タクシー車中のできごと
体育館と武道場の間にある、ゴミの回収業者などが出入りする裏門まで来ると、薫が手配したらしい、「個人」と書かれた行灯つきのタクシーが控えていた。乗るか、それともそのまま無視して帰るか――ゆかりたちが考えあぐねていると、背後から軽やかな駆け足が近づいてきた。
「あら嬉しい、逃げずに待っててくれたの」
「は、はあ……」
「素直な子はおねーさん大好きよ。さ、早いとこ乗ってちょうだい、お三方……」
蛇のような笑顔に気圧され、半ば押し込まれるように後部座席へ乗ると、薫が助手席に乗ったのを合図に、タクシーはゆっくりと裏門を離れた。
「――まず、デスクとしてあなたたち二人を危険な目に遭わせたこと、深くお詫びするわ。職員室に呼び出されて、いろいろ言われちゃってね……」
「あ、別にそんな……」
「――ま、逆にあなたたちの担任や学年主任には、『ああいう新入生はきちんとおたくで飼い慣らせ、取材の迷惑だ』と突っぱねておいたんだけれどね。こっちもいろいろ握ってるから、あちらも強く出られなくてすっかり大人しくなっちゃったけれど……」
「――どうせそんなことだろうと思いましたよっ」
ほんの一瞬とはいえ、狡猾な人物として通っている薫へ憐憫の情を向けたことを、ゆかりは激しく後悔した。
「それより先輩、わざわざ私たちを乗せてくれたの、なにか訳があるんじゃないですか?」
「勘が鋭いわね、鷲尾ちゃん。逃げ場のない走る密室なら、こちらの独占インタビューに応じてもらえると思って、ね。あたしらブン屋の常套手段よ。――私立探偵、鴨川浮音とその相棒、佐原有作に助けられたときのこと、詳しく教えてもらえるかしら?」
鞄から黒革張りのビジネス手帳を出すと、薫はサックに入った鉛筆をそっと紙面にあてがった。ここで妙に口ごもって適当なことをかかれるのはたまらないと、ゆかりと摩子は渋々、「七条大橋の魔女」との遭遇、鴨川浮音に窮地を救われたこと、学園長が依頼をしたことを打ち明けた。
「――なあるほど、これでタレコミの裏もとれたわ」
話の済んだころには、タクシーは烏丸通りの中程、証券会社や新聞社の並ぶ御所南のあたりへとさしかかっていた。早くも夏の香りが漂う窓外では、西陣の方から広がる宵の口の夕焼けがあたりのビルのガラス窓へ鈍く照り返している。
「第一報のあと、あなたたちがなかなか捕まらなくって、うちもよその連中もやきもきしてたのよ。同じ学校の中ならともかく、刑事事件にもなってないんじゃあほかの学校には入りづらいし……。大見出しつきの独占記事で、特ダネは間違いなしね」
「さすが『うわばみの薫』、しぶといったりゃありゃしないね」
それまで沈黙を保っていた、ごましお頭の運転手が口を開いたので三人はすっかり驚いてしまった。
「あったりまえよぉ、伊達に事件追っかけてないわ。――おっちゃん、とりあえず今出川までやってちょうだい。二人その辺で降りるから」
「あいあい、了解しました」
慣れた間合いの二人にゆかりが呆気にとられていると、薫は笑って、
「このおっちゃん、この道四十年のベテランでね。市内の細々した抜け道、回り道に詳しいから取材でよくお世話になってるのよ。それに、秘密もバッチリ守ってくれるから、安心してこういうことが出来るってわけ」
「そのかわり、こちらもみっちり稼がせてもらってますがね。あちこち行くと、メーターの上がりも早いから……」
「お互い、持ちつ持たれつってわけかあ」
摩子の半ばあきれたような呟きに、薫はためらいもなく、イグザクトリィ、と本場顔負けの発音で答える。
「それより先輩、聞きたいことがあるんですが……」
