小言と聴取と、十円玉と
大きな怪我もなく、どうにか迎えた土曜日の朝早く、ゆかりと摩子は学校へ呼び出され、休日出勤してきた生活指導の教師と担任からこってりと油を搾られた。小休止ののち、日当たりのいい空き教室を使って警察側の取り調べを受けることになった二人は、最前までのお説教が効いてすっかり放心状態であった。
「起き抜けのお小言はどうしてまあ、こう身に染みるんでしょうねゆかりさんや」
事情聴取を担当する刑事を呼びに担任が教室を出たのを幸いに、摩子は不貞腐れた表情をゆかりに向ける。
「うっさいわね、そもそもあんたが三宅先輩の挑発に乗らなきゃこんなことにはならなかったのよ。まあでも、引き留めなかったのは同罪だし……」
「それにしても腹立つなぁ。七女通信の名前が出たとたんに、先生たちそっちの件はダンマリだったじゃん。よっぽど痛いとこ掴まれてるのかな」
「弱みを掴んでそのまま泳がせておくのとか、あの先輩ならやりそうよね。退学にしようもんなら紙の爆弾が炸裂するんですもの……触らぬ神に祟りなし、ってことかしら」
「なのかなあ……あれっ」
と、話を聞きながら上着のポケットへ手を突っ込んでいた摩子が、何かに気付いて眉をひくつかせる。
「どしたの、摩子」
「――すっかり忘れてた。これ、あの着物のお兄さんたちに返しそびれちゃってたんだよね」
摩子の手の上で、窓辺からの日差しを受けて輝いていたのは、どこにでもありそうな十円玉だった。しかし、よく見れば縁にはおびただしい数の傷が刻み込まれている。
「すごかったよねぇ。あっという間にビシッと投げてさ。あたしら、この十円玉に助けられたようなもんだよ」
「えっ、それじゃあの時飛んできたのは……」
理解の追いつかないゆかりに、摩子は信じられない、といった表情を向ける。
「もしかしてゆかり、あの時飛んできたのがこれだったの、気づいてなかった? 惜しいことしたねぇ、銭形平次みたいですごかったのにさぁ」
「それはそうかもしれないけど……」
ゆかりも別段、異論があるわけではなかった。目の前にある無数の傷が入った十円玉を見れば、あの投げ銭が昨日おととい覚えたばかりの軽業でないことは嫌でも分かる。
ただ、派出所で自分たちを引き渡した後、いつの間にかいなくなっていた二人について、細かい印象を抱く暇がなかったのである。
「もうちょっといい例えはないわけ? いくらなんでもオジンくさすぎるわよ――」
掌で十円玉をもてあそんでいたゆかりがそこまで口にしたところで、前触れもなく教室の戸が開き、
「――オジンはひどいな。これでもまだ、四十手前なんだがね」
最前の生徒指導の教師もかくや、というドスの効いた低い声に、ゆかりと摩子は恐る恐る振り返る。
「――鷲尾ゆかりさんと、竹井摩子さんだね。京都府警の牛村です。だいたいのことは昨日、君たちを保護した派出所の連中から聞いているが、まあ今一度、いろいろと聞かせてもらえるとありがたいんだがね。よろしいかな?」
猛禽類を思わせるような鋭い目つきに、柔道家のような体格。特注らしい幅のある黒の背広の上下を着た角刈り頭の相手に、ゆかりと摩子はすっかり気圧されてしまった。が、幸いなことに牛村警部の事情聴取は実に丁寧なもので、二人は昨夜話しそびれたことを思い出しながら、事のあらましを伝えた。そして、終わるころにはすっかり、三人の間の心理的な壁も取り払われていたのであった。
「や、二人ともご苦労様。朝早くから怒られて、大変だったろう」
「ええ、まあ……」
緊張がほどけたゆかりが、ハンカチで顔の汗を拭う。その隣で呑気に伸びをする摩子を、警部はのどかな目で眺めながら、
「ひとつこれに懲りて、あまり勇み足なことはしないようにな。君子危うきに、というじゃないか」
「ハイ、身に沁みました……」
「じゃあ、今日はこれで。寄り道なんかしないで、まっすぐ帰るんだよ」
立ち上がって頭を垂れる摩子とゆかりに、牛村警部は悪戯っ子をなだめるような穏やかな目を向けてからその場を去ろうとした。と、静寂を取り戻した空き教室に、仏壇のおりんのような金属音が響き渡った。ゆかりのハンカチに引っかかっていたのか、取り調べ前に摩子から受け取った例の十円玉が床へ転げ落ちたのである。
「おっと。――すまんすまん、つい癖でね」
手前に転がってきたところをスリッパで踏んづけ、拾い上げてから背広の裾で拭くと、牛村警部はどちらの落としたものかわからずに逡巡していたが、
「おやっ」
と、十円玉を高々掲げて、じっとねめつけるような視線を投げつけた。
「鷲尾さん、落としたのはきみだったようだが、この十円玉どこで手に入れた?」
「あ、それ私のなんです。昨日の事件の時、助けてくれた人がこれを相手に投げてたんですけど……うっかり返しそびれちゃってて」
摩子の説明に、牛村警部はなんだって、と細い目を限界まで見開く。
「――君たち、助けてくれた二人連れっていうのは、こんな顔じゃなかったか」
背広の内ポケットからスマホを出すと、牛村警部は写真のフォルダから一枚の写真を探し、二人の眼前に突き付けた。写真はどこかのレストランの一角で、何人かの若者がテーブルを囲む様子をとらえたものだったが――。
そのすぐ手前のところに、昨晩自分たちを助けてくれた、あの若い二人の顔がありありと写っていた。
「あ! そうです、この二人です」
「間違いないね。若旦那風の和服の男と、ジャージ姿の小柄な男だね」
「は、はい」
命の恩人である二人の顔を見間違えるわけはなかったが、ゆかりと摩子はその写真の中に、仲良く牛村警部も収まっているのが気になってしようがなかった。
「やっぱりそうか。報告書にある目撃者が、そろって匿名なのが気にかかっていたが……」
「警部さん、あの二人とお知り合いなんですか?」
ゆかりの問いに、牛村警部はまあな、と肩をすくめて返す。
「変な二人連れだが、まあ悪い奴らじゃない。もしかすると、今後の展開次第では、君たちにとって大いなる味方になるかもしれんな」
「大いなる、味方……?」
なんとなくそれ以上の追及は憚られ、ゆかりと摩子は大人しく、警部の後について放免となった。もっとも、帰れば二人とも、今度はそれぞれの両親からの小言の雨が待っているのだが――。




