二つに割れております。道雪殿らは『これ以上、大友を内側から崩されてはたまらん』と焦眉の思い。……島津の手で、府内へ兵を進めて宗麟公を討ちますか?」

「駄目だ。それをやれば、大友の領民と武士たちは『外敵への防衛』で再び一つに結束してしまう」

崇清は即座に首を横に振った。

「外から叩いてはならん。だが、宗麟公が豊後に居座り続ける限り、大友との間に真の和睦などあり得ない。いずれ再び軍を立て直し、神の名のもとに泥沼の宗教戦争を仕掛けてくる」

「では……どうやってあの老躯を退かせますのじゃ?」

崇清は立ち上がり、机の隅に置かれていた桐箱に手を伸ばした。

蓋を開け、取り出したのは――獅子目の若一王子神社で手に入れた『飯隈文書』である。

黄ばんだ紙肌に記された、古代の統合王・オシホミミの神名。

武力を誇りながらも前線へ降りず、高天原の座にとどまって秩序の枠組みを敷いた大王の記録。

(……豊後という土地に置いたまま、宗麟公の権力を奪うことなど初めから不可能なのだ)

崇清の脳裏に、前世で知る歴史の断片と、現実の力学が凄まじい速度で結びついていく。

力で従わせるのではなく、名誉を与えて別の場所へ棚上げする。

武士としての領主権を奪う代わりに、誰も文句のつけようがない「権威の檻」に押し込める手法――。

「……京だ」

崇清の口から、静かな呟きが漏れた。

「は? 京……にございますか?」

道純が目を白黒させる。

「大友家は、鎌倉以来の由緒を持つ名門中の名門だ。足利将軍家の下でも、斯波や細川、吉良らと並び称されるべき屈指の『高家(こうけ)』――その誇りと家格の重みだけは、どれほど狂信に走ろうと宗麟公も捨て切れん」

崇清は『飯隈文書』の紙面を指先でなぞりながら、冷徹に言葉を紡いだ。

「宗麟公を力ずくで引きずり降ろすのではない。……近衛前久公を通じて、朝廷と公方(足利義昭)へ働きかける。『大友家は天下に比肩なき高家。日向や豊後の土着の泥田を巡って刀を血で汚す器ではない。都にお迎えし、天下の静謐を祈り武家の有職・儀礼を司る朝廷直属の重鎮として処遇すべし』とな」

道純が息を呑んだ。

「大友を……武士から、京の公卿のような役回りに仕立て上げる、と?」

「そうだ。武力を伴う地方領主としての権限を返上させる代わりに、天下公認の特権的な『高家』としての格式と儀礼の座を与え、一族もろとも都へ移住させるんだ」

崇清の脳裏に、かつて前世で学んだ歴史の智慧が広がっていた。

江戸幕府がのちに吉良や今川、畠山といった旧名門を「高家」として囲い込み、領地支配権を奪って朝廷交渉や典礼の専門職として飼い殺したあの手法。

中世武家が尊ぶ「高家」という身分呼称を逆手に取り、【名門の半貴族化】によって牙を抜く制度の罠である。

「大友の領地である豊後・筑後は、朝廷と天下の命によって実質的に解体し、名代の義統殿には領内を平穏に治めるための相応の知行のみを残す。そして宗麟公は、京の雅な屋敷で、誰にも迷惑をかけずに一日中デウスへの祈りと神学論争に耽ってもらえばいい。……豊後の大地から物理的に引き剥がし、朝廷という名の黄金の檻の中に祭り上げるのさ」

武力による殲滅でもなく、現地での無残な改易でもない。

大友という巨大な存在のプライドを「高家」という最高の格式で満たしてやりながら、丸ごと日本の権威の中枢へと「移転」させて無力化する。

だが――道純はなおも怪訝そうに眉をひそめた。

「……若君、恐ろしい絵図をお考えになる。されど、京の公家どもや、何より依然として六カ国を号令する大友が、そのような無茶な話をいま呑みましょうや?」

道純の極めてもっともな懸念に、崇清は苦笑混じりに首を横に振った。

「まさか。今すぐこの話を持ち込んでも、朝廷に鼻で笑われて終わりさ。耳川で先鋒を討ち破ったとはいえ、大友の根はまだ深い。府内には宗麟公が健在で、筑前には立花道雪殿や高橋紹運殿の精鋭が残っている。今の大友が首を縦に振るはずがない」