ゆかりがややためらいがち聞くと、薫はものによるわね、と手帳をしまいながらぞんざいに返事をする。
「――鴨川さんって、けっこう有名な方なんですか?」
「その質問があなたの幼なじみから出てきたら、容赦なしに怒鳴ってたわね」
「やっぱり、有名な方なんですね」
過激な物言いで縮こまってしまった摩子をよそに、ゆかりは薫から、鴨川浮音とその相方、佐原有作についての話を聞くこととなった。
「一年くらい前だったかしら。下鴨の元華族のお屋敷で、地下から白骨遺体の見つかる騒ぎがあってね。で、それを皮切りにずいぶん陰惨な事件が続いたんだけれど、その捜査にアドバイザーとして呼ばれたのが、暇を持て余していた大学生、鴨川浮音と同居人の佐原有作の二人だったというわけ。そのちょっと前に近所で起きた事件を警察より早く解決したのを買われたとかで、府警本部長じきじきに協力要請したそうよ」
「で、その事件が解決して……」
「いろんな方面から捜査協力、依頼が来てるようね。本人が名乗り出てない分も入れたら、この一年ばかりの間に関西で起きた変な事件、ほとんど彼が解決してるんじゃないかしら。まあ、あんまり大きく出ることはないから、あなたたちが知らないのは不思議じゃないわ」
「は、はあ……」
薫の不気味な笑みにいくらか慣れたところで、タクシーはゆかりたちの見慣れた町並み、同志社大学のキャンパスを右手に控えた交差点に差し掛かった。そこからさらに一本、西へ入った室町通へ入ると、ゆかりと摩子は車を降り、後部座席へ移ろうとしていた薫へ礼を述べた。
「わざわざすいません、近所まで入ってもらって……」
ゆかりが鞄を前に提げたまま頭を垂れると、続けて摩子もドモ……とお辞儀をする。
「ま、これも是非ない特ダネのためよ。あたしは下田さん送ってくから、道草食わずにまっすぐ家へ帰んなさいね」
といって、薫が後部座席へ乗り移ると、それを合図にタクシーはゆっくり加速し、元来た烏丸の通りへと戻っていった。
「――やっぱり、一目置かれる存在だったのねえ」
「だねえ。本人は謙遜してたけどさ、結構な名探偵なんじゃないかな? やっぱり」
室町通をゆっくり上りながら、ゆかりは摩子と、薫から聞かされた鴨川浮音の過去の活躍について話し合った。そしてその結論として、あのただでさえ辛口な三宅デスクが活躍ぶりを賞賛するのだから、やはり学園長の見立ては間違っていない――という具合に二人の意見は一致した。
「そうなりゃ、こっちがやいのやいのと進捗を聞きたがるのもなんかおかしいのかもねえ。黙って犯人の捕まるのを待ってるのが本寸法ってことかな?」
「本寸法って……今度は落語にでもはまったの?」
この幼なじみは聞きかじった言葉をすぐ使いたがるとよく知っていたゆかりは、摩子の額へ軽いデコピンを食らわせた。そのうちに、二人は通りの中程にある小学校を過ぎ、寺之内の通りを越えた辺りにある、静かな住宅街の一角へとたどり着いた。自分たちの家は、もう目と鼻の先である――。
と、それぞれが自分の家へ向かおうと別れかけたときだった。ほぼ同時に、二人はからん、からんという乾いた足音が近づいてくるのに気がついた。
最初はどこかの家で工事でもしているのか、と流しかけた二人だったが、それが下駄の音だとわかると、摩子はゆかりへ珍しいねえ、と声をかけた。
「いくら京都が古い都でも、こんなフツーの住宅街で下駄の音っていうのも珍しいねえ」
「そういえばそうね。――お寺も近いし、お坊さんかしら?」
「まあ、花魁道中ってわけでもなし……あ、あれあれ、あの人じゃない?」
