学生記者、鴨川浮音?
待ち合わせにちょうどいい、ほどよく涼しい喫茶店のボックス席で時間をつぶしていると、入り口の戸が静かに開き、見た二人連れがゆかり達の視界へ写った。鴨川浮音とその相棒、佐原有作である。
「や、おまっとさん。のんびり遊んでるとこからすると、どうにか中間試験は受かったらしいな、竹井ちゃん」
巾着袋を提げた、涼しげな夏物の羽織姿の浮音が摩子の顔を見てつぶやく。千夏たちを待たせた用事で使ったのか、年季の入った革のショルダーバックが右肩から垂れている。
「ちぇー、みんなしてからかうんだからぁ。しーらない!」
「カモさん、そんなに意地悪しちゃかわいそうだよ。それよりどうしよっか、遠出のつもりでいたけど、大人数じゃクルマに乗りきらないし……」
有作の指摘に、浮音はひい、ふう、と頭数を数える。
「――この辺のどっか静かなとこでお昼にするのがええんやないかなあ。どうせパーキングに入れてるんや、今さら出すのも億劫やし」
「それならもう、隣のうどん屋でいいんじゃないかあ? 遠出するにはちょっと待ちくたびれたぜ」
「そのようやなあ。とりあえず、このお姐ェさんのおごりで、つつましくうどんと洒落ようやないの。ごちそうはまあ、事件の片づいたときにでも、ということで」
「へへっ、そん時はありがたく、こっちもごちそうになるぜ鴨の字」
「まあまあ、せいぜい日本酒のいいとこ揃えとくわ。とりあえず、出よか」
千夏が勘定を済ませると、一行はその足で隣のうどん屋へと入った。昼の書き入れ時もすぎて閑散とした店内は、流行りの曲を和楽器でアレンジしたBGMが有線から流れているばかりである。一行のほとんどが日替わりを頼んだこともあり、ものの半時間もしないうちに、四人掛けをくっつけたテーブルの上には湯気の立つうどん定食が並ぶこととなった。
「――聞いた話じゃ鴨の字、オメーさんデスクに叱られて、渋々取材に出てきたらしいな。そこんとこ、どうなんだ?」
最後に運ばれてきたざるそばを前に、千夏は前歯で割り箸をわり、浮音へにやり、と意地の悪い表情を向ける。
「いきなり何を言うかと思もたら……よせやい、うどんがまずゥなるやないか」
先に届いたきつねうどんを手繰っていた浮音は、二人前のせいろに対峙する千夏へ苦々しい目線をくれる。
「そういうなよ、ほかならぬ新聞社サイドからのタレコミなんだ。ご当人も忙しくなきゃ、この席へ加わる予定だったんだぜ?」
「なぁるほど、こりゃ今度、かねよの鰻でも奢ってなだめンとあかんな」
「鴨川さん、取材ってどちらで何をなさってるんです?」
きつねうどんの相方になっている、小ぶりないなり寿司をつついていた紗英が浮音へ尋ねる。すると、二口ばかりそばを呑んだ千夏が、口元を軽く拭ってから割って入った。
「そっかぁ、みんな鴨の字の普段のことは知らねえんだっけ。こいつな、自分とこの通ってる大学の新聞社に、遊軍記者として籍置いてるんだよ。もっとも、そいつは事件を追っかけるための大義名分、名義借りみたいなもんでよ。こうやってたまーに、しち面倒な取材に駆り出されてやんのさ。で、今日はどこへ?」
「西京極の競技場。パラ陸上のアマチュア選手権をやっててな。そいつの取材とカメラマンをやってきた、ってわけ」
そういうと、浮音は足下へ置いてあった革張りの四角いショルダーバックを引き上げる。見れば隅には、筆記体で「Leica」という字が躍っている。有名なドイツ製の高級カメラ、ライカの周辺機器のひとつらしい。
「周りの連中びっくりしただろうなあ。着物姿のやつがライカで写真撮ってるんだもの。せめてそういうときくらいジャージかなんかにしたらどうだぁ?」
以前に見たことがあったのか、千夏はどこか見透かしたような、それでいて呆れた表情でそのバックを眺めている。
「あいにく、簡単に服を代えへんのが僕のモットーでなあ。――これ、ひいじいさんからのお下がりでな。レンズも望遠から広角までひとしきり入ってるから、なんでも撮れる優れ物ってわけ」
バックの上蓋を開け、中から小ぶりなレンズのついたライカ――バルナック型のⅢfというモデルであった――を出すと、浮音は慣れた調子で露出をあわせ、店主のいるカウンター席のほうへシャッターを切った。ごく小さな、かしゃん、という遠くで誰かが軽いくしゃみをしたような音がその場に響く。
