「画伯」と裏口入学と
翌日、例によって授業どころでないという理由から学園長室へ呼ばれたゆかりと摩子、紗英の三人は、それぞれの証言を元にした女の似顔絵づくりに協力をすることとなった。
その似顔絵を引き受けることになったのは、行方不明のタクシー運転手・加藤の似顔絵を描いた、浮音言うところの「画伯」、似顔絵師の呉野千夏だった。
その日、浮音に伴われてやってきた千夏のファッション――背に竜虎の刺繍が入った真っ赤なジャージに、ともぎれのキャスケット。鮮紅色のメッシュが入ったウルフカットという人目を引く格好に、ゆかり達はすっかり圧倒されてしまった。どこをとっても原色、というカラーリングに、目がくらんでしまったのである。
しかし、そんな外見に反して、千夏の筆致は実に細やかなものであった。ゆかり達の証言を元に、サックに入れた様々な濃さの鉛筆を器用に使い分けながら、千夏はスケッチブックの上へ昨夜の怪しい女の顔を描き起こしていった。
「――だいたいこんな口元になるけど、どうだろうねぇ?」
ナイキの赤いスニーカーを履いた足を組み直しながら、千夏は猫のような目をくりくりと動かし、ゆかり達へスケッチブックを見せる。
「うーん、唇はもうちょっと薄かったかなぁ?」
「なるほど、もうちょい薄い、と……」
練り消しで絵の口元をこすると、千夏は摩子の指摘を元にさっさっと鉛筆をあてがってゆく。
「――どうだい?」
ふたたびスケッチブックが手元へ来ると、ゆかり達はそれを食い入るように見つめて、しきりにうなずいて見せる。
「すごい、あの時の人そっくりです」
「これこれ! こんな顔だった!」
「そうですね、たしかこんな感じでしたわ、私たちの前に現れたのは……」
三人の反応が芳しいのを見て取ると、千夏はにまりと笑みを浮かべ、スケッチブックの表紙を閉じた。
「――呉野さん、お疲れさまでした。先ほどから見ておりましたが、なかなかな腕前ですね」
学園長の賛辞に、千夏は少し照れくさそうな顔をして、
「いちおうこれでも、美大の油画を出てやしてね。ま、いろいろあってそっちのほうはよして、今はしがねえ街頭絵描きというわけです。――それより鴨の字、こないだ描いてやった運ちゃんはめっかったのか?」
伝法な調子でしゃべる千夏に、紅茶を飲んでいた浮音はカップから唇を離す。
「てーんでダメやな。官報をたよりに近隣の行旅死亡人もあたってみたけどどれも人違い。せっかくの絵やけど、こりゃあ空振りかもわからん」
「元々が雲をつかむような相手ですからね。でも、警部さんから伺う限りでは、鴨川さんたちがかなりリードしているようですね。やはりお願いしたのは正解でした」
そこまで言うと、学園長は義足をならしながらデスクへ向かい、あの日のように小切手へとペンを走らせた。
「――絵の相場はよく存じませんので、ちょっと少ないかもしれませんが……。ほんの気持ちです」
「――ええっ、こ、こんなに」
浮音宛の経費とは別に、自分の手へと渡された小切手の額面に、千夏は目をぱちくりとさせる。
「どうもあいすいません、お天気商売とはいえ、何かと物もいりようでやして……たしかに頂戴いたしました」
白い西洋封筒に小切手を戻すと、千夏は足下へ置いてあった黒革の鞄へ小切手をしまい、
「これでよし、と。――そいじゃァ、あたしはここでおいとまさせていただきやすかね。鴨の字、こいつはあとで複写して使えるようにしとくぜ」
スケッチブックと画材をしまい、帰り支度をする千夏に、浮音はこれから昼酒? と笑いながら返す。
「バカ言え、今日はこれから似顔絵商売さ。どうも毎日、鉛筆握ってないと気がすまないタチでねえ。――それじゃあ学園長先生、お嬢さん方、お先に失礼しやす」
