地獄への歩行
二人の女に挟まれる格好で、ゆかり達は実に絶望的な足取りのまま、校舎の中を彷徨することとなった。振り返ろうとすれば、千鶴絵の握った切っ先が背中へ食い込む。かといって逃げ切って走ろうとすれば、ドスを呑んでいる可能性の高い、あのジャージ姿の女に行く手を阻まれる――。
文字通り逃げ場のないままに、三人は周囲の意識を向ける余裕もなく、ただ前後の二人に従う格好で、階段を上り下りし、ひと気のない廊下を進んだ。
「――これだけ泳がせても誰もいないとこ見ると、学園長は丸腰らしいな」
ジャージ姿の女が振り返り、千鶴絵の方に余裕綽々、という表情をみせる。
「囮と人質にうってつけのが三人もいるんだ、あとは期の熟すのを待つばかり、だな」
同じ人物とは思えない、悪意に満ちた千鶴絵の声にゆかりは背筋の凍るのを覚えた。ねらいが学園長とすれば、やはりこの二人が、一連の「七条大橋の魔女」なのだろうか――。
「ずいぶんひでえ顔してるな、嬢ちゃん」
水を差すように、ジャージ姿の女がゆかりの顎をつかみ、じっとりと目線を投げる。
「誰のせいだと思ってるんです。こんなことして、いったいどういうつもりなんですか」
怖いながらに、ゆかりは沸き上がる本音をゆっくりと相手へぶつける。しかし、女はそれをせせら笑って流し、達者な口だな、と言ってそっと手を離した。
「嬢ちゃんたちも、つくづく運が悪かったなぁ。けどな、恨むんだったらあたしじゃなくって、学園長を恨みな。すべての元凶は被害者ぶって澄ましてやがるあの女なんだからよ」
「が、学園長先生が……?」
ゆかりが先陣を切ったおかげか、摩子もようやく、恐怖に結われていた口を開いた。
「千鶴絵っ、いったいどういうつもりなのさっ。こんなことして、あたしたち友達だったんじゃなかったの」
「うるさいっ」
不満を一喝すると、千鶴絵は紗英の肩越しに、摩子の襟元をグイと引っ張った。
「世の中にはなあ、どうしようもねえことがいっぱいあるんだよ。そのせいであたしらがどんだけ苦汁をなめたか、あんたにわかるのかいっ」
「佐伯さんっ、もう止めて!」
沈黙を保っていた紗英がうつむいたまま胸の内をぶちまける。
「どういう経緯があったかは知らないし、これからやることをやめろだなんて言わないわ。人質なら私で十分事足りるでしょう、二人を解放して」
「――紗英、あんたって奴は……」
入試以来の付き合いである紗英の言葉に、千鶴絵の表情もいったんはゆるむ。しかし、
「悪いな。こればっかりはもう後戻りができねえんだ。このまま道連れで勘弁してくれよな」
「……そう」
うなだれたまま目も合わせず、紗英はふたたび、ゆかり達と一緒に暗い廊下を歩き出した。やがて一行は、学園長室の頑丈な樫のドアの前へたどり着いた。
「――いいか、あたしがノックをするから、そのあとお前が用件を言って入れ。用事は何でもいいが、妙なことだけはするなよ。もし約束を破ったら、お前の友達はただじゃすまさねえ」
「……わかったわ」
千鶴絵のナイフが摩子の背中へ移り、ジャージの女に命令されたゆかりは軽く息を整えた。間髪入れずに、女がドアを三度、けたたましくノックする。
「――はい、どなたですか」
学園長の問いかけに、女から肩を押され、ゆかりはそっとドアを開いた。
「失礼します、一年B組の鷲尾です。例の事件のことで、鴨川さんからお言づてがあって参りました」
「鴨川探偵から……?」
洒落たバンカーランプの明かりで、書類の山へ目を通していた学園長が、老眼鏡をはずしながら応じる。
「とにかくお入りなさい。話はここに座って、ゆっくり聞かせてください――」
「――動くな村山!」
ゆかりの背中にスニーカーの靴底が思い切り食い込んだのはその直後だった。うつ伏せに転んだすぐ隣を、二人分の足音がドサドサと部屋へ入ってゆく。
「なにごとです! あなた、うちの生徒ではありませんね」
「へーえ、ずいぶんと寂しいこと言ってくれるじゃないのさ。おい千鶴絵、明かりつけてくれ」
後ろ手に錠を下ろした千鶴絵が、そっとスイッチへ手を触れる。暗がりに慣れた目をしばつかせていた学園長は、しばらく女の顔をにらんでから、わななくような声で相手を指さした。
「さ、聡美お嬢さん!」
「やっと思い出したらしいな。そうさ、あたしは大宮義二の娘、聡美さ!」
ジャージの女こと、大宮聡美が語った自らの正体に、ゆかり達はいつだか薫に聞かされた創業者一族の事件を思い出し、頭の中がかっと熱くなるのを覚えた。
全く無関係と思われた点と点の間に、太い線が引かれる瞬間を三人は目の当たりにしたわけである。
「ついでに言うとな村山、そこにいる佐伯千鶴絵は生活に困って養子に出された、あたしの実の妹だよ。家族の仲を粉々にしやがって……お前だけは許さねえぞ村山!」
ジャージの右ポケットへ収まっていた聡美の手のひらで、かちり、という音が響く。見る間に伸びたジャックナイフの刃が、バンカーランプと頭上の蛍光灯の照らされて不気味な色を放っている。
「ここでとっとと死にやがれえっ!」
革張りのソファの上へ飛び上がり、聡美はそのまま、ローテーブルの上からゆらりと学園長へ躍り掛かる。ほんの一メートルもない距離では、狙いを外すほうが難しい。ゆかり達は恐怖におののき、目を固く閉ざした――。




