学園長室の再会
小言と外出禁止で過ぎた休日が終わると、二人は同級生たちからスコールのような質問を浴びせられることとなった。七女通信を含む市内の主だった学校新聞が今度の件を一面トップ扱いにしたせいで、事件はすっかり世間の耳目を集めるところとなっていたのである。
ことに七女通信などはどこから掴んだのか「該当生徒、目下外出禁止の憂き目に」などと、痛いところを見出しに載せている。
「ねえねえ! どんな奴だったの『七条大橋の魔女』って!」
「仕込み杖持って、人間離れした足取りでやってきたんだって!? どうだったの!」
「ちょいちょいちょいっ、どこから聞いたのそんな話ィ!」
登校早々、下駄箱で履き替える段からこんな調子で、さすがの摩子も参ってしまった。どうにか野次馬から逃れて教室へ入ろうとすると、一足先に向かっていたはずのゆかりとバッタリ鉢合わせた。どうやら、教室の中はもっとすごいことになっているらしい。
「――あの意地悪デスク、どういう編集方針を立てたのかしらっ。一切合切筒抜けじゃないっ」
「――あんなアマだとわかっていれば、あたしゃ関わらなかったわよゆかりィっ」
泣きたいような表情で互いを見やる二人をよそに、廊下ではほかのクラス、上学年の生徒たちがわらわらとギャラリーを増やしてゆく。逃げ場がないと思われたところへ、朝の短いHRの予鈴が鳴り響き、それまで列をなしていた野次馬の一団は雲の子を散らしたようにそれぞれのクラスへと戻っていった。
「――やっと、平穏な日常に戻れそうだねぇ」
「何言ってんの、授業中だけよそんなの……。合間の休憩時間と昼休みがどうなるか、わかったもんじゃないわ」
大勢に囲まれて冷や汗をかいた二人は、騒ぎを聞いて駆け付けた担任の許しを得て、教室からうんと離れた、特別教室棟の女子トイレで顔を洗った。広げたハンカチで水気を拭い、気分の落ち着いたのをみてトイレを出ると、背後からコツッ、コツッ、という軽やかな音が近づいてくるのに気づき、そっと振り返った。
「おや、どうしたんですか二人とも。HRはもう、始まっているのではありませんか?」
二人の目の前にいたのは、理事長兼任の学園長・村山巴だった。
宝塚の男役のような細面に、髪を左右へ七三に分けてダブルの背広を着こんだ村山学園長は、元は陸上の短距離選手として名をはせた人物だった。
しかし、五十を過ぎたころ、彼女は自動車事故に遭って片足を切断し、杖を片手の義足生活を余儀なくされた。外国製だという木製の義足は、関節が一般的なものと違うのか、歩くたびに木槌を使うような音を立てる。なので生徒は、その音がすると学園長先生がいらっしゃった、と居ずまいを正すのが常だったが、元来穏やかな性格で通っている学園長は柔和な笑みを浮かべて、生徒たちを微笑ましげに見守るだけであった。
さて、入学式以来、遠巻きにしか目にすることのなかった相手のいるのに、ゆかりと摩子はどう反応したものかと困り、ぴたりとその場で固まってしまった。と、そのうちに、
「――ああ、あなたたち、鷲尾ゆかりさんと竹井摩子さんですね。教頭先生から聞きましたよ、大変な目に遭ったそうですね」
助け舟を出した学園長に、ゆかりは肩の力を抜きながら、はい、そうなんです……と答える。
「どこから話が漏れたのか、学校へ来たらいろんな人たちから質問攻めにあって……。正直、今から教室に戻るの、気が重くって嫌なんです」
「それは災難でしたね……」
学園長はしばらく、杖へ身を預けて考え込んでいたが、
「こんな状態では勉学もはかどりませんね。どうです、今日はゆっくり、私の部屋でお茶でも飲んでいきませんか。ちょうど来客があるから、コーヒーでも淹れようかと思っていたところなのですよ。先生たちには私から、話を通しておきましょう」
「い、いいんですか?」