一礼ののち、千夏が急ぎ足で部屋を出ていくと、あとには学園長と浮音、ゆかり達三人の目撃者が残された。
「どうも失礼しました、ちょっと口ぶりが伝法で驚きましたやろ」
「いえいえ。さっぱりしていて、感じのいいお方ではありませんか」
千夏のべらんめえな調子を気にもしない学園長に、それならよかったですわあ、と浮音は首筋を掻く。
「そういえば、今日は佐原さんはいらっしゃらないのですね。はずせない講義でもおありでしたか?」
学園長の指摘に、ゆかり達も今さらながらそのことに気づく。千夏の印象があまりにも強すぎたのである。
「まあ、そないなとこですわ。基本的に彼は、まっとうに講義に出る学生ですからね。ウカウカしてると、僕なんか来年も同じ回生ということになりかねへんのですよ。ほんと、気をつけんとあきまへんね……ハハハ」
呑気な調子の浮音につられて、学園長やゆかり達もクスリと微笑む。やがて、三限目を告げるチャイムが鳴り響くと、部屋へ戻ってきた秘書のお給仕でおかわりの紅茶が注がれた。
「――そういえば、今日は二年生が外で陸上競技をしていたはずですね。皆さん、よかったら屋上まで見に行きませんか」
「特等席とはおもろいですなぁ、是非ともご一緒させてもらいましょか。――君らはどうする?」
今さら授業に出るのも気が引けていた三人は、断る理由も見あたらず、学園長の提案に乗ることとなった。
さて、学園長について屋上へ上がると、ゆかり達はグラウンドの陸上レーンをはるかに望む、日当たりのいい特等席へ陣取った。その日の二年生の体育は、グループに分けて行われる、ハードルと短距離走であった。
「すごーい、あの人どんどん抜いてく!」
練習らしく、さほど速さこそないものの、ウサギのようにかろやかにハードルを越してゆく上級生に、摩子が感嘆の声を上げる。
「おー、速い速い。こりゃ、国体代表間違いなしでっせ、先生」
「たしかあれは、陸上部の部員だったはずですよ。来月の市内大会に出る子で間違いないはずですが……」
持参していた、年代物のツァイスの双眼鏡をのぞきこむと、学園長はああ、あってました、と口元へ嬉しそうな表情を浮かべる。
「なにせこんな体ですからね。昔のように走れない代わりに、こうやって若い生徒ががんばっているのは、見ていてすがすがしいものですよ」
「そういえば先生、陸上の選手やったそうですね。失礼ですが種目は……」
「棒高飛びです。走る方は恥ずかしながら、陸上部の中では遅い方でしてね」
「へえ、それまた意外や。僕はてっきり、陸上部員って言うのはみんな足が速いもんやとばっかり思てましたよ」
袂へ手をひっこめたまま話す浮音へ、学園長はほほえみを浮かべ、
「なにごとにも、例外はつきものです。――どうやら練習が終わって、いよいよ本番が始まるようですよ」
ふたたび視線がグラウンドへ向くと、ゆかり達はさながら、オリンピック観戦のような心地でグラウンドの様子を見つめた。学園長が気を利かせて順繰りに回した双眼鏡は、ゆかり達へ眼下の熱狂をありありと伝えてくれたのだった。
ささやかな観戦も済むと、四限を前にした五分休みの喧噪が校内へ満ちだした。屋上を降りると、ゆかり達は通院で早退するという学園長と、付き添いの秘書を見送りに職員用の通用口へと出た。
「では鴨川さん、くれぐれもよろしく。みなさんも午後からの授業、頑張ってくださいね」
後部座席へ乗り込んだ学園長が挨拶をすませると、帽子を目深に被った髭の運転手がそっとドアを閉め、ベンツはゆっくりと通用門を出て行った。
「――ふーう、偉い人と話すんは肩凝ってかなンなぁ」
車の見えなくなったのを幸いと、浮音は首を回し、左肩をげんこつでしきりに叩く。その様子のおかしさに、殊勝な顔で学園長を見送っていたゆかり達は吹き出してしまった。