音の正体が、遠くからこちらの方へゆっくり近づいてくる背の高い人影だとわかると、二人はその正体を見届けようと、一緒になった道の隅へと陣取った。ところが、何十歩かの下駄の音が響いたところで、相手とゆかり達はほとんど同時に「あれっ」と声を上げることになった。
「なんやなんや、ジロジロ見取る子らが居ると思ったら……よう会うねえ」
「あ、ああっ!?」
くせのかかった髪の上へ、おろしたてのまっさらな麦藁のソフト帽をはすにかぶった青年――鴨川浮音の愛嬌に満ちた顔に、ゆかりはすっかり驚いてしまった。最前までさんざっぱら話題にしていた相手が現れたのだから、無理もないことである。
「こりゃひどい、人をお化けでも見たような風に……えーっと、たしかきみ、鷲尾さんやったかな?」
「は、はい……鷲尾ゆかりです」
「はいはーい、竹井摩子でーす!」
脳天気な摩子の返事に、おうおう、威勢のいいことォ、と浮音は屈託のない笑顔を返す。
「学校帰りの寄り道にしちゃあずいぶん変なとこで会うけど……ひょっとしてきみら、この近所?」
青い着流しをゆらりと着けた浮音は、手に提げた巾着袋を振り子のように揺らしながら尋ねてきたので、摩子はそうですよぉ、と返答する。と、浮音はちょっと意外そうな顔をして、
「――へーえ、こりゃまたえらい偶然があったもんやねえ。僕ン家、そこのファミマの裏辺りなんよ」
「えっ、じゃあもしかして……」
おそるおそる、ゆかりが京都市上京区……から続く自分の住所をそらんじ始めると、途中から浮音もほとんど同じ町名と字、番地を口にし始めた。住んでいる人間でも時々うろ覚えになるものをすらりと言えるのだから、住民であるというのは間違いない。
「いやはや、これまた世の中狭く出来とるねえ。助けた相手がまさかご近所さんとは……」
驚く浮音に、ゆかりはほんとですね……と肩をすくめながら返す。
「実は私たち、さっきまで鴨川さんのことを噂してたんです。ちょうど放課後、学園長先生に見送られて帰るところを見かけたんで……」
「なるほどねえ。で? ついでに君らのガッコの名物、七女通信の三宅デスクあたりに車でも回してもらったと、こういうわけかな?」
「え、えっ!?」
見てきたように今までの行動を言い当てられたのにはさすがのゆかりも参ってしまった。やはり評判のことだけはある、と思っていると、浮音はからりと笑って、
「悪い悪い、ちっと薬が効き過ぎたか。なに、裏を返せばなんてことない話でな。車で帰ろうとおもたら、茂みの中からなーんか覗いとるのがおる。で、車に乗ってからも一度サイドミラーを見たら、案の定望遠レンズがこっち向いてたと、こういうわけ。あとは単に、バスか電車で通学してるはずの君らが、定期券を手近に持ってないというところから総合して、レンズの主の関係者――つまり、僕や学園長先生の姿を写真に収めたい、七女通信デスク、三宅薫が君らをのせた車中でカンヅメ取材を催した、とこう考えたわけ。どやろ、半分くらいは合っとるかな?」
「すごーい、大当たりですよ鴨川さん! さっすが名探偵!」
摩子の惜しみない賞賛に、照れてかなンなあ、と浮音は襟足をかきながら恥ずかしげに笑ってみせる。
「まあ一応、牛村警部づてにいろいろ、七女通信のことは聞いとったしねえ。今日も村山センセが、『彼女らは取材熱心すぎて困ったものです』なんてボヤいとったからなぁ。ま、京都の学校新聞がほぼほぼ治外法権なのは今に始まったことやないし、せいぜいそのうち、取材を受けに馳せさんじるとしようかね。事件の捜査も、わりとええとこまで進んできたし……」
「ほ、本当ですか!」
浮音の言葉に、二人はふたたび顔を見合わせる。日の入りを間近にして、夕焼け雲の赤みは最高潮へと達していた――。