「――音の小さいのが利点なのよな、こいつは。ま、とりあえずこれを片手に取材も済んで、あとはむこうのラボで現像をしてもらうだけ、ってわけ。ほとんど遠足みたいなもんやで、こいつは」
ゆかり達の前でふたたびライカを仕舞うと、浮音は再び、うどんを手繰り出した。
「けっ、お仕置きがてんで身に染みてねぇや。もうちょっと悪びれながら行くもんじゃねえのか、こういうのは」
「カモさんは大抵のことを面白く転じさせる、生粋の遊び人ですからねぇ。あまり効果なさそうです……」
困った調子で同居人を見つめる有作に、千夏も不承不承、そばの方へと意識を戻すこととなった。そのうちにうどんも片づくと、浮音たちは千夏とともに三条京阪を発ち、ゆかり達はふたたび、河原町の方へと向かった。
「今から行ったら、何か映画でも見られるかなぁ」
河原町三条を西へ進み、新京極の映画館のほうへと歩きながら、摩子がゆかりへ尋ねる。
「それもいいけど、時間が微妙ね。待たされるのはちょっと辛いし……」
「千夏さん、いいお方なんですけどね。江戸弁がきつくて、途中からお話がよくわからなくなってきてしまって……」
「ありゃあ、やっぱりあれ、あたしのおツムのせいじゃなかったんだあ」
生まれついての江戸っ子である千夏の、いわゆるヒとシの区別がつかない、その上ひどく早口の江戸弁は、京都育ちの三人にとって未知の言語であった。
それに応じるだけでずいぶん神経を使った余波が、映画館を間近にした三人に遅ればせながら押し寄せていたのである。
「――あらっ、あなたたしか……」
疲れてとぼとぼと歩いていたゆかりと摩子は、背後で紗英が誰かと話をしているのに気づいた。誰かクラスメイトとでもすれ違ったのかと振り返ると、そこには見慣れない、ゆるいポニーテールに結った色白の、上背のあるジャージ姿の少女が立っていた。
「じゃあ、またそのうち」
「ええ、気をつけて……」
相手が急ぎ足で去るのを見送ると、紗英はごめんなさいね、と言って二人の元へ合流した。
「お紗英さま、今のはどなた?」
ベレー帽を直しながら、紗英は摩子の問いに答える。
「佐伯さんといって、受験の時に隣の席だった子なんです。ずっと離れたD組だから、入学してからもほんのちょっとしか会うことがなくて……」
「ひょっとして私たち、佐伯さんとお紗英さまの仲を裂いちゃってたのかしら」
ゆかりが申し訳のなさそうにつぶやくと、紗英はカブリを振ってそんなことないですよ、と不安を払拭する。
「しょうがないですよ、そもそもD組じゃ、合同授業になることもほとんどない組み合わせですし。鷲尾さんたちが気に病むのは、お門違いですよ」
「――ゆかりィ、ああはおっしゃいますけど、さすがに責任は感じるよねぇ」
頷くゆかりに、摩子はやっぱりねえ、と返す。
「どうかなあ、お紗英さま。休み明けにでも、佐伯さんも交えてお昼を食べに行くというのは……」
もじもじしながら提案をする摩子に、紗英はしばらく考え込んでから、
「私は、いいと思います。もちろん、佐伯さんのほうにもご用事がなければ、ですけれどね。ひとまず月曜日に、D組へ行ってみましょうか」
さし当たって異論もなく、ゆかりと摩子は紗英の提案に同意してみせる。
「賛成! いいねえ、三人が四人になるよ。のんびり麻雀が出来るねっ」
ロンの手つきをする摩子へ、ドンジャラだって怪しいくせに、とゆかりが釘を刺す。
「でも確かに、集まりの輪が大きいに越したことはないわね。きっと、囲むお昼も楽しくなるかも」
「そう来なくっちゃ! ――それより二人ともぉ、今かかってる『尼さんバレー2』、一緒にどう?」
「あんた好きよねぇ、そういうヘンテコ映画……」
摩子が上映スケジュールと一緒に見せた副題「それゆけ悪魔祓い作戦」という字句のあほらしさに、ゆかりはがくりと肩を落とす。バチカンでのオールロケが話題になった、シスター同士がバレーボールをする奇妙な外国映画にいつの間にか続編が出来ていたらしい。
「鷲尾さん、これ、なかなか評判いいらしいですよ。私は竹井さんとご一緒しようかと思うんですが……」
「――よかったわね摩子、理解者がいて」
思いがけず紗英の食いついたのに困惑しながら、ゆかりは渋々、ポシェットに入れた学生証を取り出した。ゆかりがその後、一連のシリーズにすっかりはまってしまったのは、また別の話である。