「毎度毎度、いろいろと紅茶やらお菓子やらごちそうになって申し訳ないでェ。そうそう、鷲尾ちゃん、竹井ちゃん、君らと再会した日に食べたロールケーキは絶品やったねえ。分厚いとこを惜しみなく……たまらんわぁ」
「あの日のケーキ、美味しかったですよねぇ。もちろん、今日食べたショートケーキもよかったけど……」
「まったくもう、摩子だけならともかく、鴨川さんまでそんなことではしゃいじゃって……みっともないですよ」
不真面目な二人をたしなめるゆかりだったが、
「まあまあ、いいじゃありませんか鷲尾さん。学園長先生が名店のいいものをご存じなの、ほんとうですもの」
「そうなの? 私、そういうの疎くって……」
頬をかくゆかりに、紗英は空を見上げたまま、
「たしか今日いただいたの、人数分買ったら普通の物なら三倍の量が買えたはずですよ。クリームひとつ、アラザンひとつとっても上質なものを使ってるとかで……」
「――摩子も喜ぶの、当然だったわけね」
戻る道々、そんなことを話し合っていたゆかり達は、通用口で借りたつっかけを戻し、内履きや来客用のスリッパへと足を通した。と、
「――やっぱりそうだわ。そこにおわすは名探偵・鴨川浮音さんじゃありませんか」
嫌と言うほど耳にした声に、ゆかりはおそるおそる靴ひもから手を離した。見れば目の前には、移動教室の最中らしく、手に教科書やノートを手にした薫が立っている。間違いない、目当ては学園長の元へ来ていた浮音である――。
「――おやおや、そういうあんさんは七女通信の名物デスク、三宅薫さんやおまへんか。あんたのしつこいの、なかなか有名やで」
こうした手合いは慣れているのか、浮音は袂から手を出し、レザーの名刺入れから抜いた一枚をうやうやしく薫へと渡した。
「あら、てっきり袖にされるかと思ったら……案外お優しいんですね鴨川さん」
「ごあいさつやねえ三宅デスク。まあせいぜい、仲良くしようやありませんの。なにも別段、仲悪ウする理由もあらへんことやし……」
返す刀に、薫はあの独特のにやけた表情を浮かべたまま、ブレザーのポケットからアルミの名刺入れを取りだした。
「――それじゃあ、お昼休みに編集部でお会いしましょ。これからあたし、バケガクの実験があるもので……ごきげんよう」
それだけ言うと、薫はそのまま小走りにその場を離れていった。
「――おんや、これまた洒落たラヴレターつきやな。見てみぃ、これ」
浮音が受け取った名刺を裏返し、ゆかり達の前へ近づける。裏には鉛筆の走り書きで、「重要な情報あり 子細はきょう昼休み編集部にて ミヤケ」とある。
「重要な、情報……?」
「そんなこといって、どうせ独占インタビューとかもくろんでるのよ。ねえ?」
いつぞやのタクシー車中での取材を思いだしてか、ゆかりは薫の誘いへ疑いのまなざしを向けていた。しかし、浮音はその名刺をじっと見てからにやりと笑い、
「いやぁ、こいつは額面通り受け取って間違いないと思うな。まあ、鬼が出るか蛇が出るか、行ってこの目で確かめてみようやないの」
「は、はあ……」
それだけ言うと、浮音はゆかり達を伴い、昼休みまでの待機場所として指定された管理員室へと向かうのだった。
昼休みになると、ゆかり達は人目を忍び、弁当箱片手に編集部へと向かった。開けっ放しになった入り口の戸に気づくと、明かりもついていない部屋の中から、
「どうぞー、そのまま入っちゃってください。扉はしっかり、鍵も閉めてくれるとありがたいわぁ」
人を食ったような薫の声に胸をなで下ろし、ゆかり達はそのまま、部屋の中へと足を踏み入れ、そっと錠を下ろした。
「いいんですか、鍵も閉めてしまって」
けげんな顔で紗英が薫へ尋ねる。とうの薫は、部屋の隅にあるテーブルを前に、パーコレータの電源を入れ、人数分の紙コップとホルダーを支度している。
