第7話:王都震撼、聖女の堂々たる進軍
フランスの王都の、巨大な城門の前。泥に汚れた白い衣服をまとい、武器すら持たない少女ジャネットと、漆黒の甲冑を纏ったジル・ド・レが姿を現した。
城門を守る兵士たちが鋭く武器を構えた、その時、ジャネットは小さく息を吸い込むと、王都の巨大な石壁をも震わせるような大音声を響き渡らせた。
「王都の民よ、聞き進むが良い! 我が名はジャネット・パテー! シャルル王が我が存在を恐れ、闇の刺客を放ったと聞き、ここへ参った! 我が身に玉座を乗っ取る不遜の意志など一寸もなし! 反逆の徒にあらざること、我が身の潔白を証明するために、私は自らここへ参ったのだ! シャルル王よ! 今からそなたの元へ行く! 玉座の上で待っているが良い!」
その大音声が響いた瞬間、群衆の中に紛れていたアランソン公の私兵たちが、一斉に声を張り上げた。
「おい、聞いたか! パテーの戦場を救った、あの『白い聖女』様だぞ!」
「あの子が、俺たちの飢えを本当に救ってくれたジャネット様だ!」仕掛けられたサクラの叫びは、一瞬にして周囲の一般市民たちへと熱狂の炎となって燃え移った。
地鳴りのようなざわめきが王都を包み込む。
衛兵たちは、完全に顔を青ざめさせた。ここで彼女に手を上げれば、周囲の数千の民衆が暴動を起こすという、圧倒的な政治的恐怖。
「退きなさい」
ジルの冷酷な一言に、衛兵たちは恐怖のあまり後ずさりした。密集していた群衆が、まるでモーセが海を割ったかのように綺麗に道を開けていく。アランソン公が仕掛けた「民衆の熱狂による盾」は見事に機能し、二人は一歩も歩みを遮られることなく、堂々と王城の石階段を登り進んでいった。
廊下を守る近衛兵たちも、その気迫に圧倒され、ただ直立不動で見送るしかなかった。
そして二人は、最奥の「玉座の間」の巨大な黄金の扉を思い切り押し開けたのだった。
フランス国王シャルル7世は、現れた少女の姿を見た瞬間、総毛立ち、椅子から転げ落ちそうになった。
「お久しぶりですね、シャルル様」ジャネットは静かに王へ歩み寄った。
「シノンのお城で、家臣の中に隠れていたあなたを私が見つけ出したあの日から……何もかもが懐かしいですね。あなたが本物の王様になれるよう、一緒に戦い、そして……あの冷たい法廷へ送られる前の、あの日々まで」
「ひっ……う、嘘だ、お前は灰になったはずだ……!」
シャルルの顔は、恐怖と狂おしいほどの懐かしさで、完全に錯乱していた。
「なぜ、そんなに怯えているのですか? 私はあなたを傷つけにきたのではありません」
「だ、黙れ! 誰か、その化け物を殺せ! 近衛兵、今すぐその小娘の首を刎ねろォッ!」
王の狂乱した叫びに応じ、十数人の近衛兵が一斉に剣を抜いてジャネットへ飛びかかる。
「ジャネット様、下がれッ!」その前に割って入ったのは、ジル・ド・レだった。
大剣を抜き放ち、近衛兵の刃を弾き飛ばす。
「早く逃げてください、ジャネット様!」その時、玉座の間の外の回廊では、激しい金属音が響いていた。
王の悲鳴を聞きつけた近衛兵の増援部隊を、城内の要所を水面下で制圧していたアランソン公とデュノワ伯率いる精鋭たちが、命懸けで鉄格子を閉め、完全に遮断していた。
だからこそ、敵はジルが一人で足止めできる人数だけで済んでいたのだ。
ジャネットは逃げることなく、ただ静かに祈りの姿勢をとった。ゴオオオオッ……!天窓を突き破り、目も眩むような聖なる「黄金の光」がジャネットを包み込んだ。
その圧倒的な神聖さに気圧され、近衛兵たちが次々と剣を落として床にひざまずいていく。
光の中に佇むジャネットの瞳からは、大粒の悲しみの涙がこぼれ落ちていた。
「シャルル様……。あなたの目に、今のこのフランスは、どう映っていますか? 私は見てきました。戦争が終わってもなお、飢えに苦しむ民たちの暮らしを。……これが、あなたが命を懸けて、本当に創りたかった国なのですか?」
「……違、違う……! 私は、こんな国にしたかったわけではない……! 私はただ……認めてもらいたかっただけだ……!」
シャルルは頭を抱え、床に涙をこぼしながら、子供のように咽び泣いた。
ジャネットは、光の中から静かに歩み寄り、へたり込む王の前にそっと膝を突いた。
「認めてもらうとは、誰にですか? この国の民たちですか?」
「あなたにだ……!」シャルルは頭を抱え、床に涙をこぼしながら、子供のように咽び泣いた。
