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薫る国の公女  作者: よこうみ
第一章:初拝謁
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ダンスのお誘い


 三人はバルコニーの入り口を見た。


「殿下」


 ギルバートは少し驚いたような声で、そこに立つ少年に呼びかけた。


 殿下?


 ルチアは目をこらしてその人を見た。


 チョコレート色の肌に、黒い瞳。

 瀟洒(しょうしゃ)な銀細工の眼鏡。

 側頭部を刈り上げ、ドレッドヘアを束ねて、前髪のように額に被せている。

 一般貴族のようにタキシードを着ているが、よく見るとところどころ微妙に見慣れぬ装飾がある。

 民族衣装の意匠を取り入れた礼装なのかもしれない。

 広大な国と地域を領土とするベルミオン帝国では、珍しいことではない。


 しかし、この〈殿下〉と呼ばれた少年の顔も名前も、ルチアは知らない。


 ギルバートとダニエルが少年に向かってお辞儀をしたので、ルチアはあわててお辞儀をした。

 もちろん、軍隊風ではない、一般的な礼である。


「もしかして、ギルバートの妹?」


 ゆったりとした声で、少年はギルバートに声をかけた。


「は。これは妹のルチアであります」


「そういや、十六歳って言ってたな」


「は。ご記憶にお留めいただき、ありがとうございます」


「いやいや、顔見たらすぐ思い出せるんだけどね〜……こーいう個人的なことって。

名前だけじゃ思い出せないから、姉貴に怒られっぱなし」


 へら、と笑って、少年はルチアたちに向き直った。


「えーっと……?」


「オルドリーク辺境伯の、ダニエルと申します」


「おお!

 かのオルドリーク辺境伯殿でありましたか!

 これは失礼いたしました」


 以前にこやかに、〈殿下〉は応えた。

 失礼いたしたという感じではない。


「あらためて、ご挨拶させてください……サマル・マクンブ・ナダ・ヌアバと申します」


「は。お見知り置きいただき、恐悦に存じます」


 す、と向けられたサマルに視線を受けて、ルチアは反射的にお辞儀をした。

 顔を上げ、あいさつの口上をのべる。


「ルチア・イル・フロラントと申します」


「サマルと申します。

 お兄様には仲良くしてもらっています。

 よろしく」


「よろしくお願いいたします」


 サマルという名は寡聞《かぶん》にして知らなかった。

 しかし、ヌアバという名は知っている。


 シュカ帝国の帝家の氏は、〈ヌアバ〉。

 サマルは、シュカの皇帝と血を同じくする、皇族の一員なのだ。


 ルチアは手袋の中が汗で湿るのを感じた。


 シュカ帝国のことは知らないはずもない。

 ヌアバ家の主要なメンバーや国内の諸侯についてはそれなりに勉強してきたつもりだったが、同い年の皇族であるサマルのことは知らなかった。

 兄はシュカ帝国の兵学校で学ぶ身であり、自分はフロラント大公国の公女であるにもかかわらず。


 ルチアはひそかに奥歯を噛み締めた。


(私って、本当に田舎者なんだ……)


「先に言っとくけどさ、」


 サマルはポケットに両手を入れて姿勢をくずした。


「ボクのこと、知らなくて当然だと思うよ」

「え?」


 ルチアは視線を上げた。

 サマルは洒落者がやるような仕草で、肩をすくめた。


「ボク……っていうかボクら一家って、領地をほとんど持ってないんだ。

 だから皇帝陛下の宮廷に住まわせてもらってんの。

 一家で部屋住みの身分ってこと」


「左様で……ございましたか」


「だからそんな絶望しなくていーよ、ルチア殿」


「は……」


 ルチアはまばたき、すぐに我に帰って、頭を下げた。

 

「ご厚情、まことにありがとう存じます……!」


 サマルは破顔した。


「かたくるしっ! タメ口でいーよ」


「サマル様、さすがにタメ口は……」


 サマルの提案には、さすがにギルバートが口を挟んだ。

 ギルバートが常識を知っているというのは嘘ではない。

 ただ、たまに自分の都合でそれを無視することがあるだけなのだ。


「辺境伯殿は知ってた? ボクのこと」


 サマルはダニエルの方に向き直ってたずねた。


「は。存じておりました」


「ハハ。やったね、有名人だ」


 サマルはギルバートに向かって笑いかけた。

 ギルバートは笑って目を伏せた。

 それはルチアが見る限り、けっこうな気のゆるみが見られる笑みで、ルチアはギルバートのサマルへの態度に、上下関係以上の、友情のような親しみを感じた。


 いつの間にか、バルコニーの入り口がさわがしくなっていた。

 ざわめきから洩れ聴こえる言葉のはしばしから、それはサマルがバルコニーに出ていることによる人だかりだと理解された。

 ギルバートはフロアの方をうかがい、ルチアたちに目配せした。

 もうバルコニーは落ち着ける場所ではない。

 サマルは背をかがめて、ルチアとダニエルに小さく声をかけた。


「ごめんね、騒がしくしちゃってさ」


「い、いえ」


「ここは我々だけの場所ではありません」


「二人は踊った?」


「踊りました! 三回ほど」


「二回、踊りました」


「や、そうじゃなくて。二人で組んで踊った?」


「え?」


「いえ」


 サマルはニッコリ笑って言った。


「踊ってきなよ」


「……は、」


「ご厚情、痛み入ります」


 ルチアは一瞬固まったものの、すぐに姿勢を正してお辞儀をした。

 ダニエルも軽くお辞儀をし、姿勢を正した。


 四人はゾロゾロと連れ立ってフロアに戻った。

 音楽は休憩中で、案の定、サマルは人々に囲まれてあいさつをされたり、ダンスの申し込みを受けたりした。

 ルチアとダニエルはサマルとギルバートにさりげなく背中を押され、輪の外に出された。

 ルチアは兄がこのような気づかいができる人間とは思っても見なかったので、思わず二度見してしまったが、ギルバートはサマルのサポートに回っていたので、ルチアの方は見なかった。


 ルチアとダニエルは鉱水を飲んで喉をうるおした。

 ルチアはダニエルの方を見た。

 ダニエルはルチアの視線に気づいて視線を返した。


「あっ……」


「? どうした?」


「…………」


 ルチアは、ダニエルに向き直って顔を見上げた。


「あの、」


「うん」


「……私と、踊っていただけますか」


「……? もちろん」


 ルチアは力が抜けたように微笑んだ。

 ダニエルは不思議そうにルチアを見返したが、すぐに何かを思いついて、たずね返した。


「もしかして、サマル様に言われたから踊るものと思っていたのか?」


「いえっ、……いや、それも、ありますが……」


「…………」


「ちゃんと自分の言葉で、お誘いしたいと思った、ので……!」


「……なるほど」


 ダニエルが笑った。

 その夜ルチアが見た笑顔の中で、一番まぶしい笑顔だったかもしれない。

 ルチアは今度こそ気が抜けて、へらりと力ない笑みを浮かべた。


 音楽が変わった。

 ゆったりとしたワルツが流れる。

 ダニエルが腕を差し出す。

 ルチアはうなずいて、ダニエルの腕を取った。

 二人は人だかりの隙間をぬって、フロアに出ていった。


 第一章:初拝謁 終


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