「いいのいいの。どうせ明日は試験前の各社共通休刊日だもの。ついでに言うと、人払いしてあるから誰もこないってわけ。――っと、これでよし」
挽き売りのモカを袋へ戻し、軽く手を払うと、薫は畳んであったパイプ椅子を出しておもむろに腰を下ろした。
「――さあて、どこからお話ししたものかしら。こっちは二つばかり、あなたにお伝えした方がよさそうなことがあるのよ」
「ほう? そりゃまた気になるなあ」
腕を組み、浮音はじっと薫を見つめる。
「――昨日、そこの三人が襲われかかったとかいう謎の人物なんだけれどね。それによく似た人相の女が、面会希望で応接室へ来てたらしいのよ。もっとも、肝心のあたしがいないと知ると、すぐ引き上げちゃったらしいんだけれど」
「またずいぶんな爆弾が落ちよったなぁ」
騒然となるゆかり達をよそに、事件慣れしている浮音は平然としたたたずまいである。
「察するに、警察発表のおおまかな特徴書きと一致した、てなとこかな。それよりその怪しいの、身元は割れとるん? いちおうほら、来訪者は一筆添えないとあかんことになってるやないの」
浮音が入退出リストにペンを走らせるジェスチャーをすると、薫は肩をすぼめて、ところがどっこい、と前置く。
「名乗った名前に卒業年、なにからなにまでぜーんぶ偽物。悪いことに、七女通信のOGだって名乗ったから、対応に出た新米の先生が騙されて通しちゃったわけ。その先生、大慌てであたしらに泣きついてきたのよ。善良なる新人教師のクビを回避すべく、今のところはオフレコにしてあるわ」
「なるほど、それがまず一つめ、ってなわけか。――んで、二つめっちゅうのは……?」
「――こんなものが、その女の飲んだ湯呑みの下敷きになってたのよ。どう思います? この文面」
内ポケットから、薫はビニール袋にくるんだ一枚のメモを取りだした。そこには次のような、奇妙なメッセージが下手な字で躍っていた。
勇敢なる学校事件記者へ
気をつけろ 魔女はすぐ近くにいる 狼は常に羊の皮を被ってい
「ここで切れてるの、ひょっとしてその、新米の先生がまたやってきてやめたんと違うか?」
「そのようよ。先生は単に、スマホでも見ていただけだろうと思って気にしなかったらしいけれど。にしてもこれ、どういうつもりなのかしら」
「さあてねえ。ただひとつ確かなのは、この女はむしろ、『七条大橋の魔女』にとってはあまり好ましくない相手、ということくらいやろねえ。この文面はどちらかというと、脅迫ではなくて警告、いや、むしろ告発にも見える」
「――被害者の家族か何か、ってこと? でもそれじゃ、昨日のこの子達の件が辻褄合わないじゃないのよ」
「そこや、そこが問題なんよ。ドスを呑んでたらしいところからすると、ただもんじゃなさそうやし……ほーんま、複雑怪奇や」
膝の上に置いていた、麦藁のソフト帽を浮音は困った顔でなでまわした。
「にしても、羊の皮を被った狼、なあ。新歓によく沸く、女たらしの男子学生みたいやな」
「冗談言ってる場合じゃないでしょ! 少なくとも事件と関係のあるかもしれない人間が校内へ入ってきたのよ。――編集部に血の雨が降るのはごめんだわっ」
パーコレータの湯が温まりだしたのとほぼ同時に、薫が激高してテーブルを叩く。その場はしん、と静まりかえり、お湯の吹く音だけが天井へこだましている。
「――テロまがいのことされへんかったのは、まあ奇跡ちゃあ奇跡やもんな。茶化して悪かったわ」
ふざけた詫びに頭を下げる浮音に、こっちも言い過ぎたわ、と薫は軽く手を払う。
「ちょうどええ、僕の友達がこの子らの証言を元に似顔を描いとったんよ。たぶん、夕方までにはスキャンしたのが送られてくると思うから、そっちに転送しとくわ」