「ジャンヌ、お前に認めてもらいたかったんだ……! お前の近くにいるだけで、みんなお前を見ていた。王である私を差し置いて、誰もがお前に跪いた! それが怖かったんだ、羨ましかったんだ! だから私は、お前を見捨てるしかなかった……! 私も、お前に一番に、王として認められたかっただけなのに……!」
すべてを吐露し、泥の中で泣きじゃくるシャルル7世。
その哀れな王の姿を見つめながら、ジャネットはそっと膝を突き、どこまでも優しい微笑みを浮かべた。
「ならば……私があなたを認めれば、それで満足なのですか?」
ジャネットは、床にへたり込んで泣きじゃくるシャルル7世の顔を覗き込み、どこまでも優しく、いたずらっぽく微笑んだ。
「編み物ばかりしていた田舎の私に認められるだけで、そんなに嬉しいのですか? ――でも、困りましたね。それは今のあなたじゃ、まだ認められません。王様として、まず何をすべきか、よく考えてみてくださいね」
「あ……」
シャルルがガチガチと歯を鳴らしながら顔を上げる。
シャルルは顔を上げた。王の顔が、今度こそ完全に突き放されたと絶望に歪み、再び泣き出しそうになる。
そんな王の「弱さ」を見て、ジャネットは小さくため息をついた。
「ふふ、仕方ないですね……。こっちへきなさい」
ジャネットは両腕を広げた。
フランスを支配する最高権力者であるはずのシャルルの身体を、自らの小さな胸へと優しく抱き寄せる。
そして、母親が我が子をあやすように、彼の乱れた髪をそっと、何度も撫でてあげたのだ。
「自分のことしか見えていなかった心の曇りは、今の涙で全部流していきなさい。……心の晴れたあなたなら、王様として、民たちのために今何をしなくてはいけないか、本当はもう分かるはずです。だから、私はここを離れますが……ずっと見守っていますよ。あなたの、これからの姿を」
シャルルは人目もはばからず、「うあぁぁん」と声を上げてジャネットの胸にしがみついた。
それは、誰にも甘えられず、常に誰かを疑って生きてきた男の、魂の底からの浄化の泣き声だった。
「……ぬうう」
その感動的な光景のすぐ横で、黒騎士ジル・ド・レの喉から、地を這うような不機嫌な唸り声が漏れていた。
その視線は鋭く、シャルルの後頭部を射抜かんばかりにビシビシと注がれている。
(ジャネット様にそこまで抱きしめられ、頭を撫でられるなど……このジル・ド・レですら、まだ数回しか……。王の分際で、いささか距離が近すぎるのではないか……?)
ジルの手がいびつにピクピクと動き、剣の柄に伸びかけそうになったその時、回廊の増援部隊を抑え込んだアランソン公とデュノワ伯が、玉座の間へと突入してきた。
「おい、一体何が……って、なんだこれは」
「……」
アランソン公が呆気に取られたように動きを止め、デュノワ伯がそっと視線を逸らす。
ひとしきり泣き叫んだシャルルが、ジャネットの胸からゆっくりと顔を上げた。
その顔からは、あの冷酷な猜疑心の影は完全に消え去っていた。
シャルル7世は、自分の足でしっかりと立ち上がり、玉座の前に真っ直ぐに背筋を伸ばした。
「ジャンヌ……いや、ジャネット・パテー。私は今、ここに誓う」
シャルルはジャネットの瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く、自信に満ちた声で宣言した。
「私はもう、自分の玉座を恐れない。民から奪うだけの政治もしない。私は、あなたに……この世界で最も気高いあなたに、決して恥じないような、フランスの本当の王になってみせる!」
その王の立派な誓いを聞き、ジャネットは泥のついた顔をほころばせ、心からの美しい微笑みを浮かべた。
二人の因縁は、表のジャネットの圧倒的な聖性と、裏で完璧に盤面を支配した男たちの絆によって、最高の『和解』へと塗り替えられた。
そして、その奇跡の和解が果たされた瞬間。玉座の間を照らしていた黄金の天光は、窓を突き破り、シノン城の全体を包み込むように爆発的に広がっていった。
夕暮れ時の王都。城外で事態を見守っていた何万という無数の民たちは、突如としてシノン城の白き石壁が、目も眩むような「黄金の光」に美しく照らし出される姿を目撃した。
「おお……見ろ、お城が……!」
「神様だ……聖女様が、お城の中にいらっしゃるんだ!」人々は誰からともなく、その泥だらけの荒れた大地に静かに膝を突き、城に向かって敬虔な祈りを捧げ始めた。それは魂の底からの安らぎと感謝の祈りだった。
民たちの祈りの声が、地鳴りのように王都を優しく包み込んでゆく。
暗い冬が終わり、フランスという大きな大地に、本当の春の光が差し込もうとしていた。




