殴り込みは空ぶりに……
ささやかなお茶の会が済むと、ゆかりと摩子は人目をはばかり、学園長と共に浮音たちを見送りに来訪者用の玄関へと出た。
「では先生、一週間以内にはなにかしらの報告を差し上げます。お伺いするそのときにはまた、こちらからご連絡いたします」
と、そこで大人しく、手配されたタクシーへ乗り込むと思われた浮音は、
「そういやおととい、道路の真ん中でペッシャンコになった二匹のガマガエルがおったっけ。人間、あないな風にはなりたないもんやねえ……夜道は気ィつけや、ご両人」
「――まあっ」
そのまま大人しく帰ると思われた浮音の、間髪入れないジョブにゆかりと摩子は軽い怒りを覚えた。が、実際危険な目には遭っているのだから、反論のしようもない。
呆気にとられたまま、二人の乗ったタクシーが校門から出て行くのを見送ると、あとに残ったゆかりと摩子は肩の力がすっと抜けるのを感じた。腕のどうこうはともかくとして、降りかかった悪夢のような出来事を、あの二人連れが引き受けてくれる――不安な気持ちがいくらかは拭い去れることが、今の二人にとって非常にありがたいことだったのである。
「――少しは、気持ちが楽になりましたか?」
葉桜の並木をぼんやり見つめていたゆかりと摩子は、学園長の言葉にそっと振り返った。
「ありがとうございました。――私たちのこと、いろいろ考えてくださって」
「いいのですよ。学校のこと、生徒のことを考えるのが学園長、理事長のつとめなのですから」
「――お世話になりました。おかげで午後から、ゆっくり授業へ復帰できそうです。さすがに入って早々、あまり休むわけにもいかないですし」
ゆかりの言葉に学園長も、頼もしい限りです、とにっこり微笑む。
「前線復帰かあ、タフだねえゆかり……」
「なによ摩子、まさかこのままゆっくりエスケープするつもりだったんじゃないでしょうね?」
「げっ」
なぜか不機嫌そうな摩子へゆかりが釘を差すと、案の定、といった具合にあからさまな狼狽が返ってきた。
「ま、まあその……当たらず遠からずと申しましょうか」
「――正直なのはいいことです。まあ、あまり褒められたことではありませんが、ね」
苦笑まじりの顔で、学園長は隣の大貫秘書へ「困ったものね」と言いたげな表情をみせる。結局、摩子はそのままゆかりの後を追い、昼休み間近の教室へと戻ることになった。青葉の合間から、早くも夏本番のような激しい日差しが降り注ぐ、正午すこし前の光景である。
そこからの二、三日は、二人が心配したとおり野次馬たちが大挙して押し寄せる面倒な日々が過ぎた。ところが、四日ほど経ったところでぴたり、とその行列が止んでしまったのにはさすがの摩子も驚いてしまった。まるで、最初から事件などなかったかのように、誰も二人に質問を振らないのである。
ゆかりと摩子は最初、教師の誰かが気を利かせて野次馬たちへ注意をしたのだと考えていた。ところが、実際は彼女たちの関心が人気アイドル歌手の芸能ゴシップへ移っただけとわかると、二人は周囲の気変わりの早さにすっかり呆れ果ててしまった。
「七十五日どころか、五日もしないうちに終わったねえ。旬が短かったなあ、あたしたち」
「よかったじゃない、早く事態が片づいて。こうやって屋上でお昼食べるの、今日で最後よきっと」
日焼けは美容に悪いから、という理由で生徒がほとんどこないのをいいことに、二人はここしばらく、屋上で昼休みを過ごしていた。七条京阪へ下る長い坂を見下ろしながら、ゆかりは箸を使う手を止めて、でも……と呟く。
「でも、ちょーっと腹が経つわよね」
「ほんとだよっ、さんざ人をおもちゃにして騒いで、ほかに事件があったらそっちに興味がいくなんて――」
「そうじゃないわよ」
ゆかりのドスの利いた声音に、摩子は頬へごはん粒をつけたまま顔をひきつらせる。
「そもそもの元凶になった三宅先輩が、ごめんのごの字も言いに来ないじゃないの!」
「そ、そういえば……」
「なによっ、ひとごとみたいに……なんとも思わないわけっ!?」
七女通信編集部入りのことなどきれいに忘れていた摩子は、なおも怒りを露わにする幼なじみにすっかり気圧されてしまった。
「決めたっ、授業終わったら編集部へ行ってやるっ。謝る気配がなかったら、出来た原稿ビリビリにしてやるんだからっ」
「ちょ、ちょっとゆかりっ、落ち着いて!」
いつの間にか、自分よりも薫へ激しい感情を抱いていたゆかりに驚き、摩子は凶行を止めにかかった。しかし、一度弾みのついたゆかりの怒りは納まらず、説得もむなしいままにとうとう放課後となってしまった。
「ほんっとごめんねぇ。このままじゃゆかり、何するかわからないもんでさぁ」
「――気にしないでください竹井さん。これも級長の役目です、たぶん」
「事態収拾の暁には、リプトンでアフタヌーンティーと洒落ましょう、お紗英さま……」
たまたま帰りがけに遭遇した級長、お紗英さまこと下田紗英を見張り役に加え、摩子は鬼のような形相で編集部へ向かう幼なじみの後ろ姿をこわごわのぞき込んでいた。
ところが、いざ編集部へと来てみれば、普段うるさく指示をとばしている薫の姿はどこにも見あたらない。興を削がれたとでも言えばいいのか、さすがのゆかりもあれだけ激しかった怒りが急激に冷めてゆくのが分かった。
「三宅先輩、今日は用事で帰ったんだって。――出直す?」
そばにいた編集部員から事情を聞いた摩子は、ゆかりにこれからどうするか尋ねた。だが、熱の抜けたゆかりはリベンジマッチを宣言するでもなく、
「……帰りましょ」
と、気の抜けた返事して、編集部をあとにしたのだった。
「ごめんなさい下田さん。私のせいで、あなたにまで迷惑かけちゃって……」
学校を出て、七条通りの長い坂道の中程まできたところで、ゆかりは恥ずかしげに、紗英の顔をみて詫びを入れた。だが、紗英はそれを気にもせず、
「気にしないでください、みんな竹井さんのことを思ってなさったんでしょう? とがめる理由がありませんもの」
と、めがね越しに柔らかな笑みを覗かせる。
「さっすがお紗英さま、懐が広――」
「誰のせいでこうなったと思ってるのよっ!」
手に提げた鞄が勢いよく、振り子のように摩子の鳩尾へヒットする。
「ひどいよゆかり、何もそこまでしなくたって……」
「これで済んだだけありがたいと思いなさいっ。さあ、約束通り行きましょうか、リプトンのアフターヌンティー……もちろん摩子のおごりよっ」
「そ、そんな殺生なぁ……」
さすがに一名追加、とまでは考えが及ばなかったのか、摩子は最前よりもさらにゲッソリとした表情で二人を見やるのだった。