「ご協力感謝します、鴨川さん。それよりちょっと伺いますけど、近頃あなた、お仲間と一緒にあちこちの喫茶店でタクシーの運転手を捜してるみたいだけど……それは別のヤマかしら?」
「――さすが『うわばみの薫』、出来が並よりええねえ」
お手上げとばかりに、浮音は加藤運転手に関する情報を薫に打ち明けた。
「なるほど、それはあまり刺激しないほうがよさそうねえ。――このこと、学園長もご存じなわけ?」
「一応ね。とはいっても、先生タクシーはのらへんから、顔見せても目撃情報は持ってきてくれそうにあらへんのよな。いっつもお抱えの運転手つきやし」
「そりゃそうよ、雇ってるのにむざむざ、ほかの車に乗ることないわ。今の運転手さん、半年前に代わった新しい人なんだけど、素人目に見てもかなり運転がうまいのよね。もっとも、いつも遠巻きに見るだけで、会ったことも話したこともないんだけれどね」
支度のできたコーヒーを、薫はパーコレータから人数分のカップへちょこちょこと注いでゆく。
「へーえ、そうやったんか。そりゃまあ、わざわざ乗ることないわなあ。近頃でもたまに、天国行きの超特急みたいな運転しよるクルマがおるから……」
浮音の言葉に、薫もほんとねえ、と頷く。
「しかし羨ましい、おかかえの運転手つきやなんて、さすが理事長も兼ねてる人はちゃうねえ」
「まあね。でも知ってます? あの人、本来ならこの学校の学園長になるようなことはなかった、っていう話……」
最前までのまじめな表情から、見慣れたあのにやけ面へ薫の顔色が変わる。
「――そいつァ知らんなぁ。どや、後学のために拝聴と行こうやないの。なあ?」
「そ、そうですね。聞きたいなあ、あたしも……」
機嫌を損ねまいと、摩子が作り笑いを浮かべながら返答すると、薫は空になったパーコレータを隅に追いやり、
「よろしいっ。まあ、コーヒー片手に気楽に聞いてちょうだい。話せば長くなるから……」
浮音を先頭にホルダーつきのカップを回し終えると、薫は軽い咳払いののち、ゆっくりと口を開いた。
「――この学校はもともと、創業家の大宮一族が要所要所のポストを取り仕切っている、典型的な同族経営の私学だったわけ。もっとも、だからといって何かひどい圧政があったわけでもなく、鷹揚な人柄の一族を、教職員や生徒は大変慕っていたわけ。ところが、そんな一族の歴史にも魔が差すことになった――」
薫は二口ばかり、湯気の立つコーヒーを含んでから、それをゆっくりと飲み下す。
「今から六年ほど前、河原町の居酒屋で取っ組み合いのケンカが起きた。暴行の現行犯でお縄になった二人組から話を聞くうちに、そのうちの片方が裏口入学あっせんの手間賃を受け取った、というとんでもない話が明るみに出た。で、その裏口の起きた学校というのが何あろう、この七条女子学園だった、というわけ」
「そういや、ずいぶん話題になったっけな。『いくらで入れる』とか嫌味なことを聞くいたずら電話が一文字違いの番号に殺到して、そこの家の回線がパンクしたなんて……」
ホルダー片手の浮音が、両の目をぎょろつかせて不謹慎な笑みを浮かべる。
「なあんだ、鴨川さん知ってたの。――それもそっか、そのころ中学生ぐらいなら、ニュースとかで見てただろうし」
「いちおうあらましは知っとるで。もっとも、僕ァこういうゼニカネや政治の話には興味あらへんから、詳細となるとトンとあかんな。あのあと、どないなったっけ?」
「まあ、後味いい風にはならなかったわね。京都地検はあっせんの主犯格として、当時の学園長・大宮義二とその弟、教頭だった大宮賢三を引っ張ったけど本人たちは容疑を否定。裏口の話を振った人物の周辺から辿ろうにも、何人かの協力者を仲介したせいでご本尊は拝めない。おまけに、証拠として提出された学園長たちの自筆とされるサインは筆跡の鑑定結果が思わしくなくて証拠不十分。拘留期限も切れて、ウヤムヤのまま二人は釈放になったけど……世間のまなざしはずいぶん冷たかったようね」