「よろしいんですか学園長先生、ほかのお客さんと混ざってお茶なんか飲んで……」
堂々とサボれることを喜ぶ摩子をよそに、ゆかりは第三者のいる場に居ていいのかと困った表情をのぞかせる。すると学園長はそれを察してか、
「鷲尾さん。むしろ私は、そのほうがいいような気がするのです。ま、ひとまずついていらっしゃい」
「は、はい……」
どこか気になる物言いではあったものの、落ち着き払った態度に押される形で、ゆかりと摩子は職員室の並びにある学園長室へと足を踏み入れた。
中へ入ると、よくある背の低い革張りのソファと応接卓を挟んだ向かい、紫檀のデスクの上にはセットの済んだコーヒーサイフォン、舶来らしい艶のあるカップと砂糖壷、ミルクピッチャーが控えている。
「お茶菓子のロールケーキはじきに、秘書の大貫さんが管理員さんの部屋から持ってきてくださいます。給湯室の冷蔵庫だと、ほかの先生たちに見つかってしまいますからね」
悪戯のばれた子供のように、片眼をつむってそっと人差し指を口へあてる学園長に、二人の緊張もいくらかほぐれる。
それからしばらく、サイフォンの湯が沸くのを待ち、二人はソファへ腰を下ろして他愛もない話――学校は慣れたか、上級生たちはどうか、クラスメイトとは仲良くできているかという、教育者にとっての重大関心事項に答えていた。
そのうちに湯が沸き、学園長が慣れた手つきでサイフォンを操ってコーヒーを淹れ終えると、かろやかなノックの音が部屋の中へ響いた。
「――鴨川さまと佐原さまのお着きです。入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ、お入りなさい」
学園長よりやや小柄な女性秘書・大貫がゆっくり戸を開けると、本来のお客であった二人連れの影がちらりと姿をのぞかせた。と、
「おんやあ、誰かと思えば……よう会うねえ、お二人さん」
「ああっ!?」
秘書の後ろから一歩踏み出した相手の顔に、ゆかりと摩子はすっかり驚かされてしまった。
そこにいたのはあの晩、二人を窮地から救ってくれた命の恩人――銭形平次ばりの投げ銭を見せた和服姿の青年だったのである。
「やあ、誰かと思ったら……あれから無事に、おうちには帰れたみたいだね。よかったよかった」
つづいてその後ろから姿を覗かせたのは、あの晩とは違い、ジャージではなくアイビー風の上下を着こなした、和服の青年より少し小柄な、穏和な顔立ちの青年である。それにしてもなぜ、この二人がここにいるのか――。
驚きの連続ですっかり固まっているゆかりと摩子へ、学園長はやや困惑気味に、みなさんはお知り合いだったんですか、と目を見開いて首を左右に振る。
「ち、違うんです! そうなんですけど、ちょっと違うというか……」
「学園長先生、この二人なんです、あの晩私たちを助けてくれたのは」
半ばパニックでしどろもどろになっている摩子の代わりにゆかりが事情を打ち明けると、学園長はカブリを振って、
「まあまあ、それは不思議なことがあったものですね。この和服のお方は鴨川浮音さんとおっしゃって、今までにさまざまな難事件を解決してこられた名探偵なんですよ。で、お隣がそのよき相棒で、ワトソンとして通っておられる佐原有作さん」
名探偵、という言葉に、ゆかりと摩子は互いの顔を見やった。名探偵――およそ現実で耳にすることの少ないフレーズである。
しかし、あの晩の目を見張るような銭投げの所作を思い返せば、あながちその呼び名も間違いではない、ということになる。
「先生、名探偵なんて恥ずかしくって困りますワ。大学行ってるついでにちょいちょい動いてる、ただの素人探偵でっせ」
「それを行ったらぼくもおんなじだよカモさん。ワトソンだなんて、そんなに大したことはしてないんだけれどねえ」
評判の高さに照れくさそうな顔色を浮かべつつ、鴨川浮音とその相棒、佐原有作の二人は頬を掻きながら、ゆかり達の向かいのソファへ腰を下ろした。