「では、いかにして?」

「外堀を埋めて、大友が自ら『高家として京へ逃れる道』に縋りつかざるを得ないところまで追い詰める」

崇清は机の上に広げた九州全図を指先でなぞった。

「まずは経済と補給の締め上げだ。日向の沿岸を押さえたことで、大友の南蛮貿易と堺・博多を結ぶ航路の首根っこを、高須水軍がいつでも絞められるようになった。大友の領内へ入る塩と米の流れを段階的に締め、銀と火薬の流通を細らせる」

崇清の指が、北西の肥前・肥後へと滑る。

「次に、周囲の敵をけしかける。耳川の惨敗を知れば、肥前の龍造寺隆信が必ず筑前・筑後へ牙を剥く。南関や阿蘇の国衆たちにも揺さぶりをかけ、大友の足元を四方から崩す。道雪殿や紹運殿が龍造寺の防戦で手一杯になり、宗麟公の狂信で領内の一揆が頻発するまで……大友を内と外からじわじわとすり減らすんだ」

「……乾殺し(ひごろし)にございますな」

道純の背筋に、冷たいものが走った。

「そして最後の仕上げだ。大友が焼き払った宇佐神宮や奈多八幡宮の社家・修験者を、俺たちの手で保護し、復興のための銭と木材を島津から送り込む。『神仏を破壊する大友』と『神祇を敬い秩序を守る島津』という構図を天下に定着させ、朝廷と近衛家へ継続して莫大な献金を積み上げるんだ」

崇清は静かに瞳を細めた。

「領地は叛乱と外敵で維持できず、財政は破綻し、家中はキリシタンと伝統派で分裂し、神仏の敵として天下から孤立する。……そこまで追い詰められて初めて、『高家として京へお迎えし、家名と格式だけを朝廷の庇護下で守ってやる』というこの札が、大友にとって唯一の救いの蜘蛛の糸になる」

「……そこまで見据えておいででしたか」

道純は深々と頭を垂れた。

崇清は『飯隈文書』を静かに巻き直し、桐箱へと収めた。

この古い神話の記録が教えてくれたのは、単なる古代の伝承ではない。

信仰と権力を切り離し、争いを調停するための「制度の力」だった。

天幕の外から、豪快な笑い声とともに足音が近づいてくる。

現れたのは、首実検を終えて上機嫌な島津又七郎家久だった。

「おーい、又八! 義弘兄者が本陣で宴を始めるぞ! お前も来い、今夜は日向の地酒を樽ごと空けるんだとよ!」

「兄上。……首実検は終わったのですか」

崇清はいつもの柔らかな表情に戻り、苦笑混じりに振り返った。

「おうよ! 敵の首級、百五十余り! 川に流された奴や山でくたばった雑兵を合わせりゃ五千はくだらんだろう! 大友の腰骨は完全にへし折れた! これで当分、北から兵が攻め寄せてくることもねえ! 天下泰平、島津の世の始まりだぜ!」

家久が太い腕で崇清の肩を抱き寄せ、無邪気に笑う。

その眩しい笑顔を見つめながら、崇清は胸の内で静かに息を吸い込んだ。

(……終わったんじゃない、兄上。ここからが、本当の戦いだ)

耳川で敵の軍勢を打ち破るなど、前哨戦に過ぎない。

宗麟という怪物をどう処理し、引き裂かれた九州の大地と民の信仰をどう再編するか。

そして、やがて上方から押し寄せてくるであろう、織田信長というさらなる時代の奔流にどう立ち向かうか。

崇清は手元の算盤を腰に差し直し、夜風の吹き抜ける天幕の外へと歩み出た。

見上げた冬の夜空には、冷たく澄み切った無数の星々が、南九州の覇者となった島津の行く手を静かに照らし出していた。

耳川で勝ったとはいえ大友は以前巨大です。

崇清は耳川のあとの衰退する大友のイメージに最初は引きずられて重臣から迫れば宗麟は引退すると思っていたようですがそうはならなかった……


ここから大友との「合戦だけでない戦い」が始まります。


そしてここで第四部完とします。


次の投稿は19時予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。