「たしか倍率もダントツで低かったんやっけ? ――で、そののち、複数いる外部理事の一人だった村山巴女史が事後処理を請け負う格好で学園のトップとなった。近しい親類縁者より、よっぽどクリーンに見えたんやろなあ」
「ま、そういうとこでしょうね。旧華族の血筋で気品もあるし、事故があるまでは、俊足のスポーツマンとしても評判が高かったもの。あとはやっぱり大貫さんのこともあるんじゃないかしら」
「大貫さん? ――ああ、あの秘書の……」
さほど興味もなさそうな調子で応じる浮音に、あの人、例の事故の同乗者だったのよ、と薫が打ち返したので、ゆかり達は思わず互いの顔を見やった。二、三度顔を見たきりで、さして印象にも残っていなかった相手がいきなり脳裏に浮かんできたのだから、無理もない話である。
「大貫さんは学園長の姪っ子でね。たしか十代半ばで足を切ったんじゃなかったかしら」
「じゃ、あの人も義足なんですか?」
学園長と違い、微塵も足の悪い素振りがなかったことに、摩子は舌を巻いている。
「そうよー。かわいそうに、陸上部の駿馬と言われた名選手だったらしいけれど……。対向車線からハミ出た居眠りのダンプがいなきゃ、二人とも優秀なスポーツマンのままだったでしょうね。だからその分、部活動にはずいぶん熱心に面倒を見てくれるのかもね、学園長は……」
遠いまなざしの薫に、浮音も頷いてみせる。
「実際、運動部も文化部も、村山体制のあとのほうが結構いい結果出てるしなぁ。まあ、君ら新聞部にはあまり関係ない話かな?」
半分ほど減ったコーヒーのホルダーをテーブルへ戻すと、浮音は足を組み直し、薫へそっと目をくれる。
「あら、そうでもないわよ。運動部の取材で公欠の届け出だすの、かなりやりやすくなったから……恩恵はまあ、それなりにあるというわけ」
「なぁるほどねえ。――そういや、肝心の大宮家の一族、その後どうなったんやろか?」
「今じゃ影も形もないわ。心臓の弱かった理事長は事件の直後にショック死。学園長と教頭の二人はそれぞれの家族と離縁されて、どこかの老人ホームで大人しくしてる、ってなんかの記事で見たっけ。ちなみに、教頭の息子で、その春から学園で英語を教えていた先生は、周囲の目を気にして自殺したそうよ」
「――絵にかいたような地獄絵図やな、つくづく、金は魔物やで」
吐き捨てるように、しかしどこか憐憫の情を含めて呟くと、浮音は帯に挟んだ懐中時計をそっと引き出した。
「そろそろおいとまするわ。たまにゃ学生らしく、勉学にいそしまにゃねえ」
いそいそと帰り支度をすませると、浮音は一人、部屋の鍵をあげて、
「ほいじゃあ皆の衆、弁当をのどへ詰まらせる事なきように……」
と、後ろ手に戸を閉めてその場を去っていったのだった。
昼休み明けに二時間だけ授業を受けた帰り道、摩子は薫が話していた、六年前のお家騒動について触れる。
「――全っ然知らなかったよぉ、そんな事があったなんて」
「小学生でしたものね、私たち。テレビでやってても、たぶんちんぷんかんぷんですよ」
紗英の言葉に、摩子はしきりに頷く。
「おかげでボロださなくって済んだけどねー。三宅デスクは鬼より怖い、っていうし……」
「どうやらこれで、摩子もすっかり諦めがついたみたいね。元はといえば、摩子がダダこねたのが原因なんだから……」
ゆかりに痛いところを指摘され、摩子はふくれっ面をさらしている。それを見ておかしさをこらえながら、紗英とゆかりは七条の坂をゆっくりと下ってゆくのだった。