学園長の手によってめいめいのカップへコーヒーが注がれ、秘書が切り分けたロールケーキが手元へわたると、少し早い、静かなお茶の時間が幕を開けた。
「――ほんとうは今日ではなく、別の日に鴨川さんたちをあなた方に紹介するつもりだったのですよ。ところが、今朝なんとなく廊下を歩いていたらしょぼしょぼとした格好のあなた達がいる。ずいぶんと騒ぎになっていて授業も身に入らないだろうから、気分転換にちょうどいいと思ってお呼びしたのですよ。しかしまあ、まさかこんな偶然があるとは……」
事情を打ち明けつつ、学園長は思いがけない再会となったことに驚きながら、静かな手つきでティースプーンをつかう。
「まあ、広いようで狭いンが世の中ですからなあ。こういうこともありますやろォ。けどまさか、したたか飲んだ帰りにあないな場面に遭遇するとは、さすがに僕も驚きましたわ。聞いた話じゃ、ずいぶんな人があの怪人に遭遇してるらしいやないですか」
ソーサー片手にコーヒーを飲んでいた浮音は、ある程度落ち着きを戻したゆかりと摩子を一べつしながら学園長へと応じた。
「そのようですね。正確な数はちょっと記憶にありませんが、もう十人近く、いろいろな学校の生徒さんがあの怪人物に遭遇しているようです。べつに、何かしてこようというわけでもなかったようですが……」
「今度ばかりはちょいと事情が違いましたからなあ。業物片手に、この子らを襲おうとした。明確な殺意がありますわな」
ローテーブルの上へ、浮音がそっとソーサーを戻したのを見ると、学園長は居並ぶ二青年の顔をみやった。
「――前置きが長くなりましたが、わたくしがあなた方へお願いしたいのは実に単純なことです。我が校の生徒、ひいては京都市内の中高生を恐怖のどん底へ陥れている怪人物『七条大橋の魔女』なる不審者を捕らえていただきたい。ただ、それだけです」
「ハハハ、なるほど、たしかに単純明快ですわな。――この二人と、大勢の生徒さん方のためにも、この鴨川浮音、喜んでお引き受けしましょ」
「ありがとうございます。やはり、鴨川さんにご相談して正解でした。あなたたちならきっと引き受けてくれるだろうと確信しておりました」
柔らかな微笑みを浮かべる学園長に、浮音はこそばゆそうに応じる。と、学園長はちょっと失礼、といって中座し、最前までサイフォンなどが置いてあった紫檀のデスクに向かい、小さなメモ帳へ何か書き始めた。
「――あれ、小切手じゃない? 初めて見たよぉ」
「――静かに!」
やがてペンが離れると、短冊のような小切手帳から切り離された一枚は白い西洋封筒に納まり、学園長の手から浮音へと渡った。
「――当座の調査経費としては、これくらいあればよろしいでしょうか」
口の開いたままの西洋封筒を受け取ると、浮音は額面をちょっと見てから、
「こないな大金を頂戴してもうて……・十二分過ぎるほどでございます」
「解決のためなら糸目はつけません、必要とあれば大貫さんを通じて、遠慮なくおっしゃってください。それから謝礼の方ですが、無事『七条大橋の魔女』が捕まりました暁には、その小切手の額面の十倍ということでいかがでしょうか」
「――承知いたしました。この鴨川浮音、命にかけても必ずや捕らえてみせましょう」
「よろしくお願いいたします。――鷲尾さん、竹井さん。鴨川さんに敵は討ってもらいますからね」
「は、はい……」
とは言ったものの、正直なところ、ゆかりは目の前の二人の手腕について疑問を抱いていた。たしかに、この二人には窮地を救ってもらった恩義がある。だが、だからといって専門家も尻尾をつかめない「七条大橋の魔女」を捕まえられるかと言われれば、正直疑わしい――。
懐へ小切手入りの封筒をしまいこむ浮音を前に、ゆかりはそんなことを考えていた。




