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第6話:温き一滴、聖女の進軍

 アランソン公が予測した「嵐」は、その日の深夜に音もなく村を包囲した。


 夜闇に紛れ、ジャネットの寝所と思わしき天幕へ潜入する隠密部隊。


 しかし、彼らが刃を突き立てたのは、ただの藁人形だった。


「――そこまでだ、王の飼い犬ども」闇から松明の炎が爆発するように夜を照らし出す。


 現れたのは、ジル・ド・レとパテーの男たち。暗殺者たちは、最初からジルの張り巡らせた完璧な警戒網の中に飛び込んでいた。


 彼らは瞬く間に逆包囲され、一人も傷つくことなく、音もなく組み伏せられ、全員が強固な縄で縛り上げられた。


 村の広場。地面に一列に座らされ、死を待つ暗殺者たちの前に、ジャネットが歩いてきた。


 彼女の両手には、武器ではなく、湯気が立ち上る数杯の野菜スープの器が握られていた。ジャネットは、暗殺者の首領の前に、そっと膝を突いた。


「……何をする気だ、小娘。毒でも盛る気か」


「いいえ。冷たい夜にずっと隠れていたのでしょう。お腹が空いていると思って、スープを持ってきました。温かいうちに飲んでください」


 彼女は、暗殺者たちの縄を少しだけ緩め、器を置いた。


「私はあなたたちを咎めません。今日の夜は、この村の温かい天幕で休んでください。そして、一晩、ゆっくり考えてみてください。本当に、誰かを殺して、自分も死ぬための刃を握り続けたいのかを。……明日の朝、もしそれでも私を殺したいと言うなら、私は逃げも隠れもしませんから」


 手つかずのスープから上がる湯気が、暗殺者たちの冷え切った顔を包み込む。彼らは生まれて初めて触れた「本物の人の温もり」に、激しく魂を揺さぶられていた。



 *


 その足で、ジャネットはアランソン公、デュノワ伯、そしてジルが待つ天幕へと入った。


 アランソン公が、次なる王室の襲撃に備えた城塞の防備を熱心に議論している中、ジャネットは皆の中心へ歩み出た。


 その瞳には、悲しみの涙が潤んでいた。


「アランソン公、ジル、デュノワ伯。私のために考えてくれて、本当にありがとうございます。ですが、ここに籠もって戦う準備をしてはダメです。これ以上、私がここにいては、王様も国の人たちも苦しみ続けます。……だから、私から行きます」


「行く……? どこへだ、ジャネット」


「シャルル王の元へ、シノンの王宮へ行きます。私から王様に会いに行き、もう内戦を起こす必要はないと、直接、言葉を伝えてきます」


「なっ……!? 正気か、ジャネット! 飛び込めば、今度こそ二度と生きては戻れん!」アランソン公が声を荒らげ、ジルが驚愕に目を見開く。


 しかし、ジャネット・パテーの決意は、もう誰にも動かせなかった。



「我々貴族の私兵とパテーの義勇軍を合わせ、シノン城を包囲し、王に圧力をかける。それ以外は認めん」


 アランソン公の強い意志に対し、ジャネットは静かに首を横に振った。


「いいえ。軍を動かせばそれこそ戦争になります。私は一人で行きます。大丈夫、私には神様の加護がありますから」


「ジャネット、しかし……!」アランソン公が言葉を重ねようとした、その時だった。


 ガシャン、と重い鉄の音が、天幕の床に響き渡った。


 漆黒の甲冑――ジル・ド・レが、ジャネットの足元に崩れ落ちるように跪いていた。彼の大きな手が、ジャネットの衣服の裾を、激しく握りしめる。


「……お願いです、ジャネット様。私を、私を置いていかないでください……!」


 ジルの血走った目から、大粒の涙が次々と溢れ落ちる。


「あの日、あなたを見失った時から、私の世界は完全に終わっていたのです……。せめて、せめて私だけは連れて行ってください。二度と、二度とあなたから離れたくないのです……!」


 百戦錬磨の黒騎士が、ただ一人の少女の前で、子供のように声を上げて泣き縋っていた。ジャネットはそっと腰を落とし、ジルの涙に濡れた頬に、小さな、温かい手を添えた。


「……本当に、寂しい思いをさせてごめんなさい、ジル。あの最強の騎士であるジルが一緒にいてくれるなら、きっと神様も許してくださいますね。一緒に行きましょう。私の盾になって、隣で守ってくださいね」


「は、はい……っ! 必ずや、この命に代えても!」ジルは救われたような表情で何度も頷いた。


 アランソン公は深くため息をついた。


「やれやれ……。最強の騎士がそこまで駄々をこねるのでは、私も折れるしかないな。だが、王が少しでも不穏な動きを見せたら、我々は国を滅ぼしてでもお前を助け出す。シノン城の周囲に精鋭の伏兵を潜ませる準備だけは、絶対にさせてくれ」


「分かりました。アランソン公、皆さんのそのお気持ち、ありがたくお受けします」


ジャネットは立ち上がり、心からの美しい微笑みを浮かべた。


「でも、一つだけお願いです。その準備のために、どうか、一生懸命に生きている民たちにだけは、無理な負担をかけないでくださいね。彼らを幸せにすることこそが、私たちの本当の目的ですから」


「……全くだ。お前という人は、どこまでも勝てないな」


 アランソン公は苦笑しながら、深く一礼した。


 ついに聖女と黒騎士による、王宮への「進軍」の火蓋が切って落とされた。